第16話 水野朝木

 ラミュアの力が弱まり、僕は重力のまま床に倒れ込む。


 地上がこんなに愛おしいなんて――生ゴミくず野郎の名に相応しく、全身ボロカス状態だ。かろうじて、意識は保たれた。

 倒れる僕の真横、その女性が側に近付きツンツンと、


「ん。少年、中々に有望な顔付きをしているね」


「……」


 ここに来てから、その話題は何回目だろう?

 場所によっては、僕にも需要があるんだね。なんて、全然嬉しくないよ! 恨めしげに視線を向けると、白い煙が顔にかかる――、


「あははっ。いいね、その睨みっ! うちの組にでも入る?」


 ――煙が晴れると、ものすごい美人さんがいた。

 今時分には珍しい煙管を片手に、和という一文字に遜色のない着物、長く艶やかな黒髪が鎖骨に流れている。その胸元、少しはだけた胸元から、豊満な谷間が惜しげもなく見えていて――め、目のやり場に困るな。

 それにしても、この顔立ちといい、笑い方といい、誰かに似てい――、


「ボス!」


 ――るんボ、ボスぅっ!?

 ラミュアは背筋を伸ばし、姿勢を正しながら、


「……今日はご予定があったはずでは?」

「ん、組が一大事っていう連絡があってね。戻って来たんだよ」

「す、すいません! 俺というものがありながら――」

「原因は、この少年かな?」

「――なっ! ボス!! あまり触れてはいけません、なにをやらかすかっ!」


 そんな体力、微塵もないよ。


「大まかな話は部下から聞いたよ。少年、強いんだね。うちのラミュアを倒すなんて」

「……ボス、偶然ですよ。たまたま、俺が油断しただけです」

「あはは。この世に偶然なんかないよ。ラミュアもわかるでしょ?」

「っ! それはっ」


 その一言に、ラミュアが黙り込む。


「この少年がラミュアを倒したのも偶然じゃない。それでもって、あの子がキスをされたのも偶然じゃない」


 と、ボスはラミュアの横にいる女の子を見て、


「ね。夕凪」


「……ま、ママ!」


 ママぁっ!?

 こんな若くて綺麗なお方が――ママっ? う、嘘ぉおお! どう見ても、二十歳過ぎくらいにしか見えない。つまるところ、水野組のボスでもあって、水野さんのママでもあって――あ、頭がこんがらがってきた。


「それで、この少年はどこの誰でなにものなの?」


「えっと、同級生の逆巻巡君だよ」


 ふぅんとボスは相槌を打ち、僕の頭に手を置く。

 なでなでと、子供を可愛がるかのよう――不思議な温もりが、全身を覆う。ほんわかとした感覚に、自然と目を閉じていた。


「ん、立ってごらん。少年」


 その言葉と同時、体の違和感に気付いた。

 全身の痛みはどこかへ――体が軽い。一体、なにが起きたんだろう? と、思わずボスを見る。


 ニコリとした笑顔が返ってきた。


 うわ、本当に綺麗な人だな。なんて、感情に疑問が吹っ飛び――挨拶しないと! 僕は即座に体を起こして頭を下げ、


「は、初めまして! 水野さんから紹介された通り、逆巻巡と言いまひゅ」


 うぉ、最後で噛んだ!


「あははっ! うちの名前は水野朝木、話を聞いていてご存知かもしれないけど、夕凪の母親だよ。あ、気軽に朝木って呼んでね」

「えっと。朝木、さん」

「ん、呼び捨てでいいのに」

「えっ、呼び?」


 だーかーらー、と朝木さんは僕の耳元に近寄り、至近距離にて――、


「呼び捨て、だよ」


 ――艶やかな一声。

 ふっ! と、追撃で耳に息が吹きかけられた。慌てて、その場から飛び退く。突然のできごとに、心臓が破裂したかと思った。真っ赤な顔であろう僕を見て、朝木さんはケラケラと笑う。

 悪戯なやり取り、おちゃらけた印象、本当にボスなのかなと疑った――、


「あは。若いね、少年!」


――この時、この瞬間までは。

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