第4話 とまらぬ妄想

「ふんふん。ふふふふふん」


 陽気に鼻歌。

 天子は踊るよう、上機嫌に僕の頭上を旋回する。鼻歌のリズムから察するに――焼きそばパンがよほどお気に召したようだ。

 愉快な音頭が鳴り響く中、それをかき消すよう、


「あ。逆巻君!」


 不意に後ろから声。

 振り向かずとも、誰だか即座に理解できる。明るくハキハキとした口調、朝の目覚まし時計の音声に採用したいくらいの声は――、


「途中まで同じ道だったよね? 一緒に帰ろう」


 ――ハッピータイム!


 真横、水野さんが並んで歩き出す。時折、花びらのような香りが風に乗って鼻腔をくすぐり、僕の平常心を揺れ動かしていく。


「ね。お昼前に話してたテストのヤマなんだけど」

「それは、鉛筆を転がす要領かな」

「うんうん。って、すごい賭けだよ、それっ!」

「ははは。最近、運がよくて」


 曖昧に返答する。

 詳しく説明できないのは、勿論のこと――どうしても、ある一点が頭に浮かんで他所に思考が回らない。ゆらりゆらりと、風に揺らめく水野さんの制服――スカートだ。揺れることは当たり前だが、先ほどのキーワードがどうしても思い出されてしまう。


 ……そう、猫ちゃんマークのパンてぃだ。


 パンてぃ、パンてぃ、パンてぃだ! 食べるパンに二文字増やすだけで、どうしてここまで甘美な響きになるのかな。


 ぱぱ、パン、パンてぃ! パンてぃいいいいいいいいいいやっあ!


「あは。私も今日ね、焼きそばパン買いに購買――」

「ふふひぃふふひぃ」

「――どうしたの!? すごい勢いで目が血走ってるよっ!」

「はっ! ちょ、ちょっと寝不足で」


 水野さんの声にて目が覚める。

 危ないところだった。妄想の世界に入り込む寸前だったよ。まだ、うっすらと視界に三角形よろしく布の残像が――目をこする。ふらふらと、足取りがおぼつかない。


「だ、大丈夫? 顔、真っ赤だよ」


 僕を心配してか、水野さんの手が背中に触れる。

 柔らかな温もり。その優しさという行為が――アクセル全開ぃいっ! 僕の煩悩をさらに加速させていく。


「だだ、だじょ、だじょじょう」

「全身が震動してるよ!? ほら、こっちに公園あるから休んでいこう?」

「あ、ありがとう」


 促されるまま、公園のベンチへと歩み寄る。


「ふふ。思春期真っ盛りは大変じゃのう」


 僕の頭上、天子がニヤニヤと笑い出した。


 思春期真っ盛り、か。

 まさにピンポイントである――ぐぅう、仕方ないじゃないか。

 好意を寄せる相手が至近距離にいるんだよ? 胸の鼓動は高なり、頭が沸騰し、体中から汗が吹き出て――動揺だらけの三拍子だ。


 ……あ、鼻血。


 紙、紙ぃいいい、と慌てたのも束の間――水野さんが鞄をごそごそ、ポケットティッシュだ。さすが、女の子と感心する。


「はい。これ、気にせず使ってね」


 水野さんが微笑む。

 申し訳ない気持ちでいっぱいだ。この欲望を凝縮した赤い液体は、目の前のあなたを考えてのことなんです。

 そう、水野さんのパン、パン、パンてぃ、


「逆巻君、勢いがすごすぎて貫通してるよ!?」


 かか、紙、紙ぃいいいやぁああっ! 

 補填しようとしたものの、ストックが底をついて――水野さんが鞄をごそごそ、白いハンカチだ。水野さんの私物を穢れた液体で染めるだなんて、天に向かって懺悔したい気分だよ。


 ああ、神様――って、頭上にいた。


「寝不足かな? ちゃんと、睡眠取らなきゃ駄目だよ」

「ごふぇん。……ごほ、ごめん。もう大丈夫だから、先に帰っていいよ」

「だーめっ! 気分の悪い人を置いては行けないよ。逆巻君が落ち着くまで、私もいるから。あっ、なにを言ってもここにいるからね。強制だよ?」

「う、うん。ありがとう」

「ちょっと、ここにいといてね。私、飲みもの買って来るよ」


 と、水野さんの視線の先に自販機。

 小走りで買いに行く後ろ姿も、また前から見るのとは違って可憐で――天使だ! 天使すぎるっ!! この単語、同じ真横にいて同じ呼び方でも、天と地ほど差があるよ。

 僕はじとりと天子を見やる。天子は視線の意味を感じ取ったのか、


「むむ。今、天子の悪口を考えておったな」


 気のせい、気のせい。


「まあよい。それにしても、この女子――」


 と、天子が指で丸を形作る。


「――驚くほどに、真っ白じゃのう」


 んん。

 またしても、下着の色を言うのかと危惧したが――違うようだ。今の僕に刺激的な言葉は、致命傷になりかねない。


 ……真っ白、真っ白?


 現在進行形で鼻血が噴出中なので、首を傾げて天子に疑問をぶつける。さすがに伝わるわけないか――、


「安心するがよい。声に出さなくとも読み取れる」


 ――ゴッドぉお!

 先ほどの悪口も聞こえていたんだね。即座に胸の内でごめんなさいをする。それで、真っ白とはどういう意味なんだろう。


「一言でいうなら、心のキャンバスじゃよ」


 心のキャンバス?


「生きとし生けるものは皆、心に色を持っておる。それはこの女子だけでなく、お主もじゃ。生まれた瞬間は平等に真っ白なんじゃが、育っていく過程により普通ならば色が付いていく。それが未だに真っ白とはのう、なんとも珍しい。純粋の中の純粋、とでも言うべきか」


 と、天子は水野さんから僕に視線を移して、


「ちなみに、お主はピンクじゃ」


 今の話を聞いた直後だと、すごく不純な色に感じるね。


「ふふ。ヨコシマな気持ちの表れかのう」


 なにも言い返せないです。


 しかし、真っ白なキャンバス、か。嘘偽りなく、水野さんに相応しい色だと思う。純粋の中の純粋という意味も――天子の言う通り、力強く頷けるものだ。

 特別、今の僕はそう言える。


「逆巻君、お待たせ! はい、これどっちがいい?」


 天子の話が終わると同時、水野さんが戻って来る。

 右手にはお汁粉、左手にはコーンポタージュ――ハイセンスな二択だね。僕はありがとう、と感謝の気持ちを込めてコーンポタージュを受け取る。好みはどうであれ、水野さんがくれるんだ。このコーンポタージュも金の粒になる。

 水野さんはふぅふぅと、お汁粉を口に運びながら、


「鼻血、とまったかな?」


 言われて――気が付く。


「あ。いつの間にか、とまってたよ」

「よかった。突然、鼻血なんてどうしたんだろうね」

「……」


 再度、パンてぃの一件を思い出してしまった。

 うぅ、またしても鼻の奥底が熱くなってくる――このモヤモヤをどうにかしないとエンドレスだよ、三日三晩はモンモンし続けるよ。


 ……どうにかしないと、か。


 僕はそっと、ベンチの端に缶を置く。これから起こる、起こすであろう、一大イベントに備えて――対象となる相手を視界に入れる。

 僕の視線を感じ取ったのか、水野さんは首を傾げながら、


「??? 私の顔に、なにか付いてるかな?」


 誰もが考え付くことだ。


「逆巻君?」


 だったら、確認すればいい。


 普通ならば、確認するなんてありえない行為――不可能な行為だ。パンてぃを見た瞬間は至福だろう。その後はどうなる? その子との関係なんて、一瞬にして粉々になるに違いない。だからこそ、人は皆――思い切った行動に対して臆病になる。


「……お主、理論的なことを言いつつ、パンてぃが見たいだけか」


 天子の一言はスルーだ。

 前述の通り――行動に出た後、出なかった後、僕だけは例外になる。僕だけは全てを無効にする能力がある。ゼロをスタートとし、一の行動をしてもゼロに。二の行動をしてもゼロに。一だろうが、二だろうが関係ない。そう、駄目なことをしたとしても――時間を巻き戻せばいい!

 思い立ったが吉日、僕は即座に言う。


「水野さん、パンてぃを見せてほしい」

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