第3話 水野夕凪

 昨日のテストを返却するぞ!

 と、威勢のいい声を皮切りに、クラスメイトが続々と教壇に足を運ぶ。まるで、有罪か無罪かの裁判、結果次第によっては――死刑宣告。放課後に補習というイベントが待っているので、半端ない緊張感が教室内に満ちていた。

 喜び、悲しみ、阿鼻叫喚、色々な感情が咲き乱れる中、


「逆巻君、百点なんだ!」


 僕の隣に座る女生徒が声を上げた。


「ぇっ、あ! ぅ、うん」


 少しどもりながら返答する。

 吊り上がった猫のような瞳、ぴこぴことした栗色のツインテール。全体的に幼い顔立ちをしており、小動物的な印象に見受けられる。


 ……まあ、めちゃくちゃ可愛らしい。


 どれくらい可愛いかと言うと、同じ教室内で同じ酸素を吸っているのすら光栄に感じ得て、話しかけられた日には記念日としてメモしておきたいくらい――つまり、ナウね。


 この美少女の名前は、水野夕凪(みずのゆうなぎ)という。


 学年での人気も、一、二番を争い――自分は可愛い! なんて高飛車な素振りなど見せず、明るくて誰にでも均等に優しい。このクラス内で僕に話しかけてくれる、稀有な存在でもある。


 そんな美少女の隣席は、有名なアイドルのアリーナ席くらいの価値があるだろう。一年の時も同じクラスだったけど、二年も同じくして――隣席だと知った際、内心ガッツポーズを百回は全力で繰り返した。

 不意の呼びかけに挙動不審な僕、水野さんは特に気にした様子もなく、


「抜き打ちテストだったのに、どうやって対処したの?」

「これは、答えを丸写ししただけだよ」

「丸写し?」

「あっ! いや、そうじゃなくて。魔法みたいなもので」

「ま、魔法っ?」


 水野さんがポカンと口を開ける。

 ついつい、本当のことを口にしてしまった。しかし、僕の言葉に嘘偽りは全くない。まさしく、魔法みたいなものだろう。


 そんな能力を与えてくれた神様、天子は食べるだけ食べて――そのまま、どこかに消え去ってしまった。夢なのか現実なのか、間違いなく後者ということだけは断言できる。


 ……今の不自然なやり取りも、僕だけは問題ない。


 単純に考えるなら、普通の人よりも選択肢が多いということだ。この限りある人生の中で常に二手、三手と――それがどれほど強力であるか。

 僕は即座に頭で念じる。



 ――『巻き戻れ』――



「逆巻君、百点なん」


 僕の隣に座る水野さんが声を上げ――、


「イエス! パーフェクトボーイっ!」


 ――おぉっと、ちょっとフライング気味だったかな。


「今、首の回転速度すごかったよ!? ……抜き打ちテストだったのに、どうやって対処したの?」


「日頃から、予習と復習をしていたんだ。テストのヤマを張りつつ、ねっ」


 挙動不審な僕はもういない――百パーセントスマイルで答える。


「すごい、完璧なヤマだね! 今度、私にも出そうなところ教えてほしいな」


「うん。喜んで」


 無敵だ。

 この能力は――完全に無敵だ。興奮し過ぎて少しキャラ崩壊しちゃったよ。深呼吸を一つして、落ち着きを取り戻す。


「む。早速とばかりに、使っておるな」


 至近距離にて古風な喋り口調、声に誘われて振り向けば――、


「んなっ、いつの間に!?」


 ――昨日の今日で、忘れるはずもない。

 赤と白の巫女服に、身を包んだ小さな女の子。ちょこんと机の上に腰を掛けながら、天子が僕を眺めていた。

 落ち着きが吹き出る僕、天子は不適に八重歯を覗かせ、


「ふふ。面白そう故、お主を観察しようと思ってのう」

「だ、だからって、学校まで来るなんて」

「逆巻君、どうかしたの?」

「あ、いや、天子が。この女の子がさ」

「女の子?」


 僕の指差す方向、水野さんが首を傾げる。


「言い忘れておったが、天子の姿も声も――お主以外、見えぬし聞こえぬぞ」


 早く言ってよ。


「ははは。気のせいだったみたい」


「あはっ。あそこの黒板の染み、確かに女の子の顔に見えるかもね」


 互い、笑い合う。

 うーんっ! フォローまでしてくれるなんて優しいね、見かけ通りの女神様だよね。正直なところ、黒板の染みが女の子の顔には全く見えないけど。


「ほう。こやつが好意を寄せている女子か」


 天子がふわふわと、水野さんに近付く。

 ふわふわ!? さすが、神様と言うべきか――雲のよう、軽快に浮遊している。現在、水野さんの眼前に天子がいるが、全く気付いていない。

 それは勿論、僕以外には見えないというせいだろう。どんな力を使っているんだ? 気軽に常識を打ち破ってくるね。


「可愛らしい女子ではないか。どれどれ――」


 天子が指で丸を形作る。

 例の心理眼というやつだろう――水野さんの詳しい人物像はどうなのか? ちょっとどころか激しく興味がある。

 天子は神妙な面持ちで頷きながら、


「――ほう。猫ちゃんマークのパンてぃとな」


「猫ちゃんマークのパンてぃ!?」


 思わず、僕は叫ぶ。

 思春期真っ盛りの男子高校生ならば、即座に反応してしまうキーワードだ。素晴らしいね、心理眼! そっちの能力でもよかった気がするよっ!! 


 ……猫ちゃんマークのパンてぃ、か。


 水野さんの見かけにマッチして高ポイント! 結構なビッグボイスだったが、テスト返却後の喧騒に巻き込まれ――誰も気にはしなかった。

 無論、間近にいる一人を除いて。


「さ、逆巻君? ね、ねね、猫ちゃんマークのパンてぃって――」


 興奮のあまり、着用している本人の存在を忘れていた。


「――わ、わわ、私の? え、なな、なんで」

「うわぁああ! 空耳が、空から耳が聞こえてっ!!」

「そ、空から耳?」


 僕はなにを言っているんだ。

 冷静になれ――こんな時こそ、能力を使えばいいじゃないか。簡単らくちん、全知全能の神様の力よ。

 僕は天高く両手を掲げ、ポーズを作る。頭の中で念じることは一つ――あの時、あの瞬間に戻りたい。



 ――『巻き戻れ』――



「……逆巻君? 急にポージング決めてどうしたの?」


 あれ? あれれ?


「さっきのは、私の聞き間違えだよね。お昼も近いしパンの話かな? うんうん、私もお昼は焼きそばパン買っちゃおう」

「そ、そうなんだよ。……焼きそばパン、てぃーっくしょんってクシャミがね。ついでにバンザイもでちゃうよね」

「バンザイ? 風邪、とかかな?」

「うん、風邪に近いね。勉強のしすぎで知恵熱かもっ! ……ちょ、ちょっと、大人しくしとくよ」

「大丈夫? 無理しないでね」


 ありがとう、と僕は机に突っ伏す。

 とりあえず、適当に話に乗って流したけど――巻き戻っていない。腕の隙間、激しく疑問を含んだ眼差しで天子を見やると、


「ぶ、ぶふっ。く、くく、ふふ、ふぷぅん」


 腹を抱えて笑っていた。


「……天子。何故か、時間が巻き戻らなかったんだけど」

「ぶくく。ぱ、パンティーっくしょんって。む、無理やりすぎじゃ。しかも、あの決めポーズっ! ……ぶふっ」

「笑いごとじゃないよ。どうなってるの?」


 僕の問い掛け。天子はふぅと一息付きながら、


「ふむ。それはじゃな――」


 くんくん。

 と、擬音が聞こえそうなほどに、天子が鼻を俊敏に動かす。


「――よい匂いがする」


「あっ。いつの間にか、授業終わってたんだ」


 午前の終了を告げるチャイム。同時、教室内に食欲を促す空気が広がる中、


「む。言い忘れておったが、身近にいる間――天子にご飯を献上する役割はお主じゃ。これは、必ず守るんじゃぞ? 必須条件じゃっ!」

「献上?」

「胸を張って誇るがよい。お供えものともいう」

「……お供えもの、ね」


 うむ! と天子が胸を張って頷く。

 そういや、観察するから身近にいるとか言ってたよね。もしかして、単純にご飯が欲しいだけじゃないのかな。


 まるで、尻尾を小刻みに振るワンちゃんだ。愛らしい容姿に朗らかな笑顔、頭をなでたい衝動に駆られたが手を引っ込める。それらの見かけや、仕草に騙されてはいけない。

 こう見えても、神様だからね。


「今日は焼きそばパンとやらがよい。ぱん、パンっ! 焼きそばパン!」

よだれ、よだれ。

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