第5話 欲望の巻き戻し
「えっ?」
「パンてぃ」
「また、聞き間違いかな? あはっ、パンだよね」
「パンてぃだよ」
「えぇっ!?」
「水野さんのパンてぃが見たいんだ」
パンてぃというキーワードにより、水野さんの顔が紅潮する。
「……パっ! と、唐突すぎるよ! ど、どど、どうしたの!?」
「鼻血が出ていた理由も、水野さんのパンてぃを妄想していたんだ。そう、猫ちゃんマークのパンティを! 見たくて見たくてたまらないんだっ!!」
「なんでそんな真剣な顔付きなの? なんで猫ちゃんマークを知ってるの!? それでいてすごい早口だね?!」
「そこは優しく受け流してほしい。見せてくれるかな?」
「ぅ、受け流しちゃ駄目だよっ! 見せる、なんて、そんなの――」
「失礼しますっ!」
「――ぇ?」
僕は水野さんのスカートに手を伸ばし、勢いのままに捲り上げた。
普段なら、守護神が見張っているのではないか、と想像してしまうほどに、風が吹こうが地震が起きようが中身の見えないスカート――この瞬間、僕の単純な動作により、ふわりと浮き上がる。
続けざま、三角形の純白が瞳に映り込んだ。
その右上には、肉球と共に猫ちゃんのスマイルがプリントされていて――水野さんに相応しい白を基調とした素材、人懐っこい性格を模したであろう猫ちゃんマーク。この二つが織りなす調和、絶妙なハーモニーをかもし出していた。
これが噂のパンてぃ! パンてぃ!!
噂もなにも、天子が言っていただけなんだけどね。なにはともあれ、さらに鼻の奥底が熱くなってきた。
よく考えれば、完全に逆効果だよ。
だけど、午前からのモヤモヤが晴れて清々しい気分だ。スカートが通常の状態に戻るまでの時間、感動により大声で叫び出したい衝動を抑え――ただ、静かに見守る。
……視線を戻す。
金魚のように口をパクパクさせながら、水野さんが硬直していた。その表情は恥ずかしさからか、茹でダコのように真っ赤だ。やりすぎた! 早いとこ時間を――寸前、踏みとどまる。
……もう少し、もう少しだけ、この姿を見ていたいと思ってしまった。
学校で皆に向ける人懐っこい笑顔や、明るい振る舞いは誰もが見ている水野さんだ。現在、僕の目の前にいる水野さんは誰も見たことのない水野さんだろう。恥ずかしさに顔を染め、動揺を隠さず――僕だけが見ている独占欲とでも言うべきか。
それにつられて、欲望が加速した。
「水野さん」
名前を呼ぶが、返答はない――待たずに、僕は続ける。
「水野さん、好きだ」
「……えっ? す、好きって」
好きという言葉に反応したのか、水野さんの硬直が解ける。
天子が「うはほおっ!」と甲高い声を上げながら、空中を旋回している。が、そこはスルーしよう、スルーね。
「さ、逆巻君。本当にどうし」
無理やり、言葉を遮る。
ゼロとゼロの距離――小さく愛らしい桜色の唇に、唇を重ねた。時間にして、一秒も達してなかったかもしれない。柔らかい? どんな味? 勢いのままに突っ込んだだけであって、そんな余韻に浸る余裕もなかった。
……カランと、お汁粉の缶が地面に転がる。
水野さんの瞳がこれ以上ないくらいに潤んで、小刻みに体を震わせながら両手で唇を抑えていた。
僕も僕で時間が戻せると理解しつつも、心臓の音はうるさいくらいに高鳴っていた。顔の色彩も人生でベストワンに輝くくらい紅潮しているだろう。世の中のカップルはすごいね、こういった過程を経て成立しているんだから。
沈黙のまま、互いに見つめ合う。
どれだけの時間が過ぎただろう? 長く感じるけれど、実際は一分にも満たないかもしれない。
……そろそろ、巻き戻そう。
好き勝手やって、今さら感が満載だけど――胸がチクリと痛んだ。さすがに、欲望の赴くままに行動しすぎだよ。
金輪際、こういったことに使用するのは控えよう、と内心で反省会をする。巻き戻す時間は、僕と水野さんが普段通りの状態――ベンチに座ったあたりでいいかな。
――『巻き戻れ』――
強く念じる。
「……」
「……」
再度、念じる。
「…………」
「…………」
んんっ?
もとの状態に戻――らない。念じ方が足りなかった? 巻き戻れ、巻き戻れっ! 巻き戻れ、巻き戻れ、巻き戻れぇええっっ!!
……依然、沈黙のまま、光景が変わらない。
えっ、ちょ、ほぁっ、待って。ど、ど、どういうこと? 頭の中がパニックになり、思考回路が働かない。なんで、なんで、なんで、と自問のみを繰り返すこと数十回――午前の授業を思い出す。
あの時も、戻らなかった。
そういや、天子がなにかを言いかけて、話がすり替わったんだ。僕も自然と流してしまって――、
「一日に一回じゃ」
――天子が言う。
「一日に一回、その日に限りの時間を戻すことができる。昼ごろ、既に使用してしまったじゃろう」
つまり、と人差し指を立て、
「もう、今日は使えぬ」
一日、一回?
僕、使ったよね。確か、すごくしょうもないことに使ったよね。えぇと、使えないってことは――時間を戻せないってことだよね。
……じゃあ、この現状はどうなるの?
ほほぉ! ほ、ほ、ほぉおおおおおおおおおおおお、おおおおおおあああああ、ああああああ、ああ、ああああああああああああああっ!
心の叫びと共に、冷や汗が噴水のごとく溢れ出る。喉がカラカラになる。胸の鼓動が高鳴りを増していく。
そ、そうだ、そうだよっ!
一日一回なら、明日になってから今日に時間を戻せば――、
「ふふ、先ほど言ったではないか。その日に限りの時間、とな」
――完全にチェックメイトだ!
だったら、だったらっ! 僕がしたことは、僕がしてしまったことは――なんら変わりのない日常、取り返しのつかない現実。
……いつもと一緒、ということじゃないか。
スカートを捲ったことも記憶に残る。この告白も記憶に残る。き、キスしたことも記憶に残る。まとめると、スカートを捲った直後、告白をしてキス? 暴走だよ。この一連の行動、どう安く見積もっても――変態以上、ド変態未満だよ。どうしてそんな大事なことを事前に言っておかないのか。
永劫にも思える静寂の中、先に口火を切ったのは、
「どう、して」
唇をなぞりながら、潤んだ瞳で水野さんが言う。
「どうして、なの?」
好きだから。
たった一言、たった一言がでない――臆病な話だ。巻き戻せないと知った途端、スラっと言えた言葉は重みを増す。
……僕は視線を下に向ける。
まだ少し肌寒い気温、風の音がやけに耳に響いた。数秒の間を置いて、ベンチがきしむ物音――影が遠ざかって行く。
見上げずとも理解できた。
「よいのか? 行ってしまうぞ」
「……」
「ふふ。青春か」
「……」
「白いキャンバスに朱色を一滴。中々に面白いことになりそうじゃのう」
しばらくして、顔を上げる。
広い公園には僕一人、自然と夕焼け空を眺め――カラスがカァカァと、景色に見合った声を奏でていた。
……明日、学校で会ったら謝ろう。
謝って済む問題じゃないけど――しないよりはマシだ。地面に落ちているお汁粉の缶を拾い、近くのゴミ箱に照準を定める。一回、二回、三回目にして、ようやく入った。今さらながら、コーンポタージュを一口――噛みしめた粒が、苦々しく口内に広がる。すっかりと、冷め切っていた。
ハンカチを握り締め、僕は前を向く。
「……行こうか。天子」
「む。晩御飯はなにかのう」
能天気な一言に押されつつ、家までの道のりを歩む。
次の日、水野さんは学校を休んだ。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます