第18話 すみのえのきしによる波よるさえや
古典ときいたときまず思い浮かべるのは何だろう。私の場合百人一首や竹取物語がすぐに浮かぶ。次は源氏物語である。葵上は光源氏に可愛がられすくすくと育った。成長したとき、好きだったひとに似ていたと打ち明けられたらどう思うものなんだろう。嫌かもしれないな。私をちゃんと見てるのかと問いただしたい。闇の中目をこらしていても何も聞こえやしない。そりゃそうだ私の生きてる現代では川が減った。
引っ越したここには川がない。海の音なんて聞こえないけど耳の奥では自分の血潮の流れる音が聞こえる。寝つけない夜は何を考えるだろう。好きだった場所や失くしたもの、すきな人のこと。心の波は静かに私の行き先を教えてくれる。暗い夜自分でも驚くほど冷静になって泣きつかれても泣きたいのに泣けない時も気づいたら眠れる。
波がよせる岸辺に植わっている一本の松がいまだみぬあなたであることを私は確信している。よる、は寄ると夜をかけてる。さえはーまでも。やは疑問。昼間だけではなく夜までもという意味になります。思ったより意味が分かれば単純です。宇宙人とかじゃないですからね。恋なんていつ落ちるのかわからないしやめられないものなんだよ。昔の人もこいに悩んでたんだね。恋の歌が多すぎる。他に娯楽が少ないから昔の
オタクは恋愛ものにしか触れられなかったと考えれば現代人でよかった。現代は現代で選択肢が多すぎてだるいけど。昔の人は重たい着物着て唯一の楽しみに物語りして
妄想してたんだろうね。何かめっちゃ想像つくわ。あと個人的に宮仕えの女性と高貴な姫って百合っぽくていいと思うよ。百合って概念存在してなそうだしめちゃくちゃ合法だったのでは。男が女性の横にいなかったしなんなら一緒に住めなかったらしいから最高。忠実な官女有能。やっぱ愛誠礼だね。(ここわかる人いたらお友達ですね)文学って科学と違ってあんま変わらないものを愛でるから普遍なんだよ。昔のひとと同じ感情を共有しているとか大河ロマン過ぎ。文学ってぶっちゃけ百合じゃん。もうこの際そういうことにしちゃおう。私の中で。はいたった今から文学は全部百合です。深夜テンション終了。争いもない時代だったから人をひたすら求めてひとに恋焦がれる余裕があったんだなぁ。平安っていうだけある。文学も科学も戦争時に発達するのは確かだ。だからと言って戦争は必要悪じゃない。平時の方が物事を引いてみる余裕がある。試合はうしろから見てる方がわかる、そういうこと。潮が引いた。
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