第75話 地図のない宝物

 

 

 次に黄色い花が繋がったのは、三日後の昼のことだった。また少しの間だけぎこちない会話をして、花は光を失う。


 そしてそれから五日経っても、三度目は来ないまま。どうやら、いつ繋がるかは定まっていないようだ。目を輝かせて泊まりにきたマリーが心底残念がっていた。





「行きたい所は見つかった?」


 昼食を終えた時、不意にマーチニから尋ねられる。それが新婚旅行のことを指しているのだと理解するのに、瑠都は一時の間を要した。


「それが、まだ悩んでて……。行きたい所はたくさんあるんですけど、ありすぎて逆に困ってるというか」


 カップをソーサーに戻しながらぎこちなく笑う。横に目をやれば、一番相談しているであろうメイスも同じように笑った。


 行きたい所はたくさんある。でもどの場所が新婚旅行としてふさわしいのか、どれくらいの距離や日数ならみなに迷惑を掛けないか。

 あれこれと考えてしまって、いつまでも結論が出ないのだ。相談した人たちは口々に、瑠都が望む所がよいと言ってくれる。だがやはり、一つに絞るのは瑠都にとってなかなかの大仕事だった。


「なるほど。それなら順に行けばいいんじゃないかな?」


「順に、ですか」


「何も旅行に行くのは一回限りじゃない。これから、何度でも行けばいいのさ」


 夫婦なんだから、と。なんとなしに続けたマーチニの言葉を、瑠都は胸の中で繰り返す。


(夫婦、だから)


 旅行は決して特別なことではない。何度だって機会があって、何度だって、行きたい所を述べていいのだ。


「迷うなら、本格的に魔法探しの旅に出ればいい」


 まっすぐに割り入ったのは、同じく昼食を共にしていたエルスツナだった。


 何度目か分からないおかわりを終えたエルスツナは、さぞ名案とばかりに腕を組んだ。

 その口から次々と候補地が繰り出される。土地の名前がどんどん知らないものに変わっていくので、瑠都の頭上に絶えず疑問符が浮かぶ。


「えっと……」


「ルトちゃんと一緒なら、わざわざそんな大変そうな所に行かなくても魔法の一つや二つ見つかると思うよ? ね、メイスくん」


「えっ! は、はいっ」


 瑠都が困っているのを見かねたマーチニが助け船を出す。だが最後にメイスへと話を振ったものだから、エルスツナの不満気な視線はメイスに向けられることになった。


「見つかる数が違うかもしれないだろ」


「それは……まあ、そうかもしれないですね……」


 眉をひそめたエルスツナに問われて、賛同以外できなくなったメイスの声が徐々に小さくなる。


 そんな二人と、面白そうに二人を眺めるマーチニを見比べて、瑠都はもう一度カップの持ち手に触れた。



 学校が休みのメイス、朝方まで仕事だったマーチニ。いつでも自由に仕事を抜けられるらしいエルスツナ。今日の昼食は珍しく、瑠都を合わせたこの四人が一緒だった。このあとはすぐ仕事に戻るというので、エルスツナの格好は白いローブのままだ。


 エメラルドが動くようになってから、エルスツナはこうやって瑠都と共に過ごすことが増えた。


 ルビーやエメラルドの動力であるリメルテーゼの謎を解くためだろうと瑠都は思っているが、同時にエルスツナへいだいていた勝手な苦手意識も、徐々に薄れていっていると感じていた。


 研究対象であるルビーとエメラルドは今、四人が囲んでいる食卓の周りを楽しそうに駆けている。


 エメラルドの首元には新たにペンダントが着けられていた。花を象った銀細工の中央にある緑の石は、エメラルドの輝く目と同じ色だ。


 ルビーと色違いのペンダントは、魔法員で、マーチニの友人でもあるトムがまた作ってくれた。風などの高度な魔法が織り込まれたこのペンダントを身に付けているおかげで、エメラルドの体の周りは常に清潔な状態を保てている。


 トムからペンダントについての説明を聞くのは、ルビーの時に次いで二度目だったが、高度過ぎてやはり瑠都が理解できたのはそれだけだった。


 何かと世話になっているトムにお礼がしたいとマーチニに相談すると、トムは大の酒好きだと教えてくれた。折を見て、酒とおつまみを贈ろうと瑠都は決めている。


 ちなみにエルスツナには、酒、もしくは魔法員だから魔法の宿が嬉しいだろう言われたので、瑠都はそっと酒のほうだけ採用することにしたのだった。



 食器を下げていたミローネが戻ってくる。そのまま瑠都のほうへと近付いてきた。


「ルト様、ドンララン山からお手紙が届きましたよ」


 そう言って、紐で一つにまとめられた手紙の束を差し出した。


「ありがとうございます」


 ミローネの肩の上に止まっている黄色い鳥にも礼を述べれば、鳥は高らかに鳴いてみせた。その鳴き声につられてか、ルビーとエメラルドもミローネへのほうへと駆け寄っていった。


「それからこちらも」


 ミローネは続けて、一輪の花を差し出した。


「鳥が一緒に運んできたのですよ」


 微笑むミローネから受け取る。一輪の、桃色の花だった。


(アスノさん……)


 誰が持たせてくれたものか、確かめなくても瑠都には分かった。


 閉ざされたドンララン山。色とりどりの花畑で、瑠都の耳の上へ同じ花を差したのは、長の息子であるアスノ、その人だ。寡黙だけれど頼りになる、優しい人。


(あの時の花も、花冠も、枯らせてしまったんだよね……)


 茜色がす花畑で、アスノが与えてくれたもの。

 くるりと花を回して眺める。思いをせていた瑠都は、みなの視線が集まっていることに気が付いて目を丸くする。


「誰かからの贈り物かい?」


「はい! 多分、アスノさんだと思います」


「ああ、林檎園を営んでる人だね」


 マーチニが静かに花へと視線を落とした。


「花瓶に挿しておきましょうか」


「じゃあ……お願いしてもいいですか」


 申し出てくれたミローネへ花を託す。以前エルスツナからもらったものと同じ色の、違う形をした花。


 花を贈られるのは嬉しい。けれど花は、いつか枯れてしまう。もし魔法が使えたのなら、贈られた花にすぐに保存魔法を掛けられるのにと瑠都は思った。


「あの……」


 小さく切り出した瑠都に、再びリメルフィリゼアたちの視線が集まる。


「花を枯らさずに保存できる魔法が、使えるようになってみたいんです」


 今までにも魔法を習ったことはあるのだが、使えるようになったことは一度もない。リメルテーゼという強大な魔力を持っていようと、瑠都ができたことといえばルビーとエメラルドに無意識に魔力を注いでいたくらいだ。


「なら俺が教えてやる」


「え?」


「そうと決まればすぐに練習だ」


「え、」


 意外にも、真っ先に声を上げたのはエルスツナだった。立ち上がって瑠都の腕を取ると、外に向かおうとする。


「エ、エルスツナさん。待ってください」


 仕事は大丈夫なのかと問おうとしたのだが、呼び名に反応したエルスツナが急に立ち止まった。


 不機嫌そうに振り返ったエルスツナの眉間に寄った皺を見て、瑠都は内心、しまったと焦る。


「名前」


「はいっ、あの、エル……」


「話し方」


「わ、分かった……」


 また前を向いたエルスツナは、他を気にすることなく再度瑠都の手を引いた。


 エルスツナは、瑠都の名前を初めて呼んだあの日から、自分のことも呼び捨てにしろ、更に敬語も使うなと求めてくる。


 なんでも、それがあるから瑠都はいつまで経っても申し訳なさそうなのだ、ということらしい。


 どういうことかよく分からなくて尋ねてみたのだが、それ以上でも以下でもないと取り合ってもらえなかった。


「ええっと、エル、仕事は」


「行っても行かなくても自由だからいい」


 早足のエルスツナに手を引かれているものだから、息が上がりそうになる。はっきりと答えを示されてしまえば、そのまま何を言い出せるはずもなく、瑠都は大人しくエルスツナのあとに続いたのだった。





 二人が去って、その場にはマーチニとメイスが残された。


「どこで練習するつもりだろうね。エルくんは厳しい先生になるだろうなあ」


 眉を下げて笑ったマーチニがカップに口を付ける。頷いて同意を示したメイスは、二人が消えた先を見つめながら、ぽつりとこぼした。


「ルトとエルスツナさんって……最近仲が良いですよね。いや、良いと表現していいのかは分からないですけど」


 近頃の二人の様子を思い浮かべる。たじろぐ瑠都が、これって仲が良いのかな、なんて首を傾げた気がしたので、そっと言葉を訂正しておく。


 エメラルドが、動いてからだ。二人の間に名前が飛び交うようになって、一緒にいることが増えたのは。


 リメルテーゼのことが自分でもよく分かっていないから、エルスツナがその謎を解くことに苦労しているのだと瑠都は言っていた。

 だが、エルスツナはぬいぐるみたちよりも、じっと瑠都を眺めていることが多いと、メイスは思っていた。


「気になる?」


 マーチニが静かに問う。


 違う世界から来た瑠都が、様々な人と関わりを深くするのは良いことだ。それは確かにメイスの本心である。

 だが、そういう光景を見る度、焦りや、よく分からない感情がぎってしまうことも、また事実だった。


「大人げないですよね、はは……」


 誤魔化すように笑ったメイスに、マーチニは優しい眼差しを向ける。


「人のことをうらやましく思ったり、時にねたんだりしてしまうことは、生きてる限り誰しもが経験することさ。大人や子ども、関係なくね。エルくんだって、君をうらやましく思うことがあるだろうよ」


「そんなことは……」


 あのエルスツナが、そんなことを思っているとは露程つゆほども想像できない。それに、知識も経験も、何もかもがメイスより優れているというのに、どこをうらやむというのだろう。


「人間なんてそんなものだよ。互いが互いの足りないところを求めながら、それを口に出さないどころか、当の本人すら気付いてなかったりする」


 難儀な生き物だと、マーチニは笑った。


「まっすぐで素直なところ、躊躇いもなく手を伸ばせるところ。一番近くで、彼女の支えになっているところ。俺も、メイスくんのそういうところがうらやましいよ」


 色気を持つ深緑の瞳に見つめられて、メイスは恥ずかしさを覚える。内容が自分に釣り合っているかはともかく、尊敬すべき大人に褒められるのはとてもむず痒い。


 いつも余裕を感じさせるマーチニの言動は、他のリメルフィリゼアとはまた違う魅力を放っている。それこそ、欲しがる物なんて本当に何もないのではないかと思うほどに。


「俺にも、もう少し余裕があればいいんだけどね」


 だからマーチニにそう言われた時、頭の中で反芻はんすうしてから飲み込むより早く、口に出して繰り返してしまった。


「余裕、ですか」


 椅子の背もたれに身を預けたマーチニが、そっと目を伏せる。


「……さっき届いたあの一輪の花に、ルトちゃんはどんな想いをせたんだと思う?」


 手紙と共に、鳥が運んできた一輪の花。手紙はいくつかあったのに、瑠都はそれが誰からの贈り物かすぐに分かったようだった。


「魔法を覚えてまで、残したいと思う何かがあったんだろうね」


 確かに、とメイスは思った。同時にマーチニがそこまで深く考えていたことに驚く。メイスが何を感じたのか読み取ったらしいマーチニが、またいつものように笑ってみせた。


「言ったろう、そんなものだよ。大人はただ、取り繕うのがうまいだけだ」


 誰が何を、思うのか。胸の内はいつだって、自分しか知り得ない。そして自分すら気付けない深い所に隠れる想いも、きっとある。


「……不思議だよね。昔はリメルとリメルフィリゼアなんて、大したもんじゃないと思ってたんだけどな」


 感慨深げにそう言ったマーチニの表情は、とても優しいものだった。


 神様は知っていたのだろうか。

 これほどまでに想うことを知っていて、瑠都をこの世界に連れてきたのだろうか。リメルフィリゼアたちの胸に、その愛しい欠片を与えたのだろうか。


「選んでくれた……側にいることを許してくれた神様に感謝すべきかな」


 授けられたこの幸運への、感謝を。


「そうですね……」


 胸に欠片を宿した時のことを、メイスは思い出した。それから、瑠都と過ごした大切な日々のことを。


「でも、神様以上に、ルトが。側に、隣にいてもいいんだって……言ってくれている気がします」


 仕草が、眼差しが、柔らかな、温かさが。


 思い出しながら、ぎゅっと己の手を握ったメイスは、マーチニがじっと眺めていることに気が付いて、なんとなく居た堪れない気持ちになった。


「す、すみません……急におかしなこと言っちゃいましたね」


「いや、」


 マーチニは緩く首を横に振った。


「俺は君のそういうところが、本当にうらやましいと思ってるよ」


 欲しいものはいつも誰かが持っている。眩しく思いながら人生を旅していると、足りないものを数えるほうが得意になっていく。身の内にある己の宝には気が付かないまま、きっと、誰しもが。

 

 

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