第69話 唯一の光

 

 

 朝の訪れと共に、ドンララン山を囲っていた竜の道は姿を消した。アスノが予想した通り、瑠都が訪れてから、ちょうど二週間後のことだった。




 昨晩、再会を果たした瑠都とジュカヒットは、しばらくしてアスノたちシルラドゥ家の者に事の次第を説明した。

 瑠都が何者であるのか、魔法の発動に巻き込まれてここに飛ばされてきたこと、そして、本当は記憶を失くしてなどいないこと。


 詫びる瑠都に対し、驚きはしていたが、怒ることはなかった。謝る必要などない、記憶があって、帰る場所があってよかったと、そう言ってくれた。誰にも言えなかったのはさぞ辛かったろうと、慰めてさえくれたのだ。

 むしろ、リメルという立場の瑠都に失礼な振る舞いをしたと、逆に謝られてしまった。


 アスノたちは、村の住民には自分たちが説明しておくから、もう休むようにと二人の背中を押した。先程まで体調が万全ではなかった瑠都を思ってのことだろう。

 ジュカヒットに魔力を送ってもらって、体はもうなんともない。だが彼らの優しさであると理解できたから、瑠都はそれ以上何も言えなくて、大人しく従った。



 瑠都とジュカヒットは、二人で話すために借りている部屋へと入った。瑠都がベッドへ、ジュカヒットがその前に持ってきた椅子へ座り、向き合う。


 ジュカヒットいわく、瑠都が転移する原因となったネックレスには、なんらかの魔法が仕掛けられていたが、目的も犯人も未だ判明していないのだという。


 しかし村の人々に怪しい素振りはないことから、本来の目的地はここではなく、犯人の目論みは失敗しているだろう、というのがジュカヒットの推測だった。

 念のために、転移の痕跡などが残っていないか特殊部隊の隊員たちが村の中を調べていると聞いて、瑠都は息を飲む。


 リメルのことを、狙う者。


(……いるんだ、本当に)


 ある程度は予想していたが、ジュカヒットの口から改めて聞くと背筋が凍る。誰が、と考えても分かるはずもなかったが、確実に存在しているのだ。


 瑠都の顔を、ジュカヒットが覗き込んだ。


 不安に沈みそうになるのを見透かされた気がして、瑠都はぎゅっと唇を結んだ。


「……あの、ジュカヒットさんたちは、どうやって竜の道を超えてきたんですか」


 話を逸らしてしまったことに、ジュカヒットは気が付いただろうか。いつも通りの静かな眼差しのままで、ジュカヒットは薄く口を開いた。


「一刻も早くここに辿り着くために、力ずくでも通り抜けるつもりだった」


 例え、迷うどころか死ぬ可能性が高いと言われている激しい嵐であっても、ジュカヒットの胸に迷いや恐れが生じることはなかった。


 ジュカヒットは大国ジーベルグの特殊部隊、副隊長である。様々な困難や苦境を超え、若くして名誉ある座に就いたジュカヒットには、己の力を信じるだけの根拠があった。

 何より、山の上で待つであろう瑠都を早く迎えにいくのだという固い決意が、ジュカヒットを奮い立たせていた。


 そして、率いてきたのは、同じ特殊部隊に属する精鋭たち。魔法に精通している者ばかりではないが、嵐に耐えうる体と魔力を蓄えた、つわものばかりだ。


「……ただ、いざ山に近付いた時、僅かだが嵐が弱まった」


「弱まる? そんなことがあるんですか」


 アスノから、竜の道は発生から消失まで、大きさや激しさが変化することはないと教わっていた。目を丸くして首を傾げた瑠都に、ジュカヒットは首を横に振った。


「いや、聞いたことはない」


 だが、竜の道はジュカヒットの訪れを前にして、確かにその威力を弱めたのだ。


「おそらく、俺がリメルフィリゼアだからだろう」


 リメルテーゼを分け与えられた者、つまりリメルフィリゼアは、元からある魔力の質が上がり、幸福や成功、安泰が約束される。そして同時に、自然や魔法からなど、様々なものからの祝福がもたらされる。


「竜の道とは嵐。リメルフィリゼアが通りたいと願ったから、それに応えてくれたのかもしれない」


「なるほど……」


 その可能性があることは思い付かなかった。瑠都は深刻な面持ちで言葉を落とす。


 もしかしたら、リメルである瑠都が通ろうと試みても、同じようなことが起きたのだろうか。


 早く試すべきだったのかもしれない。そうすれば、これほど長く皆に迷惑を掛けることもなく、村の住人たちに嘘をき続けることもなかったのだ。


 再び沈みそうになる瑠都の頬に、ジュカヒットの手が触れた。僅かに動かして、顔を上に向かせる。


「悔いることも背負うことも、怯えることもない。名前と身分を隠したことは正しい判断だった」


 同じ色にまっすぐ見つめられて、瑠都の瞳が揺れる。


「一人でよく耐えた、ルト」


 胸が、痛い。


 染み入る優しさと安堵と、そんな人たちに怪我をさせるかもしれなかったという事実。奥底に絡み付いたまま消えない、後悔。


 頬に添えられたジュカヒットの手に、瑠都は自らの手をそっと重ねた。目をつむって上から握った手は大きくて、温かかった。





 翌朝、瑠都はジュカヒットや他の軍人たちと共に、村をつこととなった。


 まずは山を降りて近くの村まで行き、そこで魔法員の到着を待つ。そのあとは転移魔法でレスチナールへと帰る予定だ。

 馬や馬車で帰ることももちろん可能なのだが、瑠都の体力を考えて決定したのだという。


 快晴の下で村の住人たちに謝って回る瑠都の姿を視界に収めながら、ジュカヒットはアスノの横へと並んだ。


「世話になった」


「……いや、大したことは何も」


 静かに佇む黒衣の男から視線を逸らして、アスノも瑠都を見やる。



 平穏な村に突如として現れた不思議な少女の正体は、リメルだった。


 リメル、もちろんその存在の希少さも尊さも、この世界に生きる者であれば誰しもが理解している。アスノも例外ではない。


 異世界から渡ってきた高貴な存在。

 本来であれば、言葉を交わすことも視線を合わせることも、容易くしていいような相手ではない。


 たったの、二週間だ。


 共に過ごしたのは一月ひとつきにも満たない、僅かな時間だけ。それなのに、日々の思い出が色濃くよみがえる。


 珍しい来客だったからか。一緒の家で暮らしたからか。茜色が差す花畑で、目尻を赤くした姿を見たからか。いくら探しても、納得できるような答えは何も見付けられなかった。


 今は近くにる姿が、段々と遠退いていく気がした。


 月と共にやってきた不思議な少女はもうすぐ、リメルという、手も届かないような遠い名をいだく場所へと、帰っていく。


 山を降りたら、この短い間の出来事など忘れてしまうのだろうか。望んでここに来たわけではないのだから当たり前かと、アスノは思った。



 ジュカヒットの隣から離れて、ゆっくりと瑠都のもとへ向かう。アスノが近付いたことに気が付いた住人が道を開けた。


「──ルト」


 本当は、敬称を付けるべきだということは理解している。一瞬だけ躊躇ったあと、それでもアスノは、瑠都の名を呼んだ。


 瑠都がアスノのほうへと振り返る。


「アスノさん」


 小さく返ってきた声を聞きながら、アスノは瑠都の前へと立った。


「話せたか」


「はい」


 自分の口からも住人たちに説明したいと言っていた瑠都に尋ねる。頷いた瑠都にアスノは、そうか、とだけ返した。


「アスノさん、色々とありがとうございました」


「いや……」


 謝意を述べる瑠都の前で、アスノは言葉を詰まらせた。ジュカヒットの時と同じように答えればよかったのに、そうしたらすべてが完結してしまうような気がした。


「ああ……そうだ」


 つ前に伝えようと思っていた用件を思い出して、アスノが空を見上げた。不思議そうな顔をしながら瑠都もそれにならう。


 すると、空から鮮やかな黄色が降りてくるのが見えた。

 山に住む鳥が二羽軽やかに飛んできて、それぞれ瑠都の両肩に止まる。


「連れていってくれ。場所を覚えたら、いつでも手紙を運べる」


「ピュウ!」


 山の鳥たちは速く、長く飛ぶことができる。一度行ったことがある場所ならば、どこへでも手紙を運んでくれるのだ。


「……いいんですか」


 鳥たちを借りていってもいいのか。手紙を送ってもいいのか。色々な気持ちを込めた問いに、近くにいたグレーとタズネ、そしてウルが反応する。


「あら、それはいいじゃない」


「俺も手紙を送るよ」


「ぼ、僕も!」


「ピュウ!」


 次々と声を上げる彼らに続いて、瑠都の肩に止まる鳥がもう一度元気よく鳴いた。


「林檎も送る。それから……」


 アスノはそこで言葉を止める。


 花畑で贈った花は、瑠都が体調を崩して寝ている間に枯れてしまった。

 鮮やかな花冠はなかんむりの代わりに、瑠都の頭の上に手を乗せる。


「嫌じゃなければ、またいつでも来い。俺も……会いにいく」


 頭を撫でるアスノの菫色を見上げた瞳が、太陽の光を取り込んで煌めく。何か言いたげに口を開いた瑠都が、一旦言葉を飲み込んだ。思案を繰り返したであろう少女の顔はやかで控えめに、それでも嬉しそうに綻んだ。


「ありがとう、ございます」


 その笑みを見て、アスノは一瞬でもよぎった己の考えが間違っていたことを知る。


 リメルであっても、瑠都は瑠都なのだ。


 不安そうな、心細そうな瞳も。自らにできることを探し続けた真面目さも。たった一輪の花を、胸元で大事そうに握った姿も、なんの偽りもないものだから。


 この山で起こったこと、出会った人。色とりどりの花畑と、林檎の甘さ。きっと、覚えていてくれる。


「……またな」


 名残惜しそうに手を離して、アスノも笑った。

 

  

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