第66話 煌めく赤の道しるべ

 

 

 東の大国ジーベルグ。そびえ立つ城の一室で、男たちが議論を交わしていた。


 大きく長いテーブルの上に広げられているのはジーベルグの地図だ。あちこちに印が書かれている地図を囲むのは、三人のリメルフィリゼアと他数人の兵士であった。


 中心にいるリメルフィリゼアは、王国軍第二部隊の隊長、副隊長であるジャグマリアスとフェアニーア、特殊部隊の副隊長であるジュカヒット。

 大国が誇る兵士でもある彼らが交わしている議論とはもちろん、リメルであり、妻でもある瑠都の行方についてだ。


 その様子を、少し離れた所から深刻な面持ちで見つめているリメルフィリゼアがもう一人いた。

 テーブルの反対側の端、そこに静かに腰を掛けているのは、リメルフィリゼアの中で一番の年下、メイス。腕にはうさぎのぬいぐるみ、ルビーが抱かれている。


 目の前には城の侍女が用意してくれた紅茶があるが、とても飲む気にはなれなかった。出された時と比べて少しも減っていない紅茶は、すっかり冷めきっていることだろう。メイスはただ、議論を交わす様子を遠くから見ていた。



 瑠都が姿を消してから、早くも十日が経っていた。

 考え付く所を調べてはいるが、未だ行方はつかめないまま。世界を揺るがすリメルの消失。慎重に事を進める必要があるため、ありとあらゆる場所をすぐに堂々と暴くことは難しかった。


 学生であるメイスがなぜこの場にいるのかというと、ルビーを館から連れてくるためだった。

 もちろん他の誰かでもできる行いではあるだろうが、ルビーが慣れていることと、瑠都がいないのを不安がってか、桃色のぬいぐるみはこのところあまりメイスから離れたがらないのだ。そのため、メイスは学校から一直線で館へと戻り、ルビーを連れてここにやってきた。


 瑠都に何かあれば、ルビーにも変化が表れるかもしれない。ルーガやエルスツナはそう考えていた。だからメイスはルビーのお供として、ここにいる。


 メイスは腕の中のルビーを見た。もぞもぞと動いては、暇なのか辺りをきょろきょろと見渡したり、メイスの服を引っ張ったりして遊んでいる。手持ち無沙汰な様子のルビーの頭を、そっと撫でた。


 本当は、学校など行っている心境ではない。


 だが、急に休んだりすると何か起こったのかと怪しまれるため、常と同じ行動するようにとジャグマリアスより言い含められた。

 授業を受けている時も、休み時間に友達と過ごしている時も、頭に浮かぶのはいつも瑠都のことばかりだった。


 一番近くにいたのに、何もできなかった。


 気付けば瑠都は消えていて、なんの手掛かりも残ってはいなかった。まるで初めから、そこには誰もいなかったみたいに。


 宝石店で強盗に誘拐された時と同じだ。あの時も一番近くにいたのはメイスだったのに、何もできなかった。ただ、その身を案じただけ。

 メイスはぐっと、唇をかんだ。


「──メイス様」


 突如として真横から聞こえた声に驚いて、勢いよく顔を上げる。


 そこには、若い兵士が立っていた。何度かこうした議論の場で見たことがある。白い軍服を纏っているから、ジャグマリアスの配下の者だろう。


「新しい飲み物を用意させましょうか」


 尋ねる兵士は年若いが、メイスよりかは年上だろう。だが、その話し方は丁寧で、呼び掛けには敬称が付いていた。それはメイスがリメルフィリゼアだからだ。


「……いえ、大丈夫です」


 未だ慣れない扱いに戸惑いながらも、メイスは首を横に振った。

 議論に参加するどころか、探しにも、助けにもいけない己には、なんて不釣り合いな称号だろうと、心の中で自嘲じちょうする。


 瑠都がいなくなったあと、メイスもすぐに事情を聞かれた。だが、直前に触れたネックレスに何かしら仕掛けがあったのだろうということしか分からなかった。ここ最近、怪しい物や人を見た覚えもない。


 瑠都とよく一緒に過ごしているマリーも、質問を受けたようだった。答えはメイスと同じ。瑠都の周辺で異変が起こったりした覚えも、心当たりもない、ということだった。


 マリーは、公務をこなしながらも毎日密かに大聖堂に通っているらしい。そこで、神に祈りを捧げているのだという。

 一度城の中で偶然出会った時、祈ることしかできないからと、目を赤くしながら気丈に告げたマリーの強さが、メイスにはやけに眩しく映った。


「きっと、戻ってきてくれますよね」


 横に立つ兵士が、拳を握り締めながら言った。


「戻らないなんてそんなこと、ないですよね。もし、このままリメル様が戻らなかったら……」


 メイスの視線に気が付いて、兵士は慌てて謝罪する。


「す、すみません……。ジャグマリアス様のように毅然きぜんとした、立派な兵士であらねばならないというのに……恐れに負けてこのようなことを。不躾ぶしつけでした」


 頭を下げる兵士に、メイスは何も返せなかった。ただもう一度、力なく首を振っただけ。

 十日も進展を見せていないのだ。兵士が不安に思う気持ちも、恐れをいだくことも理解できる。それに、メイスに咎めるような資格はない。


「……私には、メイス様やリメル様と同じ年の妹がいるのです。もちろん、同等に扱うなど失礼なことは重々承知しておりますが……ただ、どうしても重ねてしまって。さぞかし不安だろうと、辛い気持ちを思うと──」


「おい、ちょっと来てくれ」


 また別の兵士が、離れた所から呼び掛けた。話を止めて顔を向けた若い兵士へと手招きしたので、何か仕事を託すのだろう。


「すぐ行きます」


 答えてから、兵士はメイスへと向き直る。


「すみません、色々と勝手なことを申しました。失礼します」


 去っていく兵士を見送りながら、メイスはルビーの頭の上に置いたままだった手を下げた。


 不安、だろう。

 それはそうだ。瑠都は元々、この世界の住人ではない。ここ以外の場所を知らないのだ。

 突然魔法で連れていかれた恐怖に加え、その先が右も左も分からない場所だったとしたら。どれほど、辛いか。


 泣いてや、しないだろうか。一人で抱え込んで、懸命に耐えているんじゃないか。


 どうして、いつも自分には何もできないんだろう。

 もっと大人だったら、力を持っていたなら、何かできたのだろうか。あの時、光に包まれた瑠都に手を伸ばして、掴むことができていたのなら、何か変わっていただろうか。

 この十日、メイスは幾度となく悔いて、情けなさを恥じていた。


「このまま……戻らなかったら」


 無意識に兵士の言葉を繰り返した時、腕の中で一人遊んでいたルビーが、動きを止めた。


 視線を下ろすと、ルビーは顔を上げてメイスを見ていた。いつも無邪気な桃色が、ひどく静かにこちらを捉えている。メイスはその様子に、少しの違和感を覚えた。


「ルビー?」


 呼んでみるがやはり反応はなく、動かないまま。


 リメルテーゼが宿っているルビーには自我があるが、話すことはできない。けれど今は、宝石のような赤い瞳が明確な意思を持って、問いかけてきているように思えたのだ。


 瑠都は帰ってこないのか、と。


 メイスはその瞳の力強さに動揺しながらも、否定を示す。


「……帰ってくるよ。絶対、帰ってくるから」


 安心させたかったのは多分、ルビーだけじゃない。己にも言い聞かせるように、なんとか紡いだ答えだった。


 ルビーはメイスの言葉を受けたあと、一拍置いてから不意に地図を広げる兵士たちへと視線を向けた。逸らした刹那、赤い瞳がいつもよりも光を携えているように見えた。


 メイスの腕の中から飛び出すと、ルビーはテーブルの上に乗った。そしてそのまま、ぴたりと動きを止めたのだった。





 アスノと共に花畑から戻ると、グレーはすでに夕食の準備を始めていた。いつかのようにすぐに手伝う旨を伝えてから、瑠都は二階へと上がっていった。


 借りている部屋に入り、手に持っていた桃色の花を机の上に置いた。次に花冠を取ると、改めてじっくりと眺める。

 アスノは下手くそだと言ったが、とても丁寧に編み込まれているように思えた。瑠都は小さく笑んでから、花冠も桃色の花の隣に置いた。


 花は、花瓶にでも差しておいたほうがいいだろうか。夕食作りを手伝う前に、グレーに何か借りられる物がないか尋ねてみよう。


 開け放したままの扉から出ようと踵を返すが、その瞬間、くらりと目眩を覚えた。


「っ、」


 世界が回る。立っていられなくて、瑠都は僅かに声を漏らしてその場に座り込んだ。片手で目元を覆って、耐えるようにきつく目を閉じた。


 魔力の欠乏に、似た症状。

 ここに来て十日。確かにその間リメルフィリゼアから魔力を受け取っていないが、つい先程までそんな兆候すらなかった。


(どうして……)


 真っ暗闇の閉ざした視界の中で、違和感がぐるぐると渦巻く。


 しばらくこのままでいたら治まるだろうか。アスノたちに気付かれない内に、元に戻らなくては。そう思いながら手を離して、ゆっくりと目を開く。


 眼前に広がっていたのは、ここ数日で見慣れた部屋ではなかった。

 夢の中で見るような、真っ白な空間。瑠都はそこに、ぽつりと一人で座っていた。


 夢を、見ている訳ではない。それだけは分かる。ならばどこまでも広がる白はいったい、なんなのか。


 喉を震わせた瑠都の視線の先で、空間が揺れた。そこから現れたのは銀色の狼ではなく、見慣れた桃色だった。


「……ルビー」


 久しぶりに目にする、自身が魔力を分けたルビーの姿。瑠都に気が付いていないのか、辺りをきょろきょろと見渡している。


 瑠都はもう一度、桃色のぬいぐるみを、大切な友の名を呼んだ。

 それでもやはり、届かない。すぐに駆け寄って抱き締めたいのに、重さを感じる体が思うように動いてくれない。


 ルビーがそっと頭を下げたのが分かった。


 寂しがっている。

 たった一人で、あんなに、不安そうに。


「ルビーっ……!」


 瑠都は力を振り絞って、懸命に声を上げた。湧き上がる衝動のまま、まるで迷子の子どもが、求める人の名を呼ぶように。


 ルビーの視線が、ようやくこちらを向く。長い耳を数回動かしてから、勢いよく駆け寄ってきた。そしてそのまま、瑠都の胸に飛び込んだ。


 瑠都は擦り寄る体を抱き締めた。覚えのある柔らかさと温度が、ひどく心地よい。


「元気なの? 大丈夫?」


 抱き締めたまま問いかける。もうここが夢でも、どこでもいいと思った。


 ルビーは身体を離すと、まっすぐに瑠都を見上げた。合わさった視線の先で、煌めく赤色の瞳がいつもより光を帯びているような気がした。

 言葉を持たないルビーは答えない。だが、反対に問われている気がしたのだ。いつもと様子の違う宝石のような煌めきが、明確な意思を伝えてくる。


 どこに、いるのかと。


 伝わってくる。物言わぬはずのぬいぐるみから、確かな問いかけが。


「……私、ドンララン山にいるの。ジーベルグとマドュニネの国境にあって、でも今は竜の道ができてるから──」


 瑠都の言葉が終わるのを待たず、ルビーはふわふわの手を伸ばして、瑠都の両頬に触れた。緩い力で引き寄せられて、おでこ同士が触れる。至近距離で、眩い赤が囁いた。


──迎えにいくから、待っていて。




「ルル?」


 呼ばれて、急に視界が晴れる。

 白い世界は桃色ごと瞬く間に消えて、瑠都の視界にはまた元の部屋が映っていた。


 座り込む瑠都に視線を合わせたアスノが、眉根を寄せて心配そうに顔を覗き込んでいる。


「どうしたんだ? 大丈夫か」


 アスノは開け放したままだった扉の先に、座り込む瑠都の姿を見付けて駆け寄ってきていた。

 瑠都は先程まで自身の目元を覆っていた手を、顔の前で掲げたまま、動けずにいる。手に触れたアスノは、その異様な冷たさに驚いた。


 大丈夫とすら答えることができない瑠都は、夢現ゆめうつつに口を開く。聞き逃してしまいそうなほどか細い声は、近くで支えるアスノの耳にはしっかりと届いていた。


「……迎えが、くる」





 背中を見せたまま動かないルビーへと、メイスは声を掛ける。やはり反応はない。首を傾げながら手を伸ばすが、触れる前にルビーはテーブルの上を駆けていった。メイスは慌てて立ち上がる。


 長いテーブルの反対側へと走り寄るルビーに気が付いた兵士たちが、交わしていた議論を止めた。


「ルビー?」


 フェアニーアが名前を呼ぶ。それにも構うことなく、ルビーは兵士たちが囲む地図の横に来て、ようやく動きを止めた。静かに、広げられた地図を見下ろす。


 桃色の足が、地図を踏んでまた進んでいく。何かを探すように行ったり来たりするルビーを、誰もがただ見つめていた。やがて、ふわふわの手である所に触れる。何度も何度も、同じ所を指す。その手の先が示すものは、竜が巡る山、ドンララン。


「──そこにいるのか」


 問いかけたのは、ジュカヒットだった。


 ルビーはぴたりと手を止めて、ジュカヒットを見た。交差する視線、一時の間も空けずにジュカヒットは理解した。それが、答えだ。


 ジュカヒットはすぐに黒いマントをひるがえして、扉に向かう。


 背後で、ルビーが地図の上に倒れる。ぴくりとも動かないその姿は、ただのぬいぐるみに戻っていた。側にやってきたメイスが、慌てて力を失くした体を抱き上げる。

 

「ジュカヒット殿!」


 フェアニーアが、去ろうとするジュカヒットを呼び止めた。


「すぐに迎えにいく」


 背中を見せたまま、首だけを横に向けたジュカヒットが端的に告げる。


「作戦を練ってからのほうが良いのでは。それにドンララン山には確か今、竜の道ができていたはずです。じきに日も暮れる……あまりにも危険です」


「特殊部隊の手練れを何人か連れていく。俺たちなら二日もあれば辿り着ける。竜の道など、超えてみせよう」


「しかし、」


 真面目さゆえに食い下がろうとするフェアニーアの前に、ジャグマリアスが手を出す。


「スティリオ様への報告は私がしておこう。なるべく早く追い付くように、麓の町へ兵を集めておく」


 深い青色の瞳でまっすぐに捉えるジャグマリアスが、ジュカヒットの行動を後押しした。ジュカヒットは一つ頷くと、兵を引き連れて部屋を出ていった。


「フェア、事は一刻を争う。私たちも動くぞ」


 いつも行く先を照らす、尊敬する男に促されて、フェアニーアは唇を結んだ。


 助けたい思う気持ちは、皆同じだ。


「はい」


 力強く返事をする。


 部屋の中を差す茜色が次第に影を増す。事態が、動き出そうとしていた。

 

 

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