第64話 特異たる証明

 

 

 夕飯は、必ず家族全員で一緒に取る。それがシルラドゥ家の決まりごとだった。



 その日も、食卓をみなで囲んでいた。父フーリの隣にアスノ、アスノの前にタズネ、その隣に瑠都、母グレーと並ぶ。

 食卓はいつも賑やかだ。会話を主導するのは主にタズネとグレーで、明るい笑い声は絶えることがない。

 

 そんな中、グレーがふいにこぼした発言が、思わぬ動揺を生むこととなる。


「ねえルルちゃん、アスノかタズネのお嫁さんなんてどうかしら」


 直前まで場を賑わせていたのは確か、まったく関係のない話題だったはずだ。突拍子もないグレーの提案に、タズネが吹き出すのと瑠都がむせたのは同時だった。


「……何言ってんだよ母さん」


 驚きを飲み込みながら、瑠都やタズネよりかは幾らか落ち着いた面持ちでアスノが母をとがめる。


「だって、あなたたち二人ともまだ独り身じゃない? ルルちゃんとってもいい子だし、どっちかのお嫁さんなってくれたらいいのに、って」


「いいじゃないか、父さんも賛成」


「父さん!」


 たしなめるように大きな声を上げたタズネの顔は僅かに赤い。同じように赤くなった瑠都は、言葉もなくただ黙っていた。


「ルルは帰る場所だって探さないといけないんだ」


「そ、そうだよ! それに、そんな簡単なもんじゃないだろ。待ってる恋人だっているかもしれないし」


 兄弟に立て続けに言われても、両親はにこにこと笑むばかりだったが、タズネの最後の一言に、それもそうねと顎に手を当てる。全員の視線が瑠都に集まった。


「えっと……どうなんでしょうか」


 記憶がないことになっているので、瑠都は曖昧に返事をすることしかできなかった。


 本当は、恋人どころか夫がいる。それも複数。

 なんとなく視線を合わせづらくて、ぎこちなく目の前の皿に盛られた料理へと顔を向ける。


 考えた途端、彼らの、リメルフィリゼアたちの顔が思い浮かんだ。胸がきゅうと、切なさに似た痛みを覚える。


「……そこまで考えてなかったわ。確かに、恋人がいるなら、お嫁さんにしちゃってたら大問題ね」


 諦めたのだろうか、グレーは何事かを考えながら、食事の手を再開させる。ひとまずは話題が過ぎ去ったことに安堵して、瑠都はグレーにならおうとする。だが、それをとどめたのもまたグレーだった。


「でも、記憶が戻ってもし恋人がいなかったら、ぜひ考えてみてほしいわ。いい子たちなのよ」


 横を見やると、グレーも瑠都の顔を見つめていた。


「いい子なんて年でもないだろ」


 調子を取り戻したらしいタズネが笑う。けれどグレーは、まっすぐに瑠都の答えを待っていた。


「……私には、もったいないですよ」


 り上がる気持ちを隠せないまま、瑠都はそう告げた。


 もったいない。それは本心からくる思いだ。瑠都の夫に、リメルフィリゼアになったところで、もたらされるのは祝福と天からの約束だけ。えにしを結んだ先で待っているのは、逃れられない義務と束縛なのだから。

 それは決して、アスノやタズネが望むような物ではない。


「大丈夫、大事にしてくれるわよ」


 グレーが、瑠都の肩に触れた。話が噛み合っていないが、そんなことは気にも留めてもないようだ。困惑する瑠都の前で、今度はフーリが口を開いた。


「ま、気長に考えてくれりゃいいさ。楽しみに待ってるから」


 少し、酔っているのだろうか。いつもよりも表情を崩したフーリが、言いながら酒をあおる。


「そうね」


 同意したグレーの手が、瑠都の肩から離れた。


「気休めとか、慰めとかじゃないのよ。ルルちゃんが家族になってくれるなら、私とっても嬉しいわ」


 未だ肩に残る温度をじんわりと感じながら、瑠都は礼を述べようとする。実現することを望んではいなくても、その気持ちがありがたかったのは本当だった。


 家族、なんて。

 そんな温かい場所に瑠都が入ることを、嬉しいと言ってくれたこと。きっとこの先も、ずっと忘れないだろうと思った。


 けれどそれより早く、瑠都の視線の先で、グレーがなんでもないように言ってみせた。


「──ああでも、もう家族みたいなものかしら」


 こうして一緒に食事をして、一つの屋根の下で、同じ時を過ごしているんだもの。


 そう続けたグレーの顔を直視していられなくて、瑠都はたまらず視線を逸らした。喉元まで出かけていた言葉が、行き場をなくして消えていく。


 なんて、優しい顔で笑うのだろう。


 与えられた称号は、自分のような異質な存在が、簡単に得ていい物なんかじゃないのに。うつむいた瑠都の脳裏から、優しい眼差しがいつまでも離れてくれない。


「……ありがとうございます」


 顔を上げることができないまま、小さな声でなんとか答えた。


「あ、そういやさ」


 震えた声色を知ってか知らずが、タズネが話題を変える。また賑わう食卓の中で、安堵するように口をつぐんだ瑠都を、アスノだけが見ていた。





 食事のあと、隣の家からまたウルが本を借りに来た。


「ルルちゃん、一緒に選ぼう」


「うん」


 ウルが瑠都の手を引いて、本がある部屋へと向かう。返すために持ってきた二冊の本は、今は瑠都の手にあった。


「改めて見ると、すごい量だよな」


 後ろから付いてきたタズネが、部屋の中を見渡しながら感心するように言った。

 

 部屋の三面の壁にある棚にはすべて、本がぎっちりと並べられている。掃除をするためにここに入ったことはあるが、本を選ぶために入ったのは初めてだった。タズネたちの祖父が集めていたとあって、古い本がたくさんある。確かに本好きからしたら、宝の山みたいな書庫だろう。

 ウルに手を握られたまま、瑠都もタズネと同じ感想をいだいた。


 まずは、持っている本を返さなければ。ウルに断ってから手を離し、持っていた本を本棚に戻そうとする。一冊タズネが受け取ってくれたので、二人で手分けした。


「ありがとう」


 返す場所は本棚の高いところにあったので、ウルでは届かない。しっかりと礼を言ったウルに、いい子だな、なんて瑠都は内心で思った。


「なあ、ルル」


 そんな瑠都を、タズネが呼ぶ。


「なんかさ、参考になるようなものないかな?」


「参考?」


「これだけ本がありゃさ、記憶を戻すための参考になる本もあるんじゃないかと思って」


 確かに、と呟いてから瑠都は黙った。あったとして、本当は記憶を失っているわけではないのだから、試したところで知らないふりを続けるしかない。

 黙った瑠都の反応を見て思い当たったのか、タズネが慌てたように言う。


「追い出したいわけじゃないぞ。記憶が戻らないと困るだろ」


 自分の言葉の真意を勢いよく説明したタズネに、瑠都は面食らって目を丸くする。


 おそらくは、先程の食卓でグレーが家族みたいなものだと言ったから、それを気にしてくれているのだ。瑠都の記憶を戻そうとするのは、認めていないからではないのだと。


「はい」


 分かっていると、そう示すために小さく笑みを乗せて頷いた瑠都に、タズネは恥ずかしそうに頭を掻いた。

 二人の間に、声が割り入る。


「何もなかったよ」


「兄さん」


 振り返ると、部屋の入り口にアスノが立っていた。もたれていた壁から体を離して、すぐ近くまでやってくる。


 何もなかった。アスノが述べた言葉の意味を噛み砕いてから、瑠都は口を開く。


「探して、くれたんですか」


 そうでなければ、なかったなんて言い方はしないだろう。黙って視線を逸らしたまま、赤銅色の頭に手をやった仕草は、タズネとよく似ていた。


「できる範囲でだけどな。見落としがあるかもしれないし」


 記憶を戻す方法と、竜の道を抜ける方法を、少しだけ調べてみたのだと。教えてくれたアスノに、さすが仕事が早いよな、とタズネが瞳を輝かせる。


 その様子を、部屋の中にいる四人の中で、唯一の子どもであるウルが首を傾げて見ていた。


「お姫様は王子様のキスで目を覚ますんだよ」


 ウルの突然の発言を受けて、三人が少年を見下ろす。当たり前のことを言ったとばかりに、不思議そうな顔で見上げるウルに訂正したのは、タズネだった。


「ルルは眠ってるわけじゃないだろ」


「ええと、それにお姫様でもないよ」


 タズネのあとを引き継いで、瑠都が言う。


「そうなの?」


 まだ首を傾げてはいたが、ウルは体を向きを変えた。


「ねえルルちゃん。どれがいい?」


 本選びを始めたらしいウルに、瑠都は着いていった。これと、これはもう読んだよ。指を差しながら、丁寧に教えてくれる。


「これなんてどうだ?」


「それももう読んだよ」


 タズネが一冊取り出して表紙を見せるが、どうやらすでに読了済みのようだ。


 瑠都も何か探そうと、もう一度部屋の中を見渡した。その時ふと、目に止まった本があった。ウルの側を離れて、本棚へと近付く。

 ちょうど顔の高さにある本の背表紙をつとなぞる。


「ルル?」


 黙り込む瑠都の様子に、背後からアスノが声を掛けた。返事もできないまま、瑠都は目の前の本だけを見つめていた。


 ただの一冊の本が、いやに気になる。違う、そうじゃない。気になるとか、そんな簡単なものじゃなくて。

 巡る感情が段々と整理されていく。触れた背表紙には特別なことは何もないはずなのに、確かに指先から体中へと伝わる、伝えようとしてくる存在が、ここにある。


──呼ばれてる。


 かちりとはまった答えに引き寄せられたまま、瑠都は本を引き抜いた。

 両手で掴んだ本。表紙を見ても、なんてことはない童話だ。


「……ねえ、その本、なんだかキラキラしてる」


 見上げるウルも本に釘付けになっていた。アスノとタズネが確かめると、瑠都が手にしている本が、輝く粒子を纏っている。


 突如として、本が独りでに開いた。


 風も吹いていないというのに、次々と勢いよくページが捲れていく。光が更に強くなり、本全体を淡く包んだ。


「なんだ……?」


 あり得ない光景に、タズネが思わずこぼす。


 とあるページで、ぴたりと本が止まった。相変わらず黙ったまま本に視線を落とす瑠都の両隣へとアスノとタズネが近寄ってきて、覗き込んだ。


 開いていたのは、挿し絵があるページだった。倒した竜を背に、王子様がお姫様の手を握っていた。そしてそのまま二人はくるくると回りだす。


「絵が動いてる……こんな本、あったか」


 疑問をていしたアスノに、タズネは首を横に振ってみせた。


「何があったの?」


 身長が届かなくて、内容を確認できないウルが問う。


 アスノとタズネは、瑠都の顔を見た。静かに本を見つめるその表情は、言い知れぬ何かを孕んでいた。息を飲む二人の前で、瑠都はやっと口を開く。


「……これ、魔法の宿です」


 感じるのだ。これは、ただの魔法が込められた本ではない。

 この中に、魔法そのものがいる。


「魔法の宿……? そんなものが、なんで」


 祖父が集めた本たち。アスノが思い返すが、長年この部屋にあったはずなのに、今まで魔法に関連したものが露になったことは一度もなかった。


 いつから、ここにいたのか。祖父が手にした時にはもう宿っていたのか。それとも、いつの間にか渡ってきたのか。潜んでいたのに、なぜ今になってその存在を見せたのか。


 この部屋の中で、瑠都だけがその答えを知っている。リメルが、瑠都が来たから、目覚めたのだ。





「まさか、うちに魔法の宿があるなんてねえ」


「竜の道が明けたら、魔法研究所に持っていかないとな」


 すっかり光を収めた本をテーブルの上に置いたグレーに、酒をぎながらフーリが言う。


 魔法の宿を見付けた瑠都は今、隣のウルの家に行っている。ウルがまた、一緒に本を読んでほしいと頼んだからだ。

 タズネも同行していったが、おそらくはウルの兄と酒を飲むのが目的だろう。


「ルルちゃん、元気がないように見えたけど大丈夫かしら」


 グレーが、先程まで瑠都と一緒にいたアスノに尋ねた。


 アスノはすぐに答えず、ほとんど中身が残っていない手元のグラスを傾けた。もうじき溶けて、跡形もなく消える氷同士がぶつかった。僅かに、音が鳴る。

 

 

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