第63話 飛び立つのを待っている
「ええと……近い内にレスチナールに行く用事とか、あったりしない?」
「ピュウ?」
「もしあったら、ついでに届けてほしい手紙があるんだけど。……キィユネさん、アヴィハロって名前の人とか、知らないかな」
「ピュウ!」
まるで肯定を示すかのような勢いある返事だったが、うまく伝わっている気はまったくしない。肩を落とした瑠都が、諦めを含んだ息を吐いた。
ドンララン山の山頂近くにある村には、独特の通信手段があった。元より大きな山の上、そして竜の道が不定期に出現することから、降りるのも登るのも容易ではないためだ。
その通信手段というのが、鳥に手紙を運んでもらうというものだった。
瑠都は初めてそれを聞いた時、伝書鳩のようなものだろうかと思ったが、少し違った。
伝書鳩は、離れた場所から巣に帰る本能を利用したものだが、ドンララン山の鳥たちは、どこへでもいけるらしい。
速く、そして長く飛ぶことができると知って、瑠都は僅かに安堵した。山の鳥たちに頼めば、城やリメルの館の面々に今の状況を知らせることができるだろう。
リメルだと明かしておらず、記憶喪失ということになっている手前、大っぴらに城や館に宛てた手紙を託すことは難しいが、こっそりお願いすることは可能かもしれない。
あるいはレスチナールの町中に住んでいるキィユネやアヴィハロ、幾らか交流があるトム宛であれば、リメルだということは知られずに済むはずだ。
だが、抱いた希望も虚しく、考えはすぐに打ち砕かれることとなった。
山の鳥たちは、どこからでも、どこまででも飛んでゆける。けれどそれは、一度行った場所に限られた。
手紙を送りたい場所にまずは村の住人が鳥を連れていき、在り処を覚えてもらう必要がある。
賢い鳥たちは一度でしっかりと覚え、そのあとは宛先さえ告げればいつでも手紙を運んでくれるのだという。
つまりは城や館、アヴィハロたちの元へ一度も行ったことがないのであれば、鳥たちにそこまで飛んでいくのは不可能だということだ。
すぐに砕けた微かな希望に、瑠都は説明を聞きながら一人眩暈を覚えた。
山の鳥たちが巣にしている一画に足繁く通っては、なんとか手紙を届けられないかと試行錯誤しているのだが、一向に進展は見られない。
むしろ、よく訪れる瑠都の顔を覚えたらしい鳥たちと仲良くなるばかりで、それが目的で通っているとアスノたちにも思われている。
今も、先程まで話し掛けていた鳥が歌うように鳴きながら、楽しげに瑠都の周りをぐるぐると飛んでいる。いつの間にかそれが一羽、二羽と増え、終(しま)いには五羽の鳥が瑠都を囲むこととなった。
一様に鮮やかな黄色を持つ鳥たちは、瑠都が立ち上がっても側から離れない。木の枝に止まったり地面を歩く他の鳥たちも、心なしかその光景を微笑ましく眺めているように思える。
(いや、確かに可愛いし、仲良くなれたのは嬉しいけど……)
手紙、どうしよう。小さく呟いた声は鳥たちの楽しそうな鳴き声に紛れて消えた。
「ルル?」
「わっ!」
背後から突如として掛けられた声に、瑠都の肩が跳ねた。心臓を押さえるように胸に触れながら振り返ると、そこにはアスノの弟、タズネが立っていた。
「タズネさん……」
「わり、驚かしたか」
首を横に降った瑠都の隣に、タズネが並ぶ。瑠都を囲っていた鳥たちもタズネの登場に驚いたのか、少し離れた木の枝に止まってこちらを見ていた。
「なんかの儀式でもしてたのか」
「あはは……」
鳥たちに囲まれていたことをからかうように、タズネが笑う。さすがに儀式はしていないが、鳥相手に話し掛けるという変な行動をしていたことは事実なので、瑠都は曖昧に笑うに留めた。
鳥がまた一羽飛んできて、今度は瑠都の頭の上に止まる。楽しそうに鳴く声が仲間を呼んでいるようにも思えて、さすがに少しだけ焦った。そんな瑠都を見て、またタズネが目を細めて笑う。
「随分と懐かれてるな」
「ピュウ!」
似合ってるぞ、と瑠都と頭上の鳥を見比べて言ったタズネに、瑠都ではなく鳥が元気よく返事をする。
鳥をどこかへやってくれる気はないらしいタズネのほうへと、瑠都は向き直った。タズネが頭上へと手を伸ばす。どうやら、鳥を撫でているらしい。瑠都は大人しく静止しながら、目の前のタズネを見つめた。
タズネの髪はアスノと同じ赤銅色ではあるが、短髪の兄とは違って長さが肩まであり、後ろで一つに束ねている。顔もどちらかといえば可愛らしい顔立ちで、菫色よりも幾らか薄い瞳をしていた。今は二十三歳だと聞いているが、ともすれば十代にも見える。
似ているけれど、少し違う。違う個なのだから当たり前かと一人で納得していると、ひとしきり鳥との交流を済ませたタズネが、ここに来た目的を述べた。
「母さんが、おやつにしようってさ」
どうやらグレーに頼まれて、家から離れた鳥たちの住まいまで瑠都を迎えにきてくれたらしい。
空気を読んだかのように鳥が飛び立ったことで、頭が軽くなる。そしてそのまま二人は家に向かって歩き出した。
家までの道中も、タズネは色々な話題で瑠都に話し掛けてくれる。黙っているのが気まずいとか、そういった雰囲気は一切なく、元来人と話すのが好きなのだろうと、タズネの明るい表情を見て瑠都は思った。
擦れ違った村の住人が、並んで歩く二人に面白そうに声を掛ける。
「ようタズネ、お前ルルちゃんを苛めてないだろうな」
「うるせー、いくつだと思ってんだよ」
じっとりとした視線を送るタズネだったが、住人に気にする様子はない。
「ルルちゃん、苛められたらすぐ兄ちゃんに言いなよ。アスノにがつんと叱ってもらえ」
手を振りながら去っていく住人を二人で見送る。
「いつまで経っても子ども扱いなんだよな」
拗ねたように口を尖らせるタズネがまた歩き出したので、瑠都もそれに続いた。
「……その点、兄さんはすごいんだ。みんなから頼りにされてるし、仕事だって黙々とこなすし、頭だっていいし」
遠くを見つめながら呟くように言ったタズネが、瑠都のほうへと顔を向ける。
「うちの農園さ、ほんとは姉さんが継ぐ予定だったんだぜ」
「え、そうなんですか」
「うん。婿をもらってあたしが切り盛りするんだ、継がせてくれ! って子どもの頃から張り切って勉強してた」
シルラドュ家の子どもは三人いる。一番上がアスノ、二つ年下の長女、そして更に二つ年下の次男タズネ。
初めて知る事実に、瑠都は驚く。代々続く林檎農園は今はアスノが取り仕切っているし、元からそう決まっていたのかと思っていた。
「でも、市場で出会った
林檎から葡萄へ。会ったことはないが、シルラドュ家の長女はどんな人なのだろうか。なんとなく、快活な人のような気がした。
「それで、アスノさんが継ぐことになったんですか」
瑠都のその質問に、タズネはすぐに否定を示した。
「いや……。父さんはさ、まだまだ若いし自分で出来るからって、多分俺とか兄さんに
「え……」
瑠都が知っている父、フーリはいつも元気そうだ。心配からみるみる歩みが遅くなる瑠都に、タズネが慌てて言葉を付け加える。
「今は大丈夫だよ、よく効く薬があってさ。あんまり無理はさせらんねえけどな」
今は大丈夫でも、きっとその時は大変だったのだろう。一家の大黒柱の突然の変化、そして農園の今後。
前を向いたタズネの横顔が、なんとなくそう感じさせた。
「当然、農園はどうするんだ、って話になってさ。俺はまだ学生だったし、他にやりたいことがあったわけでもなかったけど……学校辞めてまで戻って継ごうとは思わなかったんだ」
薄情だよな、とタズネが悲しそうに笑う。
「兄さんには、別の夢があってさ。教師を目指してたんだよ」
「教師、ですか」
「意外だろ。でもああ見えて子ども好きだし、優秀だったんだ。学校だって、第三級学校からはレスチナールに通ってた。すごいよな、城下町だぜ!」
アスノが抱いていたという、夢。確かに一見意外なようにも思えるが、垣間見える静かな優しさを振り返れば、納得できるような気がした。
「卒業して、そのままレスチナールで研修してる時に父さんが倒れて。父さんは農園は閉じてもいいって言ったんだけど……兄さんは夢を捨てて帰ってきたんだ。すごいよな……夢すらなかった俺とは、全然違う」
教師は人気の職業で、優秀な人材が山ほど集まるため競争率も高い。国の中心である城下町で教師になることはもちろん、研修まで進むことさえ、それは大変なものだ。そもそも、目指すための第三級学校に入ることだって、相当な苦労を要する。
アスノは、すべて捨てて帰ってきたのだ。夢も、努力も、費やしてきた時間も。
「そっか兄さんが継ぐのか、なんて安心して。卒業してしばらくふらふらしてから帰ってきて、呑気に手伝ってる俺とは違うんだ」
何が正解だったのだろうと、タズネは今でも考えることがある。
自分が学校を辞めて戻ってきたとしても、父や兄はそれを許さなかっただろうし、じゃあ卒業するまで待ってくれと言ったとて、父の体ではその間の切り盛りは難しく、母一人には荷が重かった。
姉は手伝いに戻ると言ったが、嫁いだ身で余計なことは考えなくていいんだと弱った父に諭されて泣いていた。
ならば兄が夢を諦めたのは仕方のないことで、他にどうしようもなかったのか。
いや、それはきっと違う。
考えが至らなかった、幼稚だったあの時とは違って、タズネはもう大人だ。
後悔も未練も口にしたことがない兄が、どんな思いで子どもの頃からの夢を捨てたのか、今なら分かる。そしてそれを知ろうともしなかったあの時の自分の浅はかさを悔いるのだ。
「……でもさ、実は俺、思ってるんだ。兄さんはまだ、夢を諦めてないんじゃないかって」
本当は捨てたわけではなくて、忘れたわけでもなくて、ただまだひっそりと見続けているんじゃないのか。秘めるなら誰も咎めやしないから、そっと自分の中だけで、大切に抱き締めるみたいに。
「教師になることを、ですか」
「うん。村の子どもたちに楽しそうに勉強教えてるし、研修を受けてた頃の資料もまだ家にある。それに……夜になると一人で勉強してるのも知ってる」
まだ夢を見続けているとして、アスノはきっと、それを口にはしないのだろう。特に、気に病むかもしれない家族の前では、何があろうとも。
アスノが差し出した林檎の甘さが、なぜかふと瑠都の中で
並んで歩きながら、タズネがもう一度瑠都のほうへと顔を向けた。
「まだ誰にも言ったことないんだけどさ……実は俺にも、今は夢があるんだ」
瞳を輝かせながら、タズネが瑠都にこっそりと教える。
「農園を継ぎたいんだ。大変だけど楽しくて、やりがいもあって、気に入ってんだよね。それに……代々守ってきたうちの宝を、もっと大きく豊かにしたいんだ」
もちろん、この村のことも好きだし。頭を掻きながらこぼしたタズネに、瑠都はそっと微笑んだ。
「素敵な……夢だと思います」
「そうかな」
照れ臭そうに笑い返したタズネの瞳が、少しの間を置いてどこか不安気に揺れる。
「……兄さんもさ、そしたら安心してここを出れるだろ。いや、継ぎたいってのは、夢を追ってほしくて
念を押されて、瑠都はそっと頷いて見せる。
「……でも、俺なんかが兄さんの代わりになれるかな。今更なんだよって、お前には無理だよって、笑われるかな」
不安を吐露したタズネから、考え込むように今度は瑠都が視線を落とした。
「……夢って、難しいですよね」
タズネの夢も、アスノの夢も。他の誰かと、そして瑠都や、大切な人たちにとっても。
夢というものは輝かしく尊いものでありながら、時にどうしようもない切なさを覚えさせる。
叶うだろうか、手を伸ばしてもいいのだろうか、そんな自分は、愚かではないだろうか。
「叶えることはもちろん、それを誰かに告げることも、諦めることも。ほんとは
それでも奥底で芽生えてしまったものは、どうしたって
「私は、タズネさんの夢は素敵だと思います」
だから叶うように願っていると。口にはしなかったが、タズネには伝わっているだろうか。再びかち合った視線の先で、タズネがまた目を細めた。
「ありがとな」
家が見えてきた。鳥たちの住まいからゆっくりと歩いてきたから、グレーが待ちくたびれていることだろう。
「恥ずかしいからさ……さっきの話、まだ内緒な」
「はい」
「あ、でも兄さんのことも言っちゃったな、俺」
「それも内緒にしておきます」
「約束な、兄さん怒ると怖いから」
肩をすくめながら、冗談めいて言ったタズネが瑠都に小指を向けた。素直に絡めた小指が大きく上下に振られる。
「……何してるのかしら、あの子たち」
その様子を家の窓から見ていたグレーが、不思議そうに首を傾げた。
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