第60話 影より出づる者

 

 

 王の執務室の中、主であるスティリオは机の前に並ぶ二人の兵士を険しい表情で見上げた。


「報告せよ」


 日が落ちてから随分と時間は経っているが、執務室の中は充分に明るい。けれど満ちる空気はどんよりと暗く、張り詰めている。


「メイスによれば、ネックレスを手に取った瞬間光が放たれ、収まった頃にはすでにルトの姿はなかったと」


 机の前に立つジャグマリアスが端的に状況を報告する。

 光が収まったあと、残されていたのは地に落ちたネックレスと、粉々に砕けた黒い石。そのネックレスが、リメルへの贈り物であること。贈り物はすべて、リメルの館へと届ける前に城で差出人を記録、魔法がかかっていない等を調べているはずだが、そのネックレスについては記録すらなかったということ。


 端的ではあるが深刻に、慎重に言葉を紡ぐ。リメルの消失、それがどれほど恐れの多いことか、ここにいる三人共がよく理解していた。


「……紛れ込ませた人物がいるということか」


 ネックレスが自発的に現れることなどない。そして人を一人消してしまうほどの魔法が自然に発生することも考えられない。何者かが、瑠都を狙ってあえて魔法を仕込んだネックレスを贈り物の中へ紛れ込ませたのだ。


 城の深部へ、もしくは館へと足を踏み入れることを許された者でしか成し得ない行い。

 重い息を飲み込んだスティリオが、ジャグマリアスと、その横に並ぶジュカヒットに順に視線をやる。


 対なる色を身に纏った、ジーベルグが誇る二人の兵士。リメルフィリゼアでもある彼らしかこの場にいないのにも、もちろん訳があった。


 本来であれば、国全体を揺るがす緊急事態。それぞれの部隊の隊長格や、その他の関係者を集めて早急に会議を行うべきだ。だが今回起こったのは、誰もが求めし異界の存在、リメルの消失。世間に知れ渡ることがあれば、これを好機と捉えてリメルを手に入れようとする人物が、他にも現れるかもしれなかった。そして、内部にいるのであろう、未だに分からない首謀者。


 そのためリメルである瑠都の捜索は、ジャグマリアスが率いる王国軍第二部隊、ジュカヒットが副隊長を務める特殊部隊、それらの精鋭達で迅速かつ秘密裏に行われていた。


「転移魔法でも仕掛けられていたのか」


「転移魔法は元来、場所と場所を双方から魔方陣にて結び付けるもの。物体に付与するなど、聞いたことがありません。ですが……」


 スティリオの疑問を、漆黒に包まれたジュカヒットが否定する。だが、その否定を確実なものともしなかった。


「行える人物が、いないとも限りません」


 世間には公表せず、ひっそりとその技術を会得していた可能性もあるからだ。


 執務室の中の空気が、より一層重いものとなる。その中で、ジャグマリアスが報告を続けた。


「館の中にはなんの痕跡もありませんでした。キィユネ様にも探ってもらっています。ネックレスと石はルーガ様とエルスツナ殿が急ぎ解析中ですが……魔力の欠片も残っておらず、困難を極めているようです」


「ネックレスから辿ることは難しそうだな……」


 スティリオは目元を覆うように、片手で頭を抱えた。こうしてる間にも、時は過ぎていく。


「外の様子は?」


 そのままの体制で、今度はジュカヒットへと問う。


「同じく、レスチナールの中にはなんの痕跡も、不審な人物も見付けられませんでした。今は隊長が指揮してくれていますが、じきに他の町へも捜索範囲を広げる予定です」


 スティリオは手を離して、ジュカヒットを見上げる。

 ジュカヒットは寡黙な男だが忠義に厚く、何事にも動じない泰然自若な兵士である。そんなジュカヒットが珍しくこの場を辞するのを急いているように、スティリオには思えた。


 無慈悲にも、時間は刻一刻と過ぎていく。どこにいる。どんな思いでいる。怯えてや、しないだろうか。


「……リメルテーゼが強大だと分かったばかりで、このようなことが起きるとは。果たしてそれを知っての愚行なのか。無事でいてくれ、ルト……」


 スティリオは神に祈った。どうか、どうかあの無垢な娘を守りたまえ。祈っている。スティリオだけでなく、この事態を知っている者の多くが、心を痛めながら。


 瑠都の無事を願う国王に、なんの安心にもなりはしないだろうとは思いつつ、ジャグマリアスは事実として述べる。


「ぬいぐるみはいつものように動いています。リメルテーゼを源として動いているので、その主であるルトは、現段階では無事と考えられます。ただ、残量が残っているだけの可能性も、有り得ないわけではありません」


 動かなくなったとして、それはルビーを満たすリメルテーゼがなくなった時か、それとも、瑠都の身に何か起こった時か。


「徹底的に調べよ。思い付く限りのことはすべて。二人が必要と思うなら、何をしてもよい。私が許可する」


 力強く告げたスティリオに、ジャグマリアスとジュカヒットも更に身を正す。


「なんとしても見つけ出せ……頼んだぞ」


 懇願にも似た、命令を下した。


「御意」


 素早く意思を示したジャグマリアスとは違って、ジュカヒットは一拍置いて反応した。


「──必ずや」


 自分自身に誓うように紡いだ応え。美しいかんばせには、常とは違う色味が宿っている。握った拳に、人知れず力を込めた。





 木造でできた、一軒の家屋。


 酒盛りをしている男たちは、おおいに賑わっていた。楽しげな笑い声が飛び交う中、一人の男が立ち上がった。


「なんだよアスノ、もう帰るのか。これからだろ」


 顔を赤くした別の男が、酒がなみなみと入ったグラスを向けて抗議する。アスノと呼ばれた赤銅色の短髪の男が振り返った。


「明日も早いんだ。お前らも飲み過ぎるなよ」


 言ってはみたものの、きっとこの酒宴は朝方まで続くのだろう。それぞれに文句を垂れる男たちにアスノは苦笑する。片手を上げ、じゃあな、とだけ告げて賑やかな場を離れた。


 二階に続く階段の下にやってきた時、気配を感じて踊り場を見上げた。そこにはこの家に住まう少年が立っていた。


「悪いな、起こしちまったか」


「ううん……」


 小さな声で答えた少年は首を横に振ったかと思うと、階段を下りてアスノの足元までやってきた。


「アスノ……もう帰るの?」


 少年の兄と同じ問い。けれど少年のほうには、明らかな不安と戸惑いが含まれていた。


「どうしたんだ、怖い夢でも見たか」


 その様子に違和感を感じたアスノが頭を撫でてやる。少年はまたもや首を横に振ると、ゆっくりと話し始めた。


「窓の外をね、白いものが横切ったんだ。……幽霊かも」


 内緒話をするように最後は小声で告げた少年の髪には寝癖が付いている。きっと寝惚けていたのだろう。アスノは安心させるように口角を上げる。


「幽霊はこの村では見たことないけどな。鳥か何かじゃないか」


「でも……」


「分かった。帰り際に見て確認しておく」


 未だに不安そうな少年に、一人で部屋に戻れるかと聞いたが、意外なことに少年は一緒に外へ行きたいと申し出た。


「風邪を引くぞ」


 もう夜半だ。幼い少年の願いを一度は断ってみたものの、珍しく少年は素直に頷かなかった。怖がってはいるが、どうしても気になるようだ。


「しょうがないな。何か上着だけ取ってこい」


「うん!」


 階段を駆け上がる少年の後ろ姿を見送って、アスノはランタンを手に取った。





 「こっちだよ」


 家の外に出てすぐ、少年が自分の部屋の窓があるほうへとアスノを誘導する。


 ひんやりとした空気が漂う。雲が月を覆っていて、辺りは真っ暗だった。頼りになるのはアスノが手にしているランタンの暖かみある光だけだ。


 家と家の間を、二人で覗き込む。ランタンを上に掲げてみたが、そのほのかな灯りでは数歩先しか照らせない。真っ暗な影が支配する空間に怯えたのか、少年がアスノの服の裾を掴んだ。


 影のほうから、白い物がいくつか風に舞って地面を転がってくる。アスノはしゃがんで、その一つを手に取った。


「紙……?」


 無造作にちぎられたような跡がある紙片。幽霊と見間違うには小さいが、白くはある。これで納得させるかと決めたアスノが少年を見れば、少年はじっと影の先を見つめていた。


「……やっぱり何かいる」


 指を、まっすぐに影へと差す。少年の言葉を受けて、アスノは立ち上がった。


 徐々に、雲が流れていった。あらわになった月が地上を照らす。今日の月は、特に大きく明るいように思えた。

 月明かりが影を薄くしていく。その中から現れたものに、アスノは目を見開いた。家と家の間に、人が倒れている。


 アスノは少年に下がっておくように言い含めて、ランタンを渡す。警戒しながら倒れている人物に近付いていった。


「……女の子?」


 足元で地に伏しているのは、年若い女であった。幼い顔立ちに、華美ではないが仕立ての良いドレスを身に纏っている。黒い髪には、先程地面を転がっていたものと同じ紙片がいくつか付いていた。


 アスノは眉を寄せる。この村に住まう者も、立ち寄る者も全員知っているが、見たことがない。それに、今は誰もここに立ち入れるはずがないのだ。


「月からでも落ちてきたか」


 戸惑う気持ちを隠すように、つい口からこぼれ出る。そんなこと現実に起こるはずもないことはよく分かっていた。


「……厄介なことになったな」

 

 風がなびく。見知らぬ少女の髪から一つの紙片が流れ落ちていった。月を覆い始めた雲が、その姿を隠そうと再度影を伸ばす。


 アスノは、心配そうに自身を呼ぶ少年に、家に戻り人手を呼んでくるようにと指示を出したのだった。

 

 

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