第59話 眩い終焉
遥か昔には確かに存在していたという、様々な魔法。
そもそも魔法は、本当にいにしえのリメルの死を悲しんで姿を隠したのか。徐々に姿を現しているのは人々を許したからなのか。
でも、火や雷みたいな攻撃力の高い魔法が未だ見つかっていないのは、やっぱり許していないからなんだろう。
魔法が百あったら百。千あったら千、必ず俺が見つけ出す。幼い頃に立てた誓いは今も変わらない。
九十九見つかって、一つだけ閉じ込められたまま。百九十九見つかって、一つだけ忘れられたまま。そんなのは許さない。
残される一つが可哀想だからかと問われても、答えは否だ。ただ、すべてを知りたい。すべてを解き明かしたい、それだけなのだから。
生がある内にリメルが訪れたのは、またとない幸運だった。これでもう、すべてうまくいく。そんなふうにすら思っていた。
初めて実物として捉えたリメルは、想像していたよりも普通で、覚束なかった。定まらないんだ。まるで、在るべき場所を求め続ける魔法のように。
この世界で何より
居場所を求めるみたいに、一人で立ち尽くすなんて、どうかしている。
「納得いかない」
エルスツナはそう言って、酒の入ったグラスをテーブルに勢いよく置いた。賑わう酒屋の中、トムは食事していた手を止めて目の前に座るエルスツナを見た。
「お前まだ言ってんのかよ。ルト様は体調が悪かったんだから仕方ないだろう。しつこい男はモテないぞ」
呆れたような声色で
「体調が悪いのはどうやこうや、リメルテーゼでカバーできないのか、とか言い出したり問い詰めたりしそうだし。俺が他のリメルフィリゼアでも、同じようにエルだけは面会謝絶にするね」
「フェアが過保護なだけだ」
つんと顔を背けたエルスツナが、また酒を
瑠都が魔力不足で倒れたということは、一部の者にしか伝えられていない。魔法員であるトムも事実は知らなかった。
トムが耳にしているのは、瑠都は風邪を引いてしばらく寝込んでいたということ。そしてエルスツナだけが面会を許されなかった、ということ。
その事に対しエルスツナは初めから憤ってはいたが、悪化してやいないだろうかとトムはこっそり思った。今よりももっと怒らせそうなので、考えただけで口にはしなかったが。
食事する手を再開させるも、珍しく食うよりも呑むほうを優先している後輩が気になるのは確かだ。
「知りたいと思うことの何がいけないって言うんだ」
そう溢したエルスツナの眉間には皺が寄っている。
知りたい。その感情が妻自身に向けられた言葉であったなら、さぞ褒められたものだったろうが、エルスツナの意識はいつも魔法にだけ向けられている。
「いや、それ自体が悪いわけじゃないんだけどよ。うーん、お前が魔法の探究に命を掛けてることは知ってるけどさ、なんて言うかな、もうちょっと人の状況とか気持ちとかも考えろってことだろ」
「考えてる」
「嘘吐け」
ああ言えばこう言う奴め、とじっとりとした視線を送るが、エルスツナに気にした様子はない。
「もう元気なんだろ。ルト様とは会ってないのか」
瑠都の体調は既に回復したと聞き及んでいる。会っていたとしたら当然聞きたいことは聞いているだろうし、何がこんなに機嫌悪くさせているのか。
「会った」
「会ったのかよ。いつ?」
「一昨日」
じゃあなんでまだ怒ってるんだよ、と質問しようとするが、エルスツナの機嫌が更に下降したのを悟って口をつぐむ。気になりはするものの、これ以上は突っ込まないほうが吉だろうか。エルスツナも、聞かれなければもう何も教えてはくれまい。
「話の途中で逃げられた」
だが、意外にも話を続けたのはエルスツナのほうだった。今日は珍しい言動ばかりが目立つ。
トムはマーチニの件で瑠都を頼ったことがあるし、そのあとも何度か会ったことがある。あの遠慮がちの少女が、人の話も聞かずに逃げるなんてことあるだろうか。
「お前が何か余計なこと言ったんじゃないのかよ」
「言ってない。けど、キスはした」
さらりとエルスツナが言ってのけたことに、トムの手からフォークが離れる。皿に落ちたフォークが大きな音を立てたが、周りの喧騒に飲み込まれて誰も振り向く者はいなかった。
「はあーっ?」
驚きの余りトムは勢いよく立ち上がる。
「おまっ、なに、えっ」
混乱するトムを訝しげに見上げるエルスツナに、いやいやお前の発言のせいだと言ってやりたくなる。けれどそれ以上に問い詰めなければいけないことが山程あったので、トムは一つ咳払いすることでなんとか気持ちを落ち着かせて再び席に着く。
「キスした? お前が? ルト様に?」
「それ以外誰がいるんだ」
「なんでそんな展開になったんだよ」
「……別に、理由はない」
トムに魔力不足の事実を教えるわけにもいなかなったので、エルスツナはそう答えた。
急に、黙り込むから。
目の前で動かなくなったから、魔力が足りなくなったのかと思っただけだ。
死ぬかもしれなかったのに、不足している可能性があることすら誰にも言わなかったリメルのことだ。充分に有り得た。
倒れたらどうするつもりなんだ。またあんな、事切れた人形みたいになるつもりだったのか。
エルスツナはグラスを持つ手にぎゅっと力を込めた。横を通りかかった店員にもう一杯注文する。
「同意じゃないだろ。なんだよ、そりゃ。そんなの、怒って立ち去って当然だろ」
「怒ってない」
「怒るだろ」
「怒ってないって、リメルが言ったんだ」
エルスツナの言葉に、トムは押し黙った。それが瑠都の本心だったのかは、状況を知らないトムには分からない。
「……じゃあ、泣いてたんじゃないのか」
「泣いてない」
そうだ、瑠都は泣いてなんかいなかった。
泣きもせず、怒っていないと言ったその表情を見て、咄嗟に口を
──じゃあ、悲しいのか。
あの時自分が言い掛けた言葉を、エルスツナは思い出した。言いたいことは他にもたくさんあったはずなのに、気付いた時には真っ先にそう問おうとしていた。
店員が新しい酒を持ってくる。考え込み始めたエルスツナの代わりに、トムが礼を言った。
いつも、何かを堪えるような仕草で立ち尽くしている。瑠都というのはどういう人物かと問われたとして、エルスツナが思い描けるのはそういう姿ばかりだ。自信なさげに、全部飲み込むみたいに。
顔合わせの時も、結婚式の時も、今だって。誰もが待ち望んでいたリメルだというのに、この世界に居場所なんてないみたいに一人、立ち尽くすんだ。
「あのリメルは、泣かない。泣いたらもっと居場所がなくなるとか、そんな馬鹿なこと考えてるに違いないんだ」
怒ってるなら、ぶつければいいだろう。悲しいなら、そう言って、泣けばいいじゃないか。
「自信がないなら、存在する理由が欲しいなら、リメルテーゼが活用できるとでも示せばいい。それで堂々とここにいれるんなら、もっと、リメルであることを利用すればいいだろ」
納得できないと、相変わらず不機嫌そうに言い放つエルスツナに、トムは呆れたように笑った。
「……エルはさ、実は優しいとこもあるよな」
「優しい?」
「とんでもなく不器用だけど」
意味が分からないと冷たく言ったエルスツナが、またグラスに口を付ける。
「そこにいてもいい、って言ってあげればいいんじゃないか。存在する理由なんて、それだけで充分だろ」
「それがなんの自信になるんだ。なんの強さになる?」
「分かってないなあ。愛は偉大だ、いつだって」
笑みを深くしたトムが片眉を上げる。エルスツナが置いたグラスの中、氷同士がぶつかってからりと音が鳴った。
「愛?」
繰り返したエルスツナに、トムは何度も頷いてみせる。
「魔法を見つけ出したい。それはそもそも、興味があるからだろう。好きだから、魔法について調べてる。魔法の謎を解きたい、リメルの謎を解きたい、それは誰にも譲らないってな。ルト様にだって、同じことじゃないか。気になるから、興味があるから見てるんだろ。見て、知ってるから、そんなふうに心配しちまうんだよ」
喧騒の中、静かに説く。どうしようもなく不器用で、
「そういう感情を、好きって言うんだぞ」
「どこが」
エルスツナは、変わらず不機嫌そうに切り捨てた。いやむしろ、その表情は今日一番歪んでいる。
それがまた面白くて、トムは今度は声を上げて笑った。いつも憎たらしいエルスツナが初めて、年相応の若者に見えた。かわいい所もあるじゃないかと、頭を撫でてやりたいぐらいだ。さすがに本気で怒らせそうなので、
「リメルがいれば、魔法が見つけやすくなる。俺にとってリメルという存在は、それ以上でも以下でもない。何度も言ったはずだ」
「ああ、知ってる。何度も聞いた」
その言葉の意味自体を、エルスツナが変えることは今後もないのだろう。けれどそれは、リメルに対する考えだ。瑠都に対する想いは、きっと変化していくに違いない。トムにはそんな確信があった。
想いが変化していく。
時に、山のようだったり谷のようだったり、息を忘れるほどの冷たさに怯え、信じられないくらいの熱さに身を焦がしながら、辿っていく道は決して平坦ではないだろうが。
(愛なんてそんなもんだよ、エル)
確かに変化していく想いを抱きながら、瑠都とエルスツナはこの先も一緒に生きていく。きっとそれは双方にとって、何物にも変えがたい糧になる。
「……俺はさ、すごいことだと思ってんだぞ。魔法からも愛されるリメルフィリゼアになったこと。誰より魔法を大切にしてるからこそ、ルト様を与えられたんじゃないのか。エルなら大切にしてくれるって、思ったんじゃないか。神様はよ」
言いたいことは言った。次にエルスツナから飛び出してくるのが、否定でも非難でもなんでもよかった。 何か言いたげに口を開いたエルスツナを遮るように、トムは提案する。
「手始めに、キスしたお詫びに贈り物でもしたらどうだ。そうだな、花束なんていいんじゃないか」
「もらってどうするんだ、そんなもの」
「知ってるくせによく言うぜ。ルト様はドレスより宝石より、そのほうが喜ぶって。そう教えてくれたのもお前だぞ、エル」
同じ頃、リメルの館のとある客間に瑠都とメイスがいた。辺りに所狭しと積まれたリメルへの贈り物を眺めながら、瑠都は息を吐く。
「また増えてる気がする……」
同意したかったが、仕分ける瑠都の苦労を考えてメイスは曖昧に笑うに留めておいた。
今日の夕食は二人で済ませた。夕食後、時間があったので溜まっている贈り物を仕分けることにしたのだ。
フェアニーアがいないので、送り主が誰なのか分からない物も多いが、自分でできる限りのことはしておきたいと瑠都が言い出したのだった。
「何個か居間に運ぼうか。ここだと箱を開けるのも大変だし」
「そうだね」
瑠都はメイスの言葉に頷いて、さてどれを選ぼうかと考え始めた。どれからでも問題ないのだが、どれも外見から既に煌びやかに見えてなかなかに手が出し辛い。
見渡していると、奇妙なポーズを取った人形と目が合った。驚いて身を固くした瑠都に気が付いて、メイスもその場所を覗く。
「うわ、なんだろこれ。教科書で見たことある気がするけど……。あ、そうだ。確かどこかの地域で雨乞いの儀式に使う人形だったと思う」
「雨乞い……?」
どうしてリメルに雨乞いの儀式に必要な物が贈られてくるのか。いったいどう保管すればいいものかと思案しながら、瑠都はじっと透明なケースに入れられた土の人形を見つめる。
「私にもできるかな、雨乞い」
「え、するの?」
ぽつりと溢した瑠都に思わずメイスが反応する。リメルが雨乞いに成功、なんて見出しが世界中に躍るのをなんとなく想像した。
瑠都は人形から、その横に置かれていた小さな箱に目を移す。長方形の薄い箱は包装されておらず、緑色のリボンだけが十字に掛けられていた。気になって手に取ると、
箱を開けると、中にはネックレスが一つ入っていた。雪の結晶みたいな銀色の台座に宝石が填められている。親指の爪程の大きさの、丸くて真っ黒な石。
(……黒)
数日前のジュカヒットとの出来事を思い出して、瑠都は口をつぐんだ。仕舞い込んだはずの熱が、いとも容易く甦る。
高鳴りそうな鼓動を誤魔化すように、箱の蓋を閉めようとする。その時ふと、瑠都は思い出した。あの日、アヴィハロも「黒」と言い残して去っていったのだ。
閉じかけた蓋を、もう一度開ける。
あれはやはりラッキーカラーだったのだろうか。それとも、アヴィハロには別の何かが視えていたのだろうか。瑠都はリボンと蓋を横に置くと、ネックレスに触れた。
その刹那、だった。
黒い石が辺りを覆い尽くすほどの光を放ち、瑠都の体を飲み込んだ。
さずかに飲み過ぎたと、エルスツナは無表情のまま思った。顔が赤らんでいるわけでも、足取りが不安定なわけでもないが、なんとなく体感はしている。
トムに言われるまま大人しく、こうして館までの道のりを歩いているのもそのためだ。
夜風が頬を撫でる。
酒が入っている時ですら、エルスツナの頭の中は飽くなき探究心がその大部分を占めている。
あの魔法を引っ張りだすには、上からもっと違う系統の魔法をかけてみれば良いのではないだろうか。既に探索済みの場所でも、リメルを伴って赴けばもしかしたら新たな魔法の宿が見付かるのではないか。
鈍ることなく思考を巡らせながら、やがて館へと帰りつく。
玄関の重い扉を開けて中に入ると、いつも静かな館の中は、夜分にも関わらず騒然としていた。
見たこともない兵士が何人も歩き回ったり、難しい顔を突き合わせて意見を交わしている。
「ああ、マーバーリー様!」
エルスツナの存在に気が付いた一人の兵士が、名を呼びながら駆け寄ってきた。
「今知らせを寄越そうと思っていたところです。ルーガ様が居間でお待ちですので、戻られたらすぐ来るようにと」
「ルーガ様が?」
なぜこんな時間にルーガが館にいるのか。明からな異変を感じ取りながら、すぐに居間へと足を向ける。
「何があった」
状況を把握しようと、後ろも振り返らないまま尋ねる。
「それが……」
早足に進むエルスツナの後ろを慌てて付いていく兵士が、恐れを含んだ震える声で告げた。
「リメル様が……リメル様がこの館から、突如として姿を消されてしまったのです」
喧騒の中。エルスツナの足が、止まった。
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