第56話 それぞれの懸念

 

 

「ふむ……なるほど」


 シマザラーガ大陸の東にある、ジーベルグ。豊かな大国を治める偉大な王スティリオは、目の前の報告書を読んでひとつ。


 真昼間の執務室の中には、机に向かうスティリオと、机の前に置かれたソファーの左側に座るルーガの二人しかいない。


「報告ご苦労だった」


 机の上に書類の束を置いたスティリオが、ルーガへと話し掛ける。

 

「魔法の宿そのものの発見率、今までは解析困難だった魔法の宿からの魔法解放率……近頃はいずれの確率も格段と上がっているようだな」


「はい。これもルト様のおかげでしょう」


「幼き頃より伝え聞いていたリメルとは、このように偉大なものであったか。まこと魔法に愛された特異な存在だ」


 リメルがこの世界に現れるということは、隠れている魔法が発見されやすくなるということだ。それは魔法研究所の総長として、長年待ち続けてきたはずの奇跡。

 しみじみと語るスティリオに、ルーガはそっと視線を落とした。


「昨日ご様子を確認しに参ったのですが、元気に過ごされていて安心いたしました」


 瑠都が強大なリメルテーゼを持っており、その影響で魔力が不足していたことを、王であるスティリオと魔法研究所総長のルーガはもちろん知っている。


 安心した。そう言ったばかりのルーガの様子に、スティリオは疑問を呈する。


「ではなぜそのように浮かない顔をしている」


 静かなその問いに、ルーガは皺の寄った目尻を下げる。


「……それはスティリオ様もですぞ」


 立場の違いはあれど、二人は旧知の仲でもある。大国の王としての一面以外の顔も、ルーガはよく理解していた。

 大袈裟に表情を崩した覚えもないというのに、己の憂いを見抜いたルーガに対し、スティリオも小さな笑みで応えてみせた。


 威厳をそっと傍らに置くように背もたれへと身を預けたスティリオに対し、ルーガが吐露する。


「いくら身に巡るリメルテーゼが強大であろうと、私の目にはやはりルト様は……普通の少女のように映るのです。けれど……天はそれを許すのでしょうか。あれほどの特別な魔力を持ってこの世界にやってきた、それにはきっと何か理由がある。私にはそう思えて仕方がない」

 

 恐ろしいのだと、ルーガは続けた。


 何かが起きる予感。世界のことわりが覆されたとて、それは本当に正しいものであるのか。乗じて背後からゆっくりと、良からぬものが忍び寄ってきているかのような僅かな違和感。そして何より。


「これ以上、何か背負わせることなど………」


 ルーガの脳裏に浮かぶ、一人の少女。


 この世界に訪れた時、帰れないと知った時、瑠都は悲しみも怒りも見せはしなかった。けれど、見えるものがすべてではないことは、ルーガにも想像できる。


 ルーガの言葉に、スティリオも同じように瑠都のことを思い出す。


「……昔は、リメルとはもっと神にも近い存在であると思っていたものだがな。勝手にも、どこかで人ですらないと認識していたのかもしれぬ。だがどうだ。突如として見知らぬ世界へと導かれたリメルをいざ迎えた時、目の前に立っていたのは歴とした血の通う迷い子だった」


 貴きリメルには、感謝と祝福を。偽りのない言葉ではあるが、同時にそれ以上に湧き上がる、複雑な思い。末の一人娘マリーと同い年だから、哀れんでこんな感情を抱くのだろうか。


 いや違う。きっとこの世界は、同じような歴史を繰り返している。リメルに対する期待と、それに混じる戸惑いと、哀憐を。


「記録上では、様々なリメルがこの世界を訪れている。偉大だったとしか認識していなかった彼女らもまた、ルトと同じように迷いながら、何かを背負いながら生きていたのだろうな」


「たくさんの文献や伝記、物語や絵本も残っていますが……そのすべてが真実だったということは、もはやありますまい。歴代のリメル様のお心や感情に迫ったものは、実はほとんどないのではないでしょうか。だからこそ、リメルとリメルフィリゼアとの関係が神格化されてきた面もあるのでしょうが」


 ルーガの言葉に、スティリオはそっと息を吐く。


 なんて勝手なことだろう。この世界が賜る恩恵だけを捉えて、その心情を思いやることは、きっと長らく忘れられていた。


 大切にしたい。天より授かった瑠都という一人の少女を。


 例え何が起こっても、「普通」という枠から飛び出してしまったとしても、慈しむべき存在であることになんら変わりはない。


「天にあらがうことは誰にもできない。ルトが何を背負うことになろうと、止めることなどもうできやしまい。我々に、我が国にできることは、何が起ころうと、心ごとルトを守ることだけだ」


 そして、せめて天の慈悲を信じて祈ることだけだ。どうか瑠都が幸せであるように、と。



「解放できる魔法が増えたとはいえ、あまり根を詰めすぎるなと魔法員の皆にも伝えておいてくれ。特に、リメルフィリゼアでもあるお前の愛弟子にはな」


 スティリオは口の端を上げて笑った。


「いやはや……あれが言うことを聞きますかどうか」


 王からのねぎらいに、ルーガは参りましたと言わんばかりに肩を竦めて、用意されていたカップを手に取ったのだった。





 瑠都はリメルの館の居間にいた。


 やっとのことミローネから部屋を出る許可を得たのは数日前のことだ。ベッドの上で過ごした数日の間、整理できずに溜まっていた贈り物を確認、整理していた。


 瑠都がリメルとして面に出てから、格段に増えた贈り物。貴族や豪商、軍人や果ては市民まで、様々な人が様々な物を贈ってくるようになった。


 量自体はパーティーに出てすぐの頃よりかは多少落ち着いたものの、未だ続いている。

 一方的に何かを貰うということは、やはり心苦しい。いったいいつまで続くのだろうかと内心息を吐いた。


 そんな瑠都に対し、抱いた心配事をふと口にしたのは、整理を手伝ってくれていたフェアニーアだ。


「……ルトさんが持つリメルテーゼが強大だという事実は、もちろん一部の者以外には伏せられています。しかし、どこからか漏れる可能性もないとは言い切れない。しばらくは少人数で町へ行くのは控えたほうがよいかもしれません」


 瑠都が菓子屋のタルーミミや、図書館、占者のアヴィハロと会うために、師匠であるキィユネの屋敷へと時折赴いていることなどは、フェアニーアも知っていた。同行したことも何度もある。


 複数のリメルフィリゼアと一緒でない時は、マーチ二と同じ護衛・警備部隊の隊員であるガレが護衛として着いていっている。

 ガレが腕の立つ兵士であるということは、フェアニーアもよく理解しているが、この世にはなんの躊躇いもなく、常識に囚われない非情な行いをする者も確かに存在しているのだ。


「パーティーに参加したことで、ルトさんの顔を知る者も増えましたし……用心のためです。行動を縛ってしまうようで、とても心苦しいのですが」


 瑠都は贈り物を開けていた手を止めて、ソファーに並んで座るフェアニーアの横顔を見やる。


 ありありと心配を浮かべる優しい面立ちに、瑠都は決してそれが冗談ではないことを知る。


「……リメルを、リメルテーゼを利用しようと考える人もいるかもしれない、ってことですか」


 考えを一旦自分の中へ飲み込んでから、瑠都は静かにそう尋ねた。フェアニーアはそんな瑠都へと視線を落とすと、頷いてから続ける。


「リメルテーゼには無限の可能性がある。それを自分の都合の良いように動かそうとする者もいるでしょう。それに、今回リメルフィリゼアとして選ばれたのはジーベルグの国民ばかりですから、それを良く思わない国だってあるかもしれない」


 魔法が重要な物として扱われるこの世界において、発見する魔法の数、発見した魔法が強力かどうかは、国の威信に関わることだ。


 そのため、魔法の発見に大きく関わるリメルの訪れと、自然や魔法など様々なものからの祝福がもたらされるリメルフィリゼアが、己の国から生まれることを、どの国も待ち望んでいる。


 なぜジーベルグだけなのだ、我が国にも恩恵をと考える国があってもおかしくない。リメルの訪れと、シマザラーガ大陸のたった一国にだけリメルフィリゼアが集まっている事実は、既に海を越えて世界中に広まっている。


「魔法の発見のため以外にも、単にリメルを崇拝するあまりに、訪れを求める者もいます。リメルがいる理想の世界を、自らがいる時代に実現させようと。……昔、リメルが訪れないのであれば、召還してしまえばいいと企んでいた組織が、このジーベルグにもあったのですよ」


「召還? できるんですか、そんなことが」


 瑠都の疑問に、フェアニーアは首を横に振る。


「いえ、そのような魔法はありません。しかし、色々な魔法を組み合わせて術式を確立させようと考えていたようです。実際に、儀式も何度か行われました」


 初めて知る事実に、瑠都の背筋が凍る。


 魔法のため、国のため、そして自らの理想のため。別の世界から人間を連れてくることを、なんとも思わない人たちがいたのだ。

 置いてくることになる過去も、大切なものも、気持ちも。何もかえりみようとしない行いが、ひどく恐ろしい。


「その儀式は……成功したんですか」


「いえ、すべて失敗しています」


 フェアニーアの答えに、瑠都は安堵するように震えた息を吐く。


「例え召還に成功したとして、天が選んでいなければその者はリメルにはなり得ないはずなのに……濁った頭ではそれに気付くことすらできなかったのでしょうね」


 なんと愚かな行いだろうと、フェアニーアは思う。天が選ばないどころか、怒りに触れてどんな災いが起きるかもしれないというのに。


「儀式を行ったことが明るみに出て、関わった者は皆捕らえられました。それにより組織は空中分解しましたが……事件が起こったのはたった五十年前のことです」


 かつてジーベルグに存在した組織はなくなっても、同じ思想を持つ者、組織はまだ確実に存在している。


 そして、ついに待ち望んだ本物のリメルが、二百年ぶりに天の意思で降り立った。


 召還を実現させるよりも、現世に存在するリメルを手に入れるほうが容易い。そう考えたとて、おかしくないのだ。


「……すみません、怖がらせるわけではないのですが」


 申し訳なさそうに謝罪したフェアニーアに、瑠都は首を横に振る。


「いえ、あの、気を付けます」


 フェアニーアが瑠都を心配して教えてくれたことは分かっている。充分に気を付けるつもりだが、いざという時のために剣技でも習ったほうがよいのだろうか。真剣にそう口にした瑠都に、フェアニーアもまた真剣に言葉を返す。


「一から剣技を習うよりも、リメルテーゼを源に魔法を使えるようになったほうが早いかもしれませんよ」


「なるほど……難しそう」


 ここにマーチ二がいたのなら、まったく二人は真面目だねと呆れていたに違いない。


「より強い力を得ようと、リメルテーゼを求める魔物や魔獣などが現れるかもしれませんし。その時も魔法のほうが対処しやすいかと」


「まもの……」


 フェアニーアの言葉を繰り返して、さっと青ざめた。魔力ごと食べられるのではないかと恐れている瑠都に、フェアニーアはやっと年相応の姿を見た気がして笑みをこぼす。


「安心してください、しっかりとお守りいたします」


「ありがとうございます……」


 素直に感謝した瑠都は、しばらく町へ行くことは控えようと決意する。そしてふと、それならば公園にも行けないなと、レマルダと子どもたちの顔を思い浮かべた。


(そういえば……公園の花が咲いたってメイスが言ってたっけ。見に、行けなかったな)





「おーい、メイス」


 同じ頃、城下町レスチナールでは、一人の少年が友人の顔の前で手を振っていた。先程から名を呼んでいるのだが、反応がないのだ。


「メーイースー!」


 再度呼び掛けるが、変わらずぼーっとしたまま。こちらの声などまったく耳に入っていない。

 リメルフィリゼアとしてリメルと結婚した友人、メイスの異変に、少年は大きな溜め息をく。


 尊敬と名誉を得る立場になってからも、メイスは変わらなかった。急に着飾ったり、偉ぶったりもしない。くだらない遊びにも話にも付き合ってくれる。少年は、そんなメイスが誇らしかった。


 今日は学校帰りに一緒に町を散策していたのだが、休憩がてら階段に腰掛けた途端に何事か考え始めたらしく、ぼうとして動かないのだ。


 メイス以外のリメルフィリゼアたちは皆、リメルの夫になる前からすでに有名だったり、誇れる肩書きを持っていた者ばかりだ。そんな中に唯一混じって頑張るメイスをすごいと思っていたのが。


「ついに心が折れたのか」


 少年は腕を組んで考えるが、やはりメイスからの反応はなかった。




「……あれ、いい匂い」


 やっとのこと覚醒したメイスの目の前には、友人が差し出した肉串があった。


「やっとお目覚めかよ、ほれ」


「ありがとう……」


 少年は屋台で買ってきた肉串を一つメイスに渡すと、もう一つの串へとかぶりつく。


「それで、急にどうしたんだよ」


 咀嚼しながらなので非常に喋りにくそうだ。


「いや……情けないなと思って」


 メイスは串を持っていないほうの手で、自身の目元を抑える。


 瑠都が徐々に魔力不足を起こしていっていたこと、それを実感していたこと。一番一緒に、隣にいたはずなのに、気付くことができなかった。そして助けることも、できなかった。


 魔力不足が原因だと推察された時も、真っ先に動いたのは眩いばかりの金色だった。


 揺らめくその白い軍服が通り過ぎるのを、メイスはただ眺めていただけ。足は一歩だって、動いてくれなかった。目の前で口付けを交わす姿を、瞬きも忘れて見つめていた、ただそれだけ。


『メイスはそんなことしなくて大丈夫だから』


 深い方法で魔力を送ることは、瑠都に断られしまった。瑠都が決してメイスを嫌っているわけではないということは、理解している。恥ずかしさと遠慮からくる言葉であったことも。


 あの時の情景をまた思い出して、メイスはがっくりと肩を落とす。


「はあ……」


「なんかよく分からないけど、元気出せよ」


 メイスは男であり、瑠都の夫である。けれど瑠都にとっては、それよりも前に友人なのだ。


 その称号だけで、充分満たされていたはずだった。嬉しかったはずなのだ。それなのに、心にぽっかりと穴が空いたみたいに、痛む。


「……そんなに頼りないかな」


 ずっと、隣にいたい。側で、一番近くで、綻ぶような笑顔を見つめていたい。


「頼り、ないよな」


 いつか、頼りないメイスの元なんて離れて、どこか遠くへ行ってしまうのではないか。側に、いることもできなくなってしまうのではないか。


 寂しい。けれどそれ以上に、ぽっかりと穴の空いた心に差し込む感情。その正体が、メイスにはまだよく分からなかった。


「落ち込むなよ。あと二本くらいなら買ってやるからさ」


「そんなに食べれないよ」


 食べ終わった串をくるくると回した少年に返してから、メイスも柔らかい肉を口に含んだ。

 

 

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