第46話 散りゆくならいっそ
リメルの館の客間に積まれたたくさんの贈り物を前にして、瑠都は言葉を失った。そんな瑠都を、どうぞお掛けくださいとミローネが促す。
「これ全部……ですか」
やっとのことソファーに座り、おそるおそるそう尋ねた瑠都に、ミローネはあっさり答えた。
「はい、もちろんです」
瑠都がノムーセの誕生日パーティーに参加したのは、二日前のことだ。リメルの姿を初めて目にし、その存在を認識した貴族たちは、こぞってリメルである瑠都に贈り物をするようになった。
この世界に訪れたことへの祝福か、出会えたことへの感謝か、ただ喜ばせようとしたのか、それとも、親密になろうとする思惑があってのことか。いずれにしても貴族たちは、競うように贈り物を寄越してきていた。
ソファーに座っている瑠都に、ミローネが一つずつ封を開けて中身を見せてくれる。どの品もまず城に届き、安全性を確かめてからこのリメルの館に送られてきているようだった。
封を開けないまま、どうやって安全性を確かめているのか。瑠都が尋ねると、魔法や呪いの類が掛けられていないか、これまた魔法を使って調べているのだとミローネが教えてくれた。
「まったく便利なものだね、魔法ってやつは」
瑠都の隣に座っているマーチニが、感心したように口の端を上げて言った。
客間には今、瑠都とミローネ、そしてマーチニと、向かいのソファーにフェアニーアがいる。マーチニの言葉に眉を下げて笑ったフェアニーアの風邪は、すっかり治っていた。
パーティーの次の日、つまり昨日の朝、起きてきた瑠都をフェアニーアはすでに居間で待ち構えていた。起きて大丈夫ですか、と慌てて尋ねた瑠都の言葉を珍しく聞き逃して、フェアニーアはすぐに頭を下げた。
「申し訳ございませんっ」
大切な日に体調を崩したこと、瑠都の側にいてあげられなかったこと。謝罪するフェアニーアの頭を上げさせるのに、瑠都は些か大変な思いをした。
気にしないでほしい、誰のせいでもないのだから。そんな慰めでは真面目なフェアニーアの自責や後悔を取り去ることはできなかったのだ。
差し出し人の名を口にしながらミローネが開けてくれる贈り物はすべて、一目見て高価だと分かる品ばかりだった。贈り主がどんな人か、どんな肩書きの人か、フェアニーアが説明してくれる。そのおかげで、瑠都はパーティーで出会った人の顔と名前を一致させることができた。
「売ったらいい値になるんじゃない? ほら、これとか」
ふんだんに宝石を
「マーチニ殿、それはさすがに……」
冗談に思えないマーチニの提言に苦笑しながら、フェアニーアが瑠都の代わりに止めてくれる。
「でも、どう見たってこんな趣味の悪い物はルトちゃんには似合わないでしょ」
そう言うと、マーチニはフェアニーアにも首飾りを向けた。いっそのこと禍々しいほどの輝きを放つ一品、どれだけの金子が使われているのか想像するだけでも恐ろしい。けれどマーチニが言い放った通り、とても若い女性が身に付けられるような代物ではないことは明らかだった。
「それは……確かに……」
首飾りを向けられたフェアニーアも、思わず認めてしまう。
「お二人とも、失礼ですよ」
見兼ねたミローネが、呆れたように息を吐きながら注意する。
「ごめんよミローネさん。あの夜の麗しいルトちゃんを見て、どうしてこんな物を贈ろうと思えたのか不思議でね」
「それには同意いたしますが」
同意するんだ、なんて思った瑠都の心の声は、表に出ることはなかった。
和気藹々とした雰囲気の中、すべての贈り物が開けられた。それと同時にフェアニーアがゆっくり立ち上がる。
「では、私はそろそろ失礼します」
「もう出るのかい?」
「はい」
マーチニの問いに、頷きながらフェアニーアが答える。
風邪を引いていたフェアニーアは、昨日と今日の午前中、ジャグマリアスから休みをもらっていた。時間的にはまだ昼前にもなっていないというのに、フェアニーアはもう家を出ようとしていた。
「昨日一日お休みをいただいていたのです。更に今日半日もとなると、さすがに申し訳ないですから」
午後から顔を出したところで、ジャグマリアスはフェアニーアを咎めたりしないだろう。それなのに申し訳ないという理由で言われた時間より早く仕事に向かうのは、いかにも真面目なフェアニーアらしかった。
ひらひらと手を振るマーチニ、見送ろうとするミローネ。そして瑠都は、なぜか立ち上がった。三人の視線が、一気に瑠都に集まる。
「あの……」
どうして立ち上がったのか、自分でもよく分からないまま瑠都は向かい合うフェアニーアに声を掛ける。
「あまり、無理しないでくださいね」
治ったとはいえ、フェアニーアが体調を崩していたのはつい二日前のことだ。フェアニーアは平気だと言うが、体力がすべて戻ったとは限らないし、だるさだって残っているかもしれない。
だから無理はしないでほしいと言った瑠都に、フェアニーアは優しい笑みを向けた。
「ありがとうございます」
咄嗟に気遣ってくれたことが嬉しくて、ほんのりと胸に広がる温かさに、フェアニーアは目を細めた。
いつまで経っても、この人は変わらないのだろうとフェアニーアは思う。豪華な贈り物をいくつ貰おうと、リメルという地位を自覚しても、謙虚で優しい少女の本質は何も変わらない。
ふと、マーチニの言葉を思い出した。麗しいとマーチニが表現した瑠都のドレス姿を見ることは、結局叶わなかったのだ。じっと瑠都の顔を見つめていると、瑠都は不思議そうに首を傾げた。
鮮やかな水色はさぞ似合っていただろうだとか、着飾った姿を見ることができなくて残念だったとか、またいつか、とか。
浮かんでは躊躇って、結局どんな言葉で伝えるべきか分からなくて、フェアニーアは曖昧に誤魔化した。そんなフェアニーアに対して、やはり瑠都が何か言うことはなかった。
「いってきます」
「はい、いってらっしゃい」
見送りはいいですよとフェアニーアが言ったので、二人は客間で別れた。出ていくフェアニーアと後を追うミローネの姿が消えて、瑠都はようやくソファーに腰掛けた。
「フェアくんらしいね」
「そうですね。もう少しゆっくり休んでいてもいいのに」
「……ああ、それもあるけどね」
意味深に呟いたマーチニの小さな声は、隣にいる瑠都には聞こえていなかったようだ。たくさんの贈り物にもう一度目をやって、どこに仕舞うのだろうかと心配している。
「この館は広いから、仕舞う場所はいくらでもあると思うよ。これからもどんどん増えるだろうし」
「え、増えるんですか」
「もちろん。リメルが公の前に現れた今、何かを贈りたいと思う者はたくさんいるはずだよ」
さっと青ざめた瑠都にマーチニが教えた通り、これからもこうした贈り物は途切れなく届くだろう。貴族だけではなく、噂を聞き付けた軍人や豪商、果ては市民まで。もう少しだけベールに包まれていてほしかったと願うのは、夫である男の勝手な願いだったろうか。マーチニはそっと笑みをこぼした。
贈り物を見返した瑠都は、その豪華さにくらりと眩暈を覚えた。そこにどんな思惑があろうと、価値に変わりはない。どれほどの金子が自分のために動いたのか、想像するだけでも恐ろしかった。
「それにしても、ルトちゃんは頑張ったんだね」
瑠都と同じように贈り物を眺めながら、マーチニが唐突に言った。
「贈り物を見ただけで、それを選んだ人がどんなことを考えていたか大体分かる。これだけ自分を主張してくる人たちが、実際にルトちゃんに会って黙っていたはずがないだろうから」
相手をするのはさぞ大変だったろうと、マーチニは瑠都を労った。瑠都は我先にと近付いてきた貴族たちの姿を思い出す。囲む貴族たちの雰囲気と勢いに呑まれそうになったことは確かだった。
「……でも、ほとんどジャグマリアスさんが応対してくれたんです。だから私は、何も」
ジャグマリアスのお陰で乗り切れたといっても過言ではない。一人ではどうにもならなかったことはたくさんあって、まっすぐ立っていられたかも分からないのだ。
「……そう」
ソファーの背もたれに身を預けて、マーチニは瑠都を見た。
「着飾った君の隣にいて、支えになって、そして守った。ジャグマリアスさんはまるで月夜に現れた
「
繰り返して、瑠都は目を伏せた。守ったという言葉には、ノムーセの次男であるダンから、という意味も込められていた。
あの夜、ジャグマリアスと瑠都が館に帰ると、風邪で寝込んでいたフェアニーア、仕事でいなかったジュカヒット、部屋に籠もってしまったエルスツナ以外のリメルフィリゼアであるマーチニとメイス、それから使用人たちが全員待っていてくれた。
それに瑠都が嬉しさを覚えたのも束の間、彼らが瑠都の左手首に残された痣に気付くのは早かった。
ジャグマリアスから事情を聞くと、なんという非礼、ルト様に傷を付けるなど許せない、と
執事のサフが宥めるまで、いつも穏やかな館の中はどよめきで溢れていた。
その時いつものにこやかな表情を消していたマーチニは、日が経って瑠都の手首に跡が残らなかったと知ると、心底安堵したように、よかったと呟いた。
ダンのことも暗に含ませてジャグマリアスの存在と行動を例えたマーチニ。暫し考えて、瑠都はゆっくりと口にした。
「そう、ですね。でも、それより――」
颯爽と現れて、ダンを退けた力強さ。座り込んだ瑠都に差し出された手の目映さと、温かさ。痣を掻き消すように落とされた口付けの、優美な仕草と、高鳴りと。
その凛々しい姿は、
(物語に出てくる王子様みたいだった、なんて――)
自分が考えついたことに、瑠都の頬がかっと熱を帯びた。いったい何をと戸惑う瑠都の変化に、マーチニが気付かないわけがない。
「ジャグマリアスさんのこと考えてる?」
「えっ、いえ、そんなことは……」
「妬けるなあ」
あからさまな反応を見せる瑠都をからかいながら、ソファーの上に片腕を上げる。瑠都との距離を詰め、更に覗き込むようにして顔を近付けた。
「俺も何か贈ろうかな」
突然思案し始めたマーチニへと顔を向けた瑠都は、あまりの近さと遠慮なく見つめてくる深緑に恥ずかしさを覚えて目を逸らす。そんな瑠都に眉を下げながら、マーチニは囁くように声を落とした。
「……どうすれば君が喜んでくれるのか、今必死に考えてる」
驚いたように再び見上げてくる瑠都の瞳に映った、自身の変化がおかしくて、くすぐったい。以前はこんなことを考える男ではなかったのに、一つの想いを前に、人とはこうも簡単に変わってしまうのか。
欲しいものがあるかと尋ねても、きっと瑠都は何もないと答えるだろう。瑠都は今まで、誰に対しても何かを
「あの、前に……」
だから瑠都がそう切り出した時、マーチニは何か望んでくれるのかと少なからず驚いた。無言の眼差しで促すマーチニから視線を逸らさないまま、瑠都はゆっくりと口を開く。
「ルビーをもらったので、それだけでもう充分です。ほんとに……嬉しかったから」
この館に住むようになったばかりの頃、マーチニがくれたうさぎのぬいぐるみ。ルビーと名付け、やがて動けるようになった桃色のうさぎは、瑠都にとって大切な友だちだった。
マーチニは面食らったように目を丸くすると、一拍置いて笑い出した。
珍しく子どものように表情を崩して笑うマーチニに、今度は瑠都が驚いた。
「マーチニさん?」
何かおかしなことを言っただろうかと困惑するが、マーチニは尚も笑みをこぼしたまま首を横に振った。
「いや、ルトちゃんには敵わないなと思っただけだよ」
マーチニはソファーにあった手を瑠都の頭の上に乗せると、慈しむようにそっと撫でた。
「今日は天気もいいし、どこか出掛けようか」
マーチニの提案に、瑠都は顔を綻ばせた。
「はい」
どれだけの価値ある物を贈られた時より、出掛けようかの一言で嬉しそうに笑んでくれる。
(重症だなあ、俺も)
それだけのことで喜ぶ瑠都と、それだけのことで胸を熱くする自分。
離れがたくて撫で続ける手を見下ろしたマーチニは、もう一度笑い出す。胸に溢れた想いは、過去の自分とはどうも噛み合わない。それがやっぱりおかしくて、それからくすぐったかった。
数回のノックのあと、ゆっくりと執務室の扉が開かれる。そこから現れたフェアニーアに声を掛けながら、ジャグマリアスは筆を置いた。
「早かったな、フェア」
言葉ではそう言うが、たいして驚いた様子もない。フェアニーアがゆっくり休まないことなど、見透かしていたようだった。
「はい。色々とご迷惑をお掛けして、申し訳ありませんでした」
ここ二日で何度目かも分からない謝罪の言葉を口にしたフェアニーアは、なぜか大きな花束を抱えていた。
「……その花は?」
「門の前で、ノムーセ様の奥方様とお会いしまして、ジャグマリアス様への贈り物だとお預かりしたのです」
水色の鮮やかな花だけで束ねられた贈り物。ジャグマリアスへと向けたその花束へ、フェアニーアも視線を落とす。
「なんでも、庭に咲いていたのだとか」
瑠都がパーティーの夜に身に纏っていたドレスの色と同じ、清く爽やかな水色。その小ぶりな花弁も、どこか瑠都を思い起こさせる。
「なぜそれを私に?」
「ルトさんによく似たこの花を、ぜひこの執務室に飾ってほしいとおっしゃっていました。仕事中は離れているけれど、いつでも側に感じられるようにと」
ノムーセの妻から言付かったことをそのまま伝えながら、フェアニーアは複雑そうな顔をする。
フェアニーアももちろん、パーティーの裏で瑠都とダンの間に何があったのか、ノムーセがそれを公表しないでほしいと頼んだことも知っている。
だから一見微笑ましいこの贈り物も、ジャグマリアスの機嫌を取ろうという意図が読み取れる気がして、素直に喜べない。
「捨てておけ」
だが、ジャグマリアスが冷たくそう言い放つのは予想外で、フェアニーアは言葉を詰まらせた。
「しかし……」
フェアニーアは花束を持つ手に力を込める。
これはただの花束ではない。どんな意図があろうと、水色の花があの夜の瑠都の姿を閉じ込めたように、鮮やかなことに変わりはない。
「ジャグマリアス様、」
何か訴えようとするが、それ以上は声にならない。ジャグマリアスは再び筆を取ると、いつもと変わらない様子で書類に目を通していく。花束を一瞥することすら、もうない。
「フェア」
固まったままで動こうとしないフェアニーアの名を呼んだジャグマリアスの声色には、なんの感情も乗っていなかった。
「……知っているだろう、花は嫌いだ」
それきり、ジャグマリアスもフェアニーアも何も言葉を発しなかった。沈黙と共に、花の甘い香りが執務室に漂う。甘い香りは否応なしに心の隙間に入り込み、忌むべき遠い記憶を、呼び覚ます。
――ねえ、ジャグマリアス
私の胸にはいつも、あなたを想う大輪の花が咲いているのよ――
書類に向かうジャグマリアスの表情に、僅かな動揺も迷いも見付けることはできない。追憶はすべて、深い青色の瞳の奥に閉じ込めた。
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