第45話 いつか誇れる証を君に

 

 

 ジャグマリアスと瑠都が戻ると、大広間はすでに活気を取り戻していた。何が起きたのか知らない貴族たちは、それぞれが好きなように場の空気を楽しんでいる。

 ノムーセも妻も他の貴族たちと楽しげに談笑していた。動揺を悟らすまいと、先程となんら変わらない様子で振る舞っている。


 瑠都は自身の手を包むグローブに目を落とした。痣を隠すためにノムーセの妻が用意したグローブは手首を覆うくらいの長さしかなく、ドレスと同じ水色だった。初めから身に付けていたのではないかと錯覚してしまうほど、違和感なく馴染んでいた。


「少ししたら失礼しましょう。長居することもない」


 瑠都の隣でジャグマリアスが言った。案じてくれているジャグマリアスの言葉に、今度は素直に頷く。


 その時、遠くでこちらをじっと見つめるアタワ夫妻の姿に気が付いた。今にも泣き出してしまいそうに表情を歪めたサーシャは、瑠都と目が合ったと知ると駆けてこようとする。だがそれをマスバルトが止めた。


「あらリメル様、どちらにいらしたのですか」


 瑠都に話し掛ける他の貴族がいたからだ。アタワ夫妻に気を取られていた瑠都は、少し驚いて声のしたほうを振り返る。そこには何人かの若い令嬢が立っていた。


「姿をお見掛けしないので心配しておりましたの。ジャグマリアス様も途中でどこかに行かれたようでしたし」


「ルトさんが風に当たりに外へ出られていたので、私も追ったのです」


「まあ、そうでしたか」


 ジャグマリアスが答えると、令嬢たちは紅潮した頬を隠そうともせずに、身を寄せて笑う。年齢も瑠都とさほど変わらないだろう若い彼女たちにとって、絵画から飛び出してきたかのような美しさを持つジャグマリアスと言葉と交わすことは、特別なことなのだろう。


 令嬢たちは代わる代わるジャグマリアスに話し掛けてから、思い出したかのようにやっと瑠都に自己紹介をし始める。鈴を転がしたような楽しげな声が辺りに響いた。その声につられたのか、いつの間にか瑠都の周りには貴族たちが集まってきていた。


 再び押し寄せた挨拶の波に呑まれないように、瑠都は必死に頭を働かせた。それでも覚えきれない肩書きと名前が、いくつもぽろりとこぼれていく。

 盾のように、そして支えるように片時も側から離れなかったジャグマリアスが、周りにも聞こえるような大きさの声でそろそろ、と口にした頃には、瑠都の表情には明らかな疲れが滲んでいた。


「夜が更ける前に失礼しましょう」


 貴族たちの話が途切れた一瞬の間に、帰路に着こうと促したジャグマリアス。


「おや、帰ってしまわれるのですか」


 一人の男が残念そうに言った。口々に引き止めようとする貴族たちだったが、ジャグマリアスが折れることはなかった。囲む輪から抜け出して、帰りの挨拶をするために二人並んでノムーセの元へと向かう。


「大変ですから、全員のことを覚える必要はありませんよ」


「はい……」


 苦笑した瑠都を見下ろして、ジャグマリアスも微かに笑った。





「……あ」


 ノムーセの元に辿り着く前に、瑠都が小さく声を漏らした。人混みの中にフェアニーアの父オズフールと、母ドラレウの姿を見付けたからだ。向こうも気が付いたようで、話していた相手に断ってから瑠都たちの所にやってくる。


 オズフールとジャグマリアスが、いくつか言葉を交わす。帰ることを知らされたオズフールとドラレウは寂しそうな表情を見せたが、その気持ちを口にすることはなかった。


「お疲れでしょう。気を付けてお帰りください」


 フェアニーアとよく似た、柔らかな笑顔を浮かべてオズフールが言った。その横で、ドラレウが持っていた扇を音を立てて閉じた。


「ルト様……そのグローブはいったい」


 目敏くグローブを見付けたドラレウが、片眉を上げる。


「先程までは身に付けていらっしゃいませんでしたよね」


「これは……その……」


 なんと答えればいいのか分からなくて、瑠都は言い淀んだ。もちろんダンとのことを口外はしないとノムーセと約束してはいるが、どう誤魔化せばいいのか。そもそもフェアニーアの両親である二人にまで嘘を吐くのは気が引けた。

 すんなり答えられない理由があると察したのか、オズフールとドラレウの顔付きが段々と険しいものになっていく。


「何かあったのですか」


 今度はオズフールが問うた。たくさんのことを考えながら、それでも答えられず戸惑う瑠都に助け船を出したのは、やはりジャグマリアスだった。


「近々、フェアニーアを通してお伝えする機会もあるかと。今は、どうか」


 声を潜めたジャグマリアスにとって、フェアニーアは同じリメルフィリゼアであり、信頼できる部下でもある。その両親であるオズフールとドラレウに、隠す気はないらしい。


「体調が優れないとダン様が休まれているようですが、何か関係が?」


 ドラレウの鋭い質問を受けて、瑠都の瞳が揺れた。ジャグマリアスも肯定こそしなかったが、否定もしない。その反応を見て、チゼリテット夫妻は大方の事情を理解したようだった。追及することは止めたが、険しい表情が変わることはない。


「……分かりました。今ここでこれ以上の言葉を求めることはいたしません。けれどもいずれは必ずお教えください。内容によっては私たちがこの先注視すべきこと、なすべきことも変わります」


 声色は相変わらず穏やかなものだったが、やはり難しい顔をしながらオズフールは続ける。


「ルト様は異世界より遣わされた尊きお方。そして何より、フェアニーアの妻、私たちの娘です。お力になれるようなことがあれば、なんでもおっしゃってください」


「そうですとも。ルト様はわたくしたちの大切な一人娘。ルト様のためならばどんなことでもいたします」


 少しの間を置いてから、瑠都は短くありがとうございますとだけ呟いた。


 それからいくつか言葉を交わして、ジャグマリアスと瑠都は二人と別れた。


「また近く、お会いいたしましょうね。我が家にも遊びにいらしてください。フェアニーアを……よろしく頼みます」


 別れ際、フェアニーアと同じ橙色の目を細めたドラレウが言った。その隣でそっと頭を下げるオズフール。二人は、優しい父と母の顔をしていた。




「彼らは信用できる。それに、チゼリテットは力のある家です。いざという時はあなたの盾になり、また矛ともなりましょう」


「盾と、矛……」


 視線の先ではノムーセを捉えながら、ジャグマリアスがそう教えてくれた。


 味方がいてくれるということ。何も持たずにこの世界にやってきた瑠都にとって、これほど心強いことはない。だがそれよりもずっと、心に引っ掛かる言葉があった。


(娘……)


 容易く与えてくれたその称号が嬉しいはずなのに、なぜか少しだけ悲しくもあったのだ。受け入れていいのだろうか、そんなこと、許されるのだろうか。

 遠い世界に置いてきたはずの、遠い昔に置いていかれたはずの、血の繋がった両親の顔が浮かんで、そして、消えていった。





 ジャグマリアスと瑠都が近付くと、ノムーセは周りに気付かれない程度に顔色を変えた。側にいたはずの妻の姿は、いつの間にか消えていた。


 帰る意思を告げても、今度こそノムーセが引き止めることはなかった。周りにいた貴族たちが口々に残念がるのを、お疲れだろうからと制してさえくれた。


 馬車まで見送ると申し出たノムーセだったが、ジャグマリアスが丁重に断った。だがこればかりはノムーセも引かず、結局は大広間の入り口まで一緒に行くことになった。


「……ダンのこと、本当に申し訳なく思っております」


 大広間の入り口に近付いて、周りに人がいなくなった頃、ノムーセが切り出した。


「田舎にいる遠縁の親族に預けようと思っているのです。妻は渋っていましたが、ルト様に働いた狼藉を思えば……これでも軽すぎる罰なのは重々承知しております」


 低く重い口調で、噛み締めるようにノムーセが言った。その言葉は瑠都に向けられたものだったが、目を伏せたままのノムーセと視線が合うことはなかった。


 家の名を守るためには、瑠都とダンの間に起こったことを公にするわけにはいかない。 だからこそ軽すぎると分かっていながらも、ノムーセがそれ以上の罰をダンに与えることは、この先もないのだろう。


 田舎にいる遠縁の親族の元へ行かせる。それはこの華やかな貴族の世界からの離別を意味していた。

 ノムーセが瑠都と視線を合わせないのは、背負わせる罰の軽さを自覚しているからだろうか。もしかしたら名だけをバラッドレ家に残して去る息子へ抱く、甘さと情けを恥じていたのかもしれない。


 三人の足が止まった。別れ際になって、ジャグマリアスがノムーセとは対照的な堂々とした態度のまま口を開いた。


「顔を上げてください、ノムーセ様。めでたき場、皆があなたに注目しています」


 促されて、ノムーセはようやく視線を上げた。


「どのような時も、誇り高きバラッドレ家は皆の道標であるべきです。その名を汚さないためにあなたが下した決断ならば、私もルトさんもこれ以上何かを求めることはありません」


 許すとも許さないとも口にしないジャグマリアスの深い青の目を、瑠都はじっと見つめた。そこにどんな真意が混じっていたのか、読み取ることはできなかった。





「ルト様、ジャグマリアス様……!」


 絢爛たるノムーセの館から出て馬車に乗り込もうとした時、澄んだ高い声に呼び止められた。


 振り返ってどこから聞こえてきたのかと探れば、明かりから少し離れた暗がりの中にマスバルトとサーシャの姿を見つけた。

 待ってもらうよう使用人に告げてから、ジャグマリアスと瑠都は二人に近付いていく。


「ルト様、ご無事ですかっ」


 手が届く範囲まで瑠都がやってくると、サーシャはすぐに瑠都に身を寄せた。

 頷いてみせながら、瑠都はサーシャに気付かれないようにグローブに包まれた手を下げた。今にも泣き出してしまいそうなサーシャに知れれば、きっと傷付けてしまう。


 よかったと安堵の息を吐くサーシャとは違って、マスバルトは目敏く瑠都の変化に気付いていた。ジャグマリアスと一瞬だけ視線を絡ませる。


「ジャグマリアスさんを呼んできてくださって、ありがとうございます」


「いえ、そんな……私にはそれくらいのことしかできなくて……あの時お止めすることができず、なんと情けないことかと」


 後悔と自責で揺れながら、サーシャは唇を噛んだ。そんなサーシャに対し、瑠都はゆっくりと、慎重に言葉を紡ぐ。


「そんなこと、気にしないでください。充分すぎるほど、嬉しかったから」


「ルト様……」


 感じ入ったように名を口にするが、サーシャの表情が晴れることはなかった。何か間違っただろうかと内心で慌てる瑠都の前で、サーシャの瞳が潤んだ。


「……私が一緒にいたから、ダン様の気分を害してしまったのです。自らの立場もわきまえず舞い上がってしまったばかりに、ルト様にもご迷惑を……」


 サーシャを貶めたダンの嘲りを思い出して、瑠都は息を呑んだ。今までもああやって、何度も何度も冷たく疎外されてきたのだろうか。自身の家柄も想いも、マスバルトとの関係も運命も否定されてきたサーシャのことを思うと、ひどく胸が痛んだ。


「……今日は緊張も不安もあったけど、サーシャさんが一緒にいてくれたから、楽しかったです。また、色んなお話聞かせてくださいね」


 短い時間ではあったが、月明かりを浴びるテラスで一緒に過ごしたこと。好きな人について幸せそうに語るサーシャに、瑠都の心も和らいだ。あの時間を誰に咎められることも、非難される所以ゆえんもない。それが例え、大貴族の子息であったとしても。


 また、と次があることを示唆した瑠都に対して、サーシャは声を詰まらせた。


「よろしいの、ですか」


 許可を得る必要なんてどこにあるのだろうと瑠都は思った。望んでいるのはむしろ、瑠都のほうだったのに。


「もちろんです」


 だから、答えに躊躇う理由などありはしない。




 ジャグマリアスと瑠都を乗せた馬車が遠ざかっていくのを、サーシャは一時も目線を逸らさずに見つめていた。かつて好きだった人と、憧れだったリメルが、同じ場所に帰っていく。その姿を記憶に焼き付けたかった。

 そんな妻の様子を、マスバルトは何も言わずに優しく見守る。


「私と一緒にいることは、ルト様の得にならない。だめだと、分かってはいるのです。それなのに、またと言っていただけたことが嬉しくて、次はいつお会いできるのかと待ち遠しくて……なんと浅ましいことでしょう」


 見送る馬車が闇の中に消えていったところで、サーシャが言った。


「こんなにも幸せでよいのでしょうか。罰(ばち)が当たってしまいます」


 最愛の人と夫婦になれた。それだけで充分すぎるほど幸せだった。他の何を失おうと、何度挫けようと、今以上の恩恵を望んだことはなかったし、有り余る幸福を授けてくれた神に感謝すらしていた。


「サーシャ」


 マスバルトは大きな手でサーシャの肩をそっと抱き寄せた。


「今まで辛かったろう。ならば、これは褒美だ」


 天からの褒美こそあれど、罰など与えられるはずもないのだと。


「……あんまりですわ、マスバルト様」


 腕の中のサーシャは震えていた。マスバルトの服を掴む手の弱々しさと、嗚咽混じりの微かな声。


「私には、過ぎる褒美です」


 マスバルトは肩にあった手で、サーシャの後頭部に触れた。そのまま胸に押し付けた愛しい人の震えも喜びも、追憶も、すべて丸ごと受け止めた。


 館から漏れる明かりも、この場所までは届かない。絢爛たる世界へそろそろ戻らなくてはいけない、分かってはいるのにマスバルトとサーシャは互いから離れることができなかった。


「……いつかあいつも、こうやって」


 静かな空気に溶けるくらいの小さな声で、マスバルトが呟いた。


「何かおっしゃいましたか」


「いや……なんでもない」


 腕の中から濡れた顔を上げて尋ねたサーシャに返して、また熱い腕に閉じ込める。



 いつかあいつも、こうやって抱けるといい。


 絡み付くしがらみから解き放たれて、授けられた無二と涌き出る尊い感情を慈しみ、愛おしみながら。一生を捧げる人の堪らない温かさを、噛み締めるように。


いだけるといい、なあ、ジャグマリアス――)





 微かな振動を感じながら、瑠都は静かに馬車に揺られていた。暖色の明かりがぼんやりと灯された馬車の中、瑠都の目の前に座るジャグマリアスも、先程から一言も口にしていない。


 ノムーセの館からも、もう随分と離れてしまっただろう。馬車が進むにつれ、緊張の糸が解れていくような気がした。


 半日と滞在していないのに、目まぐるしく色んなことが起こって、色んな感情を抱いた。落ち着かせるように、胸に手を当てて息をつく。


「大変な一日でしたね。戻られたら、ゆっくりと休んでください」


 ジャグマリアスに見られていたのだと知って、瑠都は慌てて手を下ろした。


「は、はい。ありがとうございます」


 ぼんやりとした灯りの向こうに見えるジャグマリアスの顔には、疲れの色は浮かんでいない。

 いつもと同じ気丈な人の、知らない面を垣間見た一時ひととき。二人きりの夜も、もうすぐ終わる。


「今日は付き合っていただいてありがとうございます」


「いえ、そんな」


 瑠都はリメルとして誕生会に招待されたわけではない。ジャグマリアスや、風邪で来られなかったフェアニーアの妻として呼ばれたのだ。

 もちろん実際はリメルに会いたいというノムーセの望みや、貴族たちへのお披露目の場でもあったのだが。


 今宵の誕生会、特別な事情でもない限り、貴族たちは伴侶と共に出席していた。ジャグマリアスが一人で赴けば、あらぬ噂と憶測を呼んだかもしれなかった。


「……私には、これくらいのことしかできないので」


 瑠都が彼らのために成せることは限られている。 だからこそせめて、その些細な役目は果たしたかった。


 不意に、目の前のジャグマリアスが手を伸ばした。驚いた瑠都が身を引くよりも早く、グローブに包まれた手を掬い上げられる。

 そして何も言わないまま、順にグローブを脱がされていく。


 白い肌が露になると、左手に浮かぶ痣が視界に入った。幾分か薄くなった気がするのは、経過した時間のせいか、あるいはぼんやりとした淡い灯りの中にいるせいだろうか。


「あの……」


 突如として取られたジャグマリアスの不思議な行動に戸惑った瑠都が、掛けるべき言葉を見つけられないまま口を開く。

 解放された右手とは違って、左手は未だに掴まれたままだ。伝わる温かさと力強さには、気付かないふりをした。


 役目は終えたとばかりにジャグマリアスの隣に落とされたグローブを、思わず目で追った。


「置いていきましょう。一つも、持ち帰る必要はない」


 グローブを捨てた手で、そっと痣をなぞる。痛みは感じなかったが、瑠都は僅かに身を固くしてしまった。


「あの場で出会った者の見栄もおごりも……忌々しい記憶もすべて、このグローブごと捨ててゆくべきだ」


 持ち帰る価値のないものが多いから、だからこそ纏めてここに置いていこうと、ジャグマリアスは言っているのだ。


「でも……」


 言い淀む瑠都の返事を、痣から手を離したジャグマリアスは黙って待っていた。


 グローブで隠さないと、リメルの館で待っている皆に知れてしまう。痣のこと、そしてダンのこと。

 もちろんずっと伏せておくつもりもないし、グローブをして帰ったところで変化に気付かれて、結局は話すことになるだろう。


「何があったのか、うまく説明できるか分からなくて……。なんて、話したらいいのか」


 心配させてしまうかもしれない、余計な気を使わせてしまうかもしれない。

 それに、今夜話せば、耐えていたものがすべて溢れてしまう気がした。自分の中の何かが決壊してしまうのが怖くて、グローブを手放すことも躊躇った。


 ジャグマリアスは触れた手を離さないまま、瑠都の目線の高さまで持ち上げた。


「何も心配はいらない。すべて、お任せてください。私が……側におります」


 ジャグマリアスは瑠都の手首に唇を寄せたかと思うと、ゆっくりとした動作でそこに口付けた。痣など掻き消すように、もっと強烈な印象を植え付けるように。

 伏し目がちな目を覆う長い睫毛すら美しく見える、洗練された男の行動に瑠都は目を見開いた。


「……私がいるなら、大丈夫なのでしょう」

 

 僅かばかり唇を離して、まっすぐに瑠都を射抜いた。見惚れるほど眩く微笑むジャグマリアスの吐息が、手首に触れる。


 ジャグマリアスが来てくれたから、もう大丈夫。それは確かに、瑠都が言った言葉だ。

 こんな所で、こんな熱を与えたあとで繰り返されてしまえば、自分が発した時よりもっと深い意味を孕んで染み渡っていく。


(ずるい、人……)


 もう瑠都は、グローブを置いていくしかなくなった。迷いも纏めて、全部ここに。


 時が、止まったのかと思った。体に伝わる馬車の揺れも、馬の蹄の音も、抱いていたはずの不安もいつの間にか感じなくなっていた。


 この時間が、永遠に続くような錯覚。絡ませた視線は、いつまでも離れてくれない。すべてを奪われたのだと理解するのは、なんとも容易いことだった。

 

 

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