第39話 芽吹く前の色付き
その日、メイスは昼過ぎに学校から帰ってきた。荷物を置くよりも先に、広い居間を覗く。
「あれ……?」
居間に人の気配はなかった。僅かに首を傾げたメイスが、意味もなく居間の中を見渡す。
「メイス様、おかえりなさいませ」
「わっ」
突如背後から掛かった声に、びくりと肩が跳ねる。心臓の辺りを片手で押さえながらゆっくり振り返ると、そこには瑠都の侍女、ミローネがいた。
「ミ、ミローネさん」
「今日はお帰りが早かったのですね」
「先生の都合で、最後の授業がなくなってしまって」
「あら、そうなんですか」
珍しいこともあるのですねと、ミローネは笑った。そんなミローネに、メイスはあることを問おうと口を開いた。けれどメイスが言葉を発するより早く、ミローネが言った。
「ルト様は、ルビーと一緒にバルコニーにいらっしゃいますよ」
「えっ」
メイスが誰を探していたかなんて、ミローネにはお見通しだったようだ。当たり前のように問われる前に答えたミローネが、固まってしまったメイスを不思議そうな顔付きで見る。
「メイス様? どうかされましたか」
「あ、いや、なんでも……ははは……」
気恥ずかしさを乾いた笑いで誤魔化した。ぎこちないメイスの様子をさして気にすることもなく、ミローネは再び笑んだ。
「今、フーニャと菓子を焼いているのです。できあがったらまたお呼びしますね」
「はい、ありがとうございます」
ミローネに見送られながら、メイスは階段を上がっていった。
メイスはまず、荷物を置くために三階にある自分の部屋へと向かった。他のリメルフィリゼアは皆仕事に行っているのだろうか。館の中は静まりかえっている。
ゆっくりと歩を進めながら、メイスは数日前の事件のことを思い出していた。
それは、瑠都が二人組の宝石強盗に連れ去られた日のこと。あの日、メイスと並んで歩いていた瑠都は、声が聞こえた気がすると言っていた。そんな瑠都を、メイスは一人置いていってしまったのだ。
ガレと共に瑠都を追って宝石店に辿り着き、縛られた店主を見つけた時、恐れと焦りで心臓が止まってしまうのではないかと思った。
手足を縛っていたロープをガレとメイスに解かれながら、店主は二人の女の子が連れ去られたと教えてくれた。その内の一人の特徴が、ぴたりと瑠都に当てはまる。店主は、自分のことはいいからすぐに二人を助けてやってくれと枯れた声を上げた。
近くで馬を借り瑠都たちを追うと言ったガレは、メイスに、急いで城に向かい、ガレと同じ王国軍護衛・警備部隊の隊員を呼んでくるように頼んだ。店主の保護を頼むこと、ガレの後を追ってくるように伝えること。託された使命に、メイスは強く頷いた。
店主を支えて椅子に座らせてから、メイスはガレが出ていったばかりの扉をくぐり、城へと走った。
瑠都が事件に巻き込まれたのは、自分のせいだとメイスは思っていた。瑠都を一人にしなければ、あんなことにはならなかったはずだ。一緒に宝石店に行ったところで、ただメイスも連れ去られていただけかもしれないけれど。
――瑠都を守れるだけの力が、自分にあればいいのに。
あの事件があってから、日頃より抱いていた想いが一段と強くなった。他のリメルフィリゼアと比べて数段劣る自分の弱さが、情けなかった。
リメルフィリゼアの中で一番年下であるから、まだ学生であるから。そんな言い訳は通用しない。
今のまま年を重ね、職に就いたところで、望むような強い大人になれるわけではない。リメルフィリゼアとして相応しい男になれる自信なんて、
自室に荷物を置いて、同じ三階にあるバルコニーへと向かう。まだ幾分か距離はあるものの、バルコニーの入り口を視界に捉えた。
その時だった。反対側からやってきて、吸い込まれるようにして静かにバルコニーに入っていく影を見付けた。
(あれ? ジュカヒットさん……?)
てっきり、ジュカヒットも仕事で家を空けていると思っていた。不思議に思いながら、メイスもバルコニーに辿り着く。
顔を覗かせると、ベンチの周りをルビーが元気よく駆け回っていた。瑠都の姿はない。
ジュカヒットが立ち止まってベンチを見下ろし、ルビーも倣うように同じ動きをする。それを見たメイスは、瑠都がベンチに横になっていることを知った。よく見れば、ドレスの端がベンチから垂れている。どうやら、眠っているらしい。
くすりと笑みをこぼしてから、メイスはバルコニーに一歩踏み出して、すぐに止めた。
ジュカヒットが、右手を伸ばしてベンチの背に置いた。ドレスの端が垂れているのとは正反対の位置だから、そちらには瑠都の頭があるのだろう。
起こすのだろうかと思ったメイスは、すぐにその考えが間違っていたことを知った。
ジュカヒットが、そっと顔を下げた。眠っている瑠都の顔に、ゆっくりと近付いていく。
ジュカヒットの隣で立ち止まったルビーが、二人をじっと眺めている。息を飲んだメイスも、その光景から目が離せなかった。
暖かな、輝く日差しに包まれた二人だけが、世界から切り離されている。物語の一場面を目撃しているのではないかと、錯覚してしまうほど。
けれど、ベンチの向こうに消えたジュカヒットの顔は、沈みきる前に止まった。ぴたりと途中で動きを止めたジュカヒットは、暫しの
大きな体を起こしたジュカヒットは、バルコニーに一歩踏み出したままの体勢で固まるメイスを黒い目に映した。驚いてびくりと震えたメイスが、我に戻って慌てる。
「あ、あの、えっと、その……」
しどろもどろになりながら言葉を探すメイスに、ジュカヒットがいつもと変わらぬ落ち着き払った様子で声を掛ける。
「このまま寝ていると風邪を引く。運ぶから手伝ってくれ」
「は、はい」
少しも動揺する気配のないジュカヒットは、いつからメイスの存在に気が付いていたのだろう。そう思いながらも、メイスはベンチに近付いた。
ジュカヒットは眠ったままの瑠都の背中と膝裏に手を入れて、軽々と持ち上げた。僅かに
メイスの左手に、ルビーが触れた。桃色のぬいぐるみと手を繋ぎながら、メイスはジュカヒットのあとに続いた。
ジュカヒットが手伝ってくれと言ったのは、瑠都を抱いたままでは部屋の扉を開けることができないからだろう。
バルコニーから瑠都の部屋まではそう遠くないはずなのに、歩いている時間がとても長く感じた。メイスはその間、ジュカヒットの後ろ姿をずっと見ていた。広い背中は、何も語らない。
メイスは知らない。
ジュカヒットが今、何を思っているのか。なぜ瑠都に口付けを落とそうとして、そして触れる前に離れたのか。
(ジュカヒットさんは、もしかしてルトのこと――)
いつの間にか、ルビーと繋いでいる手に力が入っていた。その理由も、メイスはまだ、知らない。
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