第34話 秘めたる闇の何処

 

 

 瑠都がジャグマリアスから、パーティー同行の誘いを受けた三日後のこと。リメルの館にある客間はその日、常よりも賑わっていた。


 この世界にやってきて、初めて出席するパーティー。それも名門バラッドレの現当主である、ノムーセの誕生会。初めて公の場に姿を見せるリメルにはきっと、多くの注目が集まることだろう。皆が着飾ったリメルを見て、その現れを実感するのだ。


 どんなドレスを纏えば、魅力を最大限に引き出せるのか。先程から当の本人を置き去りにした、熱い議論が繰り広げられていた。


「やっぱり、持ってない色のドレスに挑戦してみましょうよお! 絶対似合いますから! あ、このデザインも素敵ですう」


 ジーベルグの中でも有名な仕立て屋が、依頼を受けてから張り切って描き続けたというたくさんのデザイン画が、テーブルの上に散らばっている。その中の一枚を手に取ったフーニャに対し、ミローネは否定的な意見を述べた。


「少し露出が多すぎます。ルト様にはやはり清楚で可憐なデザインがお似合いです。ほら、このような」


「確かにそれも可愛いですけどお。でもでもこれだって絶対似合うはずなんですう。あ、待ってください。こっちも捨てがたい……!」


 ミローネとフーニャがあれやこれやと言い合う中、恰幅のいい女が自信に満ちた表情で間に入る。


「どれを選んでくださっても結構ですのよ。最高の物を仕立ててごらんにいれますわ」


 真っ赤な口紅が塗られた厚い唇に笑みを乗せて、仕立て屋の女が言った。


「やはり実際にルト様を目の前にすると、デザインが次から次へと浮かんできて困りますわ。ああ、まだまだ描き足りないっ」


 ふくよかな体を揺らして助手に紙とペンを出すように指示する。この仕立て屋は結婚式の時にも瑠都の花嫁衣装をデザインし、見事に作り上げていたが、その時はこれほどまでに話し合うことはなかった。

 もちろん直接会って採寸はしたし、デザインについての確認もあった。しかしまだこの世界に来たばかりで、いきなり六人もの夫を持つことに戸惑いもあった瑠都に配慮してか、設けられた時間は短かった。


 だから瑠都は、仕立て屋がこれほどまでに熱く仕事をする人だとは露程も知らなかった。新しい紙にデザインを描き始めた仕立て屋と、変わらず言い合っているミローネとフーニャ。それぞれが真剣に瑠都のドレスについて考えていた。


 そんな客間の中で、実際にドレスを着る瑠都は、大人しく椅子に座っていた。もちろん最初に、露出が多くなく、控え目なものがいいという希望は伝えたのだが、それきりだ。下手に口を挟むよりかは、三人に任せてしまうほうがいい気がしていた。時折提案されたことに頷いたり首を振ったりして、小さく意思を示す。


「それにしても……あたくしのドレスで美しく着飾ったルト様が、あのジャグマリアス様と共にパーティに行かれるなんて……こんな光栄なことありますでしょうか。美しいあの方に引けを取らないドレスにしなければ」


 唐突にぴたりと手を止めた仕立て屋が、うっとりと瞳を輝かせながら言った。


「なるほど、ジャグマリアス様推しなんですね!」


 あれがいいこれがいいと悩んでいたはずのフーニャが、仕立て屋の言葉に勢いよく顔を上げた。推し、なんてものがあったのかと驚いた瑠都を余所に、盛り上がった二人が声を弾ませる。


「もちろんですとも。誇り高き白の兵士、光を纏った麗しのジャグマリアス様……あの方に憧れない女なんてこの世にはおりませんわ」


「確かにいつ見ても隙がないというか、完璧な人ですもんね!」


 瑠都は楽しそうに続く二人の会話を聞きながらも、ジャグマリアスの姿を思い浮かべた。絵画から飛び出してきたような美しさを持ち、いつもその凛とした姿勢を崩さない人。一緒に住んでからしばらく経った今でも、瑠都はジャグマリアスが怠けているところや、無防備な姿を晒しているところを見たことがない。


 フェアニーアに尊敬されていることも、多くの女性に憧れを抱かれていることも、よく理解できた。瑠都だって、本当にすごい人だと思っている。

 それなのに、向けられた笑みが完璧すぎて、瑠都はいつも視線を逸らしてしまうのだ。なぜだかは分からない。ただ笑みを携えた深い海のような青の瞳から、無性に逃げ出したくなる。


 けれど、ジャグマリアスの隣にはフェアニーアがいる。優しく見守ってくれるフェアニーアがいるから、瑠都はきっとジャグマリアスを前にしても平常心を保っていられるのだ。


 今度のパーティーでも、きっとそうなるだろう。ジャグマリアスと瑠都の間には常にフェアニーアがいて、和やかな空気で取り成してくれる。


 考え込んだ瑠都の耳に、上ずった仕立て屋の声が入ってきた。


「本当に楽しみで仕方ありませんのよ。ジャグマリアス様と、ご一緒に出席されるルト様……お二人が並んだ姿を、早くこの目に映したくって」


 私もです、と元気よく同調するフーニャ。瑠都は盛り上がる二人に遠慮しながらも、おずおずと口を開いた。


「あの、パーティーはジャグマリアスさんだけじゃなくて、フェアニーアさんも一緒なんです」


「ええ、ええ、もちろん存じ上げておりますとも」


 何度となく頷きながらも、仕立て屋の熱はやはりジャグマリアスだけに向けられているようだった。デザインを描くために手を動かし始め、紙が足りないと助手に向かって声を張り上げる。


 再び大人しくその光景を眺めていた瑠都だっだが、部屋に残してきた桃色のことが気になってきて、そっと立ち上がった。デザイン画を手に取っていたミローネに近付いて、話し掛ける。


「ミローネさん。私、ルビーの様子を見てきます。そろそろ起きてるかもしれない。すぐ戻りますね」


 ならご一緒いたします、と言ったミローネに一人でも大丈夫だと告げてから、瑠都は賑やかな客間から出ていった。





 瑠都は廊下を歩きながら、小さく息を吐いた。自分が着るドレスのデザインを決めている所から、一人退出することは少し気が引けたが、廊下に満ちた静寂は心を穏やかにしてくれる。窓から射した木漏れ日が、暖かく瑠都の体を包んだ。


 それにしても、仕立て屋までがジャグマリアスのことを気に入っているとは思わなかった。あれほどの美しさを持ち、名門の生まれともあれば、多くの女性が夢中になるのも当たり前なのかもしれない。


 ふと、瑠都はあることが気になって足を止めた。


 ジャグマリアスには、許嫁などはいなかったのだろうか。

 瑠都が元いた世界で読んでいた物語に出てくる、名門生まれの者には、ほとんど許嫁がいたものだ。実際、姫であるマリーにもトトガジストという立派な許嫁がいる。ジャグマリアスにだって、そういう存在がいたとしてもなんらおかしくはない。それとも、許嫁が決められているのは、王家の者だけなのだろうか。


 考えながらまた足を進めていく。


 貴族といえば、リメルフィリゼアにはフェアニーアやジュカヒットもいる。彼らは、どうなのだろう。


 今度、フェアニーアに聞いてみようか。けれどもし、許嫁はいたがリメルフィリゼアに選ばれたので解消した、とでも言われてしまったら、いったいどうすればいいのか。

 悩んで、結局は何もできずに落ち込んでいくだけの自分がいとも簡単に想像できて、瑠都は不甲斐なさに情けなくなった。


(……だめだなあ、いつまで経っても)


 元いた世界でも、今いる世界でも。いつでも悩みは尽きなくて、劇的な変化など訪れるはずもない。



 階段に向かっていた瑠都は、玄関の扉の前にいた漆黒の男を見つけて、思わずその名を口にしてしまった。


「ジュカヒットさん……」


 小さく漏れた声を聞き逃すこともなく、ジュカヒットは瑠都のほうへ体を向けた。


 玄関から出ていこうとするジュカヒットに遭遇する。前にもこんなことがあったと思い出しながら、瑠都は早足で駆け寄った。


「お仕事ですか」


「ああ」


 あの時と同じやり取りをしながら、瑠都はジュカヒットの前に立った。背の高いジュカヒットに見下ろされる。決して嫌な気のしない静寂が、瑠都とジュカヒットの間に流れた。


 いつもと同じ闇の様な黒い瞳が、今日も変わらず瑠都をまっすぐに捉えている。感情の読めない瞳、色付いた唇がゆっくり開いていくのを、瑠都はただじっと見つめていた。


「……誕生会に行くのか」


「え?」


 誰から聞いたのだろうか。ジュカヒットにその話をされるとは思ってもいなくて、瑠都は目を丸くした。


「はい」


 一拍置いてから答えた瑠都に、ジュカヒットはそれ以上のことは何も尋ねなかった。


「今、仕立て屋さんが来てくれてるんです。その仕立て屋さん、ジャグマリアスさんのこと気に入ってるみたいで、すごく張り切ってくれてて」


 そうか、というような短い言葉が返ってくると想像していた瑠都は、予想に反して黙ったままのジュカヒットを不思議に思った。いつもと同じはずの黒い瞳が、いつもとは違う迷いを宿している気がした。思い違いだろうかと、瑠都は続ける。


「……今さら、実感しました。パーティーに出席して注目されるのは、リメルだからっていう理由だけじゃないんですね。ジャグマリアスさんや、フェアニーアさんの妻としても、たくさんの人から気にされることになる」


 二百年ぶりのリメルとは、いったいどんな人なのか。憧れる人の妻になったのは、いったいどんな人なのか。瑠都はリメルとしても、妻としても、恥じない振る舞いをしなければならない。


「不安か」


 ジュカヒットが言った。その問いに、今度は瑠都が押し黙った。


「それなら、」


 ジュカヒットは、瑠都の答えを待たなかった。自分と同じ黒い瞳を、躊躇いから揺らした瑠都を見て、ジュカヒットは何を思ったのだろう。


「逃げるか、俺と」


 瑠都の目が大きく見開かれた。薄く開いた唇から、音にならない吐息が溢れる。驚きと、戸惑いと、得体の知れない熱。

 見つめ合った二人。それは一瞬のことだったはずなのに、永遠にも思える濃度で余韻を残していく。


「……行ってくる」


 言い残して、ジュカヒットは漆黒のマントを翻した。ジュカヒットが消えて閉じられた扉を、瑠都はしばらくの間、呆然と見つめていた。


 いつまでも、闇夜がちらつく。消えない余韻が、じわりと胸に広がった。

 

 

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