第33話 若さゆえ駆ける
「そうだルト、キィユネにまた占ってもらいましょう」
「キィユネさんに?」
さもいいことを思いついたとばかりに両手を合わせてマリーが提案したことに、瑠都はきょとんとした表情のまま首を傾げた。
空が茜色に染まり始めた頃、お茶会もお開きとなった。名残惜しげに、立ったままで話をする瑠都とマリー。二人から少し離れたところでは、ルビーが庭園の中を駆け回っていた。見守りながらあとをついて行くメイスのほうを時折振り返っては、楽しそうに桃色を揺らしている。
ちなみにマーチニは随分前に、同じ色の軍服を着た男に連れられていった。
「でもこの間占ってもらったばっかりだよ?」
疑問を投げかけた瑠都に、マリーは意味ありげな笑みを浮かべた。
「そうよ。でもこの少しの間にだって、何か変化があるかもしれないでしょう」
そういうものなの、という言葉を飲み込んだ瑠都に対し、マリーは更に続けた。
「それにもうすぐ夏なのよ」
「夏、だけど……」
「夏といえば、出会いの季節じゃない」
マリーはなぜか意気揚々と言い切った。思いもしなかった言葉がマリーの口から出てきて、瑠都はほんの一瞬だけ固まった。
夏は出会いの季節。確かに元いた世界でも聞いたことのある台詞だが、それがこの魔法に満ちた世界でも使われているなんて。それも、一国の姫から聞くことになるとは思ってもみなかった。
「マリーは誰かと出会いたいの?」
「まさか! わたくしにはトトガジスト様がいますもの」
すぐに否定したマリーが、ぴんと立てた人差し指を瑠都の眼前まで持ってくる。
「出会うのはあなたよ」
「私?」
「そう! ルトが新しいリメルフィリゼアと出会う可能性があるのか、キィユネに占ってもらおう、ってこと」
ほら知りたくなってきたでしょう、と満面の笑みを浮かべたまま言ったマリーに、瑠都は大きく首を横に振った。
「し、知りたくならないよ。それに、新しいリメルフィリゼアなんて現れたりしないよ」
「あら、どうかしら。すべては天が決めることだもの。どういう運命が用意されていて、どういう人と出会うのか。それはいつだって自分の予想を遙かに越えていくものだわ」
人差し指を引っ込めたマリーが、今度はぐっと顔を近付けた。
「その片鱗をキィユネに教えてもらえたら、これからの人生がもっと楽しみになるでしょう」
「そういうものかなあ……」
「そういうものよ」
言い切ったマリーは、それに、と続ける。
「もしかしたら、ルトはこの先に出会う誰かのことを深く愛するかもしれない。その人もルトのことを、深く愛してくれるかもしれない。その人がリメルフィリゼアとして選ばれた人だったら、とても素敵だと思わない?」
「……そんなこと、あるのかな」
「あるかもしれないでしょう」
駆けるルビーと追うメイスが、段々と近付いてくる。茜色に染まり始めた庭園を眺めて、瑠都はただマリーの言葉を聞いていた。
「わたくしはね、ルト。ルトには、幸せであってほしいの。愛した人に愛されて……満ちる幸せの中で、ずっと笑っていてほしいの」
マリーの言葉が静かに響いた。
三年後にはこの美しく優しい姫も、愛する人に嫁ぐため国を出ていくのだ。
そんなことがふと頭を過ぎって、瑠都の心が揺れた。寂しくて、悲しくて、心細かった。でもマリーは、幸せになるためにここを
ルビーと、息を切らしたメイスがすぐ側までやってきた。
「ちょっと、もうへばってるの」
膝に手を当てて呼吸を整えるメイスに、マリーが呆れた口調で言った。
「だってルビー、意外と速い……。ってこらルビー、もう帰るんだぞ!」
疲れを隠せていないメイスをよそに、ルビーがまた走り出した。仕方なくまた追いかけるメイス。瑠都とマリーも顔を見合わせてくすりと笑ってから、メイスに倣った。
「マリー様、リメル様まで……」
城の中から、三人と一匹のぬいぐるみが庭園を駆ける光景を見ている者たちがいた。額を押さえながら困ったように顔をしかめたのは、王の従者だ。
「よいではないか」
従者と真逆の反応を示したのは、王であり、マリーの父親でもあるスティリオだ。にこやかに表情を緩めてマリーたちを見守る。
「ああいうことができるのも、若い内だけだろう」
大人になるとできることが増えるかわりに、できないことも増えていく。多くのものを得て、多くのものを失っていく。
「若者たちは、もっと走るべきなのだ。豊かな心がまだ柔らかく動く内に」
窓の外では、三人の若者が楽しそうに笑っている。実際は聞こえないはずの笑い声が、ここまで届いてくるようだった。
「楽しそうだな。私も混じってこようか」
「やめてください」
走るのは若者の特権なのでしょう、と従者は溜息を吐いた。
「パーティー、ですか」
「はい」
その夜、夕食を終え、デザートが運ばれてくるのを待っていた時だった。ジャグマリアスが切り出した言葉に、瑠都は目を丸くした。
「ノムーセ・バラッドレという方の誕生会に招待されているのです。結婚したとあらば、ぜひその妻も連れて参られよ、とおっしゃってくださっていまして。私だけでなくフェアニーアも招待されているので、二人の妻として出席していただくことになるのですが」
どうでしょうか、とジャグマリアスは尋ねた。パーティに出席するとなれば、多くの者の目に触れる。結婚式以外にそういう場に出たことのない瑠都は、不安から口を噤んだ。
「ノムーセ様は六十になられるのですが、とてもおおらかで優しい方ですよ。二百年ぶりに訪れたリメル様にお会いできること、とても楽しみにされているのです」
「そうなんですね……」
やっと聞こえた瑠都の声は、小さく消え入りそうなものだった。
「ルトさんを決して一人にはしません。私かジャグマリアス様が必ず側におりますので、どうか心配なさらないでください」
瑠都の不安を払拭させようと、ジャグマリアスの隣に座っていたフェアニーアが言った。
ずっと館に籠もっているわけにはいかない。いつかは多くの者と関わって、リメルとして堂々と表に立てるようにならなければいけないのだ。そして妻としても、夫のために果たさなければいけない役目があることを、瑠都はよく知っていた。
ジャグマリアスの青い瞳に映った瑠都は、躊躇いながらもこっくりと頷いたのだった。
「バラッドレっていったら、ジャグマリアスさんのトーセ家と並ぶくらい有名な貴族だよ」
「すごい人なんだね」
「うん」
瑠都は先程も同じ食卓にいたメイスと話しながら、自室のある三階へ向かっていた。
「貴族のパーティーって、どんなのだろう」
「さあ……。もちろん行ったことなんてないし、貴族の友達もいないから分からないなあ」
行くとは言ったものの、考えれば考えるほど気が重くなってくる。晴れない表情で隣を歩く瑠都を、メイスが心配そうに見やった。
「案外行ってみると楽しいかもしれないよ。おいしいものもたくさん出るだろうし」
「うん……」
励ましてくれるメイスに、瑠都はそうだね、と返した。
「貴族って、すごく遠い存在なんだ。もちろん差別とかがあるわけじゃないけどね。学級は別だけど、通う学校だって同じだし。でも……情報とかはあんまり入ってこない。貴族だけしか知らないことや、貴族だけで成り立ってることってきっといっぱいあると思うんだ。そんな未知の場所を覗けるって考えたら、少しわくわくしてこない?」
メイスは声色を弾ませた。無理に背を押すでもなく、寄り添うように掛けられた前向きな言葉は、すっと瑠都の心に入って、温かく滲んでいった。
「あ、そういえばジュカヒットさんも確か、遠い町で生まれた貴族だってマーチニさんが言ってたような」
「えっそうなの?」
六人いるリメルフィリゼアの内、半数が貴族だったとは。天はすごい人ばかり選ぶなと、今更ながらに瑠都は思った。
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