第25話 滲んだ一滴が

 

 

 ジャグマリアス、フェアニーア、エルスツナの三人を含めた旅の一行がジーベルグ城に帰ってきたのは、つい先刻のことだ。出迎えた瑠都は一緒に謁見の間の前まで来たのだが、邪魔になってはいけないからと中に入ることはしなかった。

 同じく謁見の間に入らなかった魔法員に、三つも魔法の宿を見つけたことを教えてもらったり、旅の話を少しだけ聞くなどしていた。その魔法員も魔法の宿を調べるために魔法研究所に行ってしまい、今謁見の間の前の廊下にいるのは瑠都ただ一人だった。


 謁見の間の重い扉がゆっくりと開く。待ちわびていた瑠都は、中から出てきた三人のリメルフィリゼアに笑顔を見せた。


「終わりましたか」


「はい、お待たせしました。一緒に入ってくださればよかったのに」


 今回の魔法探しの旅で得た成果をスティリオに報告し終えたフェアニーアが、同じような笑顔で答えた。そんなフェアニーアに続いて、ジャグマリアスとエルスツナも謁見の間から出てくる。少しの疲れも感じさせない三人の様子に感心しながら、瑠都はその顔を順に見ていった。


 旅に出てから何ヵ月も経っているわけではない。それでもなぜか、会えなかった時間が実際の期間よりもずっと長かったように思えたのだ。無事に帰ってきてくれたのだという安心感と懐かしさが、瑠都の心を占めていた。


「こちらは変わりなかったですか」


 ふいにジャグマリアスが尋ねた。相変わらず、輝くような金色の髪が眩い。深い海の色をした青い瞳が、まっすぐ瑠都を見下ろしていた。


「え?」


 思わず声を漏らしてしまった瑠都は誤魔化すように、えっと、と言葉を続けた。


「そ、うですね……はい」


 返ってきた曖昧な答えにジャグマリアスは内心で僅かな疑問を抱いた。青い瞳から逃れるように視線を逸らした瑠都が、それ以上の追求を避けている気がした。


 おそらくは留守の間に何かあったのだろうと推測するジャグマリアスの横で、フェアニーアが朗らかな笑顔のままで口を開いた。


「館に戻りましょうか。実はスティリオ様に職場には向かわずまっすぐ帰るようにと言われているのです。しばらく家を空けていたのだから、今日くらいは団欒で過ごしなさいと」


「俺は研究所に行く」


 スティリオの言葉を意に介することもなく、エルスツナの足が早速とばかりに動き始める。


「エル、でも今日くらいは」


「調べることがたくさんある。休んでる暇はない」


 フェアニーアが引き止めようとするが、それも虚しく失敗に終わった。振り返りもせず言い切ったエルスツナの背中は、すぐに遠くなっていった。


「まったくあいつは……。すみません、魔法の宿が三つも見つかって、いてもたってもいられないみたいで」


 フェアニーアは呆れながらも瑠都に謝った。瑠都は気にしていないと笑ってみせた。


「ジャグマリアス様は館に向かわれますよね」


「……ああ、せっかくだからな」


 じゃあ行きましょうかと言ったフェアニーアとジャグマリアスを、瑠都が控えめに呼び止めた。


「あの、」


 躊躇うように一度言葉を区切った瑠都に、白い軍服の二人の男が踏み出しかけていた足を止めた。


「すみません……先に戻っておいてください。少し、用事があって」


 小さな声で告げられる。思いがけない言葉にフェアニーアは少なからず驚いた。旅から帰ってきて、久しぶりに会ったというのに、すぐに別れることになるとは思っていなかったのだ。どうしてなのかと問いたい気持ちとは裏腹に、どんな言葉をかければいいのかフェアニーアには分からなかった。


 なぜなら、目の前にいる瑠都の表情がどこか寂しげに見えたからだ。


「分かりました。では、先に。……行くぞフェア」


 黙ったままだったフェアニーアに代わって、ジャグマリアスが言った。促されたフェアニーアは、後ろ髪を引かれながらも立ち去る。瑠都は二人が見えなくなるまでその場で見送っていた。


 ジャグマリアスの背を追うフェアニーアは一度だけ、瑠都のほうへ振り返った。その時に見た、ぽつんと立ち尽くす姿がいつまでも脳裏にこびりついて離れない。先に行ってほしいと願ったのは瑠都なのに、なぜか置いてきぼりにしたようで胸が痛んだ。





「おかえりなさい」


 久しぶりにリメルの館に帰ったジャグマリアスとフェアニーアは、出迎えた使用人たちの中に見慣れない人物を見つけて動きを止めた。波打つ金色の髪に茶色の目、白い谷間を強調をしたようなドレスを身に纏った若い女。


「ええっと……」


「はじめまして、エレーナです」


 ジャグマリアスと言葉を探すフェアニーアに向けて、エレーナが満面の笑みで名乗る。


「マーチニ様の子を宿されている方でして……」


 ミローネの説明を受けて、ジャグマリアスとフェアニーアは驚いた。


「マーチニ殿の……?」


 確かめるように繰り返したフェアニーアの声が低く落ちた。


「そうなんです。皆さんが留守の間に、ここに住まわせてもらうことになって。これからよろしくお願いします。旅のお話も、詳しく聞かせてくださいね。私、とっても興味があるんです」


 エレーナが二人に身を寄せようとした時、ジャグマリアスが動き出した。上へ続く階段に向かうため、エレーナから遠ざかっていく。


「戻ってきたばかりですので少し部屋で休ませていただきます。旅の話はまた後日」


 颯爽と言い放ったジャグマリアスに、フェアニーア、使用人の中からミローネとサフが続いた。階段を上がっていく四人の後ろで、集まっていた使用人たちがそれぞれの持ち場に戻っていく気配がした。


「ジャグマリアス様、フェアニーア様、ルト様はどちらに?」


「用があるらしく、城に残られました」


 瑠都の姿がないことを心配していたらしいミローネに、フェアニーアが城で別れたことを教える。そうでしたか、と言ったミローネの声色はどこか沈んでいるように思えた。


 ジャグマリアスは城での瑠都の様子を思い出した。変わりはなかったかという問いに対して瑠都が見せた、いくばくかの動揺。


(なるほど、だから帰りたくなかったのか)


 子を宿しているという女。知らぬ間に増えていた住人。瑠都の態度に合点がいったと冷静に考えるジャグマリアスとは対照的に、フェアニーアは未だ事実を受け止めきれていないようだった。


 ジャグマリアスは歩きながらもちらりとサフに視線をやった。


「本当に子を宿しているのか」


「はい。こちらで用意した医者にも診ていただきましたが、間違いないと」


「マーチニ殿の子だという証拠は?」


「マーチニ様とエレーナ様が連れ立って帰った所を見た者がおります。エレーナ様のご友人なのですが」


「なるほど」


 静かに答えたサフに、今度はフェアニーアが尋ねた。


「マーチニ殿からも話が聞きたいのですが、今日はいつくらいに戻られるのでしょうか」


 昼下がり、まだ仕事中だろうマーチニの帰宅時間を知ろうとしたフェアニーアに、答えが返ってくることはなかった。苦笑にも似た顔を向けながら、それが、とサフが言葉を発する。


「ここ最近お帰りが遅く、夕食も召し上がらないことが多いのです。今日も何時になるか……」


「そうですか……」


 フェアニーアは、留守にしている間に随分とここの空気は変わってしまったのだな、と思った。皆で食卓を囲んだ時間がひどく遠いものになってしまった気がしたのだ。


 エレーナという女が本当にマーチニが愛した人ならば、二人が結婚しようとフェアニーアに文句はない。リメルフィリゼアにそういう権利が存在しているのは事実なのだから。


 それは本来祝福されるべきはずのものであるのに、なぜこんなにも違和感ばかりが生じるのか。


 あの時、瑠都を一人にするべきではなかったのかもしれない。脳裏に残った置いてきぼりのリメルの姿。その姿ばかりが、繰り返し蘇っては後悔の念を抱かせた。





 魔法研究所第一級魔法員のトムは、いつもより帰宅が遅くなったことに深い溜め息を吐きながら、レスチナールの街中を歩いていた。


 それもこれも、後輩であるエルスツナの魔法の宿の研究に付き合っていたからだ。何もエルスツナは付き合ってくれ、など一言も口にしていないのだが。


 トム自身、魔法が好きで魔法研究所に入ったのだ。研究に没頭するエルスツナの熱に影響されて、ついこんな遅い時間まで一緒になって、ああでもないこうでもないと議論を重ねてしまった。


 ちなみにエルスツナはまだ研究所に残っている。あの様子ではしばらく家には帰らないだろうなと思いながら、トムは大きなあくびをした。


「ん? あれは……」


 眠たい目を擦りながら重たい足取りで歩くトムは、前方に見慣れた男の姿を見付けた。闇に紛れてしまいそうな紺色の軍服に、緑色の髪。


「おーい、マーチニ」


 トムの呼び掛けに男、マーチニは路地裏に消えていこうとしていた足を止めた。


「よう」


 挨拶の代わりに片手を上げて近付いていくトム。


「ああ、トム。今帰り? 随分遅いね」


「そうなんだよ。明日も仕事だってのに参ったぜ、ほんと」


 マーチニはいつもと同じ、トムのよく知る人当たりのいい笑顔を浮かべていた。


「お前もそんな格好で、まだ仕事中か」


「んーまあそんなとこかな」


 曖昧な返事をしたマーチニに、トムはなんだよそれと笑いながらも、呆れた視線を寄越した。


「あ、そうだお前、子どもができたんだってな! ルーガ様に聞いたんだよ。女と出会った時にお前と俺が一緒に飲んでたって知ってたみたいで、女の言ってることは本当かってさ」


 ルーガに聞いた時はそれなりに衝撃を受けたのだが、今日の忙しさもあってすっかり頭から抜け落ちていた。


「まあ酔ってたから覚えてないって正直に言ったけどさ。途中女が加わったところまではちゃんと覚えてるんだけどな」


「あの日は俺より先に酔い潰れてたからね」


 トムの飲みっぷりを思い出しながら、マーチニが肩をすくめた。トムは感慨深そうにぽつりとこぼした。


「それにしたって、お前が父親になるなんてな」


 トムはマーチニが、そうなんだよと言って笑うかと思っていた。リメルフィリゼアになった時と同じように、へらりとした顔で受け止めるのだと。


 しかしその予想に反して、マーチニは何も言わなかった。どこか遠くを見つめような眼差しのまま口を閉ざしたマーチニの反応に、トムは驚いた。


 それは、確かに躊躇いの眼差しだったのだ。素直に喜んでいるわけでも、へらりと笑って受け流すわけでもない。その理由は、容易に思い描けた。


「……なんだよお前、ちゃんとリメル様のこと……」


 その先は口にできなかった。しなくても、きっとマーチニには伝わっているだろうと思った。


 それに、とトムは考えた。マーチニの性格はよく知っているが、例え一夜のこととはいえ自分の子を宿した女なら大切にするはずなのだ。決して非情な男ではない。


「なあマーチニ、何か隠してるだろ」


 素直に喜ぶことができない理由が、リメルに対する気持ち以外にも何かある。


「詳しく教えろ」


 言い放つトム。まったく、リメルフィリゼアたちのせいで今夜は眠れそうにない。


「何年、友達ダチやってきたと思ってんだよ。俺を頼れ」


 それでも勝手に動く口が、自分でも少しおかしかった。

 

 

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