第20話 想いの行方
「花贈りの夜を明日に控えているというのに、三人ものリメルフィリゼアを送り出すことになるとは……私が選出したばかりに申し訳ありません」
「いえ……」
ある晴れた日、瑠都はジーベルグ城の中を、魔法研究所総長のルーガと並んで歩いていた。つい先程、二人はスティリオや城の者たちと共に、魔法探しの旅へと出掛けた一団を見送ってきたのだ。
馬に乗って出発した一団の中には、ジャグマリアスとフェアニーア、エルスツナの三人のリメルフィリゼアが含まれていた。
「行って参ります」
馬に乗る前、見送る瑠都の目の前にやってきたジャグマリアスはいつもと同じようにたおやかな笑みを浮かべて、短くそう言った。今回の魔法探しでは、シマの洞窟という未だ謎の多い場所に行くというのに、ジャグマリアスからは緊張や不安といったものは一切感じられない。確かな自信と余裕すら漂っている。
その横で、対照的にフェアニーアは多くの言葉を瑠都に残していった。残ったリメルフィリゼアたちからしっかり魔力をもらうように、遠慮して体調を崩すことなどないように、出掛ける際には必ず誰かを共にするように。
心配して次々とかけられる優しい言葉に、瑠都は笑みを浮かべながら、フェアニーアさんたちもどうか無事に帰ってきてください、と祈りに似た言葉を返した。
少し離れた所でそんな幼なじみを眺めていたエルスツナは、相変わらずの無表情で、一切口を開くことはなかった。
そんな三人を含んだ一団が、隠れた魔法を探すため西へ旅立った。二百年ぶりにリメルが訪れてから初めての魔法探しの旅。多くの期待を背負った三人の背中を、瑠都は見えなくなるまで見送った。
「今回の魔法探しでは多くの成果を上げられるのではないかと期待しておるのです」
「私も、どんな魔法が見つかるのか楽しみです。魔法の宿とかも、まだ見たことがないので」
リメルと、魔法研究所総長のルーガ。高い地位にある二人と擦れ違った城の使用人が、皆頭を下げるものだから、瑠都の視線が段々と下へ向かっていく。そんな瑠都の気を紛らわせようと、ルーガはまたすぐに話しかける。
「エルスツナは失礼なことを言ったりしていませんか。
「いえ、そんな、よくしてもらってます」
反射的に答えてしまった瑠都だったが、実際のところ、瑠都とエルスツナの関係は決して良好とは言えないだろう。しかしエルスツナに目を掛けているらしいルーガの前で、それを口にできるはずもない。
またルーガも、エルスツナの性格をよく分かっているがゆえ、おおよそのことは予想できていた。それでも天によって結び付けられた若い二人が、その絆に意味を感じ取ってくれればいいと心の底から願っていた。
「……エルスツナさんって、すごく優秀な人なんですよね」
ふとそう尋ねた瑠都に、ルーガは穏やかな笑みを見せた。
「ええ。学生の頃からとても優秀な子でして。魔法研究所で働きたがっているらしいという噂が、随分早くから私の元へも届いていたのですよ。実際に働き出して、魔法員としての素質は予想を遙かに上回っていました。深い見識と知識、何よりも魔法を愛するその心意気」
当初のことを思い出したのか、ルーガは懐かしそうに目尻を下げた。
「いつか必ずすべての魔法を見つけ出す、そんな強い意思を今でも持ち続けている。何事にも無関心なあの子が唯一心を向けるもの。同じく魔法を愛する者として、これほどまでに頼もしく、将来が楽しみな存在もそう滅多におりますまい」
「ルーガさんも、魔法が好きで魔法員になったんですか」
エルスツナと、同じく魔法員に憧れているメイスのことを思い描きながら、瑠都がその疑問を口にする。
「もちろん。幼い頃からずっと、魔法は私のすべてでした。それはもう、兄に、お前は魔法と結婚するつもりなのかと呆れられるほど」
「そうなんですね」
肩をすくめて幼い頃の思い出を語るルーガに、瑠都もくすりと笑う。
「ああ、その兄にはルト様も会ったことがあるのですよ。兄は大聖堂の司教を務めているのです」
「司教……?」
ルーガの言葉を反復した瑠都は目を丸くするが、すぐに合点が行って、納得したように大きく頷いた。
「そういえばルーガさんに似ているなって思ってたんです。なるほど、兄弟だったんですね……」
ルーガは魔法研究所の総長、その兄は大聖堂の司教。兄弟二人してジーベルグにおける重要な役割を担っていることに、瑠都は一種の感動すら覚える。
(すごい人たちなんだなあ……)
二人で話していれば、あっという間に城の入口へと辿り着いた。
「ルト様はこのあとどうされるのですか」
「少し、植物園を覗いて行こうかと」
「そうですか。では、私は研究所へ戻りますのでこれにて」
「はい、ありがとうございます」
「明日は素敵な夜にしてくださいませ」
ここまで付き合ってくれたことに礼を述べた瑠都に頭を下げたルーガは、一言残してから城の外へと出ていった。このまま城門まで真っ直ぐ歩いていき、徒歩で魔法研究所へ戻るのだろう。
明日の夜。その言葉を頭の中で繰り返してから、瑠都も外へと踏み出し、すぐ近くにある植物園へ向かった。
明日は、ジーベルグで大切にされている一年に一度の行事、花贈りの夜なのだ。
花贈りの夜とは、満ちた月の下で男性が妻や恋人に花を渡し、口付けを交わすという行事のこと。そうすると二人の絆が強くなり、毎年続けていけば絆は年々強くなると言い伝えられていた。
そんな夜に六人の内三人もの夫が魔法探しのため不在になってしまうから、ルーガは瑠都に謝ったのだ。
この間マリーが舘に泊まった時に教えられて、瑠都は初めてこの行事のことを知った。
これをきっかけに口付けを交わしてみてはどうかと提案されたのだが、丁寧に却下しておいた。そんなことはできない、花を贈ってもらえるような立場ではない、もらえなくても気にしない、とマリーに伝えた言葉の通り、瑠都にとってはそれほど重要な位置付けにあるものではなかった。
ああそうか、明日が花贈りの夜か、町はどんなふうに色付くんだろう。どこか他人事のように、そんなことを考えていた。
ぼんやりと思考を巡らせながら歩いていた瑠都は、突如目の前に現れた壁にぶつかりそうになって、思わず声を上げた。
「わっ」
ぶつかることを避けるために急激に足を止めた瑠都の体がふらりと傾く。それを目の前の壁が力強く支えた。
「す、すみません……あ、ガレさん」
謝ってから顔を上げた瑠都は、目の前に現れた壁の正体がよく知ったガレだと気付いてその名を呼んだ。
「大丈夫ですか」
はい、という瑠都の返事を聞いて、ガレはそっと体を離した。
瑠都が出掛ける際などに、よく護衛として身を守ってくれているガレ。大柄で無口ながら、実は穏やかな性格をしているガレは、瑠都にとって安心できる存在の一人だった。
「どこか出掛けるんですか」
瑠都の護衛をしていない時は、城などで他の仕事をしているガレ。偶然会った主であるリメルが出掛けるならば共しようと思いそう尋ねたが、瑠都は首を横に振った。
「植物園に寄ったらすぐ舘に帰るつもりです」
「そうですか」
そのまま瑠都が立ち去るものだと思っていたガレは、瑠都がじっと自分を見つめていることに気が付いて、不思議そうに見つめ返す。
「何か」
「あ、いえ……」
言葉を濁した瑠都だったが、すぐにガレに向き直る。
「ガレさんは明日の夜、花贈りの夜に、誰かに花を送るんですか」
誰がどうやって明日の夜を過ごすのか気になっていた瑠都は、その質問を直球でガレに投げた。ガレは特に面食らった様子もなく、いつもと同じような声色のままで答えを述べる。
「妻に」
「えっ!」
淡々と述べたガレに、瑠都が驚く。紺色の軍服に身を包んだ目の前の男は、今いったいなんと口にした。
「妻……?」
「妻です」
「ガレさん、結婚してたんですね……」
「はい。学生結婚です」
ガレは驚きのあまり口元を手で覆った瑠都に、次々と自分の情報を教えていく。それに更に驚く瑠都の様子が少しだけ面白かったのは、ガレだけの秘密だ。
「今度、写真でも見せてくださいね」
「持ってます」
さらりと胸のポケットから妻が写った写真を取り出し、瑠都に渡す。それを受け取りながら、瑠都はガレの意外な一面を知ったことを喜んだ。写真には美しい女性が笑顔で写っている。
たった一枚の写真からも伝わってくる幸せな空気を感じながら、瑠都はしばらくの間ガレとの会話に花を咲かせた。
城のすぐ側にある植物園は、ガラスでできたドーム型の建物だ。何か作業しているのか、中からは微かな音が聞こえてくる。
瑠都がゆっくり扉を開けば、年期の入った音が鳴る。目線だけで中の様子を窺ってから、足を踏み入れて音がする方向へと歩いていく。
植物園には、甘い匂いが漂っている。真ん中あたりまで進むと、屋根のない所へ辿り着いた。ガラスの天井に空いた丸い円から、太陽の光が降り注いでいる。穏やかな風をその身に受けながら、瑠都はすぐ近くから聞こえる音の正体を探った。
瑠都に背を向けて、花に水をやる後ろ姿が見えた。マリーに連れられ、あるいは城に滞在していた頃一人で、何度かここを訪れたことがあるため、瑠都にはその後ろ姿に見覚えがあった。
「タツさん」
小さく声をかければ、タツと呼ばれたその庭師は驚いた顔をして振り返った。瑠都の姿を認めると笑みを浮かべながら立ち上がる。その顔には汗が滲んでいた。
「ルト様でしたか、お久しぶりです。今日はお一人のようで」
「はい。ジャグマリアスさんたちが魔法探しの旅に出発したので、そのお見送りに」
無精髭を生やした渋い顔からは想像できないが、タツは何より草花や緑を愛している。そのせいもあって、城に仕える者でありながら、庭以外のことにはあまり興味がないらしい。片手にじょうろを持ったまま首にかけたタオルで汗を拭き取り、今思い出したかのように瑠都に返す。
「そういえば今日でしたかね」
ミローネと同じ四十代のタツは、マリーが幼い頃からここで働いているという。マリーは彼から様々な方法を教わって、自分で花を育てている。
「ということは、明日はせっかく結婚して初めての花贈りの夜だってのに、リメルフィリゼアが全員揃わないんですね」
残念そうに顔を歪めたタツ。やはり、この国の国民にとって、花贈りの夜というのはとても深い意味を持つらしい。まさかタツにまでそのことを指摘されるとは思ってもおらず、瑠都は肯定を示す曖昧な笑みを浮かべるにとどめた。
「そうだルト様、ここだけの話があるのですが……マリー様には秘密ですよ」
「え?」
何かを思い出したのか、急に小声になったタツは徐に瑠都に近付く。興味も持った瑠都が耳を傾ければ、楽しそうな声が入ってきた。
「実は今年はもう、トトガジスト様からマリー様宛の花が届いているんですよ」
「え、そうなんですか! マリー喜びますね」
「それはもう大喜びでしょう。他国の文化であるにも関わらず、毎年毎年きちんと届けてくださるのです……偉いお方だ。今年の花は満開の状態で保存魔法がかけられておりまして、これがもう本当に見事で」
感嘆の息を漏らすタツの前で、瑠都も瞳を輝かせる。
マリーとトトガジスト、許嫁でもある二人はやはり相思相愛なのだ。毎年律儀に花を贈るのはきっと、トトガジストにだって喜ぶマリーの顔がすぐに想像できるからなのだろう。
「いいですね」
思わずそう呟いた瑠都の声を、すぐにタツが拾った。
「ルト様だって、明日は残った夫たちが花を贈ってくれますよ。楽しみですね」
「でも、私は……」
タツの言葉を否定しそうになって、瑠都は慌てて口をつぐんだ。そして場の空気を変えようと、置かれていたじょうろを持ち上げた。すでに水が入れられていたようで、手にずっしりとした重さが伝わる。
「水やり、手伝ってもいいですか」
魔法を一切使わずに、人の手にこだわって育まれてきた鮮やかな植物園。ここでは水やりだって一苦労なのだ。タツも瑠都の申し出がありがたかったらしい。
「じゃあそっち側を頼んでもいいですかね」
「はい」
少し離れた位置に移動して、それぞれ目の前の植物に水を与えていく。
「いやあでも、本当に楽しみですね。明日は色んな所で色んな花が、それぞれの想いを乗せてより一層美しく咲き誇るんですから。一年の中で、一番好きな日です」
嬉しそうなタツの声を背中で受けながら、瑠都はじょうろを傾けては淡々と水をやっていく。
「そう、ですね……」
風を受けた花がそよそよと揺れる。静かに空気を吸い込めば、甘い匂いが胸いっぱいに広がった。
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