第17話 いにしえの花物語

 

 

 遙か遠い昔、すべての魔法がまだ元気よく息をしていた時代。


 一人のリメルが、この世界へとやってきた。


 花のように美しく、聡明なそのリメルは、偉大な魔法使いでもあった。世の理のすべてを知り、すべての魔法に愛されていたリメル。姿を見た者はあまりの美しさに息を漏らし、いとも簡単に魔法を使役してしまう強大な力に魅了された。


 リメルには五人のリメルフィリゼアがいたが、その中に対立する国の二人の王がいた。祖父の代には友好な関係を築いていた二国だったが、先代の王である父の時代から折り合いがつかず、その関係は悪化の一途を辿っていた。


 対立する王。それでも花嫁であるリメルのために、争いを止めることを約束した。


 一人目の王は激情の王。剣と弓の腕に優れた王は激しい気性から民に恐れられていたが、国を統べる力を評価され、尊敬の念も集めていた。


 二人目の王は寡黙な王。魔法の才に優れた王は静かながらも心から民を想い、伝統や先祖を重んじるその姿勢に多くの民が信頼を寄せた。


 五人のリメルフィリゼアはリメルを深く愛し、リメルもまた五人のリメルフィリゼアを等しく愛した。


 五人のリメルフィリゼアはそれぞれ別の国に住んでいて、リメルを含めた六人が揃って住むことはなかったが、それでも愛を知った彼らは心穏やかに、幸せに過ごしていた。


 しかし、そんな幸せなはずの関係に、やがて影が差した。


 皆等しくリメルに愛され、リメルテーゼを得ていたが、魔法の才に優れた寡黙な王が、より強大な力を得たのだ。リメルテーゼとは魔力。元あった己の魔力と結び合ったリメルテーゼが、寡黙な王に更なる高みと魔法の恩恵を与えたのだった。


 激情の王は、それが許せなかった。


 戦えば互角と言われていたはずの男が、己より強い力を持ってしまう。怒りと恐れに震えた激情の王は、寡黙な王への憎しみを次第に募らせていった。


 力の差が開けば、どうなるのだろう。横に並んでいた二国の力関係が変わってしまう。今はリメルのために争いを止めているが、寡黙な王の国が力を持てば、遠くない未来に国を食われてしまうかもしれない。


 そして何より、愛しいリメルの心が、寡黙な王にだけ向いてしまうのではないか。


 魔法を得意とする二人。魔法に愛されるリメルと同じように、リメルテーゼを得て魔法に愛されるようになった寡黙な王。


 激情の王は、リメルと寡黙な王が共にあった時の姿を思い出した。当たり前かのように寄り添い、仲むつまじく触れ合った二人。幸せというものを体現したかのように微笑み合う二人。そのあとリメルは、他のリメルフィリゼアにも同じように微笑んでみせていたが。


 寡黙な王が力を持てば。この世界で一番強い男になったのなら。


 愛しいリメル。その笑顔を、あの男にだけ向けたいと、思う日がくるのではないか。



 リメルは五人のリメルフィリゼアを同じように愛していた。揺るぎないその想いはこれからも変わらぬ、天からの約束であったのに。

 端から見ればリメルと激情の王も、仲むつまじく寄り添う幸せそうな夫婦であったのに。


 心を曇らせた激情の王にはもう、何も見えなくなっていた。



 ある夜。リメルとリメルフィリゼア五人が一堂に会した。食事を終えた皆が過ぎる時間をゆったりと楽しんでいた時、激情の王と寡黙な王が共に姿を消した。しばらく経っても戻らない二人を心配したリメルが、二人の元へと向かった。


 地に伏して動かない寡黙な王。感情のない目で寡黙な王を見下ろす激情の王。その手に握られた剣。鈍く光る剣からは、鮮烈な赤が滴っていた。


 激情の王は、寡黙な王を殺したのだ。



 激情の王は悲しみに崩れ落ちたリメルといかる三人のリメルフィリゼアを置いて、己の国へと戻っていった。


 寡黙な王の父、老いた前王が王の座に返り咲き、激情の王を倒すべく旗を上げた。同盟を結んでいる周囲の国も加わり、巨大な連合軍となった。


 激情の王も、寡黙な王を殺したことを咎めた温和な王弟を牢へと閉じ込め、連合軍を迎え撃った。


 そして、激しい戦争が始まった。


 リメルは声を上げた。

 どうか争わないで。憎しみ合ってはいけない。憎しみは悲しみを呼び、そして心を奪っていくと。


 それでも人々は戦い続けた。同じリメルフィリゼアだった寡黙な王を殺し、リメルを裏切った激情の王を許してはならない。リメルのためだと、戦を続けた。


 兵の数では連合軍が勝っていた。けれど勝敗はすぐに決まらず、それどころか互いの力が拮抗していた。

 なぜなら、激情の王の国には、銀色の狼族が味方に付いていたからだ。


 銀色の狼族は人の姿を持ちながら、獣の姿をとることもできる、氷の魔法を得意とする一族だった。好戦的で洗練された魔法を駆使し、獣となれば鋭い爪と牙で辺りを血の色に染め上げる。そんな一族は、遠い昔から激情の王の国と同盟を結んでいたのだった。


 剣が交わる。弓が飛ぶ。魔法同士がぶつかった。そして誰かが、死んでいった。


 リメルは声を上げ続けた。

 どうか、やめて。あなたに愛する人がいるというのなら、あなたが傷付けた相手にも愛する人がいたはずでしょう。どうか、どうか、その手を止めて。可哀想な魔法たち。あの子たちに、誰かを傷付けさせないで。


 それでも人々は戦いを止めなかった。

 最早戻れるはずもない。流れる血は人々の心を黒く染めていき、人の温度を奪っていった。



 寡黙な王を殺した時から、すでに激情の王は狂っていた。沸き立つ感情を抑えきれず、戦いを望んだ末に、闇の魔法を呼び寄せてしまったのだ。


 闇の魔法とは、決して使ってはならないと言い伝えられてきた禁断の魔法。並の者なら使うことすらできない高度な魔法であり、本来なら激情の王でも魔力が足らず扱えなかったはずだった。


 ではなぜ、激情の王は闇の魔法を手にすることができたのか。


 あろうことか激情の王は、リメルテーゼを使ったのだ。

 リメルから受け取り己の身を満たしていた、愛の証であるその特別な魔力で、禁忌の魔法を呼び寄せた。


 闇の魔法は人々の心を蝕んでいった。憎しみが膨れ怒りが侵食する。耳元で囁く声がして、己の理性を奪っていった。


 戦いは更に激しさを増した。少しの容赦も躊躇いもなく奪われていく命。


 助けてくれと叫ぶ者にとどめを刺す者もあれば、家族のことなど忘れて自ら命を絶つ者もあった。銀色の若い狼が我を失い、敵味方関係なく次々と殺していった。


 叫んでも叫んでも、リメルの声はもう、誰にも届かなかった。リメルはやがて、声を上げることを止めた。そして、悲しみのままにその姿を消した。




 リメルは雪山にいた。

 すべてを終わらせるためにやってきた冷たい山で、一匹の銀色の狼と出会った。その狼は、我を失ったあの若い狼だった。


 血に濡れた若い銀狼は、その時すでに己以外の一族の者、すべての命を奪っていた。


 戦場から逃げてきた狼は、獣の姿のままでそっと口を開いた。そして血で汚れた鋭い牙を覗かせて、こう言った。



 お前のせいではないか。


 お前を愛さなければ、こんなことにはならなかったのだ。


 愛など知らなければ、求めることも失うこともなく。ひたすらに己の道を進んでいけたであろうに。


 なぜこの世界へやってきた。

 なぜ一人のものにならなかった。


 天から与えられたと言うのなら、その天を恨むがいい。


 愛などいらないのだ。

 人を狂わせるほどの愛など、心が軋むだけなのだ。

 どうしようもなく愛しく想ってしまうなど、愛を知らない男にはこくすぎたのだから。


 よく見ろ。

 この血も傷もすべて、お前のせいではないか――。




 リメルは天を恨みはしなかった。激情の王を恨むこともしなかった。


 愛しい人を殺したその男もまた、心から愛する夫の一人だった。


 リメルは悲しみの中、雪山にある湖に身を投げた。


 その死を悲しんだ魔法が、リメルに続くように次々と姿を隠していった。

 世界から、魔法が消えた。


 戦いが止んだ。突然と使えなくなった魔法に困惑して、そして、リメルの死を知った。


 激情の王の弟、温和な王弟が信頼を寄せる部下によって牢から救い出された。寡黙な王を殺し、戦争の原因となった激情の王を捕らえて、処刑した。


 その首を連合軍に差し出し、戦争は終わった。


 リメルと寡黙な王は盛大に弔われた。世界中が悲しい愛の物語に涙した。


 激情の王の国では温和な王弟が王位を継ぎ、なんとか国の存続が許された。しかしその国には、未だに一人のリメルも訪れていない。人々はそれを、天罰と呼んだ。


 寡黙な王の国は、王位に返り咲いた先王が年老いていたこと、他の継承者がいなかったことから次第に力を失い、やがて滅んだ。


 隠れていた魔法は、時を経る度、リメルがこの世界に訪れる度、その姿を現し始めている。

 だが未だに多くの魔法が使えないままで、火や雷といった攻撃力の高い魔法などは永遠に見つかることはないだろうと言われている。


 リメルの死を悲しみ、共に消えた魔法。リメルが嫌った争いに力を貸すことは、永久にないだろう。


 花のように美しく、聡明で、偉大な魔法使いであったリメル。


 雪山にある湖には、未だ多くの人が訪れる。自ら命を絶ったリメルに祈りを捧げ、せめて安らかに眠っていてほしいと、願って。





 その日瑠都は、夢を見た。


 大きな銀色の狼が、何か言いたげにじっとこちらを見つめている。


 瑠都はその狼に近付いた。そっと手を伸ばして触れてみれば、思った以上に柔らかな毛並みが肌をくすぐった。


 不思議と怖くはなかった。


 目線を合われば、狼はゆっくり口を開いた。しかし何も言葉を発することなく、また鋭い牙を隠した。


 相も変わらずじっと見つめられて、同じように見つめ返す。藍色の瞳の向こうに、凍える誰かの涙が、見えた気がした。

 

 

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