第14話 幼さとは無垢だった

 

 

 子どもたちの楽しそうな声が響き渡る。

 閑静な住宅街の中にある公園の中で元気に走り回る子どもたちの声に、通りかかった赤子連れの夫人が立ち止まった。

 いずれこの子も、あんなふうに元気に走り回るんだわ。我が子の姿を重ねながら微笑ましそうに見つめる。抱いた子の背を撫でれば、あう、と声を漏らして、母の温もりに寄り添う。


 決まった時間、授業の一環としてこの公園で遊ぶ子どもの姿は、付近の住人たちにとってもささやかな楽しみであった。




「だーるまさんがー……転んだ!」


 木陰のベンチに腰掛けて子どもたちを見守る優しい眼差し。その眼差しの持ち主に近付く人物がいた。


「レマルダ先生」


 呼ばれた自分の名に、老年の教師レマルダは顔を横に向けた。


「おや、フェアニーアくん」


 レマルダは座っていた位置から少し横にずれると、空いた場所をフェアニーアに明け渡した。礼を言いながら座ったフェアニーアはいつもの白い軍服ではなく、動きやすい私服姿だった。剣も携えていない。


「お久しぶりです。お元気でしたか」


「ありがとう、元気よ。あなたこそ随分忙しかったようだけれど、元気なの?」


「はい、お陰様で」


「そう」


 フェアニーアが第一級学校に通っていた頃から教師を勤めているレマルダ。道徳の授業も担うレマルダに連れられて、フェアニーアもよくこの公園に通ったものだ。


「そういえば、まだ言ってなかったわね。結婚おめでとう」


「ありがとうございます」


 照れたように笑ったフェアニーアに、レマルダは遠い昔を懐かしむように目を細めた。


「あんなに小さかったあなたが、もう結婚だなんて。時間というものはあっという間に過ぎてしまうものね」


「私自身も驚いています。それに……相手はリメル様ですから」


「誉れ高いことではないの。実直なあなたに相応しい宿命さだめだわ」


「そんな……」


 レマルダは今まで見てきた生徒たちのことをよく覚えている。その中でもフェアニーアは特に目を引く存在であった。今でもすぐに思い出せるあの頃の情景が、レマルダと、そしてフェアニーアの心を掠めていく。


「リメル様とはうまくやっているのかしら」


「え? まあ、おそらくは……。決して険悪ではないと思うのですが、何分なにぶん女性の扱いに慣れていないものですから」


「おやまあ」


 困ったように眉を下げたフェアニーアに、レマルダは口元を手で隠しながら笑みをこぼす。


「……ジャグマリアスくんは、どうなのかしら」


 穏やかな風が吹いて、賑やかな子どもたちの声を運んでくる。


 ふいに尋ねたレマルダにフェアニーアは目を伏せた。


「もちろん、うまくやっておられますよ。リメルフィリゼアとして、決して恥じない行いをされています」


「そう」


 リメルフィリゼアとして。その言葉を発した時少しだけ沈んだ声に気付きながらも、レマルダが問いただすことはなかった。


「いつまで経っても、ジャグマリアス様からは学ぶことがたくさんあります。追いつけることはないでしょうが、いつになったらお側にあれるだけの己になることができるのかと」


「あの子は昔から人とは違うところがあったからねえ。けれど……」


 レマルダはフェアニーアの姿をまじまじと見つめる。


「ジャグマリアスくんと、いつもあの子のあとを付いて回っていたあなたが、同じ伴侶を得ることになるなんて……。不思議なこともあるものね。どこで何がどうなるのか、人生とは分からなくも面白く、驚きに満ちたものだわ」


 優しい眼差しはフェアニーアと、そしてここにはいないジャグマリアスに向けられている。


 名門トーセ家を受け継ぎ、若くして大国ジーベルグの王国軍第二部隊隊長の座まで登り詰めた希代の美丈夫。新たにリメルフィリゼアという名誉を手に入れて、その勢いは止まることを知らない。


「私は嬉しいの」


 呟くように落とした声に、フェアニーアが顔を上げる。


「あなたたちがそれぞれ結婚したこともそうだけれど、二人が家族になったということが、何より嬉しい」


「家族……私と、ジャグマリアス様が……」


「あなたにとってジャグマリアスくんが憧れであったのと同時に、ジャグマリアスくんにとってもあなたは大きな支えだったはず。あの頃芽生えた二人の縁が、まことの絆となったのね」


 かつての恩師に慈しみの心を向けられて、フェアニーアはなんとも言えない気持ちになった。


「……感慨深いものだわ」


 懐かしんだ昔は決して強い光が差し込むようなものではなかったが、それでもレマルダにとっては愛しい教え子に変わりない。二人を更に結びつけたリメルという存在に、レマルダもまた感謝の念を抱いた一人だった。



 それからはしばらく、遊ぶ子どもたちをベンチに座ったままで見守る。時折近況などを報告し合うが、目線は子どもたちに向けられていた。


 子どもたちはそれぞれ自由に遊び回っているが、その内の何人かは奇妙な動きを見せていた。


 一人の子どもが大きな木の幹に腕と顔を付けて大声で何かを叫ぶ。その間に後方にいる子どもたちが一斉に駆け出し、声の持ち主が言い終わって振り返るのと同時に動きを止める。


「動いたー! ほらこっち!」


「ああもう! あと少しだったのに!」


 見たことのない動きに、フェアニーアは首を傾げる。


「レマルダ先生。あの遊びはなんです? だるまさん? が転んだとは、いったい」


 人の名前なのだろうか。不思議そうに尋ねるフェアニーア。


「ああ、あの遊びはとある令嬢に教えてもらったものでね。子どもたちの間で流行っているのよ」


「珍しい遊びですね。見たことがない……。とある令嬢とは?」


「それが、どこのお嬢様なのかは分からないのだけれど、最近時折ここにきて子どもたちと遊んでくれるの。子どもたちもいつも楽しみにしていて……」


「あー! フェア先生だあ!」


 遊びに夢中だった子どもたちが、ようやくレマルダの隣に座るフェアニーアの存在に気付いたらしい。


 わらわらと寄ってくる子どもたちを、フェアニーアは笑顔で迎える。


「久しぶり」


「ほんとよう。全然来てくれないんだもん」


「ごめんね」


「フェア先生はあれだよ、なんとかになったから忙しいんだよ。そんなのも分かんねーのか」


「リメルフィリゼアでしょ。あんたこそそんなことも分からないのー?」


 時折訪れるフェアニーアの存在を、子どもたちはよく知っていた。新しい遊びを教えてくれた人物と同様、その訪れを楽しみにされている。


「なんの本を持ってるの?」


 一人の女の子が、フェアニーアが持っていた一冊の本に興味を示した。


「この世界の魔法について書かれた本だよ。図書館で借りてきたんだ」


「魔法? 魔法を勉強してるの?」


「リメル様が魔法について知りたいとおっしゃってたんだ。今度お話しすることになったので、私ももう一度勉強しておこうかと」


「へー」


 フェアニーアは柔らかな顔付きで本の表紙を撫でる。


「それでわざわざ図書館まで? 随分と優しいのね……仲良くやっている何よりの証拠だわ」


「い、いえ、きちんとお伝えしなければと思っただけで。館にある書庫にはあまり詳しい記述がなされた本がなかったものですから」


 レマルダに言われて、照れたように頬をかくフェアニーア。


「ところで、みんな、新しい遊びを教えてもらったんだね」


 慌てて話題を変えたフェアニーア。レマルダはおかしそうに笑っていたが、子どもたちの意識はうまく逸れたようだ。


「そうなの。フェア先生、ルル先生って知ってる?」


「いや」


「最近ここに来てくれる人なの。とっても可愛らしい人なのよ。おどおどしている感じが小動物みたいで」


 なぜか子どもたちに庇護対象として見られているらしい、おそらく妙齢の女性であろうルル先生という人物の姿を思い描きながら、フェアニーアは子どもたちの話に黙って耳を傾ける。


「優しい人だよ」


「よく笑うの」


「明るいし」


「ちょっと変わってるけどな!」


 子どもたちから次々に飛び出してくるルルの特徴。それは当たり障りなく、これといった驚きもない情報だったが、フェアニーアはその女性に少しだけ興味を持った。


「ねえねえ、フェア先生。今日リメル様は?」


「え? ああ、リメル様は……確かマリー様と共に占い師に会うとか」


「マリー様?」


 フェアニーアから聞き出した女の子が驚いたように声を上げれば、何人かの女の子がその子の周りに集まってこっそりと話し始める。


「ちょっと。マリー様とリメル様は恋敵だったはずでしょ? どうして仲がいいのかしら」


「マリー様がジャグマリアス様を諦めたんじゃないの?」


「えー! ルミ、あの二人はお似合いだと思ってたのにぃ」


「でもマリー様はこんなことでは諦めないよ。だってマリー様は強くて綺麗なお姫様だもん」


 大人たちに聞こえないように話しているつもりだろうが、その内容はレマルダやフェアニーア、他の子どもたちにもばっちり聞こえている。


「こら」


 苦笑しながら声を掛けたフェアニーアに、噂していた子どもたちが一斉に顔を向ける。


「何度も言ってるけど、マリー様とジャグマリアス様の間には何もないよ。リメル様と恋敵でもないし、お二人はとても仲がいいんだ」


 つまらなさそうに頬を膨らませる噂好きの女の子たちに次々と質問を繰り広げられて、フェアニーアはその好奇心に圧倒される。


 一国の姫と異世界から訪れた花嫁。どちらも子どもたちにとっては憧れの的なのだろう。


(今頃は、占いに一喜一憂しているのだろうか)


 城にいる二人の高貴な存在を思い浮かべながら、フェアニーアは丁寧に子どもたちの質問に答えていった。

 

 

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