第12話 果てのない夢の白さ

 

 

「……ルト様?」


 呼ばれた自身の名前に、瑠都は窓の外に向けていた顔をそちらに向けた。目の前に座るフェアニーアが、ぼうと外を眺めていた瑠都を心配して声をかけたのだ。


「体調が優れませんか。やはり、先程の光の影響で……」


「い、いえ、大丈夫です。……すみません、少しぼうっとしてただけなんです」


 そうですか、何かあればすぐにおっしゃってくださいね。そう言って、フェアニーアは柔らかく微笑んだ。



 瑠都たちは今、ジーベルグ城に戻るため馬車の中にいる。揺れもなく進む馬車の中には瑠都とリメルフィリゼア六人が乗っている。

 外観は精々四人が乗れそうな大きさであったのに、七人が実際に乗っている今は狭さをまったく感じさせない。外観と中身が比例しないこの馬車にも、魔法が使用されている。


 馬車を含めた行列が、レスチナールの町を進んでいく。沿道にはリメルの訪れを歓迎し、婚礼を祝福する国民がずらりと並んでいた。


 外からは中が見えないようになっているという窓側から順に、瑠都、メイス、エルスツナ、向かい側の席には、フェアニーア、ジャグマリアス、マーチニ、ジュカヒットが並んでいる。


「それにしても、あれには驚いたね」


 緑色の髪を撫でつけるようにして整えたマーチニが、軽い調子で口を開いた。


「光自体も強烈だったけど、ルト様はその中で『人のようなもの』を見たんでしょ。幽霊か精霊か、もしかして神様とか。どれだと思います?」


 たいして深刻な気配もなく瑠都に尋ねる。幽霊という言葉に体を揺らしたメイスの隣で、瑠都は思案するように目を伏せた。


「人ではないのは確かなんですけど……分かりません。ただ、怖いとか、そういったことは思わなくって」


「なるほどね」


 瑠都の答えにマーチニは腕組みをする。強烈な光の中で瑠都が見た謎の人らしきもの。それは瑠都以外、他の誰にも見えていないという。


「リメルの結婚式にはいつも現れるんですかねー」


「それはない」


 マーチニの言葉が終わりきらない内に答えたのは、意外にもエルスツナだった。我関せずといったように外を見ていたエルスツナの突然の声に、少なからず瑠都も他のリメルフィリゼアも驚いた。


「今までの記録にも、そのような現象が起こったという記述はない。第一光も手の内に治まるような規模のものだったはずだ」


 冷静な声色だったが、表情にはわずかに不満が滲み出ている。鋭い青色の目で射抜かれて、ベールを上げたままの瑠都は身を固くした。


「それだけではない。今回のリメルは前例と違うことが多すぎる。前のリメルと同じ国に訪れたのも、訪れと共にリメルフィリゼアが決まらなかったのも、リメル自身にこれといった特徴がないこともだ。なぜ、」


 責められている気がして小さくなる瑠都を、エルスツナは相変わらず鋭い眼光で貫いている。瑠都とエルスツナの間にいるメイスもおろおろと所在なさげに左右を見比べていた。


 そんな瑠都を守るようにエルスツナの意識を逸らしたのは、瑠都の目の前に座っているフェアニーアだった。


「エル、誰にも分からないことなんだ。今そんなふうに言ったって仕方がないだろ」


 溜息を吐きながらエルスツナをたしなめたフェアニーアは、気遣うように瑠都の顔を覗き込んだ。


「すみません。エルスツナはただ自分の知らないことがあるのが嫌で拗ねてるだけなんです。特にリメルやリメルテーゼ、魔法に関しては。気を悪くしないでください」


 苦笑してエルスツナの代わりに謝ったフェアニーアに、瑠都は気にしていないと伝えるように首を何度か縦に振って応えた。

 フェアニーアの横で様子を見守っていたジャグマリアスが、久しく口を開く。


「いずれにしろ……式が終わって落ち着いた頃に、ルーガ様をお呼びして事の顛末を説明する機会もあるかと」


「その時には俺も同席する」


 ジャグマリアスが瑠都に向かって言った言葉を浚ったエルスツナは、それきりまた外に視線を向けて、口を開くことはなかった。


 馬車の中はまた静寂に包まれる。馬車は相変わらず、本当に進んでいるのかと疑いたくなるほどなんの衝撃もなく進む。だが窓の外の景色は確かに変化していっている。


 笑顔で馬車に手を振っている国民の歓声がそれぞれの耳に届く。その歓声につられて視線をやった瑠都の隣から、すっと手が伸びてくる。瑠都の顔の前までやってきた手は窓の外を指差していた。

 きょとんとした瑠都はその手を辿り、持ち主のメイスを見た。


「ルト、ほら見て!」


「え?」


 メイスは目を輝かせて瑠都を促す。瑠都はメイスの視線の先を追った。

 メイスの行動に、フェアニーアもつられて外を見、ジャグマリアスやマーチニ、そして馬車に乗ってから一言も発していないジュカヒットの三人の視線は、ルトの名をためらわずに呼んだメイスに向かう。


 歓声を上げる国民に混じって、数人の若者が大きな布を広げていた。そこには『結婚おめでとう メイス』と書かれていた。


「友達なんだ。うわあ、すごい目立ってる」


 若者たちは皆、一様に笑顔で手を振ったり、飛び跳ねたりして馬車にアピールしている。馬車はそんな若者たちの前まで辿り着き、やがて通り過ぎていく。

 恥ずかしそうにしながらも、メイスは嬉しそうに頬をかいた。瑠都もメイスと一緒に窓に近付き、遠ざかっていくメイスの友人たちを視界に収める。


「来てくれてたんだ」


 感慨深そうに小さく呟いたメイスの横顔に、瑠都も思わず笑顔になる。友人たちが見えなくなってもしばらく外を眺めていた。元の姿勢に戻ったメイスの気持ちを代弁するように、瑠都が声を掛けた。


「嬉しいね」


「うん……」


 メイスは瑠都に顔を向けた。


「みんな、すごく喜んでくれたんだ。僕がリメルフィリゼアになったこと。リメル様はどんな人だとか、これからどうなるんだとか、質問も多くて大変だったけど。ああでも、悪い奴らじゃないんだよ」


 慌てて言ったメイスに、瑠都から小さな笑い声が漏れる。そんな瑠都に安心したのか、メイスの表情も柔らかくなった。


「だからさ、そんなみんなにいつか、ルトのこと紹介できたらいいなあなんて思ったんだ」


「え……私?」


「うん。だ、だめかなやっぱり」


 頬を染めて視線を逸らしたメイスに一瞬の間を空けて、瑠都は答えた。


「……だめじゃないよ。楽しみにしてるね」


 笑い合った瑠都とメイス。同い年の二人の間に流れる温かな空気が、静かな馬車の中に満ちていた。





 やがて馬車はジーベルグ城に辿り着いた。目の前のフェアニーアに再びベールを下ろしてもらい、一番最後に馬車から降りようとする瑠都の前に、待っていたジュカヒットが手を差し出した。


「あ、ありがとうございます」


 差し出された瑠都はおずおずと握ったその手に支えられながら地上へ降り立つ。何も答えなかったジュカヒットの艶やかな髪が風に揺れて、瑠都は思わずそれに見惚れる。しかしすぐにかち合った視線にかける言葉もなく、そっと手を離した。



 瑠都とリメルフィリゼアが降り立ったのはすでに城の門の中。すぐ近くには、スティリオをはじめとする正装した王族がずらりと並んでいた。一番前にいるスティリオは満面の笑みを浮かべている。


 そんなスティリオの口上を受けていた瑠都は、一歩下がったところにいるマリーを見つけた。一段と着飾っていて華やかなマリーは瑠都と目が合うと、猫のような大きな目を細めて小さく手を振った。


 手を振り返すことはできなかったので、瑠都はそっと笑みをこぼした。


(今日のドレスも似合ってる、綺麗だったよって、あとで言ってあげよう)


 瑠都はベールの中で、式が終わればきっと駆けつけてくるであろう姫のことを想った。




 式の終わりは確実に近付いている。

 城の中のバルコニーに繋がる扉の前に、一行は移動していた。城下に集まった国民も見渡せるバルコニーでは今、スティリオがリメルを与えてくれた天や神に感謝と祈りを捧げている。

 その儀式を見守る国民の、大きな歓声が扉の内側まで聞こえてきていた。


「す、すごい歓声ですね。大丈夫かな、僕」


「大丈夫ですよ、国民に手を振ればいいだけですから。その間は堂々と胸を張っていてください」


 不安そうなメイスに、フェアニーアが助言する。それが難しいんですよ、と肩を落としたメイスに、瑠都はまったくだと心の中で同意を示した。


(緊張しないのかな、みんな……)


 大聖堂での式でも思ったことだ。瑠都はリメルフィリゼアたちを順に見た。メイス以外の五人はさして顔色を変えず、出番を待っている。


「でもやっと終わるね。準備から考えると、長かったよ」


 マーチニが軽く伸びをしながらそう言った。


「マーチニ殿はまだ明日か明後日には引っ越しもありますから、気を抜くのは早いですよ」


「あー、今はそれを言わないでくださいよジャグマリアスさん」


 苦笑したマーチニは思い出したとばかりに溜息を吐いた。そんなやりとりを黙って見ていた瑠都に、メイスがそっと近付いた。


「ルトは大丈夫? 緊張してない?」


「緊張してるよ……メイスと一緒」


「やっぱり……?」


「でも本当にあと少しだから、がんばろうね」


 白い花のブーケを持っている瑠都が、首を傾けてメイスを励ました。一緒に自分も励ますように、安心させるように。


「馬車の中でも思ったんだけど」


 身を寄せ合っていた二人に、唐突にマーチニが切り出した。


「ルト様とメイスくんは随分仲がいいんですね」


 瑠都とメイスは顔を見合わせてから、ほとんど同時に頷いた。


「まあ『夫婦』になったわけだから、いいことだと思うけどね」


 ね、と横にいたエルスツナに同意を求めるマーチニ。エルスツナはふいと顔を逸らす。


「マリー様もお二人とお茶会を開けるのが嬉しいとおっしゃってましたよ。リメルフィリゼアが全員揃ったリメルの館にも早く遊びにいきたいとも……。賑やかになりますね」


 苦笑しながらフェアニーアが言う。


「マリー様なら本当に頻繁に来そうだからね」


 同じように苦笑したマーチニが、ふと瑠都の顔を見た。何か言いたげに見つめてくるマーチニに瑠都が焦りを感じ始めた頃、マーチニが提案するように人差し指を立てた。


「ところでどうだろう……俺たちもメイスくんを見習って、ルト様との間にある壁を一つ壊してみないか」


 確かに瑠都のほうを見て話し始めたマーチニの言葉は、瑠都ではなく他のリメルフィリゼアに対して向けられたものだった。


「……壁?」


 問うたフェアニーアに、マーチニはそうそうと頷きながら続ける。


「とりあえず、敬称なし、敬語なしってのはどう? だって今日から俺たちとルト様は正式に夫婦でしょ。せっかくなんだから仲良くやっていこうじゃないか」


 相変わらず軽い口調で、さぞ名案かのように言ったマーチニは、今度こそ瑠都に対しての言葉を発した。


「ルト様は……どう思います?」


「私は……」


 リメルフィリゼアたちの視線が一斉に瑠都に集まる。瑠都はブーケを一度ぎゅっと握り締めてから、迷うようにして緩くかんでいた唇を開いた。


「私も、そうしてくれるほうが、嬉しいです……」


 小さな声だったが、リメルフィリゼアたちには届いていたようだ。


「じゃあそういうことで、ルトちゃん」


 早速とばかりに敬称を捨てたマーチニが、満足そうに笑う。


「しかし……」


 その半面、フェアニーアは眉をひそめた。リメルとは異世界から訪れる高貴な存在。いくらその夫になったとはいえ、敬意を形で現さないということが失礼に当たるのではと考えているのだ。


 フェアニーアももう何度も瑠都とは会話しているし、一緒に城下町を歩いたりもしている。瑠都がそのようなことを思う人間ではないと知ってはいるが、それにしてもいきなりすぎるのではと。確かめるようにジャグマリアスを見た。


 しかしジャグマリアスはフェアニーアの視線に気が付いて、思案するような素振りもなくすぐに肯定を示した。


「そのほうが皆が親しみやすいのなら、いいのではないか」


「けれど」


 フェアニーアは反論しようとするが、ジャグマリアスは信頼のおける上司で、尊敬する人物。今までもジャグマリアスが言うことには従ってきたのだ。


「……ジャグマリアス様が、そうおっしゃるなら」


 どこか躊躇いがちでありながらも、フェアニーアがマーチニの案を了承する。


「よし、」


 次にマーチニはエルスツナとジュカヒットに確認を取ろうとする。


「エルくんは……聞かなくてももう敬語も何もなしだったね。ジュカヒットさんは?」


「……異論はない」


 短く答えたジュカヒット。これではじめから礼節など気にしていないエルスツナ以外の全員が、マーチニの案に同意したことになる。

 提案したマーチニが、深い緑の目を細めて満足そうにしている。


「一応は家族になったんだ。長い付き合いになるだろうし……これはその第一歩ってことで」


 マーチニが言い終わると同時に、バルコニーへ続く扉が開いた。そこからスティリオが入ってくる。


「さあ、皆の番だ。待ちに待ったリメルの訪れ、それを喜ぶのは天も、我々も、そして国民も同じこと。声に応えてやってくれ」


 にこやかな表情を浮かべたスティリオの背後、開け放された扉の向こうから、大きな歓声が聞こえている。


 促されて、リメルフィリゼア、そして瑠都は足を踏み出した。


 太陽が燦々と輝き、柔らかくも暖かい日の光が降り注いでいる。遠くの景色に気を取られる前に、押し寄せる歓声が七人の視線を自然に下へと向けさせる。


 大勢の国民がバルコニーを見上げ、祝福の声を捧げていた。

 初めて目にするリメルと、選ばれしリメルフィリゼア。今まで本の中や伝承によってしか知り得なかった存在が、こうして国民の前に姿を現したのだ。


 生きている間に目にできるとは、と涙を流す老人もいれば、美しく着飾ったリメルの恋物語を期待して頬を染める若い女性もいる。


 この奇跡を見せようと、いかに素晴らしいことか語りながら我が子を抱く親もいれば、ただ無垢に目の前の光景に憧れを抱く幼子もいたことだろう。


 そしてこの結婚に心の中で意義を唱える者もいただろうし、何かが起こる予感に身を震わせた者も、いたはずなのだ。


 それぞれが様々な想いを抱いて、リメルと、リメルフィリゼアの姿を捉えていた。


 想像していたより遥かにすごい歓声に、驚いたように下を見渡すが、リメルフィリゼアたちは応えるように手を振る。そうすれば更に歓声が大きくなった。


 ベール越しにその光景を見た瑠都は、なぜかその歓声が少し恐ろしかった。

 いや、恐ろしかったのはその押し寄せる歓声自体ではない。その歓声が自分に向けられているということに、ひどく違和感が生じたのだ。


 瑠都は普通の学生だった。制服に身を包んで、勉強をして、友達がいて、帰る家があった。それが当たり前で、それ以上もそれ以下も、どこにもなかった。


 この世界に来たことを、なぜこんなに多くの人が歓迎しているのか。

 それは瑠都がリメルだからだ。ではなぜ、瑠都はリメルに選ばれたのか。


 終わりのない問いが自身の中に渦巻いて、瑠都はいつの間にか、立つべき位置から一歩下がってしまっていた。




 ずっと、ずっと昔から、心の底に秘めていた一つの夢がある。誰にも言わずに秘めていた、幼くて、大切な夢。



 それは、誰かを愛し、誰かに愛されること。


 いつかそんな誰かに出会って、恋をして、結婚をして、そして一つの家族になっていく。


 そんな未来がくると、きてほしいと、願っていたのだ。


 今、ずっと憧れていた純白に身を包んでいる。

 夢にまで瞬間、この純白に抱かれて、隣には愛しい人が、愛しく思ってくれる人が、立っているはずだった。


(誰も、いない)


 そっと隣に寄り添う人は誰もいない。愛してくれる人なんて、どこにもいない。



 瑠都の視界が、次第にぼけやていく。あらがうために深く息を吸おうとするが、胸の軋みが邪魔をして、うまく呼吸ができない。

 堪えきれず、黒い目から、一粒の涙が落ちた。それがきっかけとなって、冷たい雫が次々と溢れ出す。


 せめて声を出さないように、音もなく喉を鳴らす。ベールの中で耐える瑠都に気付く者は、誰もいない。


 終わってしまう。

 あれほど焦がれた夢が、叶うこともなく。もう二度と、抱くことさえ許されず、終わってしまう。


 ベール越しの純白が歪む視界に入る。清らかな白と捨てきれない夢が、切なくて、疎ましくて、それでもやはり、恋しかった。

 

 

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