第11話 光の中に見た者

 

 

 始まりを告げる荘厳なる鐘の音が、粛々と鳴り響いた。瑠都はベール越しに、開かれた扉の向こうを見た。


 まっすぐに伸びた赤いバージンロード、その先にある数段の緩い階段と祭壇。バージンロードの両隣には白い布と花で飾られた木の参列席。厳かな雰囲気を醸し出す暖かみのある光は、壁際で静かに灯るキャンドルと、ステンドグラスから入ってくる日の光によってもたらされている。


 この時初めて式場を見た瑠都は、その美しい光景に思わず見惚れた。しかしそれも一瞬のこと。

 立ち上がって入り口を見る参列者たち、祭壇がある階段の下で待つリメルフィリゼアたち、祭壇でにこやかに微笑む司教。そのすべての視線を身に受けて、瑠都はブーケをぎゅっと握り直した。


 扉を開いた二人のシスターが、礼をとった姿勢のままで瑠都の動きを待っている。行かなくちゃ、そう口の中でそっと呟いて、瑠都はゆっくりと歩き出す。


 静かに、それでいて興味に満ちた目で瑠都の歩みを見守る参列者は、リメルフィリゼアたちの家族だ。レスチナールに住む者、はるばる遠方からやってきた者。その全員が今日初めてリメルである瑠都を目にし、自分たちの家族であるリメルフィリゼアの妻として迎えるのだ。


 どんな視線を受けているのか想像もつかない。目線を落としたままゆっくり、それでも確かに歩を進める瑠都。ベール越しに見える輝いた光が、痛いくらいに眩しかった。


 階段の下に並ぶリメルフィリゼアたちの元に辿り着いた。端からメイス、マーチニ、ジュカヒット、ジャグマリアス、フェアニーア、エルスツナの順に並んでいる。


 ジュカヒットとジャグマリアスが互いから少し距離を開け、瑠都が通れるような道を作った。黒と白の二人の間を通り抜け、階段を上がっていく。柔らかな笑みを浮かべた司教が目尻の皺を深くした。ステンドグラスから差し込む日の光を背に受けながら待つ司教の姿に、瑠都はルーガに似た印象を抱いた。


「ジーベルグに訪れし我らが麗しのリメル、ルト様」


 瑠都が祭壇の前に辿り着いたことを確認してから、司教は口を開いた。その瞬間式場中の空気も、より一層張りつめたものへと変化する。


「遥か遠く異世界から訪れし貴いあなたに、感謝と祝福を申し上げます」


 胸に手を当てて一礼する司教。感謝と祝福、この世界にきてから何度も受けた言葉であるが、未だ少しの違和感を生じさせながら瑠都の心に落ちていく。


「歓迎と共に、ここに至上の祈りを我らが神へ。麗しきリメルの繁栄ある輝かしき未来と、この世界で待っていた愛のもとで、永遠なる幸福を」


 祈りのあと、司教は階段の下に並ぶリメルフィリゼア、一人一人の顔を眺めた。


「天より選ばれし六人のリメルフィリゼア。ジャグマリアス・トーセ、ジュカヒット・ナトリミトロ、フェアニーア・チゼリテット、マーチニ・ストレーゼ、エルスツナ・マーバーリー、メイス・タルガ。あなた方は、健やかなる時も病める時も、己に花を与えしリメルを敬い、慈しみ、守り、助け、その命の限り愛すことを誓いますか」


 司教の言葉を受けて、リメルフィリゼアたちはそれぞれ右手を胸に当ててこうべを垂れ、宣誓を示す。


 階段の下で一斉に誓う光景に、参列者たちが自分の家族へと様々な視線を送る。誇らしげに胸を張る者、究極の名誉をいきなり手に入れたことを心配し眉を下げる者、ただ伴侶を得たということに素直に感動し涙を流す者。


 頭を上げたリメルフィリゼアたちを確認して、司教は続ける。


「六人を代表しジャグマリアス・トーセ、前へ」


 眩い金を揺らめかせて、ジャグマリアスがゆっくりと階段を上がっていく。光を浴びてより一層輝く男は、瑠都の隣に並ぶ。そして二人は互いへと向き直った。


 薄いベール越しにおずおずと見上げる瑠都に、ジャグマリアスはたおやかな笑みを浮かべて応えてみせた。そうして薄いベールを上げると、今度は参列者たちから一様に感嘆の息が漏れた。

 姿を現したリメルと、他国にも名を轟かせている若き軍のエリート。光を浴びながら祭壇の前で見つめ合う二人は華やかな煌めきを放ち、さながらリメルとリメルフィリゼアの恋を唄った物語の一場面を再現しているかのようだった。


「ルト様、ブーケを」


 小さな声でジャグマリアスに促されて、瑠都は持っていたブーケをジャグマリアスへと手渡した。少しだけ触れた手にどきりとして息を飲んだ瑠都だったが、ジャグマリアスは相変わらず整った笑みを浮かべたままブーケを受け取る。


 受け取ったブーケをブーケスタンドに置いたジャグマリアスは役目を終え、上がってきた時と同じゆっくりとした速度でリメルフィリゼアたちの列へと戻っていく。祭壇の前に立つのはまた瑠都一人だけになった。祭壇へ向き直る。


「ルト様、リメルであるあなたは、健やかなる時も病める時も、己が花を与えしリメルフィリゼアを敬い、慈しみ、守り、助け、その命の限り愛すことを誓いますか」


「……はい」


 瑠都が言葉にして誓うと、司教と瑠都の間に小さな光が現れ、その光は次第に形を成すと白い花へと変貌を遂げる。


 段取り通り、瑠都は宙に浮く白い花に手を伸ばす。

 誓いの口付けを送れば花が先程と同じような光を放つはずだ。そうしてその光が収まった時、この大聖堂での式は終わりを迎える。


 このあとはジーベルグ城での行事が待っているが、一旦はこの粛々とした空気から逃れられる。安堵から気が抜けそうになるのをぐっと堪え、瑠都は白い花弁へと唇を近付けた。


 リメルフィリゼアたちの胸元を飾り、ブーケにも使われている白い花。甘美な匂いを吸い込んこんでから目を閉じ、唇を触れさせる。数秒おいてからそっと離した。目を開ければ、柔らかな光がきっと出迎える。


 そう信じた瑠都の手の中で、白い花は途端に強烈な光を放った。式場中を飲み込んだ光に、皆が一様に目の前に手を翳した。


「これはっ……!」


 驚きと緊迫に満ちた司教の声に、参列者たちも騒ぎ出す。


「ルト!」


 誰かが瑠都の名を呼んだ。その声が誰のものか分からないまま、瑠都の体は光に包まれた。


 視界に映っていたものはすべて眩い光の中。周りの状況を確認しようとした瑠都を引き留めるように、光の中から真っ白な手が現れた。


「や、」


 瑠都は恐れから声を漏らす。花を持ったままだった両手を、光から現れた両手が優しく包んだ。思いのほか優しく触れた感触に、瑠都は驚いて顔を上げた。

 手から先の体、顔が次第に現れる。しかし光を帯びたその体は、人の形を成しただけではっきりとした顔までは分からない。長い髪を靡かせた光がうっすらと笑みを浮かべていることが分かって、瑠都は目を見開いた。


――やっと来たのね、ああ、どれほど待ちわびたことか。


 白い花と同じ、甘さを帯びた声が瑠都の元へ届いた。



――呪縛は時として多くのリメルを苦しめたかもしれないが、私はそれでもあなたたちを深く愛している。


 この世界へようこそ。

 あるべき姿だと誇ってほしい。


 そして願わくば、道連れのあの可哀想な、優しく、美しいあの子たちを、凍える輪廻から救ってあげてほしい。


 愛しいリメル。ねえあなた、愛されるために生まれてきたのよ――




 微笑んだままの光が近付いてきて、瑠都の額に口付けた。握られたままの手から滲む熱いくらいの優しさ。くらくらと霞む視界に、瑠都の体がゆっくりと後ろに倒れていく。


 呼び覚まされた感覚に混濁していた意識が戻る。大聖堂を覆っていた光が徐々に勢いを失って白い花へと戻っていく。

 自由を取り戻した参列者たちが、体を傾けて階段から落ちていく瑠都の姿を見つけて続々と悲鳴を上げる。


「危ないっ!」


「リメル様がっ」


 光の中から戻った意識のまま、落ちていく感覚にぞわりと背筋が凍る。


(落ちる……!)


 声にならない悲鳴を上げた時、背後から伸びてきた二本の腕が落ちかけていた瑠都の体に触れた。



「……大丈夫ですか」


 右側から眩い金を携えたジャグマリアスが、左側から漆黒の闇を携えたジュカヒットが、包み込むように瑠都を支えていた。声をかけたジャグマリアスも、無言のままのジュカヒットも、落下を免れて二人の腕の中で呆然とする瑠都を見下ろす。


 安堵から力の抜けた体を、なんとか保とうとする瑠都が、助けてくれた二人に礼を述べようと口を開く。しかしそれは、背後から押し寄せた声によって留められた。


 先程瑠都が落ちそうになった時の、緊迫した悲鳴ではない。驚きに満ちた声があちらこちらから上がり、異様な雰囲気を醸し出す。


 何事かと後ろを振り返ったジャグマリアスとジュカヒットですら息を飲んだのが伝わって、瑠都もおそるおそる背後を見やる。



 はらはら、はらはら、振る。


 色鮮やかな花が、大聖堂の天井から降り注いでいた。どこからともなくやってきたその花たちは止む気配すらない。皆が上を見上げ、ただ降り続く大量の美しい花たちに見惚れ、おののき、神気を感じる者すらいた。


 呼応するようにちくりと疼く胸の印。誓いを見届けたその印が、ほのかな熱を孕んでいた。

 

 

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