第4話 覗き込む楽園

 

 

「すっごく素敵なドレスでしたねえ! 花の印と同じ桃色で! せっかくだから花が見えるように、胸元が少し開いたものにすればよかったんじゃないですか。ああでも、リメルフィリゼア様の中には、まだ学生の子もいるみたいですからね。胸元が開いてたらちょっと刺激が強すぎるかも。でもやっぱりあのデザインも素敵だったのにな。ルト様、絶対お似合いですよ。今度はあのデザインで作りましょうね。旦那様たちを悩殺しちゃうぞ作戦でいきましょうね!」


「フーニャ」


「明日楽しみですねえ。ルト様緊張してますか。私もドキドキしちゃってますよお! だってえ、結構名の知れた方たちですもの。そんな人たちがルト様の旦那さんになるなんて楽しみですね! もうほんとに、ルト様にお仕えできるなんて本当に光栄ですう。恋模様を眺めるのが楽しみ……あ、言っちゃいました!」


「フーニャ!」


 楽しそうにけらけらと笑うメイド服の女の名を、ミローネが大きな声で呼んだ。


 呼ばれた女、フーニャは、ごめんなさいと謝りながらも緩む口元を隠せていない。高い位置で一つに結んだ、毛先のくりんとした栗色の髪が、肩に合わせて揺れている。


 ミローネはたしなめるように眼光を強めているが、呆れたようなその表情の中にも、確かな愛情を読み取ることができた。それを見て、瑠都も笑みをこぼす。



 瑠都がこの世界に来て、一週間が経っていた。ルーガにリメルの説明を受け、部屋に入ってきた男二人と出会い、胸に熱を感じたあの日から、一週間。


 ミローネからフーニャを紹介され、ジーベルグの王スティリオと謁見を済ませ。身の周りの物を用意してもらい、城の中を見学したり、実際に魔法を目にして驚いたり。困惑の中で一週間はあっという間に経ってしまった。


 そしてついに明日、瑠都と、夫となる者たちとの顔合わせが行われるのだ。


 あの男たちの胸に、花が咲いた時。

 同時刻に、他にもリメルフィリゼアとして開花した者たちがいた。その者たちとの顔合わせが、明日に迫っていた。


 夫となる存在に会う。自分のことなのに、どこか他人の話のように感じた。自分の心を整理し切れないくらい、瑠都にとっては急なことだった。異世界に渡ったことも、夫ができるということも。



 三人は今、客間でお茶をしているところだった。明日のために用意したドレスが届いたあと、紅茶を進めたミローネに、フーニャも含め三人で休憩しないかと瑠都が提案したのだ。

 ミローネは、そのような失礼なことを、と辞退しかけたが、すでに乗り気のフーニャと、瑠都のまっすぐな目に見つめられて、渋々同席することを了承した。


「ごめんなさいってばあ、ミローネさん。でも、ミローネさんだって楽しみじゃないんですかー!」


「楽しみも何も……むしろ私は心配です。いくら天が決めたお相手とはいえ、本当にルト様が納得できるような方たちならばよろしいのですが」


「えー! 大丈夫ですよお! 名の知れた人たちですよ、結構」


 テーブルの上に置かれた、高そうな皿に盛られたクッキーに手を伸ばすフーニャ。


「名が知れているとか、そういうことではありません。大切なのはルト様のお気持ちです」


 心配そうに眉を下げるミローネは母のようだと、瑠都は思った。


「六人、いるんですよね。その内の二人が、この間会った人たち」


「ええ、そうでございます」


 瑠都は金色の髪をした男と、茶色の髪をした男の姿を思い出した。


(あの人たちと、結婚するってことだもんね)


「……不安です、やっぱり」


 素直に心情を吐露した瑠都に同調するように、ミローネは何度も頷いた。


「大丈夫ですよ! 何かあったらこのフーニャがすぐに助けますよルト様。ミローネさんだっているし。私たちは、何があってもルト様の味方です! あ、このクッキーおいしいですよ。色はちょっとまずそうですけど」


 途中まで、成長した我が子に感動するようにフーニャを見ていたミローネも、最後の言葉に再び呆れた視線を寄越した。


 その光景にまた笑ってしまった瑠都は、手の中にあるクマのぬいぐるみの頭をそっと撫でた。手のひらサイズのそのぬいぐるみは、町で見かけて可愛かったからと、フーニャが今日買ってきてくれたのだ。


 そのフーニャはミローネの小言を受け、謝りながらも「でも」「だって」と頬を膨らませては、その度に瑠都に助けを求める。


 母のようなミローネに叱られている、姉のようなフーニャ。温かな家族に包まれている気がした。勝手に家族に例えてしまうことを申し訳なく思いながら、瑠都はこの一時に心が安らいでいくのを感じていた。


 明日、本物の家族となる者たちと対面する。そして形成されていく家族は、はたしてこのように温かいものになるのだろうか。


 瑠都は、元いた世界の家族を思い出した。無関心な父と、神経質な母と、冷たい家と。

 また、あのような思いをするのだろうか。追い求めても叶わないと知りながら、顔色を伺って、いつか笑い合えるのではないのかと、期待して。


(怖い……)


 六人の夫を持つ自分がうまく想像できない。本当に想われることがあるのだろうかと小さく胸を焦がしては、もしそうでなかったらまた冷たい家族を得るだけなのだと怯え。この一週間、そんなことばかり考えていた。


 結婚しないという選択肢は、瑠都にはなかった。


 リメルには特別な魔力、リメルテーゼがある。そのリメルテーゼを分け与えることができるのは、リメルフィリゼアに対してのみ。そしてそれと同時に、リメルはリメルフィリゼアから普通の魔力を受け取る必要があるらしかった。


 魔法が使えるか使えないかは別にして、この世界の者は、誰でも魔力を持っている。それはこの世界に存在するには必要なものらしく、ないと栄養不足のような症状になってしまうのだ。


 リメルからリメルテーゼを受け取れるのが、リメルフィリゼアだけなのと同じように、リメルが魔力を受け取れるのも、リメルフィリゼアからだけなのだ。それも正式に婚姻を結んだ者からだけ。


 つまり、結婚しないということは、魔力不足で弱り、いずれは死んでしまうということ。結婚することに不安があるといっても、だからといってじゃあ死にます、と言えるほどの覚悟と意思は瑠都にはなかった。


「ルト様、そのクマさん気に入ってくれたんですね! 実は私も色違いで買っちゃったんです、ふふ! なーんと、ミローネさんにもあるんですよお。お揃いってやつです。後で渡しますね」


「ま、まあ」


 なぜか得意げに言い切ったフーニャに、ミローネは少しだけ表情を綻ばせた。


「はい、すごく気に入りました。お揃いなのも……嬉しいです。ありがとうございます、フーニャさん」


 微笑んだ瑠都に、ミローネが口元に手を当てて喜びが露見するのを隠している。うまく隠しきれていないが。


「あの、もう一回、動かしてもらえませんか」


 瑠都はクマのぬいぐるみを胸の前に掲げる。


「もっちろんですよ」


 瑠都のお願いに、フーニャは嬉しそうににっこりと笑った。右手を前に出すと、人差し指でゆっくりとぬいぐるみに向かって弧を描く。


 するとぬいぐるみが瑠都の手の中でもそもそと動き出し、瑠都の膝の上に降り立った。片足を上げて、踊るようにくるくると回り出す。


「すごい! 可愛い……」


 先程も見た光景に、瑠都はまた感動して瞳を輝かせる。命を持ったかのように回るクマのぬいぐるみ。フーニャが、魔法で動かしているのだ。


 この世界のすべての人間が、魔法を使えるわけではない。魔法を使うためには、構成する知識と、魔力を実体化する柔軟性が必要である。


 くるくると回っていたクマのぬいぐるみは、しばらくするとぱたっと音を立てて後ろへ倒れ、それっきり、動かなくなってしまった。瑠都はその小さなクマを両手で優しく拾い上げた。


「魔法って、すごいですね」


「私は少ししか動かせないんですけどねー。喜んでくださったなら嬉しいです! リメルフィリゼアの方たちはもっと使えるはずですから、見せてもらったりしちゃって、親交を深めてくださいね! ぜひ!」


 楽しそうに言うフーニャに、瑠都はぎこちなく笑っておいた。


「ルト様がいらしてくださったおかげで、魔法の発見も捗るでしょうし。きっとたくさんの魔法に触れることができますよ」


 フーニャに注意することを諦めたのか、言うだけムダだと思ったのか、ミローネはフーニャを一瞥することもなく、瑠都に話しかけた。


 この世界の魔法は、とある理由によってその姿を隠している。隠れている魔法を見つけ、解読し、ようやく人が使えるようになる。リメルの訪れと共に魔法は発見されやすくなるらしかったが、詳しくは知らないため、瑠都は頷くだけに留めた。



 不思議な世界に、来てしまった。


 今、元いた世界を振り返れば、立ち直れなくなってしまう気がしていた。

 家族がいた、友がいた。悲しくて、嬉しかった思い出も、すべてあの場所にあった。自分が生まれ、育った場所に、簡単に別れを告げられるほど、強い人間などいるのだろうか。


 だから瑠都が見つめるのは、今のこの現状と、少し先の未来へ対する不安と期待しかない。


 おそるおそる覗き込む。自分がどんな想いを抱くかも分からない、どんな想いを抱かれるのかも分からない、まだ見ぬ未来を。


 ふと、窓を叩く小さな音が気になって、窓越しに暗く淀んだ空を見上げた。今日は朝から雨が降っている。どんよりと晴れることのない空。がたがたと窓を揺らすのは、きっと冷たい風だろう。この世界では今、春らしいが、それを感じさせるものは、窓の外には何もなかった。


 淀んだ空は、瑠都の心境を表しているようだった。


「やみませんね」


 静かに言ったミローネに、瑠都は頷いた。


「でも明日は晴れですよルト様。よかったですねえ」


 のんびりとしたフーニャにも、同じように頷いた。


 視線は依然窓の外。明日は晴れる。その言葉に、少しだけ救われた気がした。

 

 

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