第2話 彩りは幻から現れる

 

 

 玉座を見上げる二人の男に、ジーベルグの国王スティリオは優しげな声色で問うた。


「では、今回の件も了承ということでよろしいかな」


「はい、もちろんです」


 答えたのは二人の男の内、もう一人の男よりも半歩ほど前に立っている男だった。


 眩い金色の髪に深い青色の目を持ち、白い軍服に同じ色のマントを重ね、襟足から伸びた髪をたらりと首に垂らしているその男は、甘い顔立ちをしていた。静かな微笑を浮かべて、重なる段の上にある玉座を見上げているだけだというのに、一枚の絵画のように完成された美しさを持っていた。


「うむ、では残りの人員はそちらで選んでくれ」


「はい」


 もう一度答えた金色の髪の男に続いて、半歩後ろの男が口を開いた。


「スティリオ様。魔法員は、どなたが」


「ああ、魔法員ならいつも通り人選もルーガに任せてある。もうすぐここに連れてくるはずだ。シマの洞窟は未だ謎も多い、優秀な人物を選ぶであろう」


 スティリオはシマの洞窟を思い浮かべながら顎に手を添えて答える。答えを受けた男も、納得の表情を浮かべた。


 その男も、白い軍服を着ていた。橙色の目は、さらさらとした茶色の髪とよく似合っていた。


「それにしても、少し遅いな」


 スティリオは顎から手を離すと、玉座がある段の下に控える護衛たちに顔を向けた。


「何か聞いておらぬか」


「いいえ、何も」


 すぐに否定を発したのは、緑の髪を持つ男だった。肩についてしまいそうな緑の髪を軽く後ろに流している男に、他の護衛も同意を示す。


「そうか……。すまぬな、もうしばらく待ってもらうことになりそうだ」


「いいえ、特に急ぎの用もありませんので」


 微笑を浮かべたまま答えた金色の髪の男に、スティリオは大きく頷いた。





「見ろよメイス、ジュカヒットさんたちが魔法探しから帰ってきたみたいだ」


 果物屋の前で、並ぶ果物からどれを選ぼうか悩んでいたメイスは、一緒に悩んでいたはずの友人の言葉を受けて振り返った。


 三頭の馬がそれぞれに人を乗せて、ジーベルグの城下町、レスチーナルの町中をゆっくり進んでいた。先頭を進む馬に乗るジュカヒットは、腰まである長い髪を緩やかに風に靡かせて、いつも通りの凛々しい表情で前を見据えていた。


 黒い軍服、黒いマントの上で靡く黒髪は一層艶やかに見える。きめ細かな肌は白く、傷一つ見当たらない。紅など引かれていないだろうに、結ばれた唇はほんのりと淡く色付いており、不思議な色香を漂わせていた。


「今日も綺麗だなあ、ジュカヒットさん」


「魔法、見つかったのかな」


「ほんと、男にしとくにはもったいない美しさだ」


「どんな魔法かな……ん? 男……?」


 ジュカヒットと、後ろに続いている、おそらく魔法員だろう二人を見ながら魔法について考えていたメイスは、友人の言葉に違和感を覚えて、ぎこちなく顔を横に向けた。


「男……?」


「え? そうだよ、男じゃん。え、何お前……まさか、ジュカヒットさんのこと、女だと思ってたのか……」


 ひきつる笑みを浮かべた友人に、メイスの困惑が大きくなっていく。


「え、だって……あんなに綺麗な人なのに。確かに、長身だなとは思ってたけどさ、なんていうか、こう、女性だけど、クールに冷静沈着に、軍で活躍する女傑かと」


「お前って、ほんと、抜けてるというか……」


「は、はは……」


 渇いた笑いを溢したメイスの肩に、友人は手を置いて、慰めるように数回叩いた。



 その時、ジュカヒットの後ろを進んでいた魔法員の手首が、小さな光を放った。その光に気付いたジュカヒットが振り向くと同時、光は魔法員の手から離れて、早い動きで飛んでいった。


 いきなりの出来事に馬を止めて、目線で光を追う。光は、果物屋の前にいた二人の少年のうち、黒い髪をした少年の手首にまとわりついた。


 少年も、その隣の少年も手首の光に驚いて離そうとするが、光はそのまま小さくなっていき、やがて消えた。光が消えた少年の手首には、それまでにはなかった銀色の腕輪が填められていた。


 慌てる少年二人を見据えて、ジュカヒットは馬から降りる。後ろで動揺する魔法員には見向きもせず、果物屋のほうへと足を進めた。



「メイス! どうしたんだその腕輪! 今の光って」


「僕も知らないよ! なんだろう、光が腕輪になった……」


 腕輪を必死に外そうとするメイスと友人だったが、腕輪はぴったりとくっつき、離れない。銀色の腕輪には不規則な紋様が刻まれていた。所々に埋まる青と赤の宝石が、怪しい煌めきを放つ。



 二人の前に、影が落ちた。


 同時に前を見た二人、その先にはジュカヒットが立っていた。さらりと、艶やかな長い黒髪が風に揺れる。間近でみるジュカヒットはやはり美しく、本当に男なのかと、メイスは疑いたくなった。


 しかし今はそれどころではないと、メイスはジュカヒットに対して口を開こうとした。それよりも早く、ジュカヒットが言葉を発する。


「その腕輪は今回見つけた魔法の宿だ。なぜか勝手に移動して、時によって違う人の腕に落ち着く」


「魔法の宿……」


「学生だと見受けるが、今から時間はあるか。その腕輪はしばらく離れないだろう。すまないが、城まで付いてきてくれないか」


 腕輪から目線を上げたジュカヒットが、メイスに答えを求めた。魔法の宿がどれだけ大切かを知っているメイスは、戸惑いながらも首を縦に振るしかなかった。





 謁見の間、その豪華な扉がゆっくり開いた。そこから優しげな老人と、眼鏡をかけた無表情の青年が入ってくる。金色の髪と茶色の髪の軍人が、譲るように端に退けると、そこに片膝をついた。


「スティリオ様、遅くなりまして申し訳ございません。今回同行する魔法員側のリーダーを連れて参りました。こちらのエルスツナ・マーバーリーです。他の人員も、エルスツナとすでに決めて参りましたので」


「うむ、そうか」


 スティリオは、白髪の老人ルーガから、半歩後ろで膝をつくエルスツナに目線を移した。


 ルーガとエルスツナは膝を離して立ち上がる。眼鏡をかけたエルスツナは、水色の髪を後ろで結び、それは細い尻尾のようになっていた。


 ここに来てから一度も表情を変えていないエルスツナは、スティリオの目線に気付いて顔を上げた。


「今回の魔法員リーダーはエルスツナか。シマの洞窟は厄介だが、よろしく頼んだぞ」


「はい」


 頭を下げたエルスツナの表情は、やはり変わらない。



 扉からもう一人、謁見の間の前にいたはずの護衛が、そっと中に入ってきた。扉の付近に膝をつく。


「失礼いたします。特殊部隊副隊長、ジュカヒット様一行がお帰りになられました。急ぎルーガ様にお会いしたいと……」


 言葉を切った護衛に、スティリオはルーガと顔を見合わせた。そしてすぐに許可を出す。


「構わん。入れ」


 護衛は頭を下げると立ち上がり、扉の向こうに消えた。入れ替わるように、黒い長髪の男、ジュカヒットが姿を現した。魔法員二人がそれに続いて、静かに歩を進める。


 気遣うように後ろを見たジュカヒットと魔法員二人に、謁見の間のスティリオたちは小さく首を傾げた。


「メイス」


 ジュカヒットの呼び掛けに応じて、少年が謁見の間へと足を踏み入れた。緊張した様子が見て取れるその少年、メイスは、些か挙動不審だ。


 先ほど名乗ったばかりの自身の名前を呼んだジュカヒットの奥に、ジーベルグの王スティリオの姿を見つけて、メイスはいっそのこと倒れてしまいたくなった。


 ジュカヒットたちはさらに進むと、玉座の直線上に片膝をついた。メイスも慌ててそれに倣う。


「ただいま戻りました」


「ご苦労だったな。して、その少年は……」


 謁見の間にいる者すべての視線がメイスに集まる。


「実は、今回の魔法探しで、無事魔法の宿を発見することはできたのですが……その魔法の宿は、意思を持ったかのように動くのです。今はこの少年、メイス・タルガの腕に」


「なんと。急ぎの用とはそのことか。未だそのように、元気な魔法があったのだな。ルーガ、見てやってくれ」


「かしこまりました」


 ルーガはスティリオに一礼して、膝をついたままのメイスに近付いた。


「メイスといったな。立ち上がってルーガに腕を見せてみよ。何、そのように緊張せずともよい」


「は、はいっ」


 メイスはスティリオの言葉に慌てて立ち上がった。目の前まで来たルーガに、腕輪の落ち着く腕を見せた。ジュカヒットらも立ち上がり、その様子を見守る。


 ルーガはメイスの腕に手を添えると、外れない腕輪に確かめるように触れた。


「これは、まことに元気な魔法ですな。どんな魔法が宿っているのか、調べるのが楽しみです」


「あの……これは、外れるんでしょうか」


「心配せずとも、すぐに外せますよ」


 ルーガはにこりと笑うと、メイスの腕を支えたまま、もう片方の手を腕輪にかざした。


 ルーガの手から、ふんわりとした温かい光が溢れた。その光はメイスの手首ごと腕輪を包み、次第に腕輪へ吸い込まれるようにして消えた。


 光が消え、ルーガは腕輪に触れると、そっとメイスの手首から引き抜いた。


「外れた……」


 安堵したように声をもらしたメイスは、ルーガの掌の上にある腕輪を見た。誰かのもとへと飛んでいく気配はない。


「今の魔法って、」


「少しの間魔法をおとなしくさせておく魔法だよ」


「すごい!」


 目を輝かせたメイスは、腕輪から目線を上げてルーガの顔を見た。



「こんな所にまで、ご苦労だったな」


「い、いえ!」


 スティリオからかかった声に、メイスはここがどこだったかを思い出して、再び緊張感をその身に走らせた。


「では、私共も失礼します。ジュカヒット殿からの報告もあるでしょうし」


 頃合いを見計らって、しばらく口を閉ざしていた金色の髪の男が、スティリオに向かって言葉を発した。


「残りの人員も早急に取り決め、報告させていただきます」


「ああ、頼む。期待しておるぞ」


 玉座に座るスティリオ、段の下に控える護衛たち、白い軍服を着た金色の髪と茶色の髪の男、ルーガとエルスツナ、ジュカヒットと、ジュカヒットと共に魔法探しの旅に出ていた魔法員二人、そしてメイス。


 金色の髪の男はスティリオに一礼して、人数の増えた謁見の間を見渡した。見渡し終えてから、ルーガの掌の上にある腕輪を観察するように見ていたエルスツナに声をかけた。


「エルスツナ殿、次回の魔法探しよろしく頼みます」


「ええ」


 愛想の欠片もなく短い言葉を返したエルスツナに、金色の髪の男の後ろにいた茶色の髪の男が、慣れたような苦笑いを溢した。


「おお、そうであった。もしも時間があるならば、植物園のほうも見ていってはくれぬか」


 思い付いたように声を出したスティリオは、元々優しげだった声色を更に優しいものにして、顔を綻ばせた。


「マリーが花に凝っていてな。自分で育てた花が綺麗に咲いたとはしゃいでおるのだ」


「花、ですか」


「花は苦手か」


「……いいえ、そのようなことは」


 金色の髪の男は少しの間を置いて微笑んだ。深い青の瞳、静かな甘みが変わることはない。


「ぜひとも、寄せていただきます」


 言い終えた金色の髪の男が、ふと顔を上げて、天井を見た。


 謁見の間の天井、その向こうすら見透かしてしまいそうなほど、ただまっすぐに見つめる。


 その様子に、スティリオも顔を上げてみた。しかし天井は普段となんら変わりない。首を傾げて、スティリオは口を開いた。


「どうかしたか、ジャグマリアス」


 ジャグマリアスと呼ばれた金色の髪の男は、天井から目線を外さずに答える。


「いえ……」


 言葉はそこで途切れた。天井を見つめ続けるジャグマリアスに、茶色の髪の男が声をかけようとする。


 しかしその男も何かに気付いたように、目線を上げた。なぜ天井を見るのか、その理由は自分でもよく分からないのに、何か特別なものを、天井、上から感じ取ったのだ。


 顔を上げる白い軍服の男たちに、どうしてしまったのかとスティリオは些か困惑した。謁見の間を上から見渡したスティリオは、いつの間にか誰も言葉を発しなくなっていることに気が付いた。


 エルスツナにジュカヒット、そしてメイスが、ジャグマリアスらと同じように天井を見つめており、その周りの者たちは、不思議そうにその様子を眺めている。


(何かがおかしい――)


 見上げる者たちは、探るようでも、怪しむようでもない。ただまっすぐに、上を見ている。何かに、心ごと囚われてしまったかのような、真摯な眼差しで。


 スティリオは口元を引き締めて立ち上がった。只事ではない様子に声を発しようとした、その時だった。視界の端で、鮮やかな桃色が散った。


 はらはらと、桃色は散る。


 次第に量を増し、それは謁見の間すべてに降り注いだ。次から次へと降るその桃色は、何も異変がないはずの天井から舞い落ちる。


「花びらだ……」


 小さく溢したのは誰だったか。


 降っては床に重なる桃色、それは花びらだった。薄い桃色の花びらはやむことなく、幻想的な光景を生み出している。


――これは、一体なんだろうか。


 ここにいる者すべての疑問が重なる。しかし、その答えはおそらく誰も知らない。


「おい、なんなんだこれ」


 微かに震えた声で、護衛の一人が自分の隣にいた男に問うた。しかし、問われた男、緑色の髪をした護衛から答えは返ってこなかった。


 その様子を確かめようと、問うた男は隣を見た。緑色の髪をした男もまた、躊躇いなくまっすぐに、天井を見つめていた。


 天井の一部が、光を放った。


 今まではらはらと散っていただけの花びらが、光った瞬間に、何かを覆い隠すようにその量を増やした。大量の花びらは「何か」を覆い隠したまま、静かに降り注ぐ。


 降り注ぎながらも、花びらは徐に「何か」の姿を露にしていく。それでも「何か」を守るように支えながら、露になっていく姿と共に、ゆっくりと降る。


 誰も、言葉を発するものはいない。


 静かな謁見の間、輝く空間にあって、今この瞬間は、桃色の花びらだけが鮮明だった。それはどこか、この世のものとは思えないほどの美しさを誇って、淡く色付いているように思えた。


 花びらは降りながらも守る「何か」の姿を、ゆるりと、それでもはっきりと、見る者の目に映してゆく。


 散るように揺れる艶やかな黒い髪、白と紺の見慣れぬ衣服、幼い顔立ちに瞼は閉じられ、ただ花びらに身を任せながら、静かに降る。


 それは、少女だった。


 現れた姿に、皆が息を飲んだ。信じられないような光景を前に、すべての感覚を奪われて。


 あまりにも幻想的な光景の中から、守られるようにして現れた一人の少女。花びらはすべて、意識のないその少女のためにあるかのように、優しく優しく降り続けている。


 花びらに優しく抱かれた少女の瞼がゆるりと、微かに開かれた。虚ろなまま、けれど目の前で散る花びらを慈しむように、小さく表情を緩める。


 そして再び、目を閉じた。


 誰も言葉を発しないまま、やがて少女は床に辿り着いた。花びらでできた桃色の絨毯の上に、そっと背中が触れた。


 相変わらず降り続ける花びら。その美しさの中で、ふと芽生えた何かに、自分の心の内を確かめる者たちがいた。



 確かに咲いた想いは、どんな色を、どんな熱を、どんな、夢を、魅せただろう。


 彩る花に、抱くもの。

 

 

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