第4話 好きこそものの



 大通りの一角に座って店を広げて今日も客が来るのを待つ。ささやかなのぼりに揺らめく占い屋の文字に目を向けるのも一瞬で、すぐに客らしき女性が目の前の椅子に座る。聞けば彼との将来をどうこうという話だが、その手の依頼は本人の性格と相手の関係性とを考慮して程ほどの返答をすると大概満足する。だがまぁそもそも相手の男性には別に婚約者がおり、その女曰く「本当は私が先に彼を愛していた」となれば精霊に聞く必要もなく真っ黒な未来しか見えないので、物凄くどうでもいいアドバイスだけをして追い払うことにする。お願いだから二度と来ないでください。

 二人目の客は中年の男で、物をなくしたから占いで見つけられないか、ということだった。そういう時こそ男の傍でこそこそ噂話をしている精霊へこっそり耳を傾けて、二階の部屋の棚と棚の隙間にあるよと教えてちょろっとお金をもらう。

 そんなこんなことをしながらこの街に滞在して三日が経過しただろうか。そこそこ客が来るので次の旅に行きあぐねているところへ次の来客がやってくる。身なりの良い女性で、見た目私とさほど歳の差はなさそうだ。ふんわりと笑みを浮かべてこちらを見つめてくる。

「最近評判の良い占い師さんって、ここ?」

「評判かどうかは知りませんけど、ここは占い屋ですよ」

 とまぁ、謙虚に応える。巷で評判なのは当然把握済みなのだが、ここは一つ変に商売っ気を出すより控えめにいってみようと思ったのだ。

「私、カーロッテというの」

「はぁ」

 名乗られてしまった。名乗り返すのが礼儀だろうかと考えていると、彼女は潤んだ下唇に人差し指を添える。そういう色っぽいのは同性にやってもあんまり効果はないのではないかとぼんやり考えているのだが、私の褪めた視線をすらスルーして言葉を続けてくるのだから元々そういうつもりではないらしい。

「じゃあ一つ占ってもらえるかしら」

「なんなりと。あくまで占いだから望む答えが出てくるとは限らない、そこを承知してもらえればね」

「うん、それじゃあ」

 彼女は立ち上がって、こちらに手を差し伸べてくる。なんだと思って疑問符を浮かべていると、続けて彼女はこう言ってきた。

「私の家で占ってほしいわ」

 家に来い、と言われてしまえば自然と警戒心が上がるのも仕方なく、無表情を貫きながらも正直すでに及び腰どころか断るかどうかを必死に思案してしまう。出来ることなら私はまったりと占い家業をしながら次の旅への路銀を稼ぐ、そんなささやかな目的のためにここへ寄ったのだ。

 いやできれば名産品と言われている魚の干物を炙ったものとか、山盛りパンケーキなるものの単語も耳にしたから是非ともご賞味してから出ていくつもりだけれども。私とて性別は女だ。甘いものは大好きだし目がないし、それ以上に名産品という言葉に弱い。これは性別どうこうではなく旅人の性ではなかろうか、と思案しているところ、目の前の女性は追撃とばかりにこう言葉を続けてきたのだ。

「うちのシェフが用意したパウンドケーキでもご一緒しながらはどうかしら」

 ――なんだと。

 住み込みの料理人。その家御用達のシェフ。そんな存在がこの世の中、本当にいるのか……? 王宮とかではなくとも貴族や金持ちの家では存在しているというのか。私からすれば普通の人間には認識できない超常の存在である精霊などより余程貴重価値のある人達であり、まさに未知なる存在と呼んで差し支えないかもしれない。一体全体どんな料理を振舞ってくれるというのだろうか。

「――お夕飯もご一緒にどうです?」

「はっ……!」

 いかん、思わず前のめりになってしまっていた。精霊の声を聴いて相手のことを知る私と違い、彼女はこちらを観察して交渉する術に長けているようだ。的確に弱いところを突いてくるので、つい無言でうなずきそうになるのを強引に抑え込む。

「……いいでしょう。まずはお話を聞きましょう。ただ先ほど申した通り」

「ただの占い師、よね。分かっているわ」

 はたしてどこまでご理解いただいてることやら。

 些かの不安はあるものの、これも仕事と割り切って彼女の屋敷とやらに案内されようではないか。決して三大欲求の一つに釣られたわけではないことを、念のためここに記録しておくこととする。


 ぐぅ、と腹が鳴った。

 慌ててわざと大きな足音を立ててその音を誤魔化すものの、依頼主の女性はちらりと振り返って笑みを浮かべる。やや顔が赤くなった気もするがスルーを決め込んで彼女の後をついていくと、やたらと広い応接間へと案内されたのだった。メイドらしき女性が隅っこに立っているのは主人の用件が伝えられるまで待機しているということなのだろう。どれだけ金があるというのだ、ここは。

「これでも貴族なのよ」

 と、言われるが、これでもも何も貴族以外になんだというのだろう。そうでなければ大成功を収めた商人か何かということになるが、本人が貴族というのはこの屋敷だけでも一目瞭然だ。なんにしろ金持ちに違いはないんだから生まれついての財産か自力で稼いだものかなんてどっちでもいいというのが本音である。むしろ気になるのはそれ程の金持ちが私にどういう占いを依頼してくるか、ということだ。所詮占いなど神頼み運頼みといった類の『なんとなく安心したい』という気持ちからやってくる人が多い。恋愛・探し物・健康等々、どれも根っこは何かしら共通しているところがある。以前に巻き込まれた村の命運がかかった巫女扱いをされるような事態はさおてき、私の占いなど所詮庶民が娯楽気分で楽しむためにあるのだ。故に価格も相応分しか要求していない。

 つまりだ、庶民感覚で依頼される側に対し今回のお客様は対応と規模が大きすぎるというのが懸念点なのである。もちろん精霊の声を聴ける私に謎なんて通じないのだが、何度も言っているようにこの精霊には生活費を稼ぐ以外で使うのはあまり好ましくない。そこに命が掛かってくるような事態ならばまた話も変わってくるのだが……。

「実は」

 さて、どんなトンデモな占いが待っているのか。

 私はつばを飲み込んで彼女の言葉を待つ。

「私の旦那を探してほしいの」

 うん?

「カーロッテさん、でしたっけ。それは将来の旦那さんという意味でしょうか?」

 結婚している可能性を省いてそう尋ねたのは、彼女につきまとう精霊たちの声を聴いたからに他ならない。特に未亡人でもなく、精霊の噂話曰く彼女は結婚をしていないというが。

 そうなると旦那とは? という疑問が浮かぶ。ひとまず話を合わせてみようか。

「現在進行形で私の旦那よ。行方不明なのよ。どこにいったか探してもらいたいの」

「えー、捜索届は」

「私が街の中を散々探したのよ。無駄に決まってるわ」

 んー、それが本当ならどう考えても事件の香りしかしないんだが……。

「……どこにいるかを占えばいいんですね?」

 あの場ではなくここに呼んでの依頼がそれとなると、その旦那さんとやらの行方は暗に知れるというか、たぶんほぼ健康状態ではないんだろうなぁという嫌な想像が働いてしまう。まぁそれ以前に存在しているかが非常に怪しい。

「ん~、まぁ占ってみましょうか」

 ここまできたのだから占いの一つでもしてお駄賃をいただいてとっととずらかろう。

 ちらりと彼女の周辺に飛んでいる精霊に目を遣る。ふわりと浮かんでいる光の玉みたいなものが精霊で、色とりどりのそれらが遊ぶようにいくつもカーロッテさんの周辺をぐるぐるしている。声も目もないそれらは、しかしこの場において私にだけ聞こえる声を発してきた。

 聞いてから目を開いて思わず部屋の隅にいるメイドさんの顔色を窺う。こちらの視線に気づいた黒髪のメイドさんは僅かに首を横に振った。

「……えっと、旦那さんがいなくなったのは、いえそもそも旦那さんとやらは――」

「カーロッテ様!」

 急に大きな声を出してきたメイドさんにビックリして言葉を止めてしまう。

「そろそろガロウス商会の方がお見えになります。ご準備を」

「あら、まだ時間はあるわよ」

「しかし先方に失礼があってはなりません。服も変え、化粧もこちらで――」

「ああ、そうね。その通りだわ。ごめんなさい。少しだけここで待っててもらっていいかしら。何かあったらこの子に言ってちょうだいね」

 カーロッテさんはにこやかに笑みを浮かべた後、出来る仕事人とばかりにきりっとした足取りで部屋を出て行った。そして残される私とメイドさん。

「止めましたね?」

 あそこまであからさまな態度を取られて無視できるほど、私は人間ができてはいない。一応商売を邪魔された立場というのもあるわけで。

「はい。あなたが本物だと判断しましたので」

「そりゃどーも」

 一応素直な誉め言葉として受け取っておくが、そうなると今回の占いはますます闇深いことを暗示することになる。

「カーロッテさんに旦那さんはいない、彼女は仮想の旦那を探している。これは正しいんですね」

「その通りです」

 やけに素直に応えるな。

「その上で占い師さん……スズカさんと仰いましたか。頼みたいことがあるのです」

「『旦那はいるように思わせてほしい』」

「……!」

 一瞬だけその表情が驚きで変化したが、すぐに能面を張り付け直したようだ。だがこれでこのメイドもどうやら彼女に『旦那など存在しない』ことを知っていることが確認とれたので良しとする。そう、カーロッテには旦那が存在しない。つまり彼女の依頼は存在しないものを占いで見つけてほしいというとんでもない無茶ぶりなのだが、これの厄介なところはカーロッテ自身に悪戯心がなく本気だということだ。

「はい。旦那様という存在はカーロッテ様にとって生きる糧でもあります。取り上げてしまったらどうなることやら……」

「一応、理由を聞かせてもらっていいかな?」

 メイドさんの周りを飛んでいる精霊に声の回線を開きつつ、彼女の語る内容が正しいかを判断する。

「一言でご説明申し上げますと」

「あげますと?」

「旦那様探しです」

「いやいやいやだから」

 思わず右手を振ってみると、彼女はいたく真面目にこう言ってくる。

「誠に勝手ながら私の解釈を入れてご説明致しますと、カーロッテ様は将来旦那になる方はすでにいるはずなのでその方を見つけてほしい、と仰っています」

「……? えっと?」

 ごめんちょっと理解が追い付かない。

 何が凄いかって精霊もまったく同じことを話題にしているのだが、まさか人間と精霊の言葉を同時に聞いても内容が分からないという人生初の体験をしている。言葉の意味を理解できても文脈が理解できない日が来るとは思わなかった。世の中って広いなホント。

「そして将来旦那と決まっている方なのだから、すでに結婚しているも同然。だから現在旦那様とお呼びになっても問題がない、と」

「すごい、説明されればされるほど混乱していく。逆説的な問いかけか何かかな?」

「出来るだけありのままの事実を可能な限り全力でお伝えしております」

 あ、うん、そうだろうね。

「そこで占いというわけか。オカルチックな力に頼ってる辺り、割と切羽詰まってる感じもするけどねぇ」

「占い師であるスズカ様がそれを仰いますか」

「私の占いは実際の占いとはちょっと違うけど、ちゃんと本物だよ。例えばそうだね、あなたが探しているブローチは自室に入って右手の棚、その隙間に入ってる。ブローチがちょろっと入っただけだから、指で簡単に取れますよ」

「……! 驚きました。さすがは占い師……ですね」

「ま、胡散臭い商売だってのは自覚してますけどね」

 苦笑しながら、ひとまず先延ばしにしてもしょうがない話に戻る。

「つまり未来の結婚相手を探せ、ということになるわけですね」

「端的に説明するとそうなりますが、カーロッテ様の情熱を考えるとニュアンスが微妙に異なります」

「言いたいことはわかる……あ、ごめん、分からんけど、ひとまずこちらが理解できる範囲で理解させてください」

 これ以上は正直面倒くさいことになるだけだと判断し説明を止めた私は、とにかくやることをまとめる方向に話を進める。カーロッテさんがやってくると恐らく混乱が止まらなくなる惧れがあるので、可能ならまだ意思が通じそうなこのメイドさんと話を取りまとめておきたい。

「とりあえず将来の旦那さん占いなら、恋占いと同じですからね。やってみますよ」

「お願いします。ですが」

「ですが?」

「カーロッテ様の人柄をもっと知ってからでもいいのではないでしょうか」

 何を言っているんだ、この人は。

「い、いや、必要ないかな。私の占いは性格診断とはまた違うものだし、疑うなら自分の部屋でさっき占ったブローチを探してくるといい」

「それとこれとは話が別です。カーロッテ様のことをもっとよく知り、知見を広め、見聞を広め、理解を深めていただけますか。そしてあわよくばあらゆる地にてカーロッテ様という生きる伝説を伝聞し、子にも語り継いで――」

「待って待った主旨変わってる変な方向に突き進んでる。あ、駄目だこの人、目が駄目だ。軽く正気を失ってる」

 主人も主人ならメイドもメイドだった。

 メイドのあれこれを無視して、私は今日何度目かになる精霊のささやき――つまりは語らいへ耳を傾ける。精霊に時間の縛りはない。彼らは過去現在未来を知り、もしかしたら行き来しているのかもしれない。それらも含めたカーロッテさんの話題へ意識を集中する。

「カーロッテさんの凄さは理解しているよ」

 精霊たちの声を通じて、だが。旅人である私がふらりと寄った町の事情について詳しいはずがないからね。

「この屋敷は先代が色々と『やらかした』所為で没落貴族と呼んでもおかしくないほどに落ちぶれたが、まだ十七という若さで先代を追い出し瞬く間に復興させたお嬢様、それがカーロッテさんでしょう」

「ふふ、カーロッテ様の偉大さは旅人にも伝わっているのですね」

 いや人の口からついぞ聞いたことはないがね。

「しかし旦那さんとやらがこの町にいなかった場合はどうするつもりです?」

「カーロッテ様が仰るのですから間違いなくいます」

「主人への忠義が厚すぎない……?」

 もはや盲目的とも呼べる信仰心に薄ら寒さを覚える程だ。

 しかしそうなると困ったものなのだが、実際彼女の旦那さんとやらは少なくとも今はこの町にいない。精霊の噂話というのは現在に縛られないありとあらゆる語りのせいで、その情報量があまりにも多すぎるため相当な訓練をしないと必要な情報を受け取れず脳が処理しきれずに倒れてしまうのだが、私はそんな膨大な情報から必要な分だけに耳を傾けることができる。だからこそ占い師なんて商売が成り立っているわけだが。

 何十年も先の話を聞いたわけではない。いくら私でもそんな未来まで耳を傾けられない。ほんのわずかな未来、そして現在においてカーロッテさんの旦那さんに相当するような噂話なのだが――

「どうしたものかな」

「まさかいないとでも仰るつもりでは」

 メイドさんの圧が高まっていく。

 気圧されながらどうやって誤魔化したものかと苦悩していると、そこへ突然大きく扉が開いて見目麗しい女性が飛び込んでくる。

「ローラ! 大変なことになったわ!」

「カーロッテ様、なんとはしたない。落ち着いてください」

「られますか! ガロウス商会が一方的に契約を打ち切ってきたのよ。あれだけ散々アドバイザーとして働いてきたにも拘わらず!」

「ガロウス商会、ですか」

 その単語にピンときた私がそう返すと、カーロッテさんは大きくうなずく。

「若手商人だから上手くいかなかったところを助けたのよ。知恵の回らないお方で、そこを補佐することで彼の商売は立ち直ったというのに」

「ははぁ。それで彼の御仁はもうお帰りに?」

「まだいるわ。一旦どうするか相談するといって席を離れてここまできたの。って、占い師さんにお話しすることでもなかったわね。ごめんなさい」

「いえいえ、いいんですよ」

 と、私はにっこりと笑顔を作る。今の言葉と単語と精霊の噂でピンと来たのだから、これを無碍にするのは得策ではない。

「ちょっと踏み込んだ話になって恐縮ですが、契約打ち切りとはどんな内容です? 別の案を出されたのでは?」

「ええ、単なる契約ではなく会社に入れとのことでしたわ。あり得ません。我が家は誇りある一族なのです。あんな商人に下ることなど!」

 ということだが、これは間違いなく何かしらのすれ違いがあると察してしまう。しかし会社契約とか業務とか、そういう商売事に関しては個人契約範囲でしかやったことがないから大規模なそういう話について詳しい訳では無い私がどこまで上手く話を持って行けるかは些か不安が残るものの、喩え失敗したとしても大した痛手にはならないと踏んでここは思いっきりやってしまおうと割り切ることにした。いざとなれば街から逃げればいいだけのことだ。旅人って気楽で最高だね。

 何、別に詐欺を働こうというわけではない。単に私の悪巧みを――もとい、アイデアが彼女達に幸運をもたらすことになるだろうと、そういうだけの話だ。

 そしてこんなくだらないことに、これ以上精霊の声は聞こうと思わない。意識して聞こえる声の範囲を絞り、世界が急激に静寂を取り戻したような気分になった。

「その商売人、男性なのでしょう。ならば会社に入れ、という意味は違って聞こえませんか」

「どういうことです?」

 その時、今まで姿を見せなかった他の女中が何やらお菓子らしきものを運んでくる。まるで雲を思わせる膨らみのある……パン? これは一体?

「シュークリームですわ。お好きにどうぞ。それよりも今の意味をもう一度教えていただいても」

「つまりですね」

 と、私は遠慮無しにそのシュークリームとやらを一つ掴んで口に放り込む。

「……ッ!」

「どうしましたの?」

「……まって、今喋れない。喋る前にこれ、もっと食べていいです? ていうかお土産も用意してもらって構いません?」

 口の中に蕩ける甘さとはこういうことか。世の中にこんな甘くて美味な食べ物があるとは知らなかった……そう、精霊は食べ物に関心が無いから、食だけは自分で探さないといけないのだ。だから未知なる旅路の一番未知な部分は食事なのである。

 と、脇道に逸れてしまった。シュークリームを頬張りながら、私は言葉を続ける。行儀が良くないと思ったのかメイドさんの目尻が吊り上がるのは気にしないでおく。

「お土産は用意しましょう。それであの方というのは、もしや?」

「ええ、つまり会社というのは比喩、本音は家に入って欲しいということでは?」

「まぁ!」

 パンと両手を叩くカーロッテさんの輝く両目、そしてこぼれる笑み。その様子から手応え有りと判断を下す。

「占いにも出ています。すでにあなたは将来の旦那様と出会っているのだと。そしてなんとなんと! その男性は今この屋敷にいるのです!」

「なんですって!」

 驚きに口元を押さえてから、カーロッテさんはきょろりと周囲を見回す。

「男ってこの屋敷にいたかしら?」

「カーロッテ様、実に言い難いのですが……」

 そっと、メイドは廊下の先を指さす。そこは今し方カーロッテさんが怒濤の勢いで戻ってきた方向であり、もちろんその先には例の取引先の社長とやらが居るのだろう。精霊に耳を傾ければ一発で分かるが、そんな考えなくともいいことで耳を斜めにするほど頼ろうとは思っていない。

「まさか」

 そのまさかもまさか、と目で訴えつつも意味深に深く頷く。街で人気の占い師である私が断言しているのだから、無駄に信憑性は高くなるだろう。この場合占いかどうかはさておくことにする。

「むぅ、スズカさんは有名な恋の占い師ということで街の評判だけど」

 待って、いつの間に恋の占い師になったんだ私は。そんな占いあんまりしてないぞ。……いや、占いというだけあってそれはうら若き乙女の恋について占いの真似事はしたが。

「本当に運命の人ならもう一度会う必要はありそうね。この目で見極めなきゃ。でも、でもねぇ、アレはないわよねぇ」

 はぁ、と深く溜息を吐くカーロッテさん。

「あんまり待たせるのも悪いのでは?」

「そうね。――あ、そうよ。せっかくだもの」

 にこりと、カーロッテさんがこちらを見て笑う。嫌な予感が背筋を走り抜けた。

「言った手前、スズカさんにも立ち会ってもらいましょうか」


 テーブルの上にはソファーに腰掛ける人数分の紅茶が用意されている。気のせいか気持ちがふらりと流れていきそうな、そんな柔らかな香りをさせる紅茶だ。そのまま飲むよりシュガーを入れるのが好みなので私は無料で差し出された角砂糖を二つほど入れて混ぜる。

 私が先ほどまでいたところとは違うもう一つの応接室には今、私とカーロッテさんが隣同士でソファー座り、彼女のメイドさんがカーロッテさんの背後で立っている。机を挟んで向かい合ってやたら長身の男がソファーの真ん中に座り黒いスーツを着た二人の男を背後に立たせていた。まるでギャングの若頭といった様子を思い浮かべたが、男二人を引き連れるガロウス商会の若者からは迫力ではなくもっとねっとりとした空気を纏っている。恐らく大きなリュックを背負っていきなり現れた私を文字通り『品定め』しているのだろう。当然だ、カーロッテさんだけならまだしも仮に私が凄腕の商売人で彼の商談を丸々潰すような女だったら洒落にもなりはしないだろうからね。

 だが残念。こちとら商売に疎い人間である。個人商売ならまだしも大規模な商売については基本のキの字も知らない素人だ。警戒したところで無駄だろうが、無言の牽制ぐらいなら手伝おう。何しろ座っているだけでいいのだから。

「で、そちらの方は?」

「ええ、私の知人であるスズカさんですわ。先ほどは少し熱が上がってしまったもので、第三者を挟んで冷静に話し合おうと思いますの」

 ほほ、と笑う彼女に蛇のような視線で男が「なるほど、そうですか」と納得する素振りを見せる。素振りは素振りだ、その意味をはき違える者はこの場にいないだろう。

「では話を戻しましょう。カーロッテさん、貴女は今、貴族という立場でいらっしゃる。ですが世の中は変わりつつある。貴族階級がいつまで安寧でいられるか分からない。なら、その財が尽きる前に我々のところで活用をしてみませんか、ということです」

「それはつまり――」

 なんかそれっぽいことを言っているが、つまり財を寄越せと脅しているようなものだ。なるほど、こう言われたらさすがにカーロッテさんが怒り心頭になるのも無理はない。この男見た目より商売下手か、いや言葉が選びの拙さに少し頭痛がしてきた。

「つまり、私を娶りたい、ということですね」

「は?」

 何を言っているんですか、カーロッテさん?

 ……おっと、そういう話だった。そも提案をした人間がそれを忘れていたら話にならない。思わず正面の男と一緒に声を上げてしまったが、ここは涼やかな顔をして乗り切っておこう。

「ちょ、待ってくださいカーロッテさん? 一体何を言っているのです?」

「家をくれと言うのです。これはガロウス家からわたくしに対しての求婚に他なりません。違いますか?」

「ち、違うんだが?」

「違いませんとも! だってそれほど情熱的なお誘いは未だかつて受けたことありませんわ!」

 ちらりとメイドに目を向けると、彼女はそっと一度だけ首を横に振る。まぁ、そういう経験があれば私に変な占いを頼んできたりはしないだろう。

「ま、待て、待ってください、カーロッテさん! 何かを勘違いしている!」

「勘違い? 我が伝統ある家を受け継ぐというのなら、それ以外の理由を示してくださる? そうでなければあなたはただの詐欺師、そう、結婚詐欺を仕掛けてきたも同然!」

「ええい、話にならん!」

 詐欺師とまで言われて気が立ったのか、男が勢いよく立ち上がる。

「こんなイカれた女と話になんぞならん! もうここの財力を当てにする必要は無くなったが惜しいと思ったからこそ持ちかけた話に過ぎん! はっきりいって商売を知らないお前は要らないんだよ! 必要なのは頭のイカれたあんたじゃなくてあんたの財力だ! お前みたいなのを誰が娶るっていうんだ、このイカレ女!」

「……ッ!」

 カーロッテさんの目が見開かれる。

 それと同時に二つの手がカップを持ち上げ、その中身を男の顔面にぶちまけていた。

「うわっ、お、お前ら、何を! うわ、ベタベタしてる!」

 おや、と私はメイドさんに目を向けると、彼女もやや驚いた顔つきで私へと顔を向けていた。それから二人して口角を吊り上げて男を睨む。

「人間を物扱いするような男に、カーロッテさんは似合わないね」

「カーロッテ様への侮辱はこの屋敷において死罪と同じです」

 メイドの言うことに微妙な殺気も混じっていて冗談に思えないのが恐ろしいけれど、それはそれは効果覿面だったようだ。商売人を名乗るその男はみるみると顔を青ざめて浮かせた腰が引けていく様はなんとも面白さがあるではないか。

「お嬢様……カーロッテ様をまだ侮辱なさるというのなら、お付きの方々共々成敗致します」

「いいねぇ。こちらも旅の者だ、ここでこいつらをボコったところで後腐れ無くこの街を去れる。当然、旅人なりに力も体力はもちろん荒事も慣れているつもりだよ」

「お前ら何を!」

「覚悟は宜しいですか」

 どこからか取り出したのか、彼女の手にはいつの間にか反りのある細長い刃が付いた剣を構えていた。本当にどこから取り出したのかは傍に居た私にも分からないということは、何かに仕込んであったと考えるのが妥当だろうか。

「そ、それ、前に土産にと持ってきたカタナだろう! 剣と違ってまともに斬れないから使い物にならんと思って――」

 ガロウス商会といったか、この商売人はモノを観る目が無いのだろうか。あるいは自分の土地への知識が凝り固まって異文化の武器を正しく理解しようとしなかったのか。

「これは斬れますよ。コツがあるだけです」

 と、メイドが剣――いや、カタナといったか、それを一閃する。はらりとガロウス商会の若旦那の前髪が落ちて、正直こちらも心臓が跳ねる思いがした。

「ガロウス様!」

 黒ずくめ達が前に出てきたのを、メイドさんより速く動いた私が右手で一歩前に進んだ男の左手首を掴んで引っ張り、左手で後頭部を掴んでテーブルに真上から叩き付ける。続けて一瞬の出来事に怯んでいるもう一人の男の懐まで潜り込んで方をぶつけ、裂帛の呼吸を吐いて踏み込み、衝撃を内臓へと伝えて悶絶させた。

「占い師様、やりますね」

「はぁ、ふぅ……いや、まさかここまで上手くいくと思ってなかった」

 昔師匠に教わった護身術――というには少し過剰ではあるが、役に立つこともあるのだなと彼女の教えにやや関心した。それ以上にどうでもいいことを教えてもらった記憶ばかりなのだが。

 正直、本当にここまで思い通りになるとは思わなかったのだ。とりあえず私がなんとかしないとメイドのカタナが二人の命を奪いそうな予感がしたので、とにかく身体を動かして何とかしようとしただけに過ぎない。次同じ事をやれと言われても二度は無理だろう。

「スズカさん……」

 茫然としていたカーロッテさんが私に目を向けている。

「カーロッテ様、このゴミ……いえ、三人組はどうしましょう」

「え、ええ、そうね。こうなった以上ガロウス商会とは切れるでしょうし、次の身の振り方を考えなければいけないわね。ひとまず手当した後、表に放り出しておきなさい」

「承知しました」

 メイドは一礼した後、片手で男共の襟首を掴んで引き摺っていく。――見た目によらずかなり力があるらしい。

「さて、スズカさん」

「はい?」

 いかんと心の中で呟き、背中が汗だくになる。さすがに人様の家でやり過ぎただろうか。ちらりと目を向けるとテーブルの上には顔面激突による鼻血の痕があるではないか。正直鼻を折ってなければいいのだが、精霊を使って知ろうとは到底思えないので真実は闇の中へ葬っておくこととする。

「――いえ、スズカ様」

「はい?」

 同口同音。私自身なのだから異口同音ではない。だがそこに含まれる意味は変わっている。

「私、気付いたのよ。もしかして運命の相手は異性である必要は無いのではないか、と」

「カーロッテさん?」

「別に女性なら女性同士、男性なら男性同士でもいいのではないかしら?」

「いやカーロッテさん?」

「私、スズカ様の勇敢な姿を見て気付いたの。私が本当に求めていた方は美しい緑色の髪をした女性なのだと!」

 逃げよう。

 心の底からそう決めて、私はさっきの部屋に置いてきた荷物のところまでほぼ走るのに近い速度で歩いていく。

「待って、スズカ様!」

「いや無理、ホント無理。ごめんなさいそれはちょっと予想してなかったからゴメンナサイ」

 ジリジリと後退していくと、合わせるようにカーロッテさんが躙り寄ってくるのに薄ら寒さすら覚えてしまった。このままなし崩し的に彼女の言う通り物事が進んでしまえば私の望んでいないゴールに辿り着いてしまうとこまで想像し、閉じていた精霊の声を聞くため意識を開く。

 ――あ、ああああ、やっぱりそういうことか! 精霊は教えていたのだが教えていなかった! 彼女の運命の『男性』はこの街に居ないといったが、彼女が惚れる『女性』がいないとは言っていない! もし似たようなことを言っていたとしても彼女の王子様のことを話していない時点で私が気付かなかっただけなのだ! よりよく声に耳を傾けていけば、ほら、精霊達はカーロッテさんが誰に惚れるかをクスクス笑いながら語り合っている!

 その犠牲者……というのは失礼なのかもしれないが、私にとってはそれも同然だ。彼女の毒牙がこちらに及ぶその前に脱兎の如く退散すべきであると私の感が告げているのだ。

「と、とりあえず占いの依頼はもう無さそうなんで、この辺で失礼しますね」

「待ってくださいスズカ様」

 出入り口をメイドが塞いでくる。

「まさかそういう手で来るとは思ってませんでした。いえ、カーロッテ様が選ばれたのなら異論はありませんが……婚前、つまり法律的に結婚前なら消えて頂いても構いませんね」

「何も構わなくないんだけど!」

 下手な精霊より恐いメイドがこの世にはいた。世界は広く、まだまだ未知なるモノは沢山いることに驚き感動したいところだが、その前に自分の命を守らねば知恵も知識もその場で台無しになるだけだ。

 手元に荷物を持ってきておいて良かったと心から思ったことはない。中には旅に必要な道具がみっしりと詰まっているので重量があり、両手で取っ手を掴んで強引に投げつけるとその勢いで手近の窓が思い切り割れ、飛び出したリュックの後を追うように私もそこから飛び出した。

「お待ちになってスズカ様! せめて私にもあなたの旅をお手伝いさせて!」

「落ち着いてください。まずは私がカーロッテ様に相応しい者か試しますので」

 狂気しか感じない二人を背中にして、私は意識を集中して精霊の声に耳を傾けて最短の脱出路を見出すのだった。

 占い以外に頼ろうと思わない精霊の声が、まさかこんな意味不明な修羅場で役に立つとは誰が思うだろうか。

 ていうかそんなに主人を想ってるならメイドがカーロッテさんと結婚したらどうだろうか。ふとそんなアドバイスが浮かんだものの逃げ出してしまったから後の祭りも良いところだった。それどころか権力者であろうカーロッテさんから離れるためこの街にも居られないだろう。強制的に私は旅へと出立をさせられることとなったのだ。

 ――あぁ、あの街の名産品をもっと堪能したかったなぁ。特に食べ物。美味しそうなのが沢山あったのに。

 シュークリームの味を思い出しながら、精霊の声を意識的に遮断して次の街へと目指すべく足を動かすのだった。

 次の街までまた木々の溢れる新緑や深緑の下を通って、次の未知なる場所へと向かおう。私の目的はまだまだ先にあるのだから。


 さて。

 彼女らがもし私の旅を追ってきたのなら、私は一体どういう対応をすればいいのだろうか。考えてもその場にならない限り答えの出ない問答を頭の中で繰り返すことこそ詮無きことだと首を振り、逃げるように前を見据えて歩き出した、


 

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