第2話 予言の巫女



 どうしてこうなった。

 と、私は自分の境遇に嘆いている訳だが、状況は嘆きという訴えなど聞いてくれずどんどんと突き進んで行く。村の中心でキャンプファイヤーよろしく組み上がった薪を盛大に燃やし、その近くで私は謎の白い紙が先っぽに巻き付けられた杖を握らされて村人の注目の的とされ、私の隣には村長が両手を広げてお祝い事を延々と喋り散らしているのだが、正直単語が理解できても言葉が理解出来ないことってあるんだなと新しい発見に関心するぐらいしか興味を引くところは無い。

 それでも拾った単語を繋ぎ合わせていくと、大体こうなることは分かった。

 曰く、深緑の髪をした乙女は村の巫女である、と。巫女は村の守護神と深い関係にあり、私がこの村に立ち寄ったことはきっと運命に違いないのだと。私としては単に精霊の雑談同様な言葉に耳を傾けた結果この村は今祭りをやってるらしきことを話題にしていたから立ち寄っただけで、目的といえば祭りに便乗して占い師の仕事をしたり食べ歩きを楽しんだりといったささやかなものであったはずなのだが、何故に巫女? 古来よりこういった都市より離れた村の祭事は良い事と悪い事へ二分されるものと決まっているのだ。私としては是非とも偏りすぎる方面のソレにはもう少し折衷案で仲良くして頂きたいものである。しかし何故に巫女などをしなければならないのか甚だ納得がいかない。

 いや、巫女の理由は今さっき説明したばかりだ。そもそも神様と深緑が関係するというのはあながち間違ってもいない言い伝えであり、世界の理の外に存在する仮称精霊達を視る、あるいは言葉を聞くことが可能なのは身体部分のいずれかが深緑へと変色している人間の特徴でもある。大体は髪の毛に現れると師匠は語っていたが、時折瞳に出てくることもあった。さすがに皮膚全部が緑色の人とはまだ出会ったことはないが。

 つまり人から認識されない超常現象の正体を『神』とするならば、それらをしっかりと認識する私みたいな人間を巫女と崇め奉ることも――まぁ、珍しいことではあるが無いこともない、という微妙なニュアンスで説明は可能だ。

 まぁ、問題はそんな髪の毛の色をしているしがない旅人の私を捕まえて急に巫女扱いされている現状である。当然私はただの旅人で、路銀を稼ぐために精霊の雑談に耳を貸して占いをしているだけに過ぎない小さな小さな人間である。神様、つまり精霊と交渉をしろ、会話をしろ、願いを叶えろ、なんて無茶難題を押し付けられても困るし、今の私にできることなんて「そうならない」ことを祈るばかりだ。

 一階建て石造りの家はこの地方ではごく一般的な造りの家で、それらがまるで退いたかのような広場の中心で司会進行、もとい村長らしき中年の男がニコニコ顔で私に詰め寄ってくる。

「さぁ、どうですかな!」

「え、なにが?」

 質問はもっと具体的にして欲しい。が、村長は私の心からのうんざり具合など意にも介さずニコニコの皺をより深くしただけである。何故だろう、左右にピンと張った髭を引っこ抜きたい。

「実に十年ぶりに祭事の途中で訪れてこられたのです! 以前来られた巫女様は我々に天恵をもたらしてくださいました! おかげで万事が万事上手くいき、収穫は豊富、自然災害も無く、こうして無事にやってこれたのです!」

「はぁ……」

 と、曖昧な返事をしつつ、十年前に訪れたという恐らく私と同じ『視える』側のそいつを恨む。そいつが余計なことをしなければ私はこうして捕まらず今頃平和に占いでもしていたことだろう。ていうかあそこで焼かれている屋台の串焼きが風に乗せて漂わせてくる香ばしき匂いが胃を刺激してくるのに我慢できず、ついつい食べさせろと目で訴えるが、気付かれることなく無視をされてしまった。

「これからの十年、我々は何を守っていけばいいでしょうか!」

「えーっと」

 ある意味その訴えは占い師の仕事の範疇に入る気がして、ついつい言葉が詰まってしまう。ここで精霊の声に耳を傾けて応えるのは実を言うとたやすいことなのだが、一応こちらもその手の仕事で路銀を稼いでいる身、そう容易く望む返答をくれてやるわけにもいかない……気がする。

「というか、何がしたいんです?」

 ――ひとまず困った時にゃ質問には質問をぶつけるんだよ、と師匠は語っていたので、ここでその教えに役立ってもらおう。

「奇跡を見たいのです!」

「奇跡、ですか。それを私に期待していると? で、この手に持っているのは?」

「それは歴代の巫女様が必ず握られていた由緒ある祭事用の道具ですよ。おや、巫女様なら説明不要だと思ったのですが」

 そこで十年前に来た巫女とやらがどれだけぺらぺらお喋りしたのか、つい頭を抱えたくなった。

「あー、期待しているところ悪いけど、私は別に巫女でもないし村を救う為に来たんじゃないんです。ただ祭りがやってるって噂を聞いて立ち寄っただけで、せいぜい出来るとしても運命の人を言い当てるとか寿命がどうとかいう、よくある占いをやるだけのただの小娘ですよ」

「ほう、占いですか」

「占いです。なので占いはしますが商売です。お金ください」

「以前の巫女様は無料(タダ)でやってくれたのですが」

「とんでもない偽善者ですね」

 あ、やばい、本音が出てしまった。しかしこんな能力がありながらタダでばらまくような真似は偽善者か大馬鹿者かのどちらかである。そしてどちらも大概悪い結末を迎えるのだ。

「そもそも十年前の教えって何ですか。その時のことを守って十年間平穏無事でいられたと?」

 やぶ蛇かと思いつつも、つい問いを投げてしまう。私の悪い癖だと思いつつも矯正が難しい。

「それは」

 案の定というか、村長の言葉が詰まる。なるほどと納得し、私は周囲をもう一度見回す。祭りで一見賑わっているしあの串焼きは後で絶対に食べると心に誓いながらも、村の様子は村長が言うほど平穏無事というわけではなさそうだ。全部とはいわないがこの手の村で行われる多くの祭りは将来の無事を祈り神へ感謝を捧げる目的のものばかりで、恐らくここも同じ類なのだろう。そうなると十年前に私のような人間が訪れた――仮称としてその十年前のそいつを巫女と呼ぶことにして、その巫女の言いつけは当初、またはその後の数年間は村に益をもたらした。しかし何年も状況が同じなんてことはなく、数年を経て破綻したのだろう。今はまだやっていけているが、近い将来この村はやせ細り滅びの道を行くことになるのだ。

 それを可哀想だと思うことはあれ、何かしようと思うことはない。そもそも十年前まで自分達で維持をしてきたのだろうからその状態に戻ればいいだけで、ただ立ち寄っただけの責任感も何もない旅人に大勢の運命を任せるなど、それこそ責任感とは程遠くもってのほかではなかろうか。

「村長、まずはこの方を休ませては如何でしょう。祭りはまだ数日続きますから」

 と、若い男と女が寄ってきて村長にそうアドバイスをすると、村長は「確かに」と頷いた。

「それでは巫女様には一度お休みになっていただこう。今回は村のことを知って頂く必要もあるやもしれませんしな」

 それ、言外に私が以前の巫女とやらに比べて能力低めの使えない小娘って言ってない? これでも察しの良さで旅を続けてきてるから、こんな村の長が使う腹芸なんてこちらに通じないし、そうでなくとも精霊達が勝手に相手の事情を教えてくる。故に私達みたいな未知を識る者は自らの正体を隠し通し、決して他人に利用されることや差別されることを避ける必要があるのだけれど。

「私達の家に来てください」

 ここで巫女として奉られているよりかは幾分良いだろうと、とりあえずこの若い男女二人に言われた通りついて行くことにしたのだった。


 お疲れでしょう、と言われてテーブル前に椅子を用意され、そこに座らされる。ついでに女性のほうがお茶を差し出してきた。

「巫女様には突然のことでしたから、混乱なさっていると思いますが」

「まぁ、そうですね。事情は村長が大体話してくれましたが……えっと、私を救ってくれたのは何でです?」

 あそこで私をここに連れてくる理由は無かったはずだ。ただの親切心だというのなら疑ったことを謝るのも吝かではないが、どうにもそういう気がしない。ちなみに精霊の声は聞かないようにしているので二人が事情を話すまで私は特に何も知らないのだ。

 元々常に精霊へ耳を傾けることなどない。私が自分から精霊という超常の存在を意識する時は次の道行きを決める時や占いをする時だけで、他は全て意識的にシャットアウトをしている。この遮断する技術は師匠に教わったものだ。

 男性の方が対面に座り、その隣に女性が座る。

「私達、以前来られた巫女様に救ってもらったんです」

 女性は微笑みながら語ってきた。

「あれは半年前の『未曾有の大災害』に匹敵するような嵐の日でした。私達二人はまだ子供で、嵐が来るという大人の忠告を無視して山で遊んでいたんです。そうしたらあっという間に強烈な雨と風で動けなくなったところ、あの方は意にも介さず嵐の中を突っ切って私達を助けてくださいました。まさに命の恩人です。あの緑色の髪の色と爪の色は忘れたくても忘れられません」

 なるほど、髪と爪が緑色だったのか。なんとなく嫌な予感を覚えつつも、そのまま話に耳を澄ましておく。

 そして続きは男の方が語り出す。

「あれだけの嵐の中をまるで何事もないかのように避けて通って村まで届けてくれたあの人に、村の人達は盛大な感謝をしました。嵐が明けた翌日からお祭り騒ぎだったのです。そして村長はあの人に色々とお話を聞いて、今後の村のことも教えてもらったというわけです」

 それが祭りに繋がった理由か。まぁいいんだけれど……。

「元々この村には昔から緑色の髪を持つ巫女が訪れるという伝説がありましたから、まさにそれに一致したあの人は救世主扱いでした。ただ、その」

「ただ?」

「すごいお酒を飲んでいまして、何か、色々言っていたのは覚えているのですが……」

「え、なんですかそれ。酔った勢いでベラベラと喋ってしまったみたいな」

「まさにそれです」

 私は今度こそ頭を抱えるに至るのだった。なるほど、酔った勢いで――ねぇ。

「そして今の村はあまり状況が芳しくありません。半年前のこともありますし、何より村がその時言われた言葉の通りにやってきたものだから、以前のように自力で回復させるにはやや時間がかかるといいますか。景気付けに祭りを行ったのはいいものの、なかなか人もやって来ず……」

「が、そこでやってきたのが私というわけね。緑色の髪の乙女。まさに十年前の再現というわけですか。はぁ、どうしてこうなった」

「ええ、あなたが救ってくれた恩人とは別人だと分かっていたので見過ごすこともできず」

 ちらりと女が男に目を向ける。

「それにとても困っていたみたいなので、ついこうして」

「助けてくれたってことですね。感謝です」

 実際助かった。あの衆目の中で「巫女だよー!」とか言われながら羞恥に晒される地獄に比べたら、この常識的に見える二人と話しているほうがずっと良い。こちとらどんな場所であれ舞台の上で目立つことには慣れていないのだ。

「こちらとしては商売を兼ねて村に立ち寄っただけですので、目立つとしたら商売繁盛的な方面でお願いしたかったんですけどね。さもありなん。こうなっては仕方ないのでこのままこっそり抜けて次の村に向かいます。どうせ占い商売なんてやっても商売の範囲を超えて無駄に期待されるか、巫女なんだから無料にしろとか因縁付けられて終わるだけでしょうし」

 余計ないざこざは勘弁願いたい。大概のトラブルなら自力で何とか出来ると言っても、自ら火種の中に飛び込む酔狂な性格ではなく、出来うる限り平穏無事に旅をしたいだけの人間である。

「今日はここにお泊まりください。明日、皆を説得してみますから」

「いや、あれだけ熱狂的だと難しいのでは」

「これでもこの村で育って、その、私達は夫婦になって一人前として迎えられています。なんとかしてみせますよ」

 と、男性のほうは自信満々に告げるものの、さりとて私のほうは気楽に構えているほど堂々とした性格でもない。

「ああ、忘れていました! 俺の名前はサッシ」

「そうでした。自己紹介がまだでした。申し訳ありません。私はリツナと申します」

 男がサッシ、女がリツナ、と紹介を受けたならばこちらも返すのが礼儀だろう。

「私は旅の占い師スズカ。泊めてもらえるなら助かります。お礼と言ってはなんですが占いたいことがあれば今回サービスしますよ」

「はは、これは我々が勝手にやっていること。気になさらず」

 サッシは屈託の無い笑みで手を差し出してくる。それを握り返し、それからリツナにも手を伸ばして握手をする。

「短い間ですが、宜しくお願いします」

 可能性は実に低いと思うがもし説得が可能ならそれが一番有り難い。一応商売できるようならしたいのだ。何しろ路銀というのはとても大切なものであり、無駄遣いはしていないが先を考えるとあんまりよろしくない懐具合だからだ。

「それで早速なんですが、一応村の様子を見て回っていいですかね。お祭りそのものにも興味ありますし、やっぱ旅の醍醐味は色々見て回ることですから」

 もし商売をするなら好位置をキープしておきたい下心を隠しつつ、提案をしてみる。これなら一種の観光客を装っている振りも完璧だろう。演技派の自分が実に恐ろしい。

「ええ、ですがもう顔を村の人達に見られているので、今は少し顔を隠していったほうがいいかもしれませんね」

「……マスク、あります?」

 それで誤魔化せるかはわからないものの、一応提案してみた。

「はは、どうせなら妻の服をお貸ししましょう。後で帰していただければいいので」

「私のお古ならスズカさんにピッタリですよ」

 うっ、と思ったが、確かに格好も変えるべきだ。

「夕方までにはお戻りください」

「もちろん。荷物も預けてありますからね」

 帰ってきたらしっかり中身は確認させてもらうが、たぶん中を見ることはないだろうという気がした。二人からは盗みをするような人間の気配が全くしなかったから、という曖昧な理由に過ぎないのだが、この勘は案外馬鹿にできないものだ。

 その後、私はしばしリツナの着せ替え人形よろしく取っ換え引っ換え着替えさせられて、彼女が満足してからようやく外出の許可が得られたのだった。


 というわけで一体何年ぶりのスカート姿だろうか。うう、すーすーするのが落ち着かない。旅をするようになってから機動性や皮膚への保護を考えてスカートは避けてきたのだが、まさかこんな村で子供の頃に履いていたものを着ることになるなんて。

 目深の帽子も被って村の中を歩く。なるほど、案外バレないものだと思いながら村の中を散策し始める。村の様子というのは祭りのおかげで俄に騒がしく子供達が走り抜けていく様子を横目に村の中心部まで歩いて行く。村の祭りはそこそこ出店が出ていて、恐らくは余所からやってきただろう人達もちらほらと見かける。ここは都市部からやや離れた寒村のような場所だが、よくもまぁ足を運んでくるもんだと感嘆の意を覚えていると、そういえばこの村は別の都市へと繋がる道に沿っていたことを思い出して色々と納得した。都市から都市を歩く商人や旅人がここへ立ち寄った余所者の正体であろう。といい始めるなら私もまったく同種であることを思い出し苦笑いを浮かべる。

「さて、目的のものは……と」

 串焼き屋を見つけて早速そこへ立ち寄る。

「一本……いや、二本くださいな」

「お嬢ちゃん、食べるねぇ」

 見るとなかなかに大きめの肉がぶっ刺さっているので、おお、と声を上げる。

「ふふ、お腹空いてますから」

 愛想笑いでできるだけ可愛い女の子を演じると、屋台の兄ちゃんは頬を緩ませたようだ。普段履かないスカートとフリル付きのブラウスだからか、そういうことをするのに抵抗がない自分へ軽く驚いている。そうか、私ってば魔性の女の才能もあるのかもしれないね。

「いいよー、秘伝のタレ、たっぷりつけてやるよ。ついでに他の土産物屋も見ていってやってくれ。折角の祭りだから気合い入れた連中が多いんだ」

「へぇ、『それなら村も安泰』ってものだねぇ」

 と、思ったより若い兄ちゃんがそのタレとやらをヒレでたっぷりと塗って焼いてくれる。お金を渡して受け取り、熱々のタレたっぷり肉をガッツリと頬張りながら歩いていると段々村の中心から外れたところに出てしまう。

「ここは」

 雰囲気が少し村の中と違う。いや、そうではないとすぐに否定できたのは、かつて家があったと思われる跡地がそこここに散見されたからだ。これが十年前の災害によるものだろうか。壊れた家を撤去し、新しく家を建てたというところだろう。残骸は年数が経っているものから――

(思ったより経ってないのもある?)

 はて、と首を傾げる。もしかして半年前の大災害がここまで及んでいたのだろうか。あのサッシ達夫婦の言葉を思い出すならそれもあり得るだろうが、地域的にここはまだ被害が少なかった。私達のような未知を識る者の力を借りなければ村を復興できないような被害状況にまで及ばなかったと予想していたが、もしかして私の思い違いか。

 ――疑問を疑問のまま残しておくと後々厄介なことになる。私は木陰で人目の付きそうにないところにまで移動して耳を澄まし、ここら辺にもいるだろう超常の存在達が語る世間話を盗み聞くことにした。彼らの声は何かしらの言語でありながら、人間達のそれとは概念そのものが違う。無理に言語化して理解するものではなく、彼らの会話がイメージとして頭の中に流れ込んでくるというほうが近いだろうか。私はそのイメージを正しく理解してしまうからこそ、この声は普段から遮断するようにしているし、その訓練を何年もかけて行ってきた。何より精霊に目を付けられると常に厄介ごとが舞い込んでくるのだ。

 イメージ。意識。過去の人間が行ったこと。精霊は時間に縛られることはなく、過去、未来、現在を一緒くたに語る。それを切り分け整理するのは私のほうだ。私が識りたいのは過去、ここで何が起こったのか。

 実際に目に見えているわけではないが、緑色の髪の女性がいる。これは十年前のだろう。見覚えのある女性であり、不敵な笑みが似合っている堂々とした女性だ。凄まじい嵐の中に関わらず長い緑色の髪を靡かせて村の人間へ的確な指示を出している。まぁ、彼女ならその程度楽にこなしてしまうだろうという気がするから、私はその人が本当に人間か時々疑っているのだが、それを口に出してしまうと一瞬でここまで飛んで来て頭を殴られそうだから決して言葉にしないこととする。

 そして嵐が収まった後に何事か告げて、彼女はそのままここを去って行った。恐らくそれが例の村を繁栄させた――いや、復旧させた、というべきか、その言葉だったのだろう。なるほど、村長とサッシの言うことは正しいということか。

 それから別のイメージが流れ込んでくる。なんだろうか、また嵐のシーン。先ほどと似ている気がする。目を覆うような強い風の中、二人の少年少女が木にしがみついて互いを守っているところに、緑色の爪をした手が差し出され、間一髪で救われている。サッシ達が語ったかつての救出シーンだろうけれど、これは……?


『巫女様のおかげで助かります』

『巫女様がココで大人しくしてくだされば』

『村長、それは――』

『サッシ、お前は見てしまったが、他の者には黙っていておくれ』

『ああ、巫女様! 今日のお告げを――巫女様――』

『俺、巫女様の面倒を』


 それは砂がぶちまけられたかのように不鮮明な過去の出来事で、耳に届く音も途切れ途切れだ。


 ――サッシ達の会話に違和感を覚えたのは、まさにその時だった。村長とサッシ達、いや、村全体が何かを隠しているのではなかろうかという疑いは最初から少しだけ抱いていたが。

 驚いた。正直ここまでとは思わず、脂汗がにじみ出るほどだ。村全体というよりも、これはあの二人だけが持つ共有の秘密、ということか。

「まぁ、アレ絡みだからしょうが無い、か」

 これだから精霊に関わる何かしらの出来事というのは全て禍にしかならないと、密かにため息を吐く。

「巫女様!」

 と呼ばれて肩が跳ね上がったのも仕方ない。完全に予想していなかったタイミングでサッシが声を掛けてきたのだ。

「そろそろ夕暮れになります。お戻りください」

「え、あ、もうそんな時間?」

 そらを見上げると太陽も隠れつつあり、空も夕焼けに染まり、東の方は星空がぽつぽつと見え始めていた。

「よく私がここにいると分かりましたね」

「え、ええ、探しましたとも」

 ちらりと彼の足下に目を落とす。泥だらけの靴で、まるで一日中森や日陰を歩いていたみたいだ。

「そうですか。ご苦労様です」

 にこりと笑みを作って礼を述べてから、彼らの家に戻ることにしたのだった。


 その日の夕食はリツナが腕を振るってくれたということで村の一軒家で出される料理としてはなかなかに豪勢なものであり、さっき食べた串焼きの消化が間に合わず食べるのに苦労したものの結構美味しくて手と口が止まらなかった。

 うーん、旅の途中で食べるのが野草と捕まえた兎を焼いて食べるだけの野性味溢れる料理とは全然違って味漬けされた美味しい料理って本当に素晴らしいね。人間の文化、最高です。


 翌朝、借りた部屋のベッドの中からむくりと上半身を起こす。ぼさぼさの髪を指で梳いてなんとか見られても平気な具合にしてから、寝間着から普段着へと着替えた。部屋に置かれている小さな鏡に目を向けると、うん、まだまぶたが重そうだ。

「ふぁあ」

 誰も居ないのをいいことに大きく欠伸をしてから伸びをする。大きく息を吸って窓から外を眺めると、今日の祭りはまだ再開していないものの、すでに下準備で忙しそうにしている村人の姿がそここに確認できた。

 昨日の今日であの二人が村人、特に村長を説得できたかという期待はあまりしていないけれど、とりあえず様子だけは知っておきたい。が、またあの調子で詰め寄られたら今度こそ村を逃げ出しそうではある。気乗りはしないなぁとぼやきつつも出かける準備を済まして部屋を出ると、すぐそこは家のリビングに直結しており、すでに二人が朝食の準備を行っていた。ふんわりと焼けたパンの香りが鼻腔をくすぐる。

「おはようございます、スズカさん」

 リツナの挨拶に挨拶で応えて、サッシが椅子へどうぞというので流れるように座る。別に匂いに負けたわけではないが、私の意思に反してお腹が鳴るのだからこれは不可抗力である。それに旅には体力が必要で、その元となる朝食は私みたいな人間には欠かせないのだ。そう、そういうことである。そういうことにしてください。

「朝食を食べながらでいいのですが」

 と、前置きを入れてきたサッシに目と耳を傾ける。当然咀嚼は止めていない。美味しい料理は温かい内に召し上がらなければ失礼というものだ。

「今日だけ、今日だけでいいですので巫女をやってもらえませんか」

「ええー……」

 吹き出しそうになるコーヒーの代わりに、思いっきり不満げな声を上げてみる。

「昨日と今朝、村長を説得しに行ってみたのですが、村人を納得させるためにも一度だけ巫女らしく振る舞って欲しいという条件を付けられまして」

「えっと、つまり一日巫女体験をやれば後は普通の旅人として扱ってもらえるってことですか?」

「そうです、はい」

 なんという面倒な条件がついたものだ。今後の資金源を前提に差し引きで考えた場合、実際そこまで悪くはないのかもしれないが……。

「巫女、巫女かぁ。私なんかそういう清らかそうな職業の人とはまったく縁遠い人間だけどなぁ」

「そうですか? その綺麗な緑色の髪なんか、森の深みに似ててとても神秘的ですよ」

 とはリツナの言であるが、私自身この髪の毛の色をどうこう思うことはない。生まれつきこうなのだから見慣れているというのもある。ちょっと長過ぎるのでそろそろ適量に切ろうか迷っているぐらいだ。

「……仕方ない、か」

 胡散臭さを感じるものの、一宿一飯の恩義ぐらいは返さないといけない気持ちぐらいある。温情の有無は別として何もただの無情な人間というわけではないのだ。

 神様の声を聞くなんていう阿呆らしい人間がこの世のいないのは承知しつつ、私は一日だけその役目を果たすことにしたのだった。

 しかし――今は遮断している精霊の声を聞いてお告げを言わなければ納得しないのは明白なので、そこをどうごまかしたものか無駄に頭を使うことになりそうだ。何しろ精霊の言葉を全て伝えると、人の反応は大概決まってくる。私は何度もその場面に出くわしてきたし、結果として全てが破綻することが多い。――だから選ばなければならないのだ。


 巫女様のお通りだー、というお偉いさんが通るみたいなかけ声が前から聞こえてきて、思わず顔が熱くなるのを感じてしまった。私の周囲には五人ぐらいの大人が取り囲んでいて前方をサッシが歩いている。真横には村長が当然とばかりに髭を指先で整えていて、そのとんがった髭を引っ張りたくなる衝動をなんとか抑え込む。

 駄目だコレ、思ったより恥ずかしい。とりあえず村長とは一度自分からも話を通しており、その時に村の中を一周するということになったのだが、この村の中を一周というのが余計だった。要らなかった。やめとけばよかった。何故私は引き受けてしまったのだろうか、今朝の自分に戻れるのならば全力で拒否をしていたことだろう。

 歩く度に好奇の視線が飛んでくる屈辱に耐えるのは如何ともしがたく、村長が用意してきた巫女服とやらは全力で断って普段の旅人の格好のままで済んだものの、やっぱりこういう注目のされ方は私らしくない。もっと密やかに占い師をやりたいし、そこそこの路銀を稼ぐのが身の丈に合っていることを絶賛現在進行形で味わっている。

「いやー、巫女様! 大変助かります! これであとはお告げを聞ければ村は助かります!」

「そ、そうですか」

 愛想笑いで返したものの、よほど機嫌が良いらしく、私のそんな気持ちを察することなく村長はわははと笑っている。別にこちとら一日だけこの村の巫女の真似事をするといっただけで、村の益になるお告げとやらを伝えるなんて一言も約束していないのだが、どうやら彼の中ではすでに私が神のお告げを宣言するのは決定事項となっているようでゲンナリする。

 これは商売や損得抜きで精霊の声に耳を傾けるべきだろうか。占い師としての仕事や命の危険、身の危険の回避以外にあまり耳を傾けるべきではないのが精霊だ。出来うることなら人はそういうモノに関わらず生きるべきである。

 やはり言うべきではない。何度考えても結論はここに辿り着く。個人的な占い、つまり私が商売として告げる精霊の言葉はその人の人生に軽いスパイスを与えるかもしれないが、せいぜいその程度だ。人生を決定的に変えることは決して言わない。だが、村の運命を左右する――ましてはそれに頼っていかなければ成り立たない程のことを告げる責任を私は持つことができない。そしてそうした結果、その村をずっと放っておくなんてことも無責任に過ぎる。

 何しろ前回のお告げは十年保たなかったのだ。同じ声が聞こえるだけの私がそれ以上のことを言えるとも思えないし、未来永劫を約束するなんてこともあり得ない。いや、できない。

 村長はそこまで分かっているだろうか。もしそこまで考えていなかった場合、私が告げる運命は一時の幸福しかもたらさず、それによって失われる自立精神の影響は計り知れないものがある。

「それでは巫女様、こちらの家で一度お休み頂けますか」

 と、気付けば私は村の外れにある家の前に案内されていた。小さな窓がいくつもあるが、本当に小さな窓で人が通り抜けられそうにない。

「ここは?」

 と、訪ねてみる。すると村長の代わりにサッシが答えてきた。

「いつか来られるだろう巫女様のご休憩場所を予め造っておいたんです。この家の中は好きに使ってくださって構いません」

「あらかじめ造っていた、ですか」

 なるほど、と呟くと村長は満足げに頷いた。その小屋は最近建てられたにしては少々古びているようにも見えるが、一応家の周辺は綺麗に掃除されている。誰かが毎日ここまで来てそうしているのだろうことを察するには十分だった。しかしまだ誰もいないと言う小屋の周辺を、巫女が来るまで毎日掃除している理由なんてあるだろうか。

 一度目を閉じて、私は代わりに別の感覚を開く。そうしたのも一瞬で、恐らくサッシも村長も私が何をしたのか気付かなかっただろう。彼らは私を前に立たせてその建物の中に入るよう誘導する。努めて平静を装い、そして私はサッシの片手を掴んで後ろ手に捻り、身動きを封じつつ彼を縦にするよう背後に立ってその首に黒い針を突き付けてから村長に視線を向け、突然怯んだ村長の隙を突くようにさらにグルリと半回転してサッシを建物の中へと蹴り飛ばした。

「っと、ここを押すんだっけね」

 扉の手前、よく見ると不自然に四角く切り取られた痕跡を残す部分に指を伸ばす。

「待っ……!」

 扉が閉まると同時に指で押したそこが、ガコンと音を立てて扉の手前に内側からは決して開かないような木の棒が真横になるよう弧を描いて落ちてきて、サッシは見事なまでに家の中へと閉じ込められた。中から扉を叩く音が聞こえてくるものの、同情はしない。だってこの二人は、まさにこの状況の通り私をここへ閉じ込めるつもりだったのだからね。どこに同情できる余地があるだろう。

「さて、説明をしてもらいたいところですが」

 残るは村長一人だけだ。人を呼ぼうとしたところを先回りするよう素早く動き、その首筋に針を突き立てる。

「申し訳ないが、私は旅人でね。ここであなたを殺したところでさっさと村を出て行けばいいだけなんだ。できればあなたの口からちゃんと説明をして欲しいところだけれど、まぁ無理を言っても仕方ないぐらいの分別はあるよ」

「なぜ、気付いたのです……!」

「どうやら十年前に来たという巫女さんのことをちゃんと見てなかったようで。私達みたいな人間は直接ではないけど未来を見聞きできるんだよ。当然過去もだけどね。不自然だったんだ。この村に訪れた未知を識る者は過去に二人居た。一人は単に村の今後を軽く告げて去って行った。その時に受けた恩恵はそれでも膨大だったんじゃない? けどその人はさっさと村を去って行った。――まぁそうだろうね、恐らくその人は私のよく知る人だと思うから、あの人ならそうするよ。問題は二人目だ」

 ふぅ、と小さく息を吐く。

「――その人の墓まで案内してくれてもいいかな」

「ば、い、いえ、二人目なんてそんな」

「隠し事は無駄だって、その二人目で知っているんでしょ? サッシを私の監視役に任命して村から逃げないようにしたのもそうだ。彼の家に避難させたのではなく、信頼を得させて彼の家に荷物等を置けば逃げる心配もなく、さらに監視役にさせるなんて、いやはや村長も人が悪い。昨日村を歩いていた時からずっと彼が私を見張っていたのも当然気付いているよ」

「なぜそんな」

「二人も私みたいな人間と出会っておきながら、まだそれを問う? 私達みたいな人間はあなた達に見えない『何か』から声を聞いているのぐらいは薄々察しているのでは? それとも、自分達が感じられない『現象』には目を閉じたままでいたいということかな。散々恩恵を受けておきながら、なんという身勝手さだろうね」

「……だからこそ我々は貴女が必要なのだ。一言二言の助言では村を維持できない。これから何度もやってくる自然の猛威に村は耐えられない。その未来予知、回避方法、その後の対策の知恵をお借りしたいのだ!」

「だから二人目はここに閉じ込めてそうしたんだろう? だけれどもお粗末にもあなた達は人間を閉じ込めて長期間元気に生かす術が無かった。食事さえ与えていればいいとでも考えたのか、その辺は敢えて見ないことにするよ」

 と、私は嘯いた。二人目は散々自分の状況を嘆き訴えたにも関わらず、それは逃げ出したいが故の戯れ言だと一笑に付したのは誰かという話だ。

「せめて彼女の墓ぐらいは用意してやるんだね」

「せめて……あと十年は、いや、次に貴女みたいな方が来る予言だけでも!」

「巫山戯るな」

 さすがにはっきりと言い切る。

「未知を識る者の言葉は人間が聞いていいものじゃない。それには必ず不幸が訪れる。二人目はどうやら私以上に危機感があってあまり精霊の声を聞いてなかったようだからこんな罠に引っ掛かったみたいだが、私は甘くない。この村の料理は美味しかったが、それは私自身の今後の将来を預けるに足るものじゃない。そして私が精霊から聞いた言葉を伝えれば伝えるほど、この村の未来は滅びの選択肢しか残されなくなっていく」

 ――十年前に訪れた女性、まぁぶっちゃけて言えば私の師匠なのは間違いが無い。しかし師匠の爪は別に緑色ではなかった。だからこそ精霊の声がなくとも『二人目』の存在に気付いたのだが、師匠は私以上に精霊を危険視していたからこそ、最低限村が復旧するに足る目処を付けた言葉を選んで、それだけを伝えたのだろう。恐らく今の私でも同じ状況ならそうするに違いない。

 ――が、二人目は違った。私や師匠より心が優しかったのだ。もしかしたら旅人ではなく偶々通りがかった人だったのかもしれない。しかし師匠の言葉を信じて村を復旧させた村人は彼女が師匠と同種の人間であると知り、素通りすることを許さなかった。だから私にしようとしたように、この家に閉じ込めたのだ。いくら精霊から知識を得たとしても所詮は人間、逃げられない状況に陥ってしまえばどうしようもないのだ。

 唯一例外があるとするならば人間を辞めることなのだが、それが可能かを識っていたかどうかは、さすがに今となっては知りようもない。

「要は、自立出来ない村は滅ぶしかない、ということだよ」

「そんな無情な……!」

「無情で結構。自然の摂理とはそういうものだから。それが嫌なら村人全員でこんな地からとっとと逃げることをオススメするよ。ただどちらにしろあなたは村長じゃ居られなくなるだろうけどね」

 私はちらりと視線を木々の隙間に向けた。

 そこには口元を抑えて顔を真っ青にしているリツカが今にも崩れ落ちそうなぐらい困惑しているが、彼女に掛ける言葉はない。――今まで自分を生かしてきた正体を知った後にどうするかは彼女次第だからだ。

「ああ、一つだけ。災害は無い。ならば、十年前に戻ればいいだけだ。存外あの村で滅びると信じているのは、『私達』に魅入られてしまったあんたらぐらいのものかもね」

 村長から針を離してドンと突き放す。彼はその場で膝を折って地面に手を突き、これ以上私へ突っかかってくるのを諦めたようだ。それから木々の間にリツカがいることに気付き、目を見開く。

「違ッ……」

 弁明しようとした村長に背を向けたリツカは、自分の旦那を救おうともせずに村の方へと走っていった。

 ――私は誰も帰っていない彼らの家に預けていた荷物を回収し、村を出たのだった。


 あの後にその村がどうなったかは知らない。恐らく二度と立ち寄らないだろうし、彼らが後に全滅しようが、あるいは村を自力で再建させようが、村長がどうなったかについても耳を傾けるつもりはなかった。敢えて全ての情報は耳に入れないことにしたのだ。二人目の墓を用意したかも気にならないわけではないが、私と同じく精霊の声が聞こえるだけの名前と顔も知らないただの人間に強く同情するほど、私は深い懐があるわけでもない。

 ああ、でもあの串焼きは美味しかった。そこはちょっと心残りかもしれない。

 良い天気だなぁと大きく伸びをした後、さて次はどこに向かおうかと地図を広げてゆっくり思案する。

「ここを向かえば……あー、そっか」

 この道を真っ直ぐ向かっていった先に住んでいる知り合いへ偶には顔を見せるのもありかもしれない。いや、その前にどこぞの町へ寄って一稼ぎしようか。こうして行き先のことを色々考えるのは結構好きだったりする。

 私には自由があり、目的がある。さりとて急ぎでもない旅路をゆるゆると歩いていくのだった。

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