第3話 あたしは心を入れ替える

 焼きたてのパンのいい匂いに包まれながら、あたしは開いた扉に向かって声をあげた。

「いらっしゃいませ~」

 ランチを求める混雑は落ち着き、夕食に添えるパンを求めるにはちょっと早い、おやつを買いに子どもの手を引いたお母さんや学校帰りの学生が立ち寄る、そんな時間。

 そこにいたのは、イーゲル先生だった。


 卒業パーティの翌日、あたしはイーゲル先生に呼び出されて面談した。

「まさかあなたが卒業パーティに参加するまで、卒業できると、ましてやオトマールと結婚できるなどと、思い込んでいるとは思いませんでした」

 あのときにため息まじりに言われたことを思い返すと、申し訳なくてたまらない。


 最終学年終了後行き場がなく、故郷にも帰りたくなかったあたしに、イーゲル先生は就職先を世話してくれた。

 魔法の苦手なあたしのために、魔法を使わなくてもよくて、あたしの笑顔が生かせるところ、とは先生がそのときに言ってくれたこと。


 イーゲル先生の行きつけだったこのパン屋のご夫妻があたしを引き受けてくれて、あたしは幸運だった。

 パン屋の奥さんマーマラーデさんの紹介で近くに小さな部屋を借りるときも、イーゲル先生は保証人になってくれた。


「ここでしたら治安も悪くないですし、パンがイヤでなければ食いっぱぐれることはありません。ご夫婦もとてもおおらかな方々です。

 私の紹介ですからね、くれぐれも私の顔に泥を塗らないように真面目にがんばってください。いかにいい男が客で来たとしても、仕事優先ですよ。

 あなたは少々思い込みが強すぎる傾向があるので、ご夫妻に何事も相談して、彼らがなんと言っているのか、きちんと理解してから行動するのですよ」


 イーゲル先生は口うるさく言っていたが、その中身はあたしのことを心配してくれていることが、今ではよくわかる。

 思い込みが強すぎると言われたが、確かにその通りだったみたいだ。

 卒業パーティが終わってあらためて思い返すと、すべてが違って見えた。


 イーゲル先生はこうやってたまに顔を見せてくれる。

 混雑しない時間に来てくれるのは、あたしと話ができるようにかもしれない。これも思い込みかもしれないけれど。


「お変わりありませんか。店主ご夫妻とはいかがですか」

 先生はいつも同じことを聞く。あたしの返事も同じだ。

「はい、変わりはありません。ベックさんにもマーマラーデさんにも可愛がってもらってます」


 それは本当のことだった。

 押し付けられるように連れてこられたあたしを、ちょうど手が足りなかったと快く引き受けてくれた。それだけでなく、子どもができなかったから、店に若い子がいるのが嬉しいと言ってくれた。

 昼は交代だが、朝と夜は一緒にご飯も食べさせてくれる。まるでこの店の子どもになった気分だった。

 だからあたしは、ご夫妻の気持ちに報いるために一所懸命に挨拶をし、笑い、商品を勧めた。


「先生、このお店自慢のサイコロパンにハートマークが焼きついていたら、かわいいと思わない?」

 最近は、美味しいパンをもっと楽しんでもらうためにはどうしたらいいか考えるのが日課になっていた。

 甘いカステラ生地を四角い形に詰めてサイコロ型に焼いたサイコロパンは、新作だ。

 生地自体が甘いので、気楽にケーキを食べる気分で食べられる。

 もっと、若い女の子たちに買ってもらいたいなと、あたしは考えていた。


「焼きごとを使うのが一般的ですが、それならあなたの魔法でもできるのではないですか」

 イーゲル先生は、あたしが思ってもみないことを言った。


 火魔法の応用で、どんな形の焼きも型から出したあとのサイコロパンにつけられると、先生は説明し、実際にやってくれた。

 先生がサイコロパンの上に手をかざすと、あっと言う間にその表面に色が濃い茶色のハートが浮き上がった。


「やってごらんなさい」

 まるで学生に戻ったみたいだった。イーゲル先生の誘導で、あたしもパンの表面にハートを浮き上がられることができた。

 一個目は薄くて、二個目は焦げすぎて、三個目にやっといい具合のものができた。


 ちょうど遅いお昼の交代で出てきたマーマラーデさんに、そのサイコロパンを見せたら、彼女はとても喜んでくれた。さっそく商品化しようと張り切ってくれている。クリームとチョコと中身を変えて、上のマークを変えるのもいいという声が、マーマラーデさんが戻って行った厨房から聞こえてきた。

「先生、ありがとうございます。魔法学校を出たのに魔法が使えなくて心苦しかったのですが、これで少しはあたしの魔法も役に立ちます」


 イーゲル先生は、ちょっと眉を下げて困った顔になった。

「魔法は訓練が必要です。いままでさぼっていたあなたは、やったことがない魔法を一人で使おうとすると事故が起きる可能性があるでしょう。だからこそ学校で管理しているのですから。

 もし何か新しい魔法を使おうとするなら、必ず私に言ってください。いままでのようにたまにこちらに顔を出しますから。

 一人でやろうとしないように。

 あなたのことです、何か突拍子もないことが起きたら、こちらのご夫婦の迷惑になります」


 イーゲル先生のたたみかけるような言い方に、あたしはコクリとうなずいた。

 いいかげんだった学生生活を、あたしは猛反省したのだ。

 あたしはこれから仕事に生きるんだ!目指せ、職業婦人!


「あの、先生。あたし相談があるのですが、いつかお時間をもらっていいですか?」

 長くなるのかという問いに、あたしはうなずいた。

 そしてあたしは、今度のお休みにイーゲル先生とカフェで待ち合わせすることになったの。



 * * * 



 イーゲル先生の指定したカフェは、渋かったわ。半地下で落ち着いた照明。お一人様か、恋人同士か。グループでいる人たちも静かに話をしている。漂うコーヒーの香りがいい匂い。

 先生は、観葉植物で周りから囲まれた隅の席を選んだ。あたしの相談内容がわからないので、念のために人気のない場所を選んでくれたのかもしれない。


 コーヒーとイーゲル先生お勧めのチーズケーキが運ばれてきてから、先生はあたしの話を促した。


「魔法学校で勉強していなかったあたしが言うのもなんですが、あたし、経営学を習いたいんです」

 言えた。


 故郷にいるときは、周りは知り合いばっかでなぁなぁでやってきたから気づかなかった。魔法学校にいたときは、オトのことしか見えなくて気づかなかった。でも、パン屋で毎日パンを売っていて気づいたの。

 美味しいパンだからみんなに食べてもらいたいと考えたら、何かいつもと違うことをしなければダメだって。

 いくら考えたって、常識も知恵もない……悲しいけれどももうわかった……あたしには、いい考えは浮かばないもの。そしたら知恵をつければいいわ。


「目的はなんですか?」

 イーゲル先生の問いに、あたしは自分の考えてきたことを一所懸命まとめて話した。

 まとめたつもりで、結局は話があちこちに飛んだかもしれないけれど、先生は黙って聞いてくれた。


 話し終わってあたしがチーズケーキを半分食べる間、先生は考え込んでいた。そしてあたしを見た。


「商業高等学校の聴講生になるという方法があります」

 やっぱりイーゲル先生は、あたしが必要なことを教えてくれる。先生の言葉なんて聞く価値がないと考えていた魔法学校のときの自分に言ってやりたい。先生はとってもすばらしいのよって。


 聴講生というのは、仕事をしていたり、別の学校に通ったりしている人が一般教養を高めるための制度らしい。

「聴講生になるためにも試験があるのですが、あなたは運のいいことに魔法中等学校の通学生です。試験は免除されます。

 本来の学生ではないので、卒業資格はいりません」

 聴講生用に開放されている講義はいくつ受けてもいいし、しかも仕事が終わる夜に開講しているものもあるらしいの。

 学期毎の試験はなく、その分受講しても何か資格をもらえるわけでもなく、ただ興味のあるものを学ぶだけ。あたしは知識を増やしたいのだから、それでいいわ。

 うれしいことに、勤労学生は学費も安いらしい。あたしの給料でも通えるかしら。


 借りている部屋は小さくて古い分安いし、結果として三食つきなので、あたしの給料でも贅沢しなければ少し余裕がある。

 イーゲル先生は、あたしの職場から通える学校と、資料をもらう方法を教えてくれた。

「あとはあなたが自分でやるように。もう学生ではないのですから。

 またパンを買いに行ったときにでも、結果を教えてください」


 イーゲル先生とはそのままカフェで別れたわ。

 あたしはさっそく商業高等学校まで行き、もらった資料を部屋で何回も読んだの。

 お休みの日もパン屋でまかないを食べさせてくれていたので、その日の夜、あたしはご夫妻と会った。


「どうだったの? あの先生とは」

にこにこ笑いながらマーマラーデさんに聞かれたけど、あたしの答えはきっと、マーマラーデさんの期待したものではなかったのでしょう。

「相談に乗ってもらって決めました」

 ご夫妻が黙ってあたしの方を見た。

「商業高等学校の聴講生になりたいんです。行かせてください」


 講義は夜のものをとること、学ぶだけで資格はとれないが、知識はこの店に生かせること、自分の給料で学費もなんとななりそうなことなど、今わかってる全部をご夫婦に話した。

「講義がある日は残業ができないですけれども、今もほとんどないのでご迷惑はかけないと思います」

 そう言って頭を下げたあたしに、ご夫婦はうんうんとうなずいてくれた。

「よし、夜の一人歩きは危ないからな、帰りはオレが迎えに行って部屋まで送ってやる」

ベックさんが張り切ったように言ってくれて、マーマラーデさんがにっこりと笑ってた。

 あたしはそんな迷惑をかけたくなかったので断ったのですが、断りきれずにお願いすることにしたわ。

 そのかわりに、絶対お店に生かす知識を学んでくるとこっそりと拳を握ったのは、きっとご夫妻にはバレなかったはず。

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