15

 がきん、と鈍く硬い音が鳴った。

 鬼の眼前に石でできたゴーレムの腕が付き出され、石と石の間に突き刺さった爪が石を二ブロック床に叩き落とした。突き出されたゴーレムの腕が僅かに下がる。

「どいてください。邪魔をするなら殺しますよ」

 眉をしかめた狼男に鬼はゴーレムの胴体を手でどかそうとする。

「ええ。我々配下一同、全力で邪魔させていただきます」

「では」

 狼男がゴーレムの短い首に手を突き出そうとした時、鬼がゴーレムを横に突き飛ばして狼男の手首を掴んだ。

「全員どっか行ってろ! こいつはテメェらじゃ相手取れねえ!」

 魔物達の方を向いた鬼の首に狼男が牙をむくが鬼は腰から抜いた鞘のついたままの刀を開いた狼男の口に押し込んだ。牙が鞘を凹ませ、唸り声をあげて狼男は鬼を睨む。

「犬畜生は棒でもくわえてろ」

 口角を上げた鬼の顔面に狼男は片手の爪を振り下ろそうとする。だが鬼がスーツのはだけた狼男の腹部に拳を入れた瞬間カキンと金属の折れる音がして、片手首を掴まれたまま狼男は前のめりになった。口から血のついた欠けた刀と砕けた鞘の破片を吐き出し、共に血を吐き出して口元の毛が赤く染まって血が滴る。

「は、こんなもんか」

「光魔法!」

 鬼が言いかけた所で天井付近の光の球が明るさを増して室内が再び真っ白に照らされる。手を振り払った狼男に鬼は前を見るもすぐさま目をつむる。

 真っ白な中で狼男の爪が鬼の首に突き刺さった。う、と喉から声を漏らした鬼の首の爪が刺さっている周辺に血が滲み、光が弱まってきたころ目を細めていた狼男は爪を引き抜いた。

 首から血が噴き出して即座に鬼は片手で自身の首を絞める。

「回復魔法っ!」

 紫のマントに身を包んだ魔物が杖を向けて鬼を回復した。鬼は前によろけ、床に血溜まりに足を突いて血がかかる。狼男に目を向けられて紫のマントの魔物は一歩後ろに体を引いた。魔物に突き出した狼男の手の平に魔力が瞬時に集中する。

 狼男の狼の手をパタの手が掴んだ。放たれかけた魔力が手の隙間から空気に流れる。手に再び魔力を溜めて口を開いた狼男は吸った息を詰まらせて激しく咳き込んだ。俯く狼男の口から細かい金属片の混ざった血が吐き出される。

「だ、誰か回復魔法を」

 振り向きかけたパタの肩に狼男の爪が立てられる。声を漏らして表情を歪ませたパタの肩の傷を鋭い爪が押さえつけてえぐり、じわじわと下がる手元から血が伝う。狼の手を掴む蒼白い手が震え、ぴっと狼男の血のついた爪がパタの首の横の肌を裂いた。包帯が切れて緩まり襟口から床に落ちる。

 口周りの毛が血に染まった狼男が赤い線の入ったアザのある白い首に食らいつく。

 刺さった牙から血が細く流れて青い血管の通る首筋を伝った。噛みついている喉の奥から強く唸り声を上げながら狼男は掴まれている手に魔力を込める。

 口からぼたぼたとパタの上着にこぼれる血が天井付近の光の球に微かに赤く光った。狼男の手から濃度の高い魔力が強い圧を持ってパタの手を引き離そうとする。だがふっと魔力が弱まり、刺さっていた牙が離れて狼男の目が閉じかける。

「やった」

 魔物達が声を上げかけた瞬間狼男の目が開いた。

「まだで」

 振り向こうとしたパタの横から狼男が魔物達に手を伸ばして魔力が溜まる。咄嗟にパタがその手を掴んで体が床に押し倒された。床の血がパタの上着の背中から染みる。

 狼男の口からこぼれる血が歯型と手のアザがついたパタの首元に垂れた。掴む力が弱まって、狼男の体が横によろめく。

「寝ちゃだめです! あと少しです、頑張ってください!」

 パタの声に狼男は瞼を開けるも再び閉じかけて手から力が抜ける。顎の毛から垂れた血が白い頬にかかり、はっとパタの目が開いた。

 力の弱まった狼男の手を掴むパタの手が震え、半開きの口から洩れる呼吸が荒くなる。パタの手が狼男の手を離した。

「ごめんなさい」

 呟いて黒い両目を真っ直ぐと向ける。


 狼男の手首から血が吹き出してパタの上着に跳ねあがる。目をかっと開いた狼男の顔に血がかかった。

「狼男様!」

 魔物達と、鬼が茫然と狼男を見る。

 手首を掴むパタの血まみれの赤い手を振りほどこうとして血が飛び散った。手に込められていた魔力が途絶え、瞼が落ちて狼男は横に崩れるように倒れる。

「回復魔法!」

 魔物が唱えると狼男の手首に空いていた細い穴が塞がって血が止まる。血の広がった床から体を起こしたパタの血だらけの手の人差し指が窓の外の日光に微かに赤く光る。

 天井付近の光の球は小さくなって消え、室内はやや薄暗くなる。



 鬼が床に広がった血を踏んで、横たわる狼男を見下ろした。毛が肌に戻り、手足の先と尾と耳を残して狼男の姿が人型に戻る。

「おい、何した」

「魔力を抜きました」

 パタの声は震えていた。

「血の中に魔力が混ざっているんです。これで、洗脳は解けるはずです」

 血だらけの手を反対の手で掴んでいる。鬼が手を伸ばそうとした時、狼男の目がうっすらと開いた。金色の目が鬼の顔を見る。

「失望しましたか」

 よろめきながら床に手を突いて上半身を起こし、狼の指先で器用に外れたボタンをつけ直す。見下ろしていた鬼は下ろした手を強く握りしめた。

「……ああ、見損なったよ」

「そうですよね」

 俯けていた顔を上げて鬼は狼男を見る。スーツの前を閉め終えた狼男は窓際の机と椅子を横にどかし、日の光に照らされた窓を左右に大きく開いた。

「大変ご迷惑をおかけしました」

 腰の高さの窓枠についた手を引いて身を前に乗り出す。

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