13

 両側の壁にろうそくの設置された廊下に着地し、パタは辺りを見回した。停滞した魔力がろうそくの灯りに微かに赤く光る。戸惑った末、パタは廊下を前へと歩き出した。

「あれ」

 しかし少女の声に足を止める。

「勇者じゃん。何しに来たの?」

 襟に毛のついたマントを羽織り、頭に二本の大きな曲がった角を生やした白髪の少女は腕を組んでパタを眺めている。血の気の引いた顔でパタは少女を見る。


「ああ、平和交渉するんだっけ。ホントよくやるよね」

 端正な顔立ちの少女の氷のように鋭い両目がパタに向けられる。

「魔物を皆殺しにしたくせに」

 パタの目が見開かれた。目を足元に落とし、呼吸が浅くなる。ごめんなさい、こぼすように呟いたパタに少女は一層目を鋭くした。

「は? 謝ったって意味無いよ。さっさと死んでくれない?」

 震えるパタの指先がナイフの柄に当たり、掴む。ケースから引き抜き、ろうそくの火を反射してオレンジに光るナイフを包帯を巻いた首の左側に回して刃を向けた。

 少女は目を細めてナイフを振り上げたパタを見ていた。

 ぱきりと折れたナイフの刃先が壁に衝突して甲高い金属音を立てる。血のついた破片は床に落ちてカランと小さく音を鳴らし、ナイフを突き立てたパタの肩にじわりと赤く血が滲む。

 歯を噛みしめていた口を開き、曲げた指の関節にすっと赤い線の入ったナイフの柄を握る手を反対の手で握った。

「魔王さん、僕、絶対に世界を救いたいんです」

 荒く深呼吸をして折れた刃先に血のついたナイフを肩から離す。ゆっくりと震える両手を下ろし、少女に目を向けた。ナイフを握る指の関節から染み出た血が上着につく。

 肩から上着の袖に流れて染みている血に少女は目を留めた。

「……あっそ。馬鹿みたい」

 凍り付くような目をパタの顔に向ける。


 次の瞬間、少女の姿が黒髪の少年へと変わった。

 パタと比べてやや背の低い、髪が一筋だけ赤い少年はパタに笑いかける。

「人なんて嫌いだよ。冷酷で、自分のことしか考えてない」

 肩から血を流しているパタへ歩み寄る。

「自分さえよければ他の気持ちなんて……君だって、誰にも助けてもらえなかったよね」

 少年はパタの前で立ち止まり、ナイフを握って震えている手を色白な指の細い手で包み込むように握った。荒い息を漏らしながらパタは少年へ目を落とす。

「何度もひどいことをされて、すごく苦しいのにもっとひどいことをされて……」

 少年の手を握る力が少し強まる。

「なのに、どうして君はそんなに人を守るの?」

 顔を上げた少年の黒い両目がパタを見つめる。僅かに口角を上げて笑っている少年を、酷く蒼白い顔色のパタは瞳孔の開いた目で見ていた。

「……だって、皆幸せなほうが、嬉しいよ」

 目を細めてパタは微笑みを浮かべた。

「それに、僕は皆好きだよ。だから、皆守りたい」

 笑みの消えた少年は少しの間パタの顔を見上げていた。握っていた両手をそっと離し、パタから数歩下がる。

 少年の姿がそばかすのついた女に変わった。パタに微笑みかけ、歩き出したそばかすの女にパタはえ、と顔を上げる。そばかすの女は廊下の曲がり角に姿を消した。

 茫然と廊下を見つめていたが、ナイフを握った手元に目を向ける。

「……折っちゃった」

 震える手を強く押さえつける様に反対の手で握って、血のついた折れたナイフをケースの中にしまう。白い指の関節から血のにじむ手で肩の傷を強く押さえ、反対の手で背後に落ちているナイフの刃先の破片を拾った。上着のポケットに入れる。

 肩から血のべったりとついた手を離して廊下を前へ進む。





 壁にろうそくが灯る暗い踊り場を曲がり、日の光に照らされた階段を手すりを掴んでゆっくりと上がる。手すりが途切れ、上げかけた足を廊下に置く。

 真っ直ぐと廊下を横切って目の前の部屋に立ち入ったパタに魔物達が剣を向けた。

「お久しぶりです」

 奥の窓から差し込む日光が上着に染みた血を照らして、パタは微笑んだ。

 窓際に立っていた狼男と鬼がパタに目を向ける。魔物達は鋭い目つきでパタを睨みながら警戒態勢を取り、明るい室内は静まり返っていた。

 上着のポケットに入ったナイフの破片がかちゃりと小さく音を立てた瞬間魔物達が一歩足を引く。

「攻撃するつもりはありません。交渉をしに来たんです」

 パタはポケットから破片を取り出し、ケースから血のついたままの折れたナイフを引き抜いて足元の床に置いた。刃が光を白く反射する。

 手を床から離し、パタは真剣な表情で前を向く。

「お願いします。どうか、人と争うのをやめてください」

「お断りします」

 間を置かず返された返答にパタは狼男の方を向く。逆光で影になった狼男の表情はまるで無表情だった。

「受け入れるとでも思われたのですか? でしたらとんだ勘違いですよ」

 スーツのズボンの横に下ろされた狼の手は鋭い爪がむき出されていた。

「あれだけ残虐で不当な扱いをしておいて、今更和解しようなど」

 狼男の言葉にパタは息を詰まらせる。視線がやや下がったパタを、狼男は金色の目でじっと見る。

「第一、あのように冷酷な生物と」

 瞼がふっと閉じて狼男の体が前に傾く。パタが顔を上げたと同時に横に立っていたゴーレムが剣を手放して狼男を支えた。大丈夫ですか、と声を掛けられた狼男ははっと目を開いて体を起こし、パタを睨みつけた。

「そもそも、人のような生物は滅んだ方が……」

 言いかけたところでよろめいてゴーレムの腕に寄りかかる。

「おい、そいつをベッドに連れてけ」

 はい、と返事をしたゴーレムの腕にもたれていた狼男は顔を上げて鬼を見た。眉間にしわを寄せて腕を組んでいた鬼はパタに目を向ける。

「テメェ、舐めてんのか? あんなゴミ共全員ぶっ殺す以外ねえよ」

 赤い猫のような黒い線の入った目が細められてパタを睨む。

「それとも何だ、力づくで従わせようってのか」

 日光に照らされた蒼白いパタの顔がぴくりと動く。

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