10

 首を掴む寸前で指が曲げられた。

「……ごめんなさい。僕は、やらないといけないことがあるんです」

 震える両手を強く握りしめてゆっくりと手を下ろす。デュラハンの抱える頭部が眉をひそめた。俯けていた顔を上げ、パタはデュラハンの方を向く。

「こんな争いはやめてください。人を殺したって、誰も幸せにはなりません」

 デュラハンはパタの顔を見ている。


 だが、ふっと笑みを浮かべた。

「そうか。なら今すぐ全軍を撤退させよう」

 ぱっとパタの表情が明るくなる。

「あっ、ありがとうございます!」

「いやいや、お礼を言うのはこちらの方だ。君の言葉に気づかされた」

 細身の剣を鞘に収めながらデュラハンは抱えた頭で頷いた。

「それじゃあ。魔王城で会える日を待ってるぞ」

 片手を挙げ、デュラハンは城沿いの通りへ出て行った。高く昇る太陽に照らされ、花壇やツボの並ぶ路地裏で安堵の息をついたパタを、007は無表情で見ていた。太陽を遮って青く晴れた上空を飛ぶドラゴンを見上げる。





 日が傾き夕焼け空の下で人々に回復魔法をかけて回っていたパタは、兵士に声を掛けられて振り向いた。

「パタ様でよろしいでしょうか」

 兵士の質問にパタは茫然と頷いた。

「は、はい。そうですが……あの、なんで様」

「女王陛下が直々に会いたいと申されております。城までご同行願います」

 え、と声を漏らして瓦礫を回収している007の方を向く。

「行ってらっしゃいませ。私はここでお待ちしているので」

 麻袋に詰めた瓦礫を抱え上げて、半分崩れて水の止まった噴水の前に置く。町人に声をかけられている007から目を離してパタは兵士の方を向いた。

「……分かりました」

 それでは、と歩き出した兵士の後をついていく。



 兵士が大きな扉を開け、中へ入るよう促されたパタは扉から椅子へと真っ直ぐ敷かれた赤いじゅうたんの上を進んだ。柔らかい足音を止め、ひざまずいて俯く。

「お顔を上げてください。それからもう少し前へ」

 パタは慌てて返事をして立ち上がり、慎重な足取りでじゅうたんの上を数歩前に進んだ。じゅうたんから足がはみ出たパタを宰相が案内する。

 宰相に礼を言って、パタはそこに膝をついた。

 椅子に座っていた老婆は猫を撫でる手を止め、両肘掛に手を置く。

「この度は人造魔物軍への対応に協力いただいたこと、大いに感謝いたします」

 しわの刻まれた目元を細めて灰色の目をパタに向ける。

「並びに、貴方に対して誤解を抱いていたこと、お詫び申し上げましょう」

「い、いえ……僕がはっきり言わなかったのがいけなかったんです」

 老婆の膝の上で丸まって寝ていた猫が顔を上げ、あくびをした。膝を降りようとした猫を老婆の指輪を数個はめた手が制する。

「国民達は貴方の活躍を大変喜んでおります。この話はすぐに広まることでしょう」

 猫は諦めて丸まり、再び眠りだした。

「貴方に何か差し上げましょう。遠慮なく申してください」

 老婆の提案をパタは咄嗟に断ろうとして、その言葉を止めた。

「……あの、それなら……各国の王様方に伝えてほしいことがあります」

「各国の王にですか。して、それはどのような内容でしょう」

 俯き、息を飲んでパタは顔を上げた。

「人造魔物への攻撃をやめて、共存できるよう法律を改善してください」

 老婆の目元が微かに動く。宰相はなっと声を上げて椅子に座る老婆の顔を見た。

「人造魔物側からの攻撃へはどう対処すると」

 老婆を見上げていたパタは説明を続ける。

「魔物達は僕が説得します」

「ほう……それは、どのようになさるおつもりで」

 老婆に質問にパタは言葉を詰まらせ、じゅうたんに視線を落とした。

「すみません、そこまではまだ……でも、絶対に説得してみせます」

 顔を上げて老婆を見た。石の床に降ろされた猫は一鳴きしてパタの横を通り過ぎ、老婆は肘掛に手を置いて灰色の両目でパタを見下ろす。


「では、早速明日にでも国際会議を開くこととしましょう」

 老婆の返答にパタの表情が緩んだ。

「ほ、本当ですか!? あっ、す、すみません」

 慌てて手で口を押える。椅子の横に立っていた宰相が老婆の耳に寄って囁く。

「陛下、寄りにもよってこのような無考えな計画に乗るなど」

「この状況下で勇者を敵に回すことは何よりも恐れるべきことです」

 囁き、老婆はじゅうたんにひざまづいているパタに目をやった。

「それに、もしこれで魔物を鎮められるのであればこれ以上ない提案です」

「しかしこの者の話からするに、その保証はどこにも……」

 囁くのを止めて宰相はパタを見た。

「いくら魔物とはいえ、上層部ともなれば勇者の提案を断るような無謀なまねはしないでしょう。ましてやあれらには対抗するすべなど持ち合わせていないのですから」

 老婆は囁いて、パタへ目を戻した。

「でしたら、念のため洗脳対策として魔力封印薬をお持ちください」

 茫然としていたパタは頭を下げた。

「は、はい。ありがとうございます」

 老婆は少しの間パタを見下ろしていたが、端に立っていた兵士に魔力封印薬を持ってくるよう、宰相にパタを案内するよう命じた。宰相に促されてパタは立ち上がり、老婆に頭を下げて宰相の後に続いて部屋を後にする。




 夜空に星がまたたいて雲の合間から月の明かりが漏れている。

 城門をくぐったパタは少し歩いたところで立ち止まり、顔を上げた。立っていた007は青く光る片方のライトでパタを凝視する。

「どうせ迷うと思ったので迎えに参りました」

「ありがとう」

「宿屋は無事でございました。さ、行きましょう」

 城下町の門に続く大通りを歩き出した007のあとをパタはついて行った。

 瓦礫のほとんど片付いた道を歩きながら、007は後ろを振り向く。

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