09

 剣は当たって動かなくなった。

「な」

 剣を握る兵士の目線が微かに上がる。剣の刃がパタの頬に浅く入り、切り口から血が滲んで白い頬を伝って顎から垂れる。瞑った目を開いてパタは兵士を見た。

「な……あ……」

 兵士は剣を手放してぎこちなく足を引く。石の道に剣が落下して金属音が鳴った。

「き、君何やってるの!? 早くそこをどきなさい、そいつは」

「攻撃しないでください」

 パタの言葉に女兵士はパタの肩に置いた手を制止させる。

「……な、何言って」

「気を付けろ、そいつはあの指名手配犯だ!」

 男兵士の忠告に女兵士は肩から手を引き、パタに杖を向けたまま数歩距離を置く。トロルを庇うように立っているパタを見て口角を引きつり気味に上げた。

「な、なら、二体まとめて成敗させてもらうよ」

 握った銀の杖の先に魔力を集中させる。

「これ以上戦い合うのは良くないです!」

 魔法を唱えかけたところで女兵士は言葉を止めた。口角を下げ、切れた頬から血を伝わせているパタの顔を見る。

「は、何言ってんの? 戦わなかったら殺されるじゃないか」

「それは魔物も同じなんです、こんなこと続けてたって悲しいことしかありません」

 身を構えていた男兵士は緊張を解き、苦笑した。

「おいおい……まさか知らないのか。初めに攻撃を仕掛けてきたのは魔物共」

「これはお前ら人が俺らにしたことの報復だあ!」

 パタの背後のトロルが声を上げる。穴の開いた腕で血をぼたぼたと垂らしながらパタをどかそうとするも、パタは動かず赤黒い血が飛んで顔にかかった。パタは血の付いた口で回復魔法を唱えてトロルの傷を塞ぎ、兵士二人は身構える。

「お前、やっぱり魔物の手先か」

 顔に黒い血を浴びて頬から血をこぼしているパタは兵士達に目を向ける。

「怪我をしていたら誰だって回復します」

 男兵士は言葉を詰まらせて自身の足に視線を落とした。兵服のズボンは破けて血に染まっているが、その下の肌には傷一つ無い。

「怪我をしていたら、誰かが痛い思いをしていたら悲しいんです」

 城の方角から轟音が鳴り響き青い屋根の塔が一つ崩れる。

「そう感じることは人も魔物も同じです。誰だって、守りたいものがあるんです」

 逃げ惑っていた人々が大通りに出た所で足を止める。後を追っていたキノコ型のファンガスは、向かい合っている四人を目に留めて立ち止った。

「魔物なんて所詮は魔力の塊だ、そんな高尚な感情がある訳無いよ」

 女兵士はトロルの首に杖の先を向ける。だがパタの腕がその軌道を遮った。

「感情が無かったら復讐なんてしません。すごく頑張って、生きているんです」

 震える手を強く握る。

「だから、傷つけあったり殺しあったりしたらだめなんです。人間も魔物も同じです、幸せだったら嬉しいんです」

 再び轟音が鳴って通りの向こうから悲鳴が聞こえてくる。崩れた屋根の青レンガが建物の裏にいた幼児の頭に当たり、ぱっくりと切れて血が流れ出る。パタは咄嗟に駆け出して放心している幼児に回復魔法をかけた。

「007、今すぐリーダーの所に行こう。早くこれを止めないと」

「はい。この通りを直進、それから左でございましたね」

 瞬時に追いついた007は瓦礫の散乱する道を走り出したパタの後を追う。大通りの突き当りで砂煙が上がり、そびえたつ城の青い屋根の塔がまた一つ崩れ落ちる。




 崩れた街道を走っていたパタは突き当りの城壁に手をぶつけた。振り向いて007の方を向く。

「いた?」

「いえ。軍隊長らしき魔物は道中一体もおりませんでした」

 壁際の瓦礫から降りてパタは頬についた血を手の甲で拭う。

「せっかく教えてもらったのに……道に迷っちゃったんだ」

 水魔法を唱えて顔を水で洗う。007は砂煙の舞う空中に水色の地図を投影し、出発地点から直線に伸びた線が左に曲がっているのを確認して、地図を閉じる。

「でしたら他の道を探してみましょう。案外歩き回っているかもしれません」

 頷いてパタは顔を上着の袖で拭って歩き出した。血のべったりとついた袖で拭ったためにパタの顔が血だらけなのを見て、007は手のひらから濡れ布巾を引き出す。

「少し止まっててください」

 え、と不思議そうにこちらを見たパタの顔を濡れ布巾で乱雑に拭った。目を瞑っているパタの顔から布巾を離し、新たな布巾を引き出して袖を拭く。

「ありがとう……」

 僅かに微笑んだパタを見て、007は血染めの布巾をポケットに押し込んだ。

「いえ。当然のことですから」

 振り向いて歩き出した007にパタはついていく。割れた花壇の横を通り、角を曲がって路地裏へ入ろうとしたパタの首に細身の剣が迫るもパタの手に止められた。007が振り向くとパタの背後に立っていたデュラハンの抱えていた顔がしかめられ、手放された剣を引いて後ろへ下がった。


「やはり君か。吸血鬼……いや、今は盗賊と呼ぶべきか」

 頬に一筋血を滲ませているパタはデュラハンの声に振り向いた。

「デュラハンおじさん! 久しぶりです、お元気でしたか?」

「ああ、この通り健康そのものさ」

 パタの表情を見てデュラハンは抱えた頭で笑って見せる。

「あれ、でもどうしておじさんがここに……」

 言いかけたところでパタはあ、と声を漏らした。後ろに立っていた007はデュラハンからパタに青く光る片目を移す。

「もしかして、おじさんがこの軍隊の隊長……」

 デュラハンはしわの刻まれた顔に笑みを浮かべている。

「聞いたぞ、君が国際指名手配になったとか。若いのは元気があっていいな」

 下に向けられた細身の剣の先から血が滴る。

「こっちは歳だと言うのに激務でな、まさかこんなに早く作戦が始動するとは……」

 剣を持った、血のついた手で首の切断面付近を掻く。

「君が魔女様を殺したことで、狼男様が酷く悲しんでおられるそうだ」

 パタの表情が固まる。あ、と呟いて自身の両手に目を落とした。白い手の平の棘が刺さった傷から血が滲んでいるのを、じっと見つめる。

「残念だな。君は最早我々の敵……」

 首を掻いていた手を下ろし、笑みを解いてデュラハンはパタを見た。

「もし、ここで君の首を取ればさぞかし皆歓喜するだろう」

 震える両手が包帯を巻いた首へと伸びる。007は片方のカメラをパタに向け、組んでいた白手袋の手を解く。

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