08

 窓の外には紫の雲が立ち込めて、暗い室内でろうそくの灯りが机に広げた地図を照らしている。狼男が地図に印をつけながら考え込んでいるのを横目に見つつ、鬼は窓枠に肘をついて下を見下ろしていた。

「これで説明は以上だ。作戦について何か質問があるものはいるか」

 城門の前に魔物の軍隊が列を作り、その先頭で軍隊長らしき首なしのデュラハンが自身の首を手に指揮を執っている。

 軍隊から目を離し、眉間にしわを寄せて地図と睨み合っている狼男の方を向く。

「……なあ」

「すみません。もう少し後にして頂けないでしょうか」

 狼の手に握ったペンで地図に印をつける。スーツの肩や裾に毛が付いたままの狼男を鬼は不機嫌そうに眺め、小さく舌打ちをして窓から離れた。

「何度目だよ」

 呟いて、部屋を後にする。






 草原で立ち止まったパタは腕を組んで考え込む。

「ええっと……とりあえず魔王城に」

「いきなりですか。まあ私は構いませんが」

 007のコメントにパタは悩みながらもじゃあ、と両手に魔力を溜める。ふと007は耳元から発せられる小さな甲高い電子音を聞きとめて自身の耳に手を当てた。

 耳から手を離し、こちらを見ているパタの方を向く。

「今の音は……」

「姉からの連絡です。どうも現在、東の国が魔物の襲撃を受けているそうで」

 えっと声を上げてパタは手に魔力を溜め切った。

「い、行こう! 東の国」

「言うと思いました。了解です」

 007が言ったのを聞いてパタは転移魔法を唱えた。

 二人の姿は魔力に包まれて草原から消える。



 着地してすぐにパタの目が細められた。

「血の臭いがする……」

 建物の崩れる音と人々の悲鳴が響き、半壊した石造りの町には破壊された屋根の青いレンガが散乱していた。荷物を抱えて人々が大通りを後方の門へと逃げ惑っている。

 赤子を抱えて走っていた男がパタの肩にぶつかった。

「す、すみませ」

「早く逃げなさい! 魔物が来るぞ!」

 泣き叫ぶ赤子をあやしながら男は後ろへと走って行った。喧騒の中で後ろを見つめていたパタはあっ、という女の声に振り向いた。


 風呂敷包みを手に瓦礫を踏んで駆け寄ってきた女は片手を挙げた。

「久しぶり! あ、この子が例の盗賊少年?」

 エプロン姿の女はまじまじとパタを観察する。女の両目に光る青いライトがパタの黒い両目に二点ずつ映った。

「ん? 瞳孔開ききってる……」

「ここで働いていたのですか。てっきり放浪でもしているものかと」

 007の発言に女は吹き出して笑った。

「まさかあ、今はここの孤児院で先生やってるんだよ。そっちはどう?」

「相変わらずの無茶振りで……ところでその荷物はなんですか?」

 ああ、と女は両腕に抱えている風呂敷包みを見る。

「子供たちの荷物。あの子ら、取りに戻るって聞かなくってさ」

 背後を振り向いた。灰色の石の壁に青い屋根の城が高くそびえたち、その周りを羽の生えたワイバーンなどの魔物が飛び回っている。

「にしても、物騒な世の中になったもんだよ……」

 十字路を右から走り出てきた兵士が後をトロルの振り下ろした棍棒を槍で防いだ。

「おっと、あんまり喋ってる場合じゃなかったね。じゃっ」

 片手を挙げて門へと走り出そうとした女は、急ブレーキをかけて振り向く。

「そういや二人は何でわざわざここに? まさかこれ止めるって言うんじゃ」

「そのまさかです。ですよね?」

 突然問われてパタは戸惑いながらも頷いた。

「は、はい。そうです」

 口を半開きにしたまま女はパタを眺める。成程ね、と呟いてグーサインをした。

「健闘を祈る! それじゃ」

 振り向いてエプロン姿の女は風呂敷包みを抱えて門へと走り去っていった。茫然と門の方を見ていたパタは、背後から聞こえた悲鳴に振り向く。



 石レンガの道に押し倒された兵士は肘を地面に付いて、湾曲している剣を両手で握ってトロルの棘のついた金属製の棍棒を顔の寸前で押さえている。トロルに踏み潰された足から血がレンガに流れて、兵士の顔色は白く額には汗が滲んでいた。

「魔物め、作ってやった人類の恩をあだで返しやがって……」

「恩だあ? 散々物扱いしておいてよく言えたもんだなあ」

 踏みつけた足を地面に擦り付ける。歯を食いしばった兵士の剣が緩んだ瞬間、棍棒が兵士の顔めがけて振り上げられた。

「回復魔法っ!」

 突如聞こえた唱える声にトロルは振り上げた手を止める。足の回復した兵士はその隙に飛び退いてトロルに剣を向けた。だが目の前に飛び出してきたパタに咄嗟に引く。

「あ、危ないだろ! さっさと逃げ」

 パタの頭上にあった棍棒が振り下ろされた。兵士は顔をそらして目を瞑る。

 ゆっくりと目を開けて、前方を確認する。

「え」

 棍棒を手の平で受け止めてパタは微動だにしていなかった。棍棒の棘が浅く刺さって白い手首を細く血が流れる。トロルは出っ張った目を見張り、パタから離れた。

 バンダナに通した一束の長い黒髪を塵の乗った風がなびかせる。

「あ……もしや、お、お前……指名手配犯のっ」

 兵士がパタから下がって剣を構える。通りの向こうの半壊した建物の影から覗いていた町人たちが一斉に身を引いた。通りに出て行った幼児が母親に引き戻される。

「な……なんだあ、お前」

 身を引きかけたトロルは棍棒を横に振ってパタの頭部を殴ろうとするも当たる前に棍棒はパタの色白な細い手に掴まれた。パタの黒い目が真正面のトロルと合い、トロルは棍棒を手放して太い足を数歩後ずらす。

「傷つけ合うのはやめてください」

 棍棒を握った手を下ろし、パタはトロルの方へと歩み寄った。

「く、来るなあ!」

 トロルの皮膚のたるんだ背中が背後のパン屋の看板にぶつかる。

 パタは足を止める。手に持っていた棍棒を、青レンガの破片が散らばった道に置いた。息の荒まっているトロルの方へ顔を上げる。

「すみません。皆さんの、リーダーのいるところを教えてください」

 石の壁に張り付いたトロルは震える手で通りの向こうを指さした。

「ここを真っ直ぐ、そ、それから左だあ」

「ありがとうございます」

 頭を下げてパタは砂煙の舞い上がる通りの奥へと走りだす。城の方から来た女の兵士とすれ違った。銀の杖を片手に持った女兵士は駆けつけるなり回復魔法を唱える。


 すぐにパタはその足を止めた。

 振り向くと同時に氷魔法を唱える声が聞こえた。

「よくもここまで荒らしてくれたね。けどもうここまでだよ」

 息を止めてパタは振り向く。トロルに杖を突きつけた女兵士は顔に返り血を浴び、トロルの腕を鋭いつららが貫いていた。黒い血がつららの先を伝ってぼとぼとと垂れる。

「さあ、観念しな」

 元居た男の兵士がトロルの首目掛けて剣を振る。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る