04

 突き付けられた槍の刃先は寸前で止まった。

 上がっていた悲鳴が次第にざわめきへと変わる。折れた槍を握る手は震え、折れかけてささくれ立った槍の木の柄が刺さった手の平に血が滲む。開いた目は紫がかった髪の結び目を見つめて、口角を引きつらせながら強く歯を噛みしめていた。

 動かない右手の手首を左手で押さえつける様に強く握り締める。


「……セル、殺したって構わないわ」

 聞こえないほどの声で呟いたケシィにパタは荒まっていた息を止め、食い込んだ爪が白い肌を切って血が滲む。こぼれた血がケシィのローブの肩に染みる。

「命を助けてくれた貴方に、私は酷いことをしたんだから」

 俯いたまま、消え入るように呼吸をする。

「けど、約束して。自分を責めないでちょうだい」

 前によろめきかけたケシィを007の両手が肩を押さえる。笑みは消え、血だらけになった手首を握り続けているパタの手を、ケシィの左手が下からそっと握る。血の気の無い蒼白いケシィの手から血が垂れ、震える手を強く握り締めたままパタは噛みしめた口元から細く血を伝わせた。

 乾いた木の折れる音と共にレンガの地面に槍の刃先が落ちて、軽い金属音が鳴った。

 顔を上げた瞬間意識が遠のきかけたケシィをパタが血のついた手で支える。


 血痕のついた片方の手袋を外しながら、007が口を開いた。

「結局、貴方には殺しなんてできやしないんです」

 パタの目が007の方を向く。

「そう簡単に壊れられたりしませんので、そこはもう諦めてください」

 手袋をメイド服のエプロンのポケットに押し込み、青く光る左目をパタへ向ける。パタはやや俯いて目線を前に戻した。

「ごめんなさい」

「何故謝るのですか」

 007の問いに、パタの血だらけの指先が僅かに動く。

「僕が罰からまた逃げようとしたから。だから」

「誰が貴方に罰を与えているのですか」

 答えようと口を開くもパタは言葉を詰まらせる。


 えっと、と開いたままの口から言葉を漏らしながら、落ち着いていた呼吸が段々と荒くなっていく。ケシィの背中を支えていた手を離して強く握った。

「では、一体何に対する罰なのですか」

「たくさん殺して、大勢の幸せを奪ったから、その」

「誰がそのことで貴方を責めたというのですか?」

 言葉に詰まる。俯いているパタを青く光る片方のライトがじっと向けられる。

「貴方自身ですよね。自分で、自分を執拗に責め続けている」

 どことなく呆れたような表情で007はパタを見ていた。

「延々と自分を責めているくらいなら、もっと他にやるべきことがありますよね」

 レンガの地面に向けられたパタの目が開く。顔を上げ、007を見たパタの目には涙が溜まっていた。

「世界を、救うこと」

 007はグーサインをしてみせた。血だらけの握った手が緩み、パタの目線がだんだんと下がっていく。指先で頬を強くつねる。ケシィがその手を握って、青くなった頬から離した。

「泣いたっていいのよ」

 ケシィの顔を見たパタの頬を涙が伝う。

 涙はとめどなく溢れだし、パタの顎からぽろぽろとこぼれた。目元を拭った手で顔を覆い、パタはその場にしゃがみ込む。肩を震わせ、声を漏らす。

 しゃがみ込んで泣いているパタをケシィが地面に座り込んで抱きしめた。

「セル、大好きよ」

 銀色の義手と手首に透明のジェルが塗られた生身の手に結んだ黒い髪がかかる。

「僕はこんな奴、大嫌いだ」

 血のついて木片の刺さった手の下で泣き続ける。

 駆けつけた老医者と数人の兵士は足を止めた。周囲の町人たちは黙りこくって、ただ二人を見ている。



 ポケットから取り出した新品の白手袋を両手にはめる。

「ところで、ルノ様がなにやら大変なことになっているようですが」

 007の発言にパタはえっと呟いて007の顔を見た。

「場所は西の国玉座の間。今すぐ向かった方がよろしいかと」

 慌てて頷き立ち上がって、赤くなった目をこする。茫然と見上げているケシィの方を向いた。

「ケシィさん、その……血のこととか、色々ありがとうございました」

 両手に魔力を溜める。

「僕、行ってきます」

 笑ったパタに、ケシィは微笑み返した。

「ええ。行ってらっしゃい」

 転移魔法を唱える。






 夕方の赤い空の下、遺跡の前の森の開けた場所に幾つもの死体が転がっていた。凄惨な光景の真ん中で倒れている少女は背中から血を流している。

 空中を舞っていた灰が風に流され、身の丈に合わぬ大きさの剣を収めた少年は少女へと駆け寄った。背に大きな傷を負った少女は息はあるものの、意識は無い。少年は少女を軽々と抱え上げて森の外へと走り出した。

 血が点々と少年の後に垂れる。






 着地したパタと007に一同の視線が集まった。兵士たちは構え、手に持った槍を向ける。黒い兵服に青い羽を刺した女が細身の剣を抜いた。

「何者だっ!」

 言った直後、女は手を止めて息を詰まらせた。椅子の前で老齢の側近に庇われている西の国女王がえ、と声を上げた。

「セルさん……な、何故このような所に」

 三人の兵士に押さえつけられていたルノがパタの方を向く。

 束ねた黒い長髪に一束だけ赤い髪、黒い目が前に向けられた。

「僕はパタ、盗賊です!」

 真剣な表情に、笑みを浮かべる。




【 第三編 齢二の盗賊が世界救ったってマジですか? 】




 ろうそくの灯る部屋の中、鏡の前で自身の姿を映している長い白髪を下ろした少女。

「へえ……こんなもんか」

 鏡に映る端正な顔立ちを氷のような鋭い目で眺める。頭には大きな曲がった二本の角が生え、襟に毛のついたマントを羽織っている。

 鏡の表面が凍り始めたところで視線を下げて自身の胸部をじっと見つめた。

「……ない」

 平らな胸部を観察していた少女を、廊下を歩いていた尖った尾のインプが見て壁まで後ずさった。くぼんだ目を見開いて少女を凝視する。

「ま、魔王……」

 少女は鏡から目を離し、凍り付くような目でインプを見る。

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