02
閉まりかけの窓の隙間から風が吹いてカーテンが膨らむ。光のこぼれる室内の真ん中で、ベッドに入念に拘束されているパタは口枷越しに喘ぐような、うめき声を漏らしていた。ベルトの間から二本も繋がれた点滴の管が手の震えに連動して振動する。
革の擦れる音と言葉になっていないパタの声、下された髪がシーツにこすれる乾いた音だけが聞こえる病室内で、テラは手に抱えていた封筒と花をベッド際の小机の上に置いた。
「今日も、沢山お手紙預かってきたんですよ」
小机に置かれた花瓶のしおれかけた花を取り、持ってきた数輪の花を挿す。封筒のあて名はセルと書かれているものもあれば、勇者様と書かれているものもあった。
「……学校の休暇、もうすぐ終わっちゃうんです」
名残惜しそうに花瓶から目を離してテラはパタの方を向く。
瞳孔が開いたままの目に日の光が白く映っている。荒く息をしながら天井を見つめている。ベルトで額を固定された状態で震えているパタを見て、テラは苦笑いをした。
「なのに、私まだ宿題ほとんど終わらせられてなくって」
「なんか意外っすね。ところでシュクダイって何すか?」
小さく声を上げてテラは振り向いた。笑顔のプルはパタに視線を移す。
「今日はケシィ姉さん一緒じゃないんすね。仕事が始まったんすか?」
「あ、いいえ。多分……先ほどそこでお会いしたので」
ふうんとプルが相槌を打ちかけたところでパタがかすれた悲鳴を上げた。二人は肩を跳ねさせてパタの顔を覗き込む。目は開ききって額のベルトの下から血が滲み、かすれた声を出している口枷の横から血が伝っていた。ベルトが激しく音を立てて擦れる。
二人がじっと見つめる中、パタは荒く息をしながら声を上げていた。
だが、ふっと体から力が抜けて天井を見るのみになる。
「え、兄貴……?」
病室が静寂に包まれ、廊下の外から看護師同士の会話が聞こえてきた。
口枷を咥えた口角を上げてパタは笑みを浮かべた。プルは即座にベッドから後ずさり、テラは覗き込んでいた上半身を引いた。
少し間を置き、気が付いたようにパタは再び目を開いて全身に緊張を走らせる。
「い、今……」
止まっていた息を吸い、パタへ目を戻す。
病室に入ろうとしていた看護婦はテラの質問に足を止めた。
「ああ……一昨日くらいからたまに、だんだん頻度が増えてきてるみたいですね」
開けかけた明るい病室内のパタの方を見る。
「先生が言うには、そろそろ限界が近いのかも」
咄嗟に看護婦は口を噤む。二人へ目を戻し、微笑みかけた。
「きっと大丈夫ですよ。なにせ、彼は伝説の勇者様なんですから」
軽く頭を下げて、薬品の小瓶と注射器を手に病室へ入っていく。
窓の外からは人々の話声が聞こえてくる。話題は勇者のことへ切り替わり、人造魔物の侵略の話へと変わっていく。
「窓閉めますね。寒くないですか?」
窓の隙間を閉じて鍵をかけ、看護婦はかすれ切った声を漏らすパタへ近寄った。ベッドの元にたたんで置かれた薄手の毛布を広げて、拘束されているパタにかける。
片手のゴム手袋を外してベルトの下の額に手を当てた。
「ん……体温ちょっと下がってますね」
手袋をはめ直して、手に持っていた小瓶のフタを回して開ける。フタを指で挟んで、注射器の針を瓶に入れて中の薬品を吸い上げる。
「そういえば先生が、新開発された痛み止めを見に行くと言ってましたよ」
瓶のフタを閉めてパタの首元にかかった髪をよける。白い首に薄っすらと浮き出ている青い血管に注射器の針を当てる。
「濃縮できる薬でしたら試してみましょうね」
薬液を押し込み切って針を引き抜くと赤く血が滲んだ。回復魔法を唱える。
「では、おやすみなさい」
注射器と小瓶を持った看護婦はパタの息が段々と落ち着き、瞼が閉じたのを確認してからベッドを後にした。人々の声がガラス越しに聞こえてくる。
「そういや、またやるんだってな。魔物討伐作戦」
ぱ、とパタの目が開いた。声が聞こえた、窓の方へ目を向ける。
「ああ、どうも今度はこの国も参戦するらしいですね」
暗闇の中で白く光る窓から若者らしき声と、太い中年の声が聞こえてくる。
「やっぱ王様は、勇者様のことが気にかかってたんだろうなあ……」
窓ガラスの上部から血が滴りだす。口枷の間から声を漏らして、パタは白く光る窓の方をじっと見ていた。だんだんと呼吸が荒くなる。
ぱっと窓いっぱいに大きな目が映った。
黒い両方の瞳が、息の止まっているパタを凝視した。途絶え途絶えに声をこぼし、叫びかけたパタの喉に鋭い槍が突き刺さって貫く。首と鼻と口から血をふき出してその血を飲み込み、口に溜まった血に赤い泡が立つ。
ベッドのシーツが血に染まってぽたぽたと床に垂れた。空気の漏れる音が喉から鳴って、両手がベルトの下で破きそうなほど強く震えてシーツを掴む。
開ききられた瞼が落ちかけて、その度に血を吸って咳き込み音が鳴る。蒼ざめた顔は血だらけになってこくこくと血を湧かせていた。
二度咳き込み、一度咳き込んで、パタの手から力が抜ける。
「何で楽になろうとしてるの?」
血を飲み込んでむせる。口枷は口の血の中で赤く染まっている。
目を開けたパタを無数の目が全方向から見つめていた。
「これは罰なんだよ。たくさん殺して、大勢の幸せを奪った罰」
目を開ききって喉から微かに絶え絶えと音を鳴らしていたパタの腹部に剣が浅く切り込んだ。声にならない悲鳴を上げるパタの腹部に切り込みを入れていき、入院服が切り刻まれて赤く染まっていく。
「だめだよ、そんな最低な罪人が人に迷惑かけたら。ちゃんと耐えないと」
細められていたパタの目が僅かに開く。喉から洩れていた空気が途切れる。
「泣く権利なんて無いんだよ。ほら、笑ってないと」
血に赤く染まったベッドにベルトで固定されたパタの目が細められて、血をこぼしながら口枷を咥えている口角が引きつって上がる。
額のベルトの下から血を流して微笑んでいるパタを老医者が覗き込んでいる。
「……すぐに、ご両親を呼んできてくれ」
老医者に言われて隣に立っていた看護婦は返事をして部屋を駆け出て行った。パタは瞬きをして、瞳孔の開ききった目で目の前の医者の顔を見ている。老医者はベッドに巻き付けたベルトの金具を外し、血のついた額のベルトを取った。
頭を僅かに上げてああ、と声を漏らしたパタを見て、後頭部で止められた口枷の金具に手を回す。開錠して、そっと口枷をパタの口から外した。
「先生、こんにちは」
口枷のあとのついた顔で、口の端から血を垂らしながらパタはにっこりと笑う。
その笑顔を老医者は手を止めて見ていた。
「……ああ。こんにちは」
パタの体を拘束しているベルトを外していく。
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