第三編 齢二の盗賊が世界救ったってマジですか?

01

 天井付近の細い窓から洩れる、穏やかな日差しが黄ばんだ紙の文字列を照らす。

 本を両手に持ったままパタは床に座ってうつらうつらとしている。

「本読みながら寝るとか……ほら、よだれ垂れんぞ」

 肩をゆすぶられてパタは手で口元を拭った。はっと我に返って顔を上げる。

「ぼ、僕十七歳だってば!」

「まだ何も言って無いからな」

 中年男はニヤニヤしながら立ち去って行った。あれ、と首を傾げてパタは手元の本へ視線を戻す。紙面が無事なことを確認して安堵の息をつき、首にかかっている髪を後ろへ直す。


「ん。どっから引っ張り出してきたんだ、んなもん……」

 後ろから聞こえた声に振り向くと、ボスが立って見下ろしていた。慌てて本を閉じてパタは立ち上がる。

「す、すみません。今戻して」

「別にいい。それより、取れ」

 投げてよこされたナイフを咄嗟に本を抱えていた手を伸ばして取る。反射して白く光るナイフを眺め、パタは不思議そうにボスの顔を見た。

「あの、訓練ですか……?」

「そのナイフで自分の胸を刺せ」

 茫然とした表情で手に持ったナイフへ視線を落とし、ボスの方へ戻す。

「え……な、何で」

「いいからやれ」

 ボスの返答に言葉を詰まらせて、首を横に振る。

「い、嫌です。そんなことしたら、し……」

 言いかけたところでパタはボスの目を見た。

 微かに眉間にしわを寄せて、両目がじっとパタを眺めている。


 本を抱えた手を下ろし、ナイフを持つ手を強く握った。刃先を自身の胸に突き付けて震えるその手を力ませる。白い刃先を見つめ、肩を上げて深呼吸をする。

 涙のにじんだ目を強くつむってナイフを引いた。

「やめろ。……もういい」

 目を開け、顔を上げたパタの頬を涙が伝う。

「そのナイフはやる。好きなように使え」

 パタに背を向けて歩き出したボスは、一歩踏み出して足を止めた。

「それから、本は読みたきゃ出してやる。あの部屋には入るな」

 去って行ったボスの背姿を見ながらパタは立ち尽くしていた。手で目を拭って、握っているナイフへ目を落とす。

 銀の刃が瞬く間に深紅の血に染まってぼたぼたと足元に垂れた。

 え、と漏らしたパタの両手を黒いぬるりとした手が掴む。ナイフを握った手が自身の片目へ突き刺された。ぐるりと手が曲がって刃がえぐり、血が頬から肩へ流れた。

「あ」

 血が口に流れ込んで俯こうとするも頭が動かない。むせて、助けを求めようとするも出てくる声は言葉にならない。口から血がこぼれ、荒い息を吐いているパタを背後から槍が貫いた。大量の血を吐き出して口を押えようとするも手は動かない。その手は細い剣に地面へ貫かれていた。

「あ、あ……」

 上空から高い音を立てて回転するドリルがパタの胸部を狙っていた。腹部の穴から血が地面に広がり、むせかえるような血の臭いの中でパタはドリルの先を見つめる。

「ああ、あ」

 赤白く焼けた鉄の棒がパタの体を地面に押さえつけていた。目を開ききったパタにドリルはじわじわと近づいていく。口に押し込まれた鉄の間から途切れ途切れに声が漏れる。血だらけの赤い鉄が噛み潰されて変形した。

 両手が鉄の棒を折って突き出される。白い火傷の跡がくっきりと残っている。

「……え、あ」

 鉄片が口内に刺さって血が伝っている。迫るドリルを目に留めてパタは思い切り上半身を起こして横へ転がった。足首から血が吹き出して詰まった声を上げる。

 片目にナイフの刺さった目でただ地平線が広がるのみの前方を見つめ、血の流れる足を引きずりながらパタは歩き出した。

「痛い」

 各所から血をどくどくと流し、ガラスの破片を踏んでパタは小さく喘ぐように声を出す。ふと立ち止まって何も無い前へ手を伸ばし、手が当たって黒い壁が形成される。

「あの、すみません」

 ナイフが刺さり額に火傷のあとのついた血だらけの顔で下を見る。



「お願いします。僕を殺してください」

 壁際にへたり込んでいるケシィは開ききった目でパタを見上げていた。

 両手に握られた銀色のメスが噛み跡が残ったままの首の寸前で止まっている。

「い……嫌……」

 震える手が動いて刃先が首を切って赤い血が一滴伝った。

 後ろからパタは両手を掴まれてひ、と上ずった声を漏らす。

「大丈夫だよ、怖くないよ」

 看護婦が手形のアザが残る白い首に注射器の針を刺した。薬液を注入されてパタの開ききった瞼が次第に落ちていく。目の半開きになった入院服姿のパタを支えて、老医者は開きかけの口から折れた金属製の口枷を取り出した。

「回復魔法」

 唱えると額や手首、足首の帯上の傷が塞がる。拒もうとするパタを抱え上げて老医者は看護婦に言葉を伝えて部屋を出て行く。部屋の扉から目を離して、看護婦はケシィに微笑みかけてしゃがみ込んだ。

「もう大丈夫ですよ。それ、ゆっくり離しましょう」

 白いゴム手袋をはめた看護婦の手を添えられて、ケシィはメスを握った両手を首から離す。手が緩んでタイルの床に落ちたメスを看護婦が拾い上げてケシィの首に手を向けて回復魔法を唱える。

 立ち上がって窓際の棚の方へと向かい、引き出しを開けた。

 廊下を花と数枚の封筒を手に歩いていたテラはパタの声を聞きとめて前を歩く医者を見て、廊下から中へと血の垂れている横の部屋をそっと覗き込んだ。

「え、ケシィさん……?」

 壁際で膝に視線を落としているケシィへ近寄る。

「ど、どうしたんですか? 顔色が悪いですが……」

 手を見つめていたケシィの目がテラに向く。ふと視線を下げたテラは首から襟の中へ伝って流れ込んでいる血に気が付いた。

「えっ、ど、どうしたんですかそれ」

 不安そうにケシィを見つめるテラ。顎を引き、ケシィは視線をそらした。

「……少し、切ったのよ。回復はしてもらったからもう平気よ」

 看護婦から差し出された濡れたガーゼを受け取って礼を言い、首と胸元の血を拭く。ガーゼを握ってすっと立ち上がり、乱れた髪の束を手で整える。

「それじゃあ、私は帰るわ」

 テラが引き留めようとするもケシィは看護婦に頭を下げて早々と部屋を出て行った。

 廊下の方を見ていたが、テラは手の間から落ちた封筒を慌てて拾う。

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