14

 額に当たる寸前で止まった剣の刃を見る。

「だめだ、洗脳……解けてる」

 口角を僅かに上げて力無い微笑みを浮かべた。

 ところどころ欠けている銀色の刃は震え、剣を握っている吸血鬼の顔は青白く、涙を溜めた目は見開かれて瞳孔が黒く開いていた。魔女は震える、千切れた花の貼りついた片手を吸血鬼の剣を握る両手に伸ばし、上から強く握る。

「もう、終わらせないと駄目だよね」

 剣の刃先をさだめる。

 魔女の血色の悪い頬を涙が伝った。

「ありがとう。勇者様」

 その剣を


「避けてっ!」

 吸血鬼の体が横からケシィに突き飛ばされる。握った剣がケシィの左肩を切込み吸血鬼の顔に血しぶきがかかった。刃先が方向転換し吸血鬼の首に向けられる。

「電気魔法っ」

 立ち上がりかけた魔女は青い電光に包まれた。剣の柄を手放し、濡れた体が水溜りの上に倒れ込む。電流がまだ走っている手の平をケシィは肩の傷にかざして回復魔法を唱えた。血が止まり、魔女を見下ろす。

「アンデットに電気は効かないよ」

 顔を起こして魔女は片手をケシィに突き出していた。

「火炎魔法」

 火が吹き出してケシィの顔に迫った。

 剣から片手を離して吸血鬼がケシィに手を伸ばす。

「氷魔法っ!」

 手のひらから放たれた白い魔力がケシィの目前に丸い氷の壁を形成する。鏡の様に平らな面に火は衝突した途端白い煙となって、氷の壁に水滴のような凹凸を作った。

 前方によろめいた魔女の手が氷の壁に触れかけた瞬間白く凍り付く。

 反対の手を吸血鬼に伸ばすもその手は吸血鬼に握られた。

「回復魔法」

 握った手を中心に吸血鬼と魔女の腕の表面が火傷の様に染まっていく。魔女は腕を引こうとするが、吸血鬼は微かに目を細めたのみで手を離そうとはしない。

「これでもう、誰も傷つけないですむから」

 吸血鬼は剣を握った手で顔についた血しぶきを拭い魔女に微笑みかける。氷の壁が溶けて手が離れて草の上に落ち、水を跳ねさせた。

 剣を、魔女の額に向ける。酷く震えて定まらない吸血鬼の右手を上からケシィの左手が握った。え、と小さく声を漏らして吸血鬼は隣のケシィの顔を見る。

「二人だから大丈夫」

 吸血鬼の手から力が少しづつ抜けていく。剣の刃先は、魔女の額で静止する。


「ねえ。貴女があの話の作者なんですってね」

 ふと話しかけられて魔女の視線はケシィを見上げる。

「中央国の大魔法使いは死んだわ。二年前に」

 淡々と告げられた言葉に魔女の目が一瞬見開く。視線がだんだんと草の上に付いた膝に落ちる。濡れた地面から黒いローブに水が染みている。

「そうだったんだ。もう、九十だもんな……」

 涙に濡れた表情が僅かにほころんだ。目から溢れた涙が顎からこぼれ、水の染みこんだローブに垂れる。

「……最後に、聞いてもいいかな」

 目を伏せたままの魔女を、吸血鬼とケシィは剣を突き付けたまま見下ろしていた。

「どうして、人間なのに……魔物を庇ったの?」

 質問を受けてケシィは横目に隣に立っている吸血鬼を見た。吸血鬼の黒い目がケシィに向けられている。口元には白い牙が覗いていた。

「……友達なら守りたくなるものなのよ」

 魔女の目線が僅かに上がる。茫然とこちらを見ている吸血鬼に、ケシィは小さくため息をついた。

「たとえ迷惑だとしても、失いたくはないじゃない」

 え、と吸血鬼が声を漏らした。ケシィの視線が魔女に戻る。

 


 そういえばそうだ。

 だからあの時、賢者は怒ってたんだ。


「……ありがとう」

 魔女は二人に微笑みかけた。涙に潤んだ両目は充血しておらず、血の気の無い顔はまるで赤くなっていない。その涙は真上の日に照らされて微かに赤く光っていた。

 剣を握る吸血鬼の白い手が力み、その上からケシィが強く握る。

「今までありがとう。それじゃあ」

 剣の刃先の狙いを定める。


 私、結局のところ……ものすごい馬鹿だったんだな。


「バイバイ、魔女ちゃん」

 涙を溜めた目を細めて微笑み、二人の握る剣が突き刺される。


 剣を横に切った勢いで魔女の頭部の上部が飛んで草原に脳をまき散らした。




【 第二編 既視感とはつまりフラグのことである 完 】







「……う」

 蒼ざめた顔で、剣を離した手で口元を手で覆って吸血鬼はその場にしゃがみ込んだ。草の上の血交じりの水溜りに結んだ二本の髪の束の毛先がひたる。喉を動かして飲み込んだ吸血鬼に、プルが足元を見ながら駆け寄って背中をさすった。

「だ、大丈夫っすか? そういえばこういうの苦手だったっすよね……」

「あ……ありがと、プル……」

 そこで吸血鬼の言葉が止まる。


 うずくまったまま動かなくなった吸血鬼を、プルは手を止めて不安げに見つめる。

「え、ど……どうしたんすか」

 水に三角巾が浸ることにも構わず吸血鬼の顔を覗き込む。目を開いて目前の草をじっと凝視している吸血鬼の頬に、手を触れてみた。

「あれ、熱い……まさか熱が」

「そ、そ、そういう訳じゃ無くって……あの」

 両手で覆われた顔は見る見るうちに赤くなっていく。

「な、何で……僕、こんな格好……」

 聴こえるかどうかというほどの小声で言った吸血鬼、否、パタの顔は地面につきそうだった。対照的にプルの表情はぱっと明るくなる。

「洗脳解けたんっすね! よかったっす……もうこのままなんじゃないかと」

 うずくまっていたパタの、リボンを付けたワンピースの背中に石が当たった。

 小さく声をこぼしたパタは手を外して顔を上げ、後ろを振り向く。


 振り向いた頬に小石がぶつけられた。

「こ、この国から出てけ、人殺しの魔物め!」

 観衆から投げられた石が赤い髪を結んだ結び目に当たってゴムを切る。

「今なら弱ってるぞ、このまま倒しちまえ!」

 肩に当たった石の衝撃でよろめいてパタは水溜りの上に崩れ込んだ。プルがパタを投石から庇おうとするも石はプルの肩を貫通してパタの顔に当たった。

「あ、あいつも魔物だ! まとめてやっちまえ!」

 濡れた赤と黒のワンピースに水溜りの血が染みこんでいく。

「ひ、人殺しって……」

 背中に石を浴びながら手をついて体を起こそうとしているパタをプルは支えようとするが、飛んできた大きめの石がプルの片手を血だまりの中に突き飛ばした。赤く染まった水色のスライムに視線が逸れた瞬間、石が胸部を狙う。

 だがその石は二人の前に伸ばされた手に衝突した。小さく声を漏らし、飛び出してきたテラは反対の手で青あざのできた腕を押さえる。

 その声に振り向いてパタは手を伸ばした。

「か、回復魔法!」

 赤く焼けただれたようになった手から魔力が放たれパタは微かに表情を歪める。投げられていた石はやみ、テラは色の戻った腕からそっと手を離した。

「おい嬢ちゃん、危ないからどきなさい! それは」

「嫌です! 石を投げるのはやめてください」

 両手を広げてテラはパタとプルの前に立ちふさがり観衆を見つめた。

 人々は石を手に持ったまま、互いの顔を見合わせる。

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