12

 手を下ろさぬまま、魔女は口元を緩めた。

「そっか。……やっぱりできてなかったんだ」

 草を踏んで吸血鬼にゆっくりとした歩調で歩み寄る。手に込められた魔力に息を詰まらせ、吸血鬼は魔女から更に足を引いた。

「やめて、魔女先輩は」

「大丈夫。できる限りすぐに終わらせるから、ちょっとだけ我慢して」

 かぶせて言った魔女は吸血鬼の前で立ち止まって、手を吸血鬼の額へ伸ばす。

 だが触れる寸前でその手をやや大きめな吸血鬼の白い手が握った。

「魔女先輩も洗脳されてる。そうだよね?」

 目の前の魔女の目を、吸血鬼の黒い両方の瞳が見つめる。

 え、と声を漏らして吸血鬼の顔を見た、魔女の目が徐々に開く。






 は、と声を上げて鬼は狼男のスーツの襟を掴んだ。

「お前っ……もし戻って来なかったらどうする気だ」

 真正面から睨まれた狼男は横に顔をそらして背後の壁に視線を向ける。

「待ってろ、とは伝えたのですが」

 黒い線の入った金の瞳が細められる。狼男の顔を見て、鬼は掴んでいた手を離した。

 深いため息をついて二本の角が生えた額に手を当てる。

「……人なんか信じてんじゃねえよ」

 よれた襟元を直さずに立っていた狼男の目が僅かに開いた。

 資料を手に廊下を曲がってきたゴーレムは、二人を見て角へ身を引く。






 握られた手を思い切り後ろへ振り払って魔女は吸血鬼から数歩下がった。後方の石につまづいて転びかけるも態勢を整え、距離を置いた位置から吸血鬼を見る。

「されてない。変なこと言わないで」

 若干強まった語調と音量、魔女は睨みつけるかのように吸血鬼を凝視していた。

「誰もそんなことしない。皆優しいし、第一そんなことする必要なんて」

「私も信じたいよ。確かに、狼先輩も鬼先輩も、あの、無口な先輩だって……」

 僅かに視線を草へ落とし、下ろしていた手を握る。

「皆優しいよ。だけど……このままじゃだめだよ」

 顔を上げた吸血鬼の視線を受けて、魔女は更に足を引いて後ずさる。

「やめて、それ以上は」

「魔女先輩はさ、誰かを殺すような人じゃないよね」

 強まった吸血鬼の言葉に魔女は後ずさる足を止めて片手を向けた。

「水魔法!」

 唱えると突き出された手から槍の様に鋭い水が吸血鬼目掛けて飛んだ。

 水流を黒リボンを結んだ胸部に受けて吸血鬼は微かに後ろへよろめき、足を引く。

「あ」

 水は草の上で水溜りとなり、スカートに染みた水が滴る。俯いている吸血鬼を見て魔女は一時的に緊張が解けるも、突き出した手を下ろして足元の草へ視線をそらした。よく目を凝らしてやっと見えるほどの小さな青白い花が点々と生えている。

 下ろした、水の滴っている手を軽く握った。

「……勇者様には分からないよ」

 ぽつりと言葉がこぼれる。


「魔女先輩、今から殺すね」

 息を止めて魔女は顔を上げた。魔女だけでなく、傍で成り行きを見ていたプルと007、丁度駆けつけてきた槍を持った兵士二人の全ての視線が吸血鬼に集まった。

「ちょ、あ、兄貴、一回落ち着いて」

「安心して、私はすこぶる正気だよ。……洗脳はされてるみたいだけどね」

 微笑みを浮かべて魔女を真っ直ぐと見ている。兵士の一人がその背中に槍を突き刺した。槍は先端だけ浅く刺さり、吸血鬼の足元に落ちた。

 穴の開いて血が滲んでいる背中を見つめながら、ひ、と悲鳴を漏らして後ずさる。

「ば、化け物だ……姉ちゃん早く逃げろ!」

 もう一人の兵士も足を引く。魔女は兵士の顔を見て、手に魔力を溜めた。口を開いて、て、と言いかける。

「水魔法っ!」

 だが唱える前に水が魔女を突き飛ばした。草の上に倒れ込み、水溜りに手を突いて上半身を起こして吸血鬼の方を向く。髪から水が滴って手の上に垂れる。

 手を魔女に向けて突き出したまま、吸血鬼は変わらず笑みを浮かべている。

「魔女先輩が魔法を唱える前に水魔法をかけるから」

 目を見開き、魔女は花の上についた手を後ろへずらす。

 


 いつの間にか集まっていた観衆の間を、テラの手を左手で引きながら分けて入る。最前列まで来たところでケシィはその光景には、と声を漏らした。

「な……何が……」

「どうもあの魔物があの女の人を殺そうとしているらしいよ」

 情報提供した男の方を向く。隣まで出てきたテラは言いかけて口を手で押さえた。対峙している魔女と吸血鬼を眺めていた目を横へ向ける。

「え、あの人……確か」

 吸血鬼の後方で立っている007を見るもすぐにその視線は手前へ移る。声を詰まらせ、テラはケシィのローブの袖口を引いた。

「ケシィさん、あれって……プルさんですよね」

 小声で呟かれた名前を聞いて声を漏らしかけ、ケシィはプルの方を見た。

「……た、確かに……あれはプルね」

 三角巾を被って吸血鬼を不安げに見ているプルをじっと凝視する。

「ね、あの話書いたのって魔女先輩だよね」

 だが吸血鬼の言葉に視線は二人の方へ戻る。



 手の下の草を掴み、俯いて魔女は自身の膝へ視線を落とす。

「あ、あの話って……」

「伝説の勇者じゃないのに王様に魔王倒せって言われた、だっけ」

 魔女がむせた。顔を上げようとして横に集まっていた観衆の存在に気が付く。

「地の文のツッコミが特に味わい深くってね、いかにも魔女先輩って感じが」

「待って、な、何で知ってるの!?」

 前を向いて吸血鬼を見上げる魔女の手は空中で止まっている。騒然としている観衆を横目に見て、吸血鬼は真剣な表情のまま魔女の方へ目を戻した。

「でも、やっぱり今の魔女先輩はおかしいって思った」

 解けかけていた緊張が再び走る。草の上に放り出した足を引き、首を横に振る。

「お、おかしくなんてない。洗脳なんか」

「されてるよ」

 被せ気味に言った吸血鬼の黒髪のツインテールに風がそよぐ。


 嫌だ


「これ以上、魔女先輩に人を殺させたくない」


 やめて。私は


「だから魔女先輩を殺す」



 洗脳なんて

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