レポート
波の音が響き、カモメの鳴く海辺の砂浜の砂が舞い上がった。
四人を包んでいた魔力は潮風に流されて水平線の向こうへと運ばれる。
「はあ……久々の海! ほら、セル、海だよ」
メイリアが青々と広がる海原を指さすと、セルは海の方を向いて笑顔になった。走り出そうとしたセルは手を繋いでいたゼロに引き戻される。ゼロは三人の後ろに立っていた白いナース服の看護婦の方を向いた。
「今日は、本当にありがとうございます」
「いえいえ、勇者様に何かあっては一大事ですから。では、私はここで見てますね」
にこにこと微笑んで看護婦は丁寧に頭を下げた。頭を下げ返し、ゼロは横に広がる砂浜へ目を向けた。
「俺もここで十分だ。二人で泳いでこい」
海パン姿の上から薄手の上着を着ているセルの手をメイリアに引き渡す。
「……ははん、さては泳げないだけだな」
「わ、悪いか」
水筒の入った手さげ鞄を持って、ゼロは少し先の砂浜へと歩いて行った。
「さ、入ろっか」
セルに笑いかけてメイリアは海へと手を引く。
波打ち際に足先を浸したセルは一度足を引いて、ゆっくりと再び海水に足を入れてそのまま入水した。水面から顔だけを出して辺りを見回す。
「赤いね」
笑顔で言ったセルに、ついてきたメイリアは苦笑いする。
「赤じゃないよ、青色だよ」
「あおいろだね」
興味津々に周囲を見渡しているセルの姿を見て、メイリアは微笑みを浮かべた。だが海水を手ですくって口を付けだしたセルに慌てて止めに入る。
「しょっぱいから飲んじゃ……あああ」
咳き込んだセルの背中をさする。少しさすっているとすぐにセルは元通りになって、メイリアの方を向いた。
「ここどこ?」
「海だよ」
ぱっと笑顔になってセルは水面下で足を動かし前へと泳ぎだす。メイリアは後をついて行こうとするが、ふとセルは止まって俯いた。
「どうしたの……?」
横に回り込んでみると、セルは水面上に浮かぶ白い生物を眺めていた。
「くらげ!」
生物を手に取って持ち上げて見せる。手の中の生物は青い電光を放った。
「セル、そ、それ魔物……まあいっか」
魔物を海に戻して指先でつついた後、セルは海岸沿いにぱしゃぱしゃと水しぶきを立てながら泳ぎだした。上空を鳴きながら飛ぶ数羽のカモメを見上げる。
砂の上でゼロはその光景を足を伸ばして眺めていた。
「来てよかったな……」
雲の少ない青空を仰ぐ。再び海へ目を戻した時、セルの姿が無かった。
「な……っ」
立ち上がって海岸へと駆けつける。
潮風が置いてあった鞄を倒す。
――失踪していた勇者が発見された。
だが南の国で拷問を受けていたとのことで、幼児退行を起こしている模様。
その他記憶障害、幻覚等の症状が出ており、現在は自宅で療養中だという。
常に介護が必要な状態であり、人造魔物襲撃への対応は不可能と思われる。
なお、担当した拷問官は職務を遂行したのみとして罪には問われなかったものの、自殺を図ったために拘束を受けているとのこと。また、反勇者思想集団の関与が――
ベッドの上で眠っていたセルはうっすらと目を開き、横を向いた。
「ここは……?」
「病院だよ。先生のこと覚えてるかな?」
白衣の老医者に問われるもセルは首を傾げる。体を起こそうとして医者に穏やかに制され、再びベッドに横になる。
「……そうだ!」
だが勢いよく上半身を起こす。
「僕、海に行ったんだよ!」
その発言に驚いた様子で一同はセルの顔を見た。見上げていたセルは足をずらして、ベッドから降りようとする。
「海のね、おえかきする」
「じゃあ先生が紙と鉛筆を持ってくるから、セル君はここで待っててね」
うん、と頷いてベッドに座り、両足を前後に揺らす。それを確認して、医者は看護婦に言伝をしてから部屋を出る。
ベッドの横に置かれた机に向かってセルは鉛筆で一生懸命に絵を描いている。
「どれどれ……」
横から絵を覗きこんだ医者は言葉を詰まらせた。写真の様に精巧に描かれた海の水面には切り刻まれた死体が浮かび、夜の様に暗い上空を飛ぶカモメには頭が無い。
絵を見たメイリアとゼロは絶句して絵を描いているセルの顔を見た。
「あのね、冷たくって、くらげもいてね」
話しながら鋭い針に覆われた生物に線を重ねていく。
「だけど黒いおててがぎゅーってしてきて、そしたら眠たく……できた!」
鉛筆を机に置き、完成した絵を両手に持って満面の笑みで両親の方を見上げた。
絵の中の凄惨な光景に戸惑いを見せながらも、その笑みに両親は表情を緩める。
「……また行くか、海」
ゼロの提案に紙を机に置いてセルは目を輝かせて身を乗り出した。
「うん! 行く」
言った瞬間セルは俯いて咳き込み血を吐き出した。紙の上に血が垂れて絵の中の海を赤く染める。看護婦がタオルでセルの口元を拭き、息が落ち着くのを見てベッドに横向きに寝かせた。口元に敷かれたタオルに出来た赤い血痕をセルは見つめている。
メイリアは手を止めて、ベッドのセルを眺めた。
「……セル、どうして平和交渉をしようと思ったの?」
ふとメイリアがこぼした疑問にゼロはセルの顔を見た。セルは目線を上げ、メイリアの立っている方を見上げて、笑った。
「だって、みんなが幸せだったらうれしいから」
爆音が響く。
瓦礫をどかして体を起こし、辺りを見回した。
崩れた町から薄黒い煙が上がり、城壁が取り払われて向こうに広がる草原が見えた。
「あれ……ここは」
人影は無く、城下町の上空を飛び去って行くドラゴンの鳴き声だけが低く響いていた。頬の切り傷から伝う血を手で拭って、セルは瓦礫の山を下りる。
レンガの道を歩きながら左右を見回す。
家々の瓦礫の間から真っ赤に染まった手が伸びて、反対には首を食い切られた人が血だまりの中で横たわっていた。何かが靴に当たり、足元には黒焦げになった幼児の姿。
「生き残りだっ!」
声に振り向くと数匹の魔物達がこちらを指さしていた。だがセルの姿を見た途端、マズイ、と呟いて曲がり角へと走り去っていった。
再び、辺りを見回して瞬きをする。
「……まだ、幻覚を見てるのかな」
独り言を呟いて方向転換し、来た道を戻る。
木片やガラスの破片、本、千切れた花、足元に散乱するものを眺めていたセルは元居た瓦礫の山の前で立ち止まった。山に登り、頂上付近で足を止めてしゃがみ込む。
「母さん……?」
瓦礫に埋もれて半分潰れたメイリアの頬に手を伸ばす。額から流れている血に触れて、セルは周囲を眺めた。
「……父さん……?」
どかした瓦礫のすぐ横で横向きに倒れているゼロへと近寄る。体を動かして顔を上へ向けると、目が開いたまま口から血を流していた。
後ろを振り向いて、崩れた屋敷を見る。
「ケシィは……」
セルの額から流れた血が隙間の空いたくちびるの間に流れ込む。
「……これ、現実だ」
茫然と呟いて瓦礫の上に立ち上がる。壊滅した城下町が見渡せた。
「僕、何もできなかったんだ」
放心していたセルの目が次第にはっきりと前方の景色を見る。
「何も守れなかったんだ」
言って、見開いたセルの目に額から血が垂れる。目から頬を血が伝い、顎から滴って割れたガラス窓の上に広がる。
セルは走り出した。崩れた建物の並ぶレンガの道を二度曲がり、屋根の無くなった自宅の中で剣を踏んだ。沈みかけの赤い日の光に反射する、神秘的な装飾の施された剣を拾って自身の首目掛けて横に振る。
赤く染まった目に夕日の光が差し込む。
「何で僕、生きてたんだろう」
両手に握った剣を振りきる。
『……と、いう訳だ。ここまでOK?』
電話越しに聞こえてくる声に、手元の紙から目を離す。
「何がOKなのですか。人類滅んでるじゃないですか」
「は!?……ほ、滅ぶ!?」
カウンター席で牛乳を飲んでいた冒険者がコップの中に牛乳を吹きだした。そちらを気にして声を潜め、再び受話器に向かう。
「……で、何が言いたいのですか」
冒険者は口の牛乳を手で拭いながら怪訝そうにこちらを見ている。
『つまりだね。君にこの惨劇を防いでほしいんだよ』
「はあ!?」
思わず上げた大声に今度は酒場中の全員の視線が集中した。
『世界は君かかっている! ちなみにこれ回避してもまだまだ問題てんこ盛りだから』
「何ですかそのブラックすぎる業務内容は……」
唖然として黒い受話器を見つめる。
『ま、どうせもうすぐこの世界は管理下から除外されるからさ。別に強制とは言わないけどね……んじゃ』
声が途切れて通話の終了音が鳴る。
「……作れても操れないってやつですか……」
半分放心状態で黒い受話器を置き、カウンター席で牛乳を飲みつつこちらを眺めている冒険者の方を向いた。
「何か物騒なワードが聞こえたけど……なんだった、仕事再開?」
「そんなところですね……ちょっと今から世界救ってまいります」
再び声を上げて冒険者は牛乳のコップを倒しかける。一斉に注目した客達に軽く頭を下げて、立ち上がりかけた席につく。
「ほ、ホントに神の使いだったのか……今から行くの?」
「はい。情報によると明日の夜に荷馬車を襲う予定らしいので」
より一層困惑している様子の冒険者。
「では、店長に伝えてきますから……」
カウンター下に隠した手元には、雪まつりのチケット二枚と小箱が一つあった。あからさまに失意している幸の薄そうな顔に目をやる。
「あ。一応言いますが私ロボットですからね」
「え、ろ、ロボ!? て、てっきり神が作った勇者様的なやつかと……」
とうとう牛乳の入ったコップが倒れてカウンターにこぼれる。
「本名は007と申します。ま、名前かどうかは怪しいですが」
店の奥へ入る。
「無事に帰ってきてよ」
立ち止まって後ろを振り向く。
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