08

 廊下を歩いていた魔女は鬼とすれ違った。

「あ。鬼……」

 魔女に呼び止められて鬼は立ち止り、振り向く。

「何だよ」

「あ、あのさ……もうちょっと、優しくしてあげてもいいんじゃないかな」

 視線をそらしながら話す魔女に鬼は眉をひそめる。

「……分かってんのか? あれはあのゴミ共の崇める救世主サマだ」

「確かにそうだけど……」

 睨まれた魔女は鬼の顔を見上げた。鬼は舌打ちをする。

「つうかあいつを甘やかし過ぎだろ……」

 腕を組み、視線が横にそれた。床に目を落としかけた魔女は息を詰まらせる。


「魔女、テメェまさかあっち側に付こうとか思ってねえよな」

 低くなった声に魔女はぎこちなく振り向いた。

「……お、思うわけ無いよ」

 口角を微かに上げる。魔女を無言で見下ろした後、目を離した。

「だよな」

 そのまま鬼は歩き出して魔女の横を通り過ぎていった。

 去っていく鬼の静かな足音を聞きながら、魔女は両手で頭を抱える。





 壁に張り付いている吸血鬼から離れ、プルははたきを持った手を組んだ。

「えっ、こ、こんなところで何してるの!?」

「ギルド切られたのでここでバイトを……って、俺のことはどうでもいいんすよ」

 しっとりと濡れたゴスロリのワンピースに身を包み、ツインテールに赤い髪をリボンの様に結んだ吸血鬼の姿を眺めた。

「……女装については聞かないでおくっす。けど」

 僅かに開いた吸血鬼の口元に目を向ける。白い牙がちらりと覗いた。

「何で魔物になってるんすか」

 真っ直ぐと吸血鬼の目を見る。

 吸血鬼は視線をそらし、口元を緩めた。

「イメチェンだよ。ほら、私だっておしゃれとか……」

 そらしていた顔を上げて笑顔になった。

「でも安心して。皆優しいし、私いますっごく幸せなんだよ」

「幸せなら何で泣いてたんすか」

 咄嗟に吸血鬼は赤くなった目を床にそらす。


 笑みの消えた表情を見て、プルは組んでいた腕を解いた。小さくため息を漏らす。

「前にちらっと聞いたことがあるんす。応用すれば、人を魔物に変えられるって……」

 落としかけていた視線を、顔をそらしている吸血鬼に向けた。

「酷なこと言うようっすけど……兄貴、洗脳されてるっすよ」

 プルの発言に目を見開いて吸血鬼は前を向いた。

「そっ、そんな訳無いじゃん! 私は、自分の意思でここに」

「その様子だと覚えてるんすよね。魔力を流されたときのこと」

 吸血鬼の目が一層開いて瞳孔が散大する。俯き、小声で呟きながら首を横に振る。

「ちゃんと受け入れないとダメっす。兄貴にはやることが」

 顔を上げた吸血鬼の鋭い視線がプルに向けられた。

 言葉を詰まらせてプルはその場に立ちすくむ。

「いくらプル君だって、皆のこと悪く言うなら……私、怒るよ?」

 腕を組み、吸血鬼は目を細めて自身より僅かに身長の高いプルへ向けた。緊張の解けぬままプルは視線を落とし、三角巾を引き下げる。

「……そうっすか。じゃあ、失礼しました」

 振り向いてはたきを持ったまま扉の方へと歩いて行く。

 扉が閉まって、再び部屋の中は吸血鬼のみになる。




 ろうそくの灯る廊下をプルは早歩きになるのを抑えながら進んでいく。

「兄貴がいたってことは、あの誘拐犯とかロボットもどこかに……」

 階段で曲がって駆け下り、地上階を超えて灯りの少ない地下へと下る。

 石壁の細い廊下の前であくびをしていたゾンビが目を開けた。

「ん、もう交代か。今日は早いな」

「違が……えっと、伝言っす」

 がっかりした様子でゾンビは大あくびをした。腐臭のする吐息を横切ってプルは暗い廊下へと立ち入る。

「意外とがらんとうっすね……」

 両側に鉄格子の牢屋が並ぶ暗い廊下には甲高い鳴き声と鎖が激しく揺れる音が響くだけで、左右に警戒しながら突き当りの灯りの元まで進んでいく。


 灯りに近い一番端の牢の前で立ち止まって、プルは中を見た。

「……壊れてるっすか……?」

 牢の一番端で三角座りしていた007が突如顔を上げた。上げかけた声を抑えてプルは牢から一歩足を引く。

「人の顔を見て声を上げるとは失敬な」

 両目の青いライトが点灯した。

「だ、誰だって驚くっすよ……」

 息をついたプルの顔を見て007は、ん、と声を漏らした。

「貴方は以前パタ様の弟子を名乗っていらっしゃった……闇堕ちしましたか」

「してないっす。まあバイトではあるんすけど」

 後頭部へ手をやろうとしてはたきを握っていたことに気が付く。

 その手を下ろして、床の隙間の空いた石レンガへと目を向ける。

「……あの、兄貴が……洗脳されてたんっす。それどころが、魔物に」

「知ってます」

 即答した007をしばし茫然と見つめて、プルは鉄格子に迫った。

「なら助けに……って、この棒が……」

 握っていた鉄の棒にろうそくの灯りと水色の髪が映る。

「その程度の鉄格子でしたら簡単に壊せますよ」

「えっ。そ、それなら何で」

 顔を上げ、膝を抱えて座ったままの007を見る。


 007は鉄格子越しにプルを見て、出口へと続く廊下の先に視線を向けた。

「ここには003、つまり私の姉に当たる同一作成者のロボがおります」

「え、ああ……それなら見たことがあるっす。背中に白い羽の生えた……」

 控えめな音量の声を鎖の揺れる音が出口に届く前にかき消す。

「003は空を飛ぶことが出来る機体、空中戦に持ち込まれてはまともな遠距離攻撃の手段を持たない私には太刀打ちできないでしょう」

 淡々とした007の説明に、プルは出しかけた声を手で抑える。

「……でも、姉妹なら戦わなくたって、説得とか……」

「記憶媒体が破壊されていたため恐らくそれは不可能かと」

 廊下の向こうを見ていたプルの視線が007へ向けられる。

「そしてあれを改造できるとなると、ここに住むのはそれなりの力の持ち主……」

 顔色一つ変えずに首を回し、プルへ青いライトを当てる。

「そんなものを何体も相手取れるのは、ま……せいぜい勇者くらいでしょう」

 鉄格子を握っていたプルの手から力が抜けて、横に垂れる。

 無表情でプルを見続けていた007は頭を膝に乗せようとして、そこで頭を止めた。

「では、一つお頼みしたいことが……」

 上げた視線は横へと動いた。剣を握り、プルを睨みつける人間の兵士。

「お前……魔物だな? ここで成敗してくれる」

 突き付けられていた剣がプルの頭上に振り上げられる。




 床越しに魔法を唱える声と剣を交える音が響く中、吸血鬼は先ほど来た道を戻っていた。見張りのオークが吸血鬼を止める。

「お、お待ちください! 現在襲撃を受けており動くのは危ないと」

「ゴメン通してっ!」

 吸血鬼が横を通り抜けた瞬間オークは壁に打ち付けられた。オークの無事を横目に確認しつつ再び速度を上げて、しかし抑えながら吸血鬼は廊下を走る。

「あの子……巻き込まれてたり、しないよね」

 両手を更に強く握って前方を見つめる。

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