07

 後ずさり、扉に背中を張り付けた吸血鬼に鬼は一歩ずつ近づいていく。

「ったく、ちょこまか脱走しやがって……迷惑なんだよ」

 背後の扉の窓を横目に覗く。

「あ、あのさ、あの子あんなところで一人ぼっちじゃ、かわいそうだと」

「じゃあテメェも入るか?」

 吸血鬼は目を見開き、目の前の鬼の顔を見上げた。口角を引きつらせる。

「わ、私だったらあんな鎖、簡単に引きちぎれちゃうよ」

「まあそうだな。だが、手段がねえ訳じゃねえ」

 節くれた大きな手で吸血鬼のチョーカーを巻いた細い首を掴む。鬼の手の血管が浮き出て、腕が震えるも、まるで吸血鬼に変化は無かった。

「ちっ、ただの化けもんじゃねえか」

「ばけものなんかじゃ」

 手を離して首元を見る。チョーカーに薄っすら手形が残り、中央に空いた穴や隙間から覗く白い首はほんのり赤くなっているのみ。

「ロクな努力もしねえで得た実力のくせに、自信満々に言いやがって」

 鬼の手が吸血鬼の髪の結び目に伸びて、尖った爪がツインテールを止めていた黒いゴムを切った。乾きかけていた頬に水滴が飛ぶ。

「まるで血染めだな」

 結び目にリボン結びにされていた一束の赤い髪がほどける。

 下ろされた長い黒髪から水が滴って、扉の前には水溜りができていた。

「……さっさと戻れよ」

 振り向いて、鬼は廊下を戻っていた。開け放された窓から雨が吹き込んでいる。

 雨の勢いは止み、遠くの雲の隙間から月が光る。




 結び目の形の残る濡れた髪を下ろしたまま吸血鬼は廊下を歩いて行った。渡り廊下でキノコの形をしたファンガスと茶色い犬、ではなくてクーシーが会話をしている。

「吸血鬼様ってさ、よく見るとかわいいよな」

 分かれ道になる寸前で吸血鬼は立ち止った。

「確かに。けどなんか素朴すぎないか? メイク映えしそうというか」

 クーシーの発言に歩き出そうとする。

「つか、あんな上に置いとくより捕虜にでもした方が良いんじゃないか?」

 だが、その足を止めた。

「まあなあ、いつ逃げ出すかわかんないしな。反抗されたら怖いし」

 方向転換して吸血鬼は今来た道を戻って走り出した。目に見えぬ速さで姿は消え、起こった風が廊下のろうそくの火を消した。

 階段をかけ上がって廊下を曲がり、開け放されたままの扉に駆け込んで扉を閉めた。魔力に反応してろうそくが灯り暗い室内が照らされる。ベッドへと歩いて毛布の上に座り、毛先から雫が垂れて染みていく濡れたスカートへ視線を落とした。


 雨音は止み、部屋の中は静寂に包まれる。







 窓際で、中央国王が椅子に座って外を眺めている。雨はまだ止みそうになく、窓の外は夜中でありながら真っ白だった。

 窓ガラスに中央国王の白髪の生えた顔が映る。

「……父の様にはなりたくないと、思っておったのだがな」

 ガラスに映る傍の机に置かれた本を見る。

「そろそろ……か」

 視線を上げ、降り続ける雨を見つめる。






 ノックする音に吸血鬼は僅かに顔を上げた。

「入るよ」

 扉が開き、向こうに立っていた魔女は吸血鬼を見た。

「え……だ、大丈夫? とりあえず髪の毛乾かさないと」

 中に入って扉を閉める。こちらを向いている吸血鬼に近づき、風魔法を唱えて生乾きな長い黒髪に風を吹きかけた。

「服もびしょびしょ……やっぱり外に行ってたんだ。えっと、着替えは……」

 部屋の隅のクローゼットの方を向くも、ふと振り向いて吸血鬼を見下ろす。

「……もしかして、何かあった?」

 俯いていた吸血鬼は気が付いて顔を上げた。風に吹かれている髪を揺らして首を横に振り、笑顔になる。

「ううん、何でもないよ。ちょっとぼーっとしちゃった」

 えへへと笑ってベッドを立つ。髪が乾いているのを見て魔女は魔法を止めた。

「髪結び直さないと。ゴム足りるかなあ」

 濡れたスカートを足に張り付けて向かいの壁際の鏡台へと歩く。備え付けられた小さな棚を漁ってゴムを取り出し、首を傾げながら手で束ねた髪に通していく。

「心配してくれてありがとう。私はもう大丈夫、だよ」

 赤い髪を拾って結んだ髪に結わえようとして、吸血鬼は手で顔を拭った。

「え、吸血鬼」

「大丈夫」

 鏡台の前で俯いている吸血鬼に魔女は歩み寄っていく。背後で立ち止まり、震えている吸血鬼の肩に静かに両手を置いた。

「無理しないで」

 俯けた顔を吸血鬼は手の甲でこすった。

「……ありがとう。でも、無理なんてしてないよ」

 顔を上げて鏡に映った表情は、目が僅かに赤くなった笑顔。魔女が視線を落とそうとすると吸血鬼は振り向いてにっと笑いかけた。

「じゃ、私はお着替えタイムに入るから……魔女先輩、覗いちゃダメだよ?」

 その顔を見つめていた魔女は吸血鬼に促されて頷き、扉へと歩く。

 扉を開けたところで振り向くと丁度ワンピースをヘソまでめくりあげたところだった。慌てて前を向き、扉を閉める。

 ドアノブを握ったまま魔女は扉に背を向けて床を見つめていた。

 だが思い立ったように歩き出す。



 足音が遠のいていくのを聞いて吸血鬼は濡れたワンピースを離した。

「……泣き虫」

 目元を手でこすって髪に手を伸ばす。鏡台の前まで歩き、赤い髪を拾って器用にゴムを巻いた結び目に結び付ける。よし、と呟いて再びスカートの裾を掴んだ。

 まくり上げると共に部屋の扉が開く。

「失礼しまー……って、す、すみまっ」

 扉から覗いた青年と吸血鬼の目が合った。スカートを掴む手を離し、吸血鬼の顔が赤くなってその手でスカートを押えた。濡れたスカートが足に張り付く。

「の、の、ノックを……っ」

 赤くなっている吸血鬼を見つめたまま、青年は扉を開けて部屋へと入ってきた。困惑して吸血鬼は後ずさり、壁に背中が当たる。

 とうとう吸血鬼は壁に追い詰められて三角巾を巻いた青年にじっと凝視される。

「な、あ……えと、どうしたのかな?」

「いや、それはこっちのセリフっすよ」

 え、と吸血鬼の引きつった笑みが解ける。青年の水色の目を見つめ返した。

「……えっ!? あ、あの時の……プル君……?」

 吸血鬼の反応に、青年、プルの目が僅かに細められる。

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