06
茫然としていた吸血鬼は我に返ってテラを見た。
「……やっぱり、あの時のテラちゃんだったんだ」
足を踏み出した吸血鬼にテラは警戒を強める。玄関の方へ足をじりじりと向けつつ、テラは両手を強く握っていた。
「は? 寝ぼけたこと言ってんじゃねえ。夜にテメェと会ったことなんざねえよ」
声は震えており、顔色は白いままで細められた目はじっと吸血鬼を見ている。
「……テラ、一旦別の部屋に」
ケシィが近寄ろうとした瞬間、テラは暗い玄関の方へと走り出した。
「て、テラ待ちなさい、駄目っ!」
持っていた本を落としてケシィが後を追おうとするも、部屋を出ると同時に玄関の扉が勢いよく開く音が聞こえた。激しい雨音が屋敷に響き、雷が鳴る。
「……わ、私、追いかけてくる!」
暗い廊下へ吸血鬼が走り出した。
「あっ、待っ……」
ケシィが玄関を見た時にはもう吸血鬼の姿はそこには無かった。
部屋から火の玉の灯りが漏れる暗い廊下に、ケシィだけが一人残される。
窓際で外を眺めていた魔女が、窓から離れて二人の方を向いた。
「私、ちょっと探してくる」
机の上のろうそくのみが灯る静かな室内に、稲光が映って三人の影ができる。
「お、おい待て。あいつは転移魔法が使えんだぞ、んなこときりが」
「大丈夫、私も使えるから」
鬼が止めるのを聞かずに魔女は部屋を出た。続いて狼男も立ち上がる。
「では私はこの周辺の森を探してきます。念のため鬼はここに残っていてください」
スーツの袖の毛を払い、狼の後ろ脚型の素足で音もたてずに開け放された部屋の出入り口へと歩いて行く。入れ違いでそばかすの女が入ってきた。
「……ちっ、縛っとけよ」
舌打ちして鬼が顔を上げようとした時、再び稲光が部屋を照らした。
部屋の中に出来た二つの陰の大きな方が扉へと動く。
雨の激しさは増し、真っ白な中をテラは切り裂く速さで走っていく。
だが裸足だった足が濡れた草に滑って前から地面に転倒した。
「う……」
泥だらけになった顔を手の甲で拭い、よろめきながら立ち上がって服を見た。
ズボンからシャツまでぐっしょりと濡れて泥と草がついている。
「あ、アホみてえだな……あんな、魔物一匹くらいで」
ふっとテラは目を見開いて両手を強く握り再び走り出した。濡れた髪が首筋に貼りつき、青白かった顔はほのかに赤らんでいる。
走って、木が数本立ち並ぶ川岸でテラはしゃがみ込んだ。荒い息を吐く。
木に寄りかかって震える体を抱えて、テラはそのままじっとしていた。
稲妻が走り、真っ直ぐと木へ伸びる。
「危ないっ!」
吸血鬼がテラを突き飛ばした。木に走った青い電流が吸血鬼の体を通る。
「て、テラちゃん大丈夫!? ごめんね、怪我無い?」
青い電流を身にまといながらも吸血鬼は逆立った髪を戻し、雨の中で川に落ちる寸前で横たわっているテラに手を差し伸べた。真っ二つに割れた木が燃えかけて、雨に鎮火される。
「さ、帰ろう。ケシィちゃんきっと心配してるよ」
微笑んで差し伸べた手から電流の光が消え、辺りは真っ白な暗闇になる。
体を起こしたテラは顔半分に泥が付いた状態で吸血鬼の顔を確認した。後ずさろうとしたテラの体が川へと落ちかけるも、吸血鬼がその手を掴む。
豪雨で激流となった川の水が跳ねてテラの顔にかかった。
「……ち、近寄んじゃねえっ!」
掴まれた手を振り払って岸を蹴ってテラは対岸に飛びのいた。
真っ暗な森を背に、身を震わせて吸血鬼を見る。川岸にしゃがみ込んだ体を起こして、吸血鬼は手に泥が付いたままスカートを握った。
「ごめんね。私、テラちゃんの気持ちも考えないで……一人で浮かれちゃって」
濡れたスカートが足に貼りつき、結んだ髪は乱れて赤いリボンが垂れている。
テラは暗い森に少しづつ後ずさりながら吸血鬼を見つめていた。
「……テラちゃ」
「呼ぶなっ!」
拾った木の枝が矢のような速さで雨を切り裂いて太めの黒いチョーカーを巻いた吸血鬼の首に刺さった。
「あっ……」
投げた姿勢のままテラは固まって吸血鬼を見る。吸血鬼は僅かに目を細めたのみで、微笑みを作って対岸のテラを見た。木の枝は水を跳ねさせて地面に落下し、傷から首を細く流れていた血は激しく降る雨に流される。
穴の開いたチョーカーをずらして傷口を隠した。
「心配しないで。私、びっくりするほど丈夫だから」
雨に濡れた表情を緩めて吸血鬼はテラに微笑みかける。
「ごめんね、怖いよね。だけどもう少しだから、ケシィちゃんの所に帰ろう」
足先で地面を蹴って軽々と宙に舞う。雨に濡れたスカートがひらりとめくれて、水しぶきを小さく立てて対岸へと着地した。
逃げ出そうとしたテラは一歩踏み出したところでへたり込んでしまう。
「く、来るなっ、もう、やめろ」
手の力で少しづつ川岸へにじりより、震えながら音を立てて流れている川を覗き込んだ。濁った川から白い泡が跳ね、木の枝が流れている。
「殺さないで」
呟いた瞬間ふっと体から力が抜けて激流の川へと体が傾く。
だが、吸血鬼の両手がテラの体を受け止めた。跳ねた泡が顔にかかってテラは気が付き前へ動こうとするも、両手を組んだ吸血鬼の腕から抜け出すことは出来ない。
そっと、そのまま川岸へ引き戻す。
「大丈夫。私が、テラちゃんを守る」
え、とテラが声を漏らしたと同時に吸血鬼は転移魔法を唱える。
ろうそくの灯がもれる廊下に吸血鬼がテラを抱えて着地した。
「テラ! 良かった、無事……って」
駆け寄ったケシィは吸血鬼の腕からテラを受け取って額に手を当てた。髪から水が滴り、二人の足元に水溜りができる。
「酷い熱……とりあえず服を」
「ケシィちゃん、今日はありがとう」
テラを抱えて歩き出しかけていたケシィは振り向いた。
「え、ええ……」
「じゃ、帰るね」
濡れた手に魔力を溜めた。
「二人ともバイバイ。転移魔法」
唱えると魔力が吸血鬼を包んだ。
「あっ、ちょっと」
ケシィは踏み出しかけるも、そこには暗い廊下の突き当りしかなかった。
ろうそくの灯りで残った魔力が微かに赤く光る。
壁にろうそくの並ぶ薄暗い廊下に着地する。
「……つい、来ちゃった」
突き当りにある格子の窓のついた重そうな扉の方を向く。足音を忍ばせて、扉の方へと歩いて行った。廊下に点々と水滴が垂れる。
扉の前で立ち止まった。
「おーい」
呼びかけるも返事は無い。少し間を開けて、再び吸血鬼は話しかけた。
「ねえ、どうしてそんなところに」
「お前……何やってんだ」
重みのある低い声に吸血鬼は息を止める。ゆっくりと振り向き、背後の人物……魔物を確認した。
「ここには来んなっつっただろ」
ろうそくの灯りで光る鬼の両目が、じっと吸血鬼に向けられる。
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