03
日がだんだんと傾き、木々の影が伸びていく。
切り株に腰かけたケシィは腕を組んで吸血鬼を見上げる。
「で、コントロール出来ないっていうのは」
吸血鬼はケシィの前に立ってもじもじしている。
「一回噛みつくと、いつもつい沢山飲んじゃって……その……魔力欠乏で……」
視線をそらして言葉を濁した吸血鬼にケシィはほんのり呆れ顔。
「つまり、殺せないってことね」
「そっ、そんな訳ないじゃん、この冷酷非道の吸血鬼ちゃんが」
慌てて弁解しようとする吸血鬼を見て、更に呆れてため息をついた。
「別に悪くは無いでしょ、第一そんな簡単に殺せるほうが問題よ」
吸血鬼の後ろで倒木に座っていたテラが先ほどから不安げに吸血鬼の四肢を見ているのに気が付いて、ケシィは立ち上がって兵服のズボンの土を払った。
「ほら、その傷回復するから……」
吸血鬼の腕に左手を伸ばしかけて、その手を戻す。
赤い袖口から見えていた白い腕を袖で隠して、吸血鬼は両手を後ろへやった。
「……ど、どうしたんですか?」
二人の様子にテラはケシィを見た。ケシィは切り株に座り直す。
「吸血鬼はアンデット系の魔物、回復魔法は攻撃にしかならないわ」
言葉を詰まらせて、テラは吸血鬼を見上げた。
「じゃ、じゃあ……その傷……」
「一生とまでは行かなくても、数年間は残ったまま……人の場合はだけど」
ふとケシィが顔を上げると、俯いたままの吸血鬼の目に涙が滲んでいた。
「……まあ、吸血鬼なら自然治癒力は高いはずだから……」
とうとう顔を覆って涙をこぼしだした吸血鬼にケシィは動揺して立ち上がった。戸惑った末、自身より身長の高い吸血鬼の頭に下げていた手を伸ばす。
頭を撫でられながら吸血鬼は白い手の甲でこぼれる涙を拭う。
「うう、ありがとう……」
お礼を聞いてケシィは手を離すも、吸血鬼が物寂しそうな目で見てきたのでため息をついて再び手を置いた。どこか満足げな吸血鬼にケシィは僅かに表情を緩める。
「そういえば、吸血鬼さんのお名前って何ですか?」
え、と声を漏らして吸血鬼は不思議そうにテラの方を振り向いた。
「名前なんて無いよ?」
ツインテールを垂らして首を傾げる吸血鬼に、ケシィが補足する。
「魔物は普通、名前は持たないのよ」
「えっ、でもプルさんは……」
テラの口から発された名に吸血鬼の眉が微かに動く。
「あれは人が付けたから。魔物の文化じゃ律儀に名前なんて付けるはずがないわ」
ケシィの話を受けて、テラは驚いた様子で吸血鬼を見る。
そうだ、と両手を合わせた。
「なら、私たちで吸血鬼さんの名前を考えましょう」
その提案に、電源を切り替えたかのように吸血鬼の表情が明るくなった。
「本当!?……えっと、名前」
「あ、私はテラです。あっちの方がケシィさん……」
ケシィの方を指すも、吸血鬼の視線はテラに釘付けだった。
「……あ、あの、どうしましたか?」
だがテラの問いかけにはっと気が付いて両手を横に振る。
「なっ、何でもないよ。それより、名前ってどんなの?」
考えだしたテラを見て、吸血鬼はほっと息をつきつつ目を輝かせて人間二人を交互に見た。風にはためいた黒いコウモリのような羽を背中にしまう。
「……キィ」
呟いたケシィの方を勢いよく向いた。
「かわいい! それにしよう!」
迫ってきた吸血鬼をケシィはやや目を開いて見上げた。
「素敵ですね、じゃあ今日からキィさんと……」
吸血鬼は振り向いて笑いかける。
「さん、なんていらないって。キィって呼んで」
「い、いえ。年上の方を呼び捨てするなどそんな滅相も無い」
立ち上がって首を横に振ったテラに吸血鬼は苦笑いになる。ふと空を見上げて、オレンジ色の空にあっと声を上げた。
「そうだった。私そろそろ帰らないと……」
同じく空を見上げた二人は少し困った様子で顔を見合わせた。
「二人とも、もしかして帰れない?」
「みたいね。近くの宿に泊まれればと思っていたんだけど……」
遠くの、月が昇りかけた空には暗雲が立ち込めていた。
「こりゃひと雨降りそうだね……あっ、なら」
空を見上げていた吸血鬼は笑顔になって、二人の方を向いた。
「転移魔法っ!」
高らかに唱え、森から三人の姿が消える。
藍色の空に吸血鬼の背姿が小さくなっていく。それを眺めていたケシィとテラは、視線を下ろして門の方へと歩き出した。門の上部のプレートには『中央国』の文字。
「にしても、どうも掴めない相手ね……どこかの誰かを思い出すわ」
ため息をついてケシィは頭を抱えた。夜風が結んだ髪をなびかせる。
「そうですか? 明るくて優しい方だったと思いますが」
話しながら門をくぐった二人に門番の兵士が敬礼をした。軽く頭を下げ返して、歌声の聞こえる城下町内に踏み入る。
「それにしても、キィさんっていいお名前ですよね。まるでお姫様みたいな……」
「あれ……吸血鬼のキからとっただけよ」
思わぬ由来にえ、と言いかけてテラは口を押えてその場にうずくまった。震えているテラの隣にしゃがみ込んで、ケシィは片手で背中をさする。
「お、お嬢ちゃん大丈夫かい。酷い顔色だけど、病院に」
紙袋を抱えた中年女性に声を掛けられてケシィが顔を上げた。
「いえ。そろそろ落ち着くと思うので……」
「そ、そうかい? お大事にね」
次第に様子の落ち着いてきたテラを見て、中年女性は去って行った。
顔色を見て、ケシィはテラの背中をさする手を止める。
「たっだいまーっ!……って、ここどこ?」
窓から着地した吸血鬼は廊下を見渡した。
「む……道を間違えたな」
体を回して窓から飛び立とうとして、突き当りの扉に目を留める。
「なんか……いかにもお宝とかありそう。見ちゃえ」
周囲を確認し、吸血鬼は扉の方へと廊下を進んだ。重そうな格子の窓のついた金属製の扉の前で止まる。取っ手には鎖と南京錠がかけられていた。
「さてさて、中には何が……」
囁いて、丁度目の位置にある窓から中を覗く。
「……えっ」
声を上げかけて吸血鬼は口を押えた。
窓にカーテンのかけられた暗い部屋の壁際にクッションのついた椅子が置かれ、吸血鬼より若干年下と思われる少年が俯いてそこに座っていた。
両手足は壁から鎖に繋がれているが、鎖は床に垂れている。
「お、おーい」
小声で吸血鬼は少年を呼んでみるも、反応は無い。
「あれ、見覚えがあると思ったんだけど……おーいそこの人間君」
再度呼んでみてもやはり反応は無く、首を傾げて吸血鬼は窓から離れた。
「……気のせいだよね」
飛び込んできた窓の方へと歩き出す。
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