02

 石造りの門に寄りかかる制服姿の少女……テラ。本を手に持っていながら、視線は雲の点々と浮かぶ空に向けられていた。

「あら、待ってたの?」

 だが後ろから聞こえた声に振り向き、笑顔で片手を振った。

「お久しぶりです、ケシィさん」

 建物から出てきた兵服の女、改めケシィは笑い返して軽く手を振った。門の前で合流して、ケシィはテラの姿を確認する。

「じゃあ、行きましょう」

 二人は前方に広がる森へと入っていく。



 微かに漏れる木漏れ日の中、獣道を並んで進んでいく。

「休みはいつまでだったかしら」

 道の右側に覆い茂る白い花を眺めながらケシィが聞いた。

「今日から丁度三十日です。宿題多くって……」

 苦笑いしたテラの短い髪に風がそよいだ。ケシィは顔にかかった髪を手でよけながら、テラの話に頷く。

「……髪、やっぱりその方がいいわ。すっきりして」

 ふと髪のことを言われてテラは恥ずかしそうに笑った。

「ケシィさんこそ、ポニーテール似合ってます」

「そう? 仕事に支障が出るから結んだだけよ」

 言いつつ嬉しそうに結わえた髪を手で撫でて、だが視線を落としたケシィを、テラは横目に見た。

「大魔法使い……まだ、引き受けないんですか」

「当分はね。でも、今の職場もいい所よ」

 反射的に袖の下に隠された右手に、視線が行く。

「あの、疲れてませんか?」

 え、と声を漏らしてケシィはテラの顔を見た。

「……疲れない仕事なんて無いわ。それより」

 ケシィが切り出そうとした時、茂みが揺れる音に続いて何かが倒れる音。

「何かしら」

 躊躇することも無くケシィは音のした方へ茂みをかき分けて行った。残されたテラは困惑した様子で辺りを見回して、ケシィの後を追う。




 兵服についた木の葉を払いながら前方を見下ろした。

「……この牙、吸血鬼ね」

 地面に横たわるツインテールの吸血鬼を見て、テラはひっと悲鳴を漏らす。

 怖がるテラを背後に回してケシィは靴の先で寝ている吸血鬼の顔をつついた。

「死んではいないみたいね……なら」

 ケシィが手を吸血鬼に向けようとした途端、ぱっと吸血鬼の目が開いた。

 起き上がり、瞬時に木の幹まで飛びのいて人間二人の姿を確認する。

「……な、なんだ。メスガキ二匹」

「風魔法」

 ケシィが唱えると共に吸血鬼は四方から吹いた風に、黒いチョーカーを巻いた首を締めあげられる。だが吸血鬼は首だけを絞められて空中に浮いていながら、いたって涼し気な表情。

「へっへーんだ。この程度の威力で私の首がっ」

 突如風が吸血鬼の口の中に入り込む。

「ちょ、け、ケシィさん何してるんですか!?」

 吸血鬼に手を向けて風を起こしているケシィをテラが止めに入った。

「こんななりをしていても魔物、それも敵よ」

 空中の吸血鬼に視線を向ける。赤と黒のワンピースに身を包んだツインテールにリボンの少女、その背中には黒い羽が生え、口元には白く鋭い牙が覗いている。

「ふ、ふうん。人間の割には強いじゃん……」

 笑みを浮かべているが顔色は蒼く、手はじわじわと首元へ伸びている。

「で、殺すの?」

 涙目になりながら笑みはだんだんと弱弱しいものへと変わっていく。ふいに腹が鳴り、状況に関わらず吸血鬼は赤くなった。半開きの口からよだれがこぼれる。

 足をばたつかせてスカートがめくれて白い素足の大量の噛みあとが露わになった。

「え、あの傷……まさか、自分で噛んでるんじゃ……」

 テラは不安げに吸血鬼の顔を見た。最早、吸血鬼は傷を隠そうともしない。

 次第に吸血鬼の瞼は落ちていき、再び腹の音が鳴る。



 吸血鬼が地面に落ちた。

「だ、大丈夫ですか!?」

 即座に駆け寄るテラだったが、咳をして体を起こしかけた吸血鬼に飛びのいて地面の木の葉を舞い上げる。何度か咳をして、吸血鬼は口のよだれを拭った。

 年齢差のある少女二人を刺すような目で睨みつける。

「お、お前らみたいなザコ、私がお腹いっぱいだったら一瞬で……」

「やっぱり。かなり弱体化しているようね」

 手を下ろし、歩み寄ってきたケシィから吸血鬼は後ずさる。

「こっ、これ以上何をっ」

 目を見開いてツインテールを振り乱す。

「ほら、飲みなさい」

 しかし袖をまくって腕を突き出したケシィに、吸血鬼は立ち止った。

 え、と声を漏らした口元から血が伝う。

「……な、何か……毒でも塗ってあるんだな!?」

 びしっとケシィを指さしたであろう人差し指は空中を指していた。

 あり、と呟いてその場に崩れ込む。

「強がるの構わないけれど、次こそ魔力欠乏か貧血で死ぬわよ」

 しぬ、と繰り返してしゃがみ込んだまま吸血鬼は涙目でケシィを見つめた。

「や、やだ……まだ、死にたくない」

「なら大人しく飲みなさい」

 差し出された、うっすらと青く血管の透けた左腕を見つめて唾を飲み込む。

「大丈夫だから。ほら」

 ケシィが目の前にしゃがみ込むと、吸血鬼は涙を目に溜めて小さく頷いた。

 次の瞬間吸血鬼の姿が消える。



「ひゃあっ」

 声を漏らしたケシィの首筋に吸血鬼は噛みついていた。

「な、何で……」

 すっと、ケシィの顔から血の気が引く。瞳孔の開ききった吸血鬼は二本に結んだ黒い髪をケシィの肩に垂らして、喉を鳴らしながら溢れる血と魔力を飲んでいる。

 吸血鬼の魔力量が回復していくと共に、ケシィの魔力が弱まっていく。

「ぷはっ」

 吸血鬼が口を離して息を吸った瞬間ケシィが前のめりによろめいた。

「け、ケシィさん大丈夫ですか!?」

 テラに体を支えられ、ケシィは額に手を当てて数度瞬きをした。

「だ、大丈夫よ。急なことで体が慣れてなかっただけ」

 地面に手を突いて立ち上がり、へたり込んだまま俯いている吸血鬼を見下ろした。

「……まさか、まだ足りないとか」

 ふっふっふ、と俯いたまま笑った吸血鬼にケシィは一歩下がってテラを背後に庇う。


 飛び上がるように立ち上がり、ツインテールとスカートを浮かせてくるりと回った。

「四天王最強、吸血鬼ちゃん完全ふっかーつ!」

 そして白い歯と二本の牙を見せて満面の笑みでピースする。

 二人は茫然とその姿を見つめていたが、後ずさって構えた。

「四天王、最強……通りで強いはずよね」

「はっ、言っちゃった」

 今更になって口を押える吸血鬼。

「いっ、今の無し! 忘れてっ!」

「無理よ」

 袖を戻しながらのケシィの返答に、頭を抱えて吸血鬼はしゃがみ込む。

 ケシィの背後からテラが恐る恐る顔を覗かせた。

「……あの、吸血鬼……さん」

 声を掛けられて吸血鬼は振り向く。テラの姿を見て、あれ、と小声で呟いた。

「どうして、血を吸って無かったんですか……?」

 う、と声を詰まらせて再びテラを上目遣いに見る。だがその視線にケシィの背後に隠れたテラを見て人違いだよねと囁いた。気まずそうに顔を上げる。

「じ、実は……私、吸う量をコントロール出来なくって……」

 視線をそらして笑っていた吸血鬼が、ふっと真面目な表情に変わった。

 真顔でじっと見つめられた二人は警戒を強めて身構える。



 吸血鬼が勢いよく頭を下げた。

「お願いします、また血を吸わせてくださいっ!」

 跳ねるツインテール。声量に周囲の木から鳥が一気に飛び立った。

 身構えたままケシィとテラは吸血鬼の赤いリボンを結んだ頭に視線を下げる。


「な」

 間を置いて、ケシィの灰がかった青色の目が見開いた。

 羽音が遠のく中、頭を下げたまま上目遣いに吸血鬼は人間二人を見つめる。

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