21
足音に目を覚ました少年は眠たげな目で辺りを見回した。
腕を引いてみるも鎖は切れず、薄暗く狭い牢の中に鎖の揺れる音が鳴る。
そして少年の腹も鳴った。
「……ん」
丁度そこへ人が入ってきたことに少年はなんとなく顔をそらす。
「せ、セル?」
だがそれは食事係でも昨日の老年男でも無かった。
牢の鍵を開錠し、両親は牢の中に入った。
口枷をはめられて壁の鎖につながれている息子の姿を見る。少年は敵意をそいで床に視線を落とした。
「……良かった」
母親の言葉に顔を上げた。
「い、生きててよかった……ずっと、心配してたんだよ?」
ぼろぼろと涙をこぼしながら母親は少年に優しく抱き着いた。緊張を解きかけるも少年はすぐに体を後ろへ引き、鎖が鳴って母親は反動で床に突き飛ばされる。
壁に背中を張り付けて母親を睨む少年の顎を節くれた手が持ち上げた。
「あっ」
母親が声を上げるよりも先に父親が少年の頬を叩いた。乾いた音が鳴り、少年の頬に赤い手形が残って吸収されるように白く消えた。
「お前が逃げている間にどれだけの人数が殺されたことか」
床を睨んでいた少年の目が開いた。
「ま、待って! セルを責めるのは」
「責めている訳じゃ無い」
俯いている少年の顔を持ち上げ、父親は言葉を続ける。
「今じゃ……お前も知ってるだろう、勇者は非難の的になっている」
眉間にしわの刻まれた父親の目が真っ直ぐと少年の目を見た。
「理不尽かもしれないが、お前は世界中の期待を裏切った」
言葉が途切れ、牢の中はしばらく沈黙に包まれる。父親が手を離し少年は後ろの母親に視線を向けるも、母親は床に顔をそらした。白い頬に残る何かをぶつけたようなアザを見て、少年は僅かに後ずさった。壁にぶつかり、鎖が揺れる。
「……ただ、これだけは分かっておいてほしい」
父親の手が少年の頭に置かれる。
「今はお前に頼るしかない……だが、俺とあいつは、お前のことを心配している」
少年の頭をやや乱雑に撫でて、父親は手を離した。
足音が近づいてきたのを聞いて母親が立ち上がり少年に近寄る。
「お腹空いたでしょ。食事係の人に今日はセルの大好物付けてもらったから」
動かない少年の後頭部に手を回して口枷を開錠しようとする。涙が少年の着ている囚人用の服に落ちた。
「ちゃんと……ご飯食べないと駄目だよ」
鍵穴に鍵を入れたところで鎖を揺らして叫びだした少年を強く抱きしめ、壁にぶつかりそうになる頭を押さえて母親は少年に語り掛けた。
「お願いだから落ち着いて……自分を傷つけようとしないで」
階段を下りてきた食事係は鎖の音に階段の前で立ち止まった。
「ごめんね、全部頼ってばかりで。守らないといけないのに」
ぴたりと少年の動きが止まる。そっと頭を撫でられて、少年は父親の顔を見た。
見上げる少年の目から涙がこぼれて頬を伝う。落ち着いたのを見て、母親は少年の口枷に刺したままの鍵を回した。
口枷から僅かに血が垂れて少年の頬に鎖の跡が残る。
「……ああ、すみません。お待たせしちゃって」
開いたままの牢の扉から顔を出して、母親は階段前に立つ食事係を呼んだ。
「魔王を、倒します」
だが少年の発言に目を見開いて後ろを振り向く。
「え……せ、セル? 何で、敬語……」
立ち尽くしたまま繋がれている少年を見下ろした。
目を床に向け、少年は口を噤む。
ふらふらと少年に近寄り、母親は床にしゃがみ込んだ。
床を向いている少年を再び抱きしめる。
「ごめんね……」
肩を震わせて母親は涙を流し、少年を繋いでいた鎖が揺れた。
「ごめんね、ごめんね」
繰り返し謝りながら少年を強く抱きしめ続ける。父親は牢の隅に立って、母親の肩に乗せられた少年の顔をじっと見つめていた。
「……待っててね、今兵士の人呼んでくるから」
少年から離れて涙を拭い、食事係の横を通って母親は階段を上がって行った。食事係から食事と、ケーキの乗ったプレートを受け取って父親は少年の前にしゃがんだ。
スープのつがれた器を取ってスプーンを拾い、少年の口にスープを注ぐ。
少年の口の端からスープがこぼれた。
歩調を崩さずに川岸を歩く少年。水が跳ねて青いスライムが少年の行く先に飛び出した。きいきいと鳴きながら足にくっつくスライムを見て、少年は剣を引き抜く。
構えて、スライムに剣を振り上げる。
人ってさ、いや俺は人では無かったな。ともかく意外と丈夫なんだよ。
振り上げた剣を握る手が震えだす。反対の手でかぶせるように押さえ、足を一歩引いてスライムを睨みつける。
「……あ……な、何で」
震える手から剣が落ちてスライムの横に落下した。スライムは身を跳ねさせるも、なお少年の足にはりついて体当たりをしていた。
「で……できない。殺せない」
目から涙をこぼして少年は震える両手を見る。
そんな、ちょっとやそっとじゃ壊れないんだよな。
手を押えながら剣を拾ってスライムを見下ろす。だが、攻撃することは無かった。
涙が頬を伝ってスライムに落ちる。
この剣を振り下ろしたら後戻りできなくなるって分かってたんだ。
分かってたから、怖くなった。
これ以来、俺は剣をまともに握れなくなった。
「こうして、世界は……正確には人類が滅んだ」
息をつき、勇者は兜の中に手を入れて頭を掻いた。涙を流していたパタが間を置いてあれ、と声を漏らす。
「でも、まだ人は滅んで……」
「さて。後悔した少年は考えたわけだ」
話が終わってなかったことにパタは口を噤む。
「どうすりゃこうならなかったのか。何をどうすれば良かったのか……で」
人差し指を立てる。
「分かったんだ。あんとき、壊れちまえば良かったんだって」
俯いたまま発された勇者の言葉に、パタは、え、と呟く。
勇者は言葉を続けた。
「もし魔法が使えなければ追い詰められても逃げることは無かった。きっとそのままパニックでも起こして皆殺しにして、あとは……じゃ、どうするか」
顔を上げた勇者にパタは思わず小声で悲鳴を漏らす。
「お前、時間移動って知ってるか?」
「じ……じかん、移動?」
「転移魔法を応用した禁術だ。消費魔力量が多すぎて使えない謎の魔法だけどな」
禁術、という言葉にパタの勇者を見る目が再び恐れに変わる。
「だがそこは伝説の勇者だ。使えちゃったんだよなあ、これが」
首元の歪んだ鉄兜に手を掛ける。
「過去に戻って……大魔法使いの爺さん知ってるだろ? 魔力封印薬強化版、なんか猫用とか言ってたけどそれ貰って、過去の自分にジュースだっつって飲ませた」
凹んだ首元を指先で押し戻して勇者は兜を外した。
結んだ髪を乱しながら首を横に振り、半開きの口から声を漏らしているパタを、黒い目がじっと捉える。
「ごめんな。お前の魔力封じたの、俺だわ」
吹き込んだ夜風が雑に切られた勇者の一束だけ赤い黒髪にそよいだ。
パタは動きを止めて、自身とそっくりな勇者の顔を見つめる。
震える腕が鎖を引きちぎった。
ゆらりと立ち上がった体から千切れた鎖と鉄片が地面に落下する。
「お……お前」
パタの口から言葉が漏れる。瞳孔の開ききった黒いパタの目が勇者を見下ろした。
震える両手の拳が解かれる。
「お前のせいで……っ!」
俯いたままの勇者の首にパタは手をかける。
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