19
涙をにじませてルノはブーメランを構えようとしている。
だが対峙していた二人は、不意に視線に突き刺された。
息を飲み、プルが警戒先を変えたと同時にルノの頭上でナイフが光った。
「なっ」
咄嗟にプルはルノを突き飛ばしてナイフはプルの肩を貫通する。
目を見開いて震えているルノをパタの視線が捉えた。
「逃げるっす!」
プルに言われてルノは立ち上がるも立ちすくんでその場から動かない。
パタは振り向いてプルへ手の中のナイフを向けた。
「混血よりこっちが先だよね」
「な、何言ってるんすか。急にどうし」
既にプルの目の前でパタはナイフを持つ手を引いていた。パタの顔を見上げたプルから力が抜ける。
パタは横に吹っ飛んだ。
ナイフが金属音を立てて地面に落下する。
「……えっ」
地面がへこんで砂煙が上がり、その中心に倒れているパタは腹部を押えて嘔吐しながら鼻血を流していた。起き上がろうとしたパタの腹にもう一撃拳が入れられて地面がえぐれる。
「全力でやったんだけどなあ……やっぱ一発じゃ無理か」
円形にへこんだ地面の縁で手を振る、兜を被った青年こと勇者。
「どれ……よし、流石に気絶したっぽいな」
勇者は軽々とパタを片手で担ぎ上げ、背中に背負って二人の方を向いた。
放心している二人にじゃっと片手を挙げて振り向き、颯爽と去っていく。
「……な、何者っすか」
しかしプルの問いに立ち止まって振り向いた。自身の背中で気絶しているパタに目をやり、笑みを浮かべた。
「ホント、何者なんだろうな」
前を向いてパタを背負ったまま歩き出した。
「安心しろ。変なことはしねーよ」
挙げた片手を振りながら勇者は乗り場を出て行った。
後姿を見つめていたルノに馬が鼻をこすりつける。
あの頃は今以上……いや、今と変わらず甘ったれていた。
言動も、考え方も。
「あ、あの……どこに行くんですか?」
いくら知ってる奴だったからと言って、ほいほいついて行くし。
「安心しろ、すぐそこさ」
突然兵士に連れ出されるとか怪しさ半端ないってのに。何歳だよ。
「ほら、あそこだ」
おかしいって気が付いても逃げようとしないし。
んなもん、完全に自業自得じゃん。
「え、何で」
「これでやつらを殺すんだ。気にするな、あれは死刑囚だからな」
剣を受け取った勇者は放心状態で階段の前に立っていた。
「……ごめんな。守るもんには優先順位があるんだ」
兵士に部屋の隅へと突き飛ばされて壁にぶつかる。
「勇者を殺せば釈放してやる。せいぜい頑張れ」
言い残して兵士は階段を上がって行った。ランプの灯りが遠のく。
顔を上げた勇者は、囚人服の人々に囲まれていた。
「へえ。これが勇者か……随分弱っちそうなガキだな」
「こんなんが魔王を倒すって? かぁ、世も末だな」
笑い出す囚人たちを見上げ、勇者は刃がむき出しになった剣を背後に回して群衆から抜け出そうとする。
「おい。逃げんなよ、勇者サマだろ?」
手錠を付けられた囚人に回り込まれた勇者はひっと悲鳴を上げて立ち止まる。
「気を付けろよ。そのきしょい髪色、ガキとはいえ伝説の勇者だ」
「あ? 指図すんな。さっさとこいつ殺してここを出るってだけだろ?」
手の関節を鳴らして、震えている勇者を見下ろした。
シャツの胸ぐらを掴まれる。剣が背後の壁に当たってカチカチと音を立てた。
「へぇ、震えてやがんぜ? 何が、勇、者、だよ」
本当にその通りだ。
たったこれだけで頭が真っ白になって
挙句、逃げた。
「てっ、転移魔法っ!」
バカだよな、城門の前に着地したんだぜ?
夜空の下で草原を走る勇者。息は上がり、足は何度ももつれている。
「……こ、こんな」
立ち止って息を整えつつ、勇者は後ろを振り向いた。
そこにはただ草原が広がっているだけだった。
「こんな、世界、もう」
しゃがみ込み、地面を思い切り叩こうとして拳を振り上げる。が、その手は寸前で止まった。勇者は光の無い目で地面に叫ぶ。
「もうこんな世界、滅んじゃえばいいんだっ!」
地面を見つめたまま、力無い笑みを浮かべる。
「人なんて、皆……」
笑みを消し、勇者は草原をふらふらと歩き出す。
俺はこんな甘ったれた野郎が大っ嫌いだった。
だから口調を変えた。酒もタバコも、女にも……これは未遂だったが。
白くてもやしみたいな体が嫌で筋トレもした。口調以外は全滅だった。
で、気が付いた時にはどこもかしこも死体の海だった。
理想論ばかりで現実を見ないで、逃げ続けて、全部他人のせいにして
「あれ? 皆守るとか言ってたくせに。自分だけ生き残ったんだ」
結局何一つ守れなかった。
「私のこと殺さなくていいんだ。ああ、殺せないんだっけ」
笑えないな、勇者って何だよ。
「ふぅん。じゃ、存在価値ないじゃん」
変な意地のせいで何もできない。
自殺すら出来ない臆病者のどこに勇気があるってんだ。
「何もかも、人任せにしてるくせにな……」
鎖で柱に縛り付けられているパタへ視線を上げる。
上から差し込む月明りに照らされる中、パタは僅かに瞼を開けた。
「ん、起きたか」
まだ眠たげな目で周囲を見回す。
「安心しろ、ここは俺の秘密基地だからな。多分誰も来ねえよ」
水滴の垂れる洞窟のような空間が鉄格子で二つに仕切られ、壊れて開け放された鉄の扉の向こうから丸い形の月明かりが洩れている。その傍には縄の切れた桶。
「ここ、って……い、井戸……?」
「おっ、大正解。昔の趣味の悪い貴族とかが使ってたんだろうなあ」
手を動かそうとしたパタは鎖の存在に気が付いた。鎖を解こうとして腕を動かすも、僅かに音を立てて鎖が歪むのみ。
「あ、の……これ、といっ」
勇者に腹部を殴られる。柱に頭をぶつけて咳をして、パタは胃液を吐き出した。
「ごめんな。薬なんて物騒なもんは流石に持ってないからな、その代わりだ」
口の胃液を垂らして、目に涙を浮かべてパタは前にしゃがむ勇者を見た。
怯え切った目に勇者の眉が僅かにひそめられる。
「……お前さ、さっき何しようとしてた?」
勇者の問いにパタはひっと悲鳴を上げた。
「え、えっと……あの」
「十秒以内な。はい、じゅー、きゅー」
数えながら拳を構えたのを見て、パタは結わえた長髪を乱して首を横に振った。
「まっ、魔物がいたから倒そうとしてましたっ!」
「腹パン直後のくせにいい返事だな。だが内容がダメなので」
空気を裂く音を立てて握った拳を引く。引きつった声を漏らして目を見開いたパタの腹部に、拳はそっと当てられた。
「今から昔話をします。耳かっぽじってよーく……あ、それは無理か」
鎖に縛られた状態で青ざめ、涙と血交じりの鼻水に乱れた髪が貼りついているパタを見る。鉄格子の間から月明りが差し込んでいるにも関わらず勇者を見る目は瞳孔が開ききっていた。鎖が微かに音を立てる。
ずれた兜を直し、勇者は腕を膝に置いて話し出した。
「むかーし昔ある所に、皆を守りたいとほざく少年がおりました」
柱に張り付いていたパタがえ、と声を漏らす。
「しかしたった一度の裏切りで、少年は全てを諦めました」
それは、魔物との共存を望んだ伝説の勇者の物語。
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