10
カーテンのかかった窓際で本を読む白髪頭の男。
部屋の扉をノックする音に、本を小机に置いて男は扉の方を向いた。
「なんだ。入れ」
扉が開き、細身の男が部屋に入って頭を下げた。
「夜分遅くに恐れ入ります。東の国より文書が届きました」
「東の国か……持ってまいれ」
細身の男は椅子まで進み、持っていた封筒を白髪の男に丁重に手渡す。白髪頭の男は封を切り、中の手紙を広げて目を通した。
「……まあ、こんなことだろうとは思ったが」
手紙を細身の男に渡す。細身の男は読みだしてすぐに顔色を変えた。
「い、今すぐ軍事長に伝えてまいります」
手紙を机に置いて扉へ速足で向かった細身の男を白髪の男は呼び止めようとする。だがそれよりも先に扉は閉まった。
「相変わらずせっかちな奴だな……」
手に取った手紙に目を落とし、白髪頭の男はため息をつく。
机の上に置かれた本の表紙には魔法使いの女のイラストが描かれていた。
水滴のついた窓が下から上がった蒸気で白く曇る。
窓際に干されたズボンがその風圧にはためいた。
「お、沸いた沸いた」
骸骨は立ち上がり、音を鳴らしているやかんの元へ駆けつけて火を消す。あらかじめ並べておいたコップに湯を注いで、パタに差し出した。
「すみません……こんなに色々と」
赤い制服のズボンを履いたパタは軽く頭を下げた。紅茶のつがれたコップに口を付けつつ、パタの視線は骸骨のTシャツに向く。
「いいよいいよ。冷えたでしょ? さ、飲んで」
笑う度に顎の骨がカタカタと音を立てる。あばら骨に沿って凹むTシャツには、左胸に黒いペンでハートが描かれ、矢印と『ここにしんぞう』の文字。
「我が名は骸骨……ってこれ名前じゃないか。ここで用務員をしているんだ」
骸骨は机を挟んでパタの向かいに座った。
「見ての通り、人造魔物さ」
骨のむき出しになった両手の指を動かして見せる。骨のみの表情に変化は無い。
コップを机に置き、パタは背筋を伸ばして座り直した。正座している両足の先を落ち着かない様子でもぞもぞと動かす。
「どうして、ここで用務員をされているのですか?」
骸骨に姿勢を崩すよう促され、パタは三角座りに姿勢を変えた。
「もともとは骨格標本として作られたんだけどね、子供たちに怖がられちゃって」
足を揉みつつパタは縮こまって床へ視線を落とす。
「す、すみません……さっきは」
「いやいや。こんな夜中に骸骨と遭遇したら誰だって驚くよ」
表情こそ変わらないものの骸骨の明るい語調に、パタはほっと息をつくと同時に手で口を覆ってあくびをした。涙目になった目をこする。
それを見た骸骨は立ち上がって、干していたズボンに手を触れた。
「まだ乾きそうにないな……じゃあ、明日また取りに来てもらおう」
「え、あ……ならこのズボンを」
立ち上がり、履いていた制服のズボンを脱ごうとしたパタを骸骨が慌てて止める。
「明日まで貸すよ。それともまさか生乾きのパンツ一枚で帰るつもりかい?」
あっ、と声を漏らしてパタは下ろしかけていたズボンを上げる。顔を赤らめて謝るパタに骸骨は軽く笑った。
「君、面白いなあ」
「えっ」
パタは困惑した様子で笑っている骸骨を見た。
「ごめんごめん。けどこんなに楽しいのは久しぶりだよ、ありがとう」
やはり表情を読み取ることは出来ないが、その声は微かに悲しげだった。
ドアノブに手を伸ばしかけ、パタは骸骨を振り向いた。
「あの、実は僕たち」
扉が勢いよく開いた。
息を整えながら院長は二人を見る。
「こ、こちらにおられたのですね……」
安堵の息をつき、すぐに顔を上げた。
「早急にお逃げください。魔物の集団がこちらへ向かっています」
二人が声を上げる。
「る、ルノと007は」
「先に避難していただきました。ただ、お二人とも戦うと言って……」
院長の横を通り過ぎてパタは外へ向かおうとするも、足を止めた。
「骸骨さん、このズボン洗って返します」
言い残してパタは暗い廊下を走って行った。
茫然としていた骸骨の細い骨の腕を院長が引く。
「さあ、逃げますよ」
杖を手に院長は走り出した。骸骨は頷き、カチャカチャと音を立てながら後をついていく。開け放された扉から電灯の光が廊下に漏れている。
激しくなった雨の中、剣を交えるトカゲ男と軽鎧の男性教員。
刃がぶつかり合う度に金属音が鳴り響く。
「疲れたかあ? さっきから防戦一方じゃ」
トカゲ男が言い終える前にしっぽが地面に落ちた。横で剣を構える男性教員。トカゲ男は剣を構え、男性教員を睨みつけた。
「火炎魔法」
だが剣を握っているのとは反対の手から火が噴き出して男性教員の顔に迫る。咄嗟に教員は剣で防ごうとするも塗れた芝生に足を滑らせ体制を崩す。
火が目に入る寸前で横から伸びた手が男性教員を突き飛ばした。
「お怪我はございませんか?」
片腕ドリル、反対は手首が外れている状態で007は戦闘の構えを取る。
「あ、ああ……」
軽鎧の男性教員は地面に座り込んで007の姿を口を半開きにして見上げていた。雨に濡れたメイド服が007の足に貼りつく。
「うっとおしい……戦闘モード」
007が呟くと両目に赤いライトが点灯し、メイド服は水を弾いて瞬時に黒色に染まった。防水加工のなされた黒いメイド服に身を包み、首は後ろへ180度回転して真後ろで剣を振りかざしていたトカゲ男を赤く光る両目が捉える。
倉庫の裏で幼い者を中心に身を寄せ合っている生徒たちと先ほどの老齢の女性教員。
倉庫の扉の前ではルノがブーメランを手にゴブリンと対峙していた。振りかぶられた石造りの斧をルノは上に跳んでかわし、ブーメランをゴブリン目掛けて投げる。
弧を描いてブーメランは体をそらしたゴブリンの足に傷を入れるも、軌道の終着点を狙って振られた斧の刃先がかすってルノの手の甲から血が飛ぶ。
「人間め……爺ちゃんの仇、絶対取ってやる!」
血の流れる足を押えながらゴブリンは刺すような目でルノを見上げた。
「爺ちゃん……? って」
石の刃がルノの顎の下をかすめる。後ろへ飛びのき、ブーメランを構えて振り上げられた斧から避ける。
二人の攻防を見ていた生徒の一人が立ち上がった。
「同年代のやつが戦ってるんだ、俺らだって」
「お待ちなさいっ!」
老齢の女性教員が立ち上がった年中ほどの男子生徒を制する。校舎の方から青ジャージ、ナイフ科教師がナイフを握って走ってきた。
「だ、大丈夫か、全員無事だな?」
息をつき、ナイフ科教師はナイフの刃先をルノとゴブリンの側へ持ち替える。
「ここは抑えます、今のうちに生徒達を連れて学院の外へ」
ナイフ科教師に言われて老齢の女性教員は頷き、まだ七歳ほどの女子生徒の手を引いて生徒たちを誘導する。倉庫から離れて裏門の方へ走って行った集団を見送り、ナイフ科教師は水しぶきを飛ばして攻防を繰り返す二人の方を振り向いた。
二人の向こうから雨を切る速さで何かが近づいてきているのを見てナイフを構える。
「回復魔法っ!」
だがその声と戦う二人を包んだ高濃度な魔力に顔を上げた。
頭に巻いたタオルを手で押えながら、パタは反対の手をゴブリンとルノに向けている。二人の様子を確かめ、パタはゴブリンへ歩み寄った。
右手に残る高濃度な魔力を感じ取ってかゴブリンは後ろへ一歩下がる。
「こ、怖がらないで。攻撃するつもりは」
立ち止ったパタに石斧が振り下ろされた。咄嗟にパタは手で刃先を防ぎ、石の刃が手の平に浅く刺さる。血が石の刃を伝って水溜りに垂れた。
滲んだ血は雨に流される。
「なっ、何で」
ゴブリンは息を止め、斧の柄を離して後ずさった。
刺さっていた斧はパタの手首をすっと切って落下する。水が跳ねた。
「傷つけあうなんて良くないよ。どうしてこんなこと」
手を押えながらパタはゴブリンを真っ直ぐ見た。手首の中心を切ったはずが、流れる血はほんの僅かであった。
後ずさりかけた足を止め、ゴブリンは強い眼差しでパタを睨みつけた。
「おっ……お前らが先に、ケルベロスの爺ちゃんを殺したんだろ!」
ゴブリンの発言に立ち尽くしていたルノはパタを見た。
押さえていた手が離れ、雨がパタの両手の平の血を流す。
「け、ケルベロスって……あの、洞窟に居た……」
ゴブリンの顔を見たままパタは茫然と口にした。その言葉にゴブリンの目の色が変わり、眉間に寄ったしわが一層深くなる。
「お前が殺したんだな! く、くそ……っ!」
パタの足元から斧を拾い上げてゴブリンは飛び退いた。憎悪と怒りの込められた目で、固まったままのパタに狙いを定めて石の斧を振りかざす。
だが踏み出そうとして、痩せこけた緑色の足は止まった。
雨に打たれながらパタは深く頭を下げていた。
タオルと一本結びの髪の毛先から雫を垂らし、じっと濡れた芝生を見つめている。
「ご、ごめんなさい……っ」
肩を震わせ、血が滲むほど強く両手を握っている。
暗い曇り空の向こうから青い羽を生やしたドラゴンが学院へ羽ばたいてくる。
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