09

 咄嗟に避けたパタの背中を訓練用ナイフがかすめる。

 飛び退いたパタに、テラが訓練用ナイフを投げてよこした。

「先に当てられた方の勝ちだ。単純明快だろ?」

 パタは受け取った訓練用ナイフを見た。木製で刃先は丸くなっており、よほど強く打ち付けさえしなければ当たってもアザすら出来そうになかった。

 ナイフを眺めていたパタの後頭部に、いつの間にか後ろに迫っていたテラがナイフを向けた。一秒未満の移動にパタはえっと声を漏らして振り向く。

「取っ」

 だがテラのナイフは空中で静止した。



 顎の下、首にかざされた訓練用ナイフ。

 テラの前にナイフを持っていた人物の姿は無く、パタは背後に回っていた。

 優しく、そっとパタは訓練用ナイフをテラの首に当てる。

「これでいい……かな」

 格技場に静寂が走る。


 次の瞬間、わっと生徒たちから歓声が上がった。パタを称える声の中、ナイフ科教師はパタのナイフの刃先を見てふと目を細めた。

「……刃の向きが逆だな」

 え、と声を漏らしてパタは手を外し、握っていた訓練用ナイフの向きを確認する。当てたのは刃とは逆側であった。

「いつもの癖で……なら、まだ」

 パタはナイフを回して構えるも、退いていたテラは床のマットに舌打ちをするのみ。

 俯くその表情を見て、ナイフ科教師はパタへ視線を移した。

「上には上がいるってのは事実らしいな……」

 腕を組んでパタを観察する。生徒教員共に全員の視線の中心でパタは007へ視線を送るも、007は右側の壁にかかっている武器を眺めていてまるで気が付きそうにない。


「……と、持ち方だったっけ」

 ナイフ戦の方を見ていたブーメラン科教師が、ブーメランを持ったまま向こうを見ているルノへ視線を戻す。

 入学を迫られているパタの傍で悔しそうにマットを見つめつつ、何かを考え込んでいる様子のテラ。ルノはテラから視線を外し、ブーメランを持ち替えてみる。

 持ち替えたその手を少しの間、じっと見つめていた。





「なあ」

 電灯を消そうとしたパタにルノが声をかけた。

「どうしたの?」

 手を止めてパタが振り向く。ターバンの様にタオルを巻いた長い髪の毛先から水が垂れるために、半袖のシャツの上から肩にもう一枚タオルをかけている。

 ルノは毛布にくるまって、ベッドの上で足の裏を合わせて座っている。

「……弾丸の盗賊って知ってるか」

 ルノの言葉にパタは首を傾げた。

「弾丸の盗賊……って、漫画?」

「実在する……した盗賊だ。三年くらい前の噂だから……パタは知らないか」

 壁から離れ、パタは向かいのベッドに座る。007は窓際でうずくまって充電節約モードに入っていた。ルノは言葉を続ける。

「弾丸のように素早いから、弾丸の盗賊と呼ばれていた」

「でしたらパタ様も当てはまりますね」

 007が顔を上げた。あれ、とパタが007の方を向く。

「007にはまだ……と、盗賊だって言って無いはずじゃ……」

「何を仰います。私は万能メイドナビロボ、その程度の分析は朝充電前です」

 立ち上がってパタは自分の体を見回す。タオルをかけた肩から髪が落ちてズボンに水滴が垂れた。タオルで毛先を拭いつつルノへ視線を戻す。

「えっと……それで、その盗賊がどうしたの?」

 再びベッドに座って、何もはいていない足をぶらぶらさせる。

 視線を穴の開いたズボンの膝に落としたままルノは口を開いた。

「……その盗賊、ナイフ使いのガキなんだとか」

「つまりパタ様じゃないですか」

 すかさず言った007にパタは驚きの声を上げてルノの顔を見る。

「そっ、そうじゃねえ……つかパタは確実に違う」

 慌ててルノは顔を上げて首を横に振った。だがすぐに視線は床にそれる。

「……あの……テラとか言う奴だ」

 思わずパタは髪を拭いていたタオルを膝に落とした。

「えっ……ルノ、あの子を疑ってたの?」

 パタの反応にルノは僅かに顔を上げた。小さく頷く。


 少しの沈黙の後、苦笑いでパタは片手を横に振った。

「ナイフなんて剣の次に使ってる人多いし、きっと偶然だよ」

「あんな……人間をとっくに超えた素早さを見ても、か?」

 しかしルノの言い分に言葉を詰まらせる。

「……ぼ、僕だってあのくらいの早さなら」

 上げていた手を振ろうとしたところを007に腕を掴まれる。

「おやめください。風圧で校舎が吹っ飛びます」

 007の袋をはめた手はマジックハンドの如く伸びていた。

「え、僕のことなんだと思ってるの!?」

「言うまでも無く人外です。だからパタ様を引き合いに出すのはちょっと」

 手を離して、そのまま引き戻して手首に装着させる。

「それよりもう遅いですから、そろそろ就寝なされるべきでは」

 言いつつ窓へ目をやる。水滴のついた窓ガラスに青い両目のライトが映った。

 窓の外には果てしなく暗闇が続き、灰色の雲の隙間から射す月明りの元に広大な森が広がっている。しとしとと降り続ける雨が窓ガラスに当たる。

「……そうだね。じゃあ電気を……」

 ベッドから立ち上がりパタは壁のスイッチを切り替えた。天井の電灯は消え、窓の外から差し込む月明かりと007の目のライトのみが部屋の中を照らしている。

 ふとパタは首にかけたタオルを外してベッドの上に置き、扉の前まで戻り、並べてあった靴を履いた。

「ちょっとトイレ行ってくる、場所は確か右の突き当りだったよね」

 扉を開けて火炎魔法を囁く。水平に保たれたパタの右手の平に火の玉が浮かんだ。

「すぐ戻ってくる。じゃ、おやすみ」

 扉が閉まり、火の玉の灯りが消えた。


 立ち去る足音すら聞こえてこず、部屋の中は雨音のみが聞こえていた。両目のライトを消して007は再びうずくまる。ルノはベッドの上に寝転がって壁の方を向いた。

 一度瞼を閉じて、開く。

「お前、知ってんだろ。……何であんなこと言ったんだ?」

 007は顔を上げてルノの方を向いた。ルノは壁を向いたまま。

「冗談機能でございます」

 え、と声を漏らしてルノは上半身を僅かに起こした。だがすぐに元の姿勢に戻る。

「冗談って…………いや、いい」

 呟いて瞼を閉じた。再び頭を膝の上に乗せ、007は充電節約モードに入る。




 青い人型のパネルが付けられた扉をノックする。

 先客がいないことを確認し、パタは電気のスイッチを付けて中に入り、扉を閉めて鍵をかけた。手の平の上の火の玉を消す。

「はあ……良かった、森で漏らさなくって……」

 便座の前でベルトを外しかけるも、手を止めた。

「そうだ、髪結ばないと」

 手首に巻き付けていた紐をほどいて、垂らしていた髪を手でまとめる。濡れた髪に苦戦しつつもパタは髪を一本に結び終え、再度ベルトに手をかけた。

 しかしまたもや止まる。

「……え」

 背後の扉を振り向いた。すりガラスのはめられた小窓を覗く。

「だ、誰?」

 ベルトから手を離し、開錠してパタは扉の向こうを確認した。

 月明かりに照らされた廊下は、奥まで真っ直ぐと暗闇が続いているのみ。

「……き、気のせい……かな」

 扉を閉め、再び鍵をかけて便座の方を向く。

「そ、そうだよね。こんな夜中に覗く人なんて」

 即座に鍵を開けて扉を開けた。廊下に変化はない。

 唾を飲み込み、パタは外しかけていたベルトを直した。灯りのついたトイレの扉を開け放したまま廊下へ恐る恐る踏み出す。

「き、きっと猫とか警備員さんとか、もしくは」

 階段の前で立ち止まって耳を澄ませた。

 雨音だけが静かに響く中、カタカタと何かがぶつかり合う軽い音。

「ひ」

 床にへたり込み悲鳴を上げかけたパタの口が手で塞がれる。


 その手は細く、肉付きが悪い……というか白骨そのものだった。

「み、水魔法」

 天才的なコントロールによりパタは事態を未然に防いだ。

 だが結局ズボンは水びたしになるのだった。

「ありゃりゃ、今先生呼んでく……あれ?」

 Tシャツ姿の骸骨が、懐中電灯でパタを照らす。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る