02

「あれが例の盗賊、ですか」

 話声にパタは目を覚ます。

「子供の割に縄をちぎるほどだ。薬が入れてあるとはいえ重々気を付けろ」

「はい。その点には細心の注意を払って行います」

 次第に意識がはっきりとしてくる。だが、視界は布で覆われていた。

「え、ど……どこ、ここ」

 立ち上がろうとするも、縄で椅子に縛り付けられた体はびくともしない。

 椅子の揺れた音に、髪を一本に結った兵服の女が気が付いた。

「目覚めたようですから……あとは、お任せを」

 上官らしき人物に敬礼し、兵服の女は恐怖から体を震わせているパタの方へと歩み寄った。靴の床に当たる足音にパタはひっと悲鳴を上げる。

「なっ、何するのっ!?」

 椅子の前で足音を止め、女は無表情でパタを眺め回す。

「……只今より、拷問を開始する」

 淡々とした語調で告げて、兵服の女改め、拷問官はおもむろに手に持っていた鞭をパタ目掛けて振り上げた。

 風を切り裂く音にパタは開始を理解して、椅子の拘束から必死に抜け出そうとする。


 が、鞭は振り上げられたまま空中で止まった。

 鞭を床に落とし、拷問官は兵服のポケットの中から錠剤入りの瓶を取り出した。

「貴方には、こっちの方が合ってるわ」

 蓋を開けて一錠取り出し、怯えているパタの口に白い錠剤を無理やり押し込む。

「飲みなさい」

 口の中の錠剤をパタは出そうとするも拷問官に手で口を塞がれ、諦めた様子で錠剤をのみ込んだ。口の中を確認して、拷問官は椅子から離れる。

 手を離されたパタはしばらく恐怖に震えていた。だが、何も起こらないために次第に緊張は解け、表情は不思議そうなものへと変わっていく……


 次の瞬間、鋭く息を吸った。パタの顔から血の気が引く。

 直後、部屋の中に悲鳴が響き渡った。

「一応効いたらしいわね……あとで報告しておかないと」

 瓶に貼られたラベルには雑な黒文字で『幻覚剤』と書かれていた。

 拷問官は瓶をポケットに戻し、必死に助けを求めているパタの頭を押さえつける様に上から掴んだ。突然のことにパタの悲鳴は引きつる。

「仲間の居場所を言いなさい。言ったら解毒してあげるわ」

 氷のような目でパタを見下ろし、返事を待つ。パタは言葉が耳に届いたのか、涙に濡れた顔面蒼白の表情で頭を横に振る。

「そう。せいぜい次来るまでに正気を保っていることね」

 鞭を拾って、拷問官は部屋を後にした。残されたパタが椅子を揺らしながら泣き叫んでいるのを、兵服の男女二人が柱の陰から眺めていた。

「うわあ……あの子絶対壊れちゃうよ……」

「上官は何考えてんだ、子供相手にあいつ当てるなんて……」

 二人の視線は平然と歩いている拷問官へ向く。

「やっぱ出身があれだから、思考が野蛮なんだよ」

 拷問官は顔色一つ変えずに一定した歩調で歩いていた。

「あんなのがご近所だなんて勇者様も気の毒だよな」

 だがその言葉に拷問官は刺すような視線を横目に向けた。

「おお……怖い怖い」

 慌てて二人はそそくさと奥へ逃げて行く。

 拷問官は去っていく二人を眺めていたが、深いため息をついて床に視線を落とした。

「……否めないわね」

 発言とは裏腹に首を横に振って、顔を上げて拷問官は歩き出す。






 真っ暗になった部屋の真ん中で、パタは椅子に頭をもたれかけて天井を眺めていた。

 目隠しの布はまだ濡れており、半開きの口から胃液が伝っている。

 ふと腹の鳴る音が部屋の中に響いた。

「おなか、すいた……」

 かすれた声で呟いたパタに、靴の鳴る足音が近づいてくる。足元に飛び散った吐瀉物を避けながら、拷問官は椅子の前で立ち止まった。

「……で、話す気になったのかしら」

 ランプでやつれきったパタの顔を照らす。荒い息を吐きながら、パタは小さく首を横に振った。

「お願い……皆には、何も」

「なら拷問再開ね」

 パタの体に再び緊張が走る。口を堅く閉じて抵抗しようとするも、拷問官は薬液入りの注射器を持った手をポケットから出した。

「どうせ飲ませたって吐くでしょうから」

 注射器を包帯が巻かれたパタの首に打つ。素早く薬液を入れて針を引き抜き、椅子から離れて拷問官はパタを眺めた。

 先ほどよりも早く、パタはかすれた悲鳴を上げだした。

「話せば楽になれるものを……」

 空の注射器を縛られたパタの手の指先に打つ。その刺激に一層悲鳴は強くなり、床に金具で固定された椅子が音を立てて揺れる。

「……妙にしぶといわね」

 先に血の付いた注射器を引き抜きかけて、手を下げて針を折った。





 悲痛な叫び声は床を挟んだ地下牢まで届いていた。

「今日は一段と激しいな……しかも子供か?」

 見張り番の兵士が天井を見上げる。後ろの牢で鎖が音を立てた。

「うっ、動くなっ!」

 兵士は槍を鉄格子に向けた。しかし鎖でがんじがらめになった青年の姿を見て、まさかな、と呟き槍を下ろす。

 首に鎖を巻かれた鉄兜の青年は、俯けていた顔を僅かに上げた。

 天井の向こうから聞こえてくる少年の悲鳴。

「…………くそ」

 諦めたように青年は兜の下でため息をついた。


 そして全ての鎖を引きちぎる。

「なっ……何を」

 兵士は咄嗟に槍を構えるも、立ちすくんでその場から体が動かない。兜の青年は鎖の絡みついた片足でいともたやすく鉄格子を折って牢の外へ出る。

「はー……じっとしてるのも案外きついもんだな」

 肩を回して手の関節を鳴らす。一挙一動に兵士が怯えて反応するのを見た青年は、腕に絡みついている鎖をちぎり取って見せる。

「この程度じゃ俺は拘束できないぜ?」

 ちぎれた鎖を床に投げ捨てて、青年は上の階への階段を駆け上がった。

 遠のいていく足音。

「……じ、辞表出そ……」

 槍を突き出したまま、兵士は鉄格子の散らばる床にへたり込んだ。






 パタの指先に刺さった針をつまんで左右に動かす。幻覚作用からかパタはそれだけでもかすれきった声を上げた。

「話さないなら次は……」

 とうとうパタは気を失い、椅子の背もたれに頭を打ち付けた。

 拷問官は小さく舌打ちをした。手を広げてパタの顔へ向ける。

「水魔ほ」

 唱え切る前に爆発音が鳴って横から砂煙が部屋に流れ込んだ。


 腕で顔を覆い、拷問官は咳をしながら目を細めて顔を上げた。

 煙の中で縄を解こうとする兜の青年。

「何でこんなに絡まってんだよ……もう面倒だから引きちぎるか」

 椅子からパタを引き離して肩に担ぐ。

「あっ、貴方……何者よ」

 むせ込みながら拷問官は問い、顔を覆っていた手を砂煙の中に伸ばすも、その手の先には既に誰もいなかった。

「何者って言われてもなあ……しがない無職の二十代としか」

 兜の下で後頭部を掻きながら青年は答え、後ろを振り向く。

 パタを肩に担いだまま壁に空いた大穴から飛び降りた。

「ま、待ちなさいっ!」

 拷問官は壁の穴に駆け寄るも、下には水が流れる堀があるだけで青年の姿は無かった。城壁にも穴が開き、その向こうには暗い森が広がっている。

 晴れ始めた煙の中で拷問官は茫然と森の向こうを眺めていた。


「……そういえば……あの男」

 思い出し、拷問官の釣り目がちな目が僅かに見開く。

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